第十三話 夕焼の扉
その書斎を訪れたときは、夕刻を回っていた。
オレンジ色の斜光に染め上げられながら、屋敷の三階に座る老人の影はどこか小さく見えてしまった。案内に室内へと導いてもらった使用人さんが断りを入れて下がっていく中で、僕もオリゼも、しばらくその横顔を眺めていた。
老人は、写真立てを握っていた。
そこに映るのは家族の『ありし日』の姿だろうか。
しばらく僕らの来訪に気づかず、ジッと見入っていた老人は、やがて気づいて顔を上げるのであった。写真立てを壁際の棚に戻す。……まるで、見られてはいけない、恥ずかしい場面でも見られたように。
「来ていたのか。王都の占い師」
「……ええ。真相を、確かめたくて」
真相? と。
オリゼの細やかな喉を通って紡がれる鈴を鳴らしたような声に、フロウド侯爵は首をかしげる。
そんな彼に、容赦なく、オリゼは鋭い瞳を向け。『魔道書』のことを問い質すのだった。
「きっかけは、この屋敷から不穏な『書』の気配がする。―――〝匂い〟がしたからよ。それも、本物の」
「……? 待て。何を言っている。書とは何のことだ」
まだ、シラを切るつもりか。
それとも、本気でオリゼのことを『王都の占い師』と思い込んでいるのか。
言葉を飲み込めず困惑をする老人に、少女は一歩進み出た。
「……これは、『財産のルーン』と呼ばれる、幸運を強引に呼び込む悪魔的な儀式に使われるものよ」
「……?」
「書の力を行使し、あなたは財を築き上げた。
……けれど、屋敷の地下に『魔物』が顕現してしまうほど、その書の力を強めてしまうことになった。もし、これが誰かの手に移って……その呪いを引き継いでしまっていたら、大変なことになっていたかもしれない」
「待て。なにを」
困惑するフロウド侯爵に、オリゼはさらに言葉を紡いだ。
――いわく、それは禁忌の魔法なのだと。
過去に生活に困って、その魔道書に手を出した者は多くいた。だが、それらの全てが、貧困以上の不運を呼び込んで消えていった。ある者は飢え、ある者は人に恨みを買い、路地の片隅に転がされた。
「事実を、告げるわ。依頼人のフロウド。――この屋敷には、『魔道書』が存在していた。それも数十冊。効果を発揮しながら、秘蔵されていた」
「!」
「事実を、問うわ。依頼人のフロウド。――あなたに、『ズル』をした自覚はあるのかしら。魔道書を頼って、財を築き上げてしまった。その書を理解して所有していたのか。この屋敷の地下には、確実に書から力を得た〝魔物〟が徘徊していたわ。〝ミヤベ〟が退治したけど」
「……ま、待て。ミヤベ……? 君は、あのアストレア国の将校卿のご子息なのか……? いや、それより、怪物というのは」
そこまで聞いて、オリゼが解き明かした『現実』に老人は戦慄した。
――地下に潜んでいた『怪物』の件。
――『魔道書』という、もともと、人が関わることのなかった黒い書の正体。
老人の顔から、すでに当初の高圧的な『頑固さ』は消えていた。うろたえ、皺の深い顔に刻まれた――その一人の父親のような顔が、驚愕に染まっていた。
やがて、老人は理解する。
その『魔道書』という書物の正体。
本来なら決して関わることはなく、庶民的な万人に話しても理解を得られない内容の書物に対し、まるで、『思い当たること』があるように。
「―――、そう、か。あれは、『魔道書』と呼ばれる類いだったか」
「知らずに、屋敷においていたんですか?」
「声が。聞こえたのだよ。ミヤベ家のご子息。…………あれは、妻を亡くした次の夜。子育てもロクにできない、なすすべもなく借金を抱えた我が苦悩に答えるように、寝ている枕元である『呼び声』がした」
「……? それは、一体」
「…………『富みに抱かれたくは、ないのか』――? と。まるで貧困にあえぎ、息子の将来も見えなかった私の不安を、射貫くような声ではないかと思った。夢の病魔に冒されているかと疑った私に、その『声』は、地下室への扉へ導いた……」
そして、始まったのだという。
フロウド侯爵の、人生を――変えてしまう。『約束』が。
財の幸運により枝分かれが生まれてしまった、『財の魔物』に絡んだ、多世界解釈の『A世界』の今が。




