第十五話 解決はいつもの景色で
その地下室にこもって、オリゼは『黒い書』を口にくわえていた。
今回の地下室への入室は、フロウド侯爵に許可を得ている。数々の複雑な記号が散見される、『財産のルーン』の原本。それらの力を吸い取り、ほぼ無力化するために、オリゼは座っていた。
ただ、
「……あなたが、部屋に入ってきて見ていなくてもいいのだけど。ミヤベ」
「いや。久々というか。めったに見られるものじゃないからね」
この珍しい光景を目にするくらい、ご褒美にしてもらいたい。
しかし、それでもオリゼは嫌っていた。
銀色の髪を燭台灯の光に揺らせて、黒い書を膝の上に積みながら僕を睨んでいる。
「ほら。護衛がまだ必要かもしれないだろ? くらい地下室に、一人だけ。しかも魔物まで出てくるかもしれないなんて、物騒じゃないか」
「…………淑女の食事をのぞき見るなんて、悪趣味だわ」
そして。渋々ながらも、開始する。
書の浄火。
――オリゼだけが宿す、『詠唱鬼』という力。
それは魔道書に対する切り札であり、扱いが難しい本でも、彼女が邪気だけを吸い込んで血中の力に変えることで、『小さな世界』を押さえ込むことができる。その際に、空中を舞う、銀の蝶のような魔道書の文字が、何とも言えずに魔法的で美しいのだ。
僕は、この光景を神秘的な、この世の奇跡だと思っていた。
ただ、オリゼは違うらしい。
悪魔的な崇拝のように、なにか後ろめたい儀式でも見られるように、『人に見られる』ことを極端に嫌うのだ。
(……なぜだろう?)
僕は、ふと。そんな素朴な疑問を浮かべた。
一応は剣士の護衛らしく、入口に背を預けながらの疑問だ。……もしかすると、それはオリゼの過去。
この書を操ることができる、アストレア国唯一の『詠唱鬼』という、彼女の出自に関わることなのかもしれない。
いつか、それも話してくれる時がくるのか。
――彼女の、〝親友〟として。今よりも、より深い関係が築けるようになったら。
「…………始めるわ」
そして、オリゼの鈴のような声とともに。
地下室に、その銀の光が広がっていった。燭台灯よりも眩しく、そして明るい。
***
それから、何ヶ月が経過した頃だろう。
僕とオリゼは、ふと思い立って、郊外へと散策に出ることにした。
使用人のセダンにも告げて、途中まで馬車を借りる。そこから馬車駅に到着してからは歩きだ。
以前ほど。オリゼと歩くのにも違和感をもたなくなった。彼女も誘えばついてくるし、彼女自身も、僕を行楽に誘うことが多くなった。季節の変わる街の景色を眺めながら、地面に落ちた黄色い葉を踏んで歩く。
すると、
「あ。見て。ミヤベ」
「あれって、ヘンリエットさん?」
街を背景に。その親子が、歩いていた。
ずいぶんと久しぶりに見たかもしれない。フロウド老人と、その息子のヘンリエットさんが製図を広げて街を指さしていた。
「分からないのか。親父。まずは、街の農地を広げて、豊かな実りを領民に提供するべきなんだ」
「……いいや、お前こそ分かっていない。ヘンリエット。まずは、商人を呼び込んで土地の人を豊かにするべきだ。市民に心地よい暮らしをしてもらうためにな」
その幸せそうな、平和の中の争いを。
親子は、土地の運用について考えているようだ。
領国を継ぐことになった息子は、農耕を広げるべきだと主張し。その農民たちに飢えを少しでも減らすべきだと言い、老紳士は、違うと首を振る。少しでも土地を広くし。市民に通貨を多く持たせるべきだ、と主張するのだった。
そう争う親子のことを。土地の人々は、微笑ましそうな顔で見送っていた。行き交いながら挨拶をし、どちらの親子の主張にも、支持者がいた。
フロウド老人は、あれからずいぶんと歳をとった。
真っ白になった髪を後ろで束ねて、以前ほど高価で真新しいスーツなどを着ていない。少しボロが目立つ服を着た姿は、元の豊かな暮らしからだいぶ環境が変わったようだ。
だが、老人はそれを悔やんでなどいない。以前よりも覇気が戻った目元は、しっかりと街の再建について見つめていた。
聞いた話、ヘンリエットさんは奥さんを貰うらしい。
土地の人々から祝福され、それについては、田舎の好々爺とした父親も祝福しているようだった。争う親子の姿を、遠くから使用人や、赤い髪の女性が微笑みながら見つめている。彼女が、婚約相手だろうか。
もう、この土地の空に、くらい雲間が広がることはない。
そこはどこまでも穏やかで、ありふれた日常の景色が広がっていた。雨降って地固まる、という言葉があるが、その親子の関係を埋めるのに長かった歳月は関係ないかもしれない。人生の歩みなんて、人それぞれ。どんなに長く離れていたって、通じる親子は、通じ合えるのだから。
僕とオリゼは、そんな街角を見ながら、顔を合わせた。
また、アストレア首都に向かって歩みを進める。
――もう、〝書の専門家〟はいらない。
もう、魔物を斬る〝剣〟も必要ない。
だって、あの家に。財産のルーンなんか、いらないのだから。
***
《――財産のルーン》
古来より。幸運を招き寄せられるとされ。その象徴する壁画などには、壺の中に入った黄金財宝などが見受けられる。
しかし、その力は『洞窟で財宝を守るドラゴンの絵』で象徴される通り、金貨は悪魔的な『強欲』を招く者とされ、必ず悪魔とセットで扱われる。その他にも、異性誘惑、剣力増長、などとアストレア国では『願望』の象徴とされていた。
《秘文字》や、《カレル》、その呼び方は国によって様々。
共通しているのは、その記号を人間が読み解くことはできない、未知の言語ということだけだ。一説には、悪魔の言葉が書いてあるらしい。
書の中には『私に財宝を与え賜え』より始まる、呪詛的な契約文が記されている。それは、かつて悪魔と契約し、一時的に読み解けるようになった人間の魔術師がそれを記したという。
※第五章について
すみません、また時間がかかりそうです。活動報告にて。




