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第十二話 暗戦



 とっさに燭台灯カンテラを庇って下がったオリゼを、僕が入れ替わるようにして庇う。

 剣先を振り上げた。


 火花が散る。

 『イアイ』の伝統の刀法――『居抜き』と呼ばれる突撃技術だ。刀を鞘から回転するように抜きだし、そのまま真っ直ぐに正面に突きを放つ。


 これが。限られたスペース――路地裏での戦いや、壁に囲まれた通路などでの先頭に効果を発揮した。この場合は地下室だ。限られた空間、扉をくぐった先という室内で、僕は刀を直線的に振りかぶる。



『…………グルル』

「やはり、実体があるのか」


 信じられなかった。

 書を守る魔物というのが、本当に存在するのか。ここは邸宅の下。そこで、魔物が飼われていたということになる。


 迷宮の番人のように、ねじれた山羊のような角のある黒い魔物。体はない。しかし人間のように仁王立ちをし、鋭い爪を持つ姿は――悪魔的で、どこか寓話の〝ミノタウロス〟を彷彿とさせた。



「どういうことだ。オリゼ」

「書を守る魔物――。特に悪魔系の崇拝を受ける〝幸運〟をつかさどる書の場合は、長い年月をかけて中身が顕現してしまうことがあるの。主に、同じ『家』に書を起き続けた場合と、同じ『部屋』に起き続けた場合」


 それは、植物の根っこが、土に根を下ろすようだという。

 ずっとその屋敷で成長を続けた書は、やがてその中身――〝小さな世界〟の一部である実体が顕現する。それは、書を悪い外敵から守るための〝番人〟とされ、僕やオリゼのような第三者が解決することを、著しく妨害する。



「つまり、コイツを倒さなくちゃ『書』に近づけない。ってことか」

「そうね。他に質問は?」


「なんで、もっと早く言ってくれなかったのか。これに尽きる!」



 僕は剣先を振り上げていた。

 狭い屋敷の地下室で、戦闘が起こる。限られた光源の中、薄い暗がりで研ぎ澄まされた神経と、剣士の感を頼りに火花を散らせる。一撃打ち合うごとに僕の姿勢が変わり、手の内を読まれないように動いた。


 ――剣士の戦いは、〝千変万化せんぺんばんか〟と呼ばれる。


 同じ手ばかり使うと飽きるようにして動きを学習されてしまい、その動きの先回りをされる。人間である以上は〝癖〟というものが出ても仕方ない。だが、それをいかに隠し、多くの変化をつけさせるか、こそが剣士である。僕の父は常にそう言っていた。


 特に、相手は得体の知れない『怪物』ということだった。どんな対策をしても、警戒しすぎることはない。


 僕はミノタウロスのような『書の魔物』と打ち合った。一秒間に三度の金属音が生じる。僕は刀である『愛刀・鞍馬』を用いて戦っていたが、魔物はその鋭利な刃物のような爪で僕を蹂躙しようとしていた。


『グルルル』

「……くそっ」


 動きに合わせて、躰が柔軟にはねる。

 並みの手合いなら、すでに数回は死を迎えている局面があった。僕は喉を引き裂いてこようとする爪を回避し、呼吸を整えながら切り込んだ。刀術の主体を『突き』に重点を置く。


 すると、思った以上に魔物の意表を突けるのである。直線的な動きではなく、点で攻めていく『突貫』は、槍術にも似ていた。その衝撃が発生するまで、ギリギリまで見定めるのが難しいのである。


 そして、この刀術のメリットは『攻守一体』というところにもある。僕は今まで、抜き打ちで相手を一刀両断する『イアイ刀法』にのみ重きを置いていたが、今回の相手ばかりは不利だった。……であれば、本来の僕の小柄さを生かして、横たえた刀剣に隠れるように〝突き〟を打ち出すに徹する。


 一秒間に六度の突きを放つ『極み』にある僕の剣術は、さすがの書の怪物をも圧倒していた。悲鳴を上げながら後退している。しかし、何よりも厄介なのは、その魔物が幽霊のように消える――


 つまり、攻撃が当たる瞬間にだけ、本来の『いなかった存在』として透明化し、黒い煙のようになって襲いかかってくるところであった。



「――『悪霊』は相手にしたことある? アストレア国の誇る、剣士さん?」

「いいや。ない」


 ……だが。

 キッパリと宣言した僕は、それでも負ける気はしていなかった。


 魔物だ。幽霊だ。

 そんなものが出てきたら驚くだろうが、ここ半年ばかりの書を巡る騒動にあって、さすがに新鮮な驚きは遠ざかっていた。しかも、鍛練も積んでいた。というのも、



「――僕の父は、剣鬼だ」

「?」

「……アストレア国の外。……異国の鬼を、退治したことがある」



 そう。

 僕の父もまた、怪物なのだ。


 諸国を放浪中、僕の父は人間以上の化物を殺していた。その腕は、諸国を畏怖させる強さ。


 オリゼにだって、国中の誰にだって侮ることを許さない。その強さの芯は、『心眼』である。『剣に頼るのではない。心の中で斬る』――。それが心頭を滅却し、ただ一途に魔を滅ぼしたことのある父の言葉だった。


 僕は一歩踏み込み、ねじるように左手で赤い鞘を持つと、納刀する。一度だけ。ほんの一瞬の静けさののち――襲いかかってきては、黒い煙と化して身を守る『魔物』を睨みつける。


 静かに瞳を閉じ、息をついた。

 刀の極意を。その身体に宿らせる。刀に息吹を与える。


 次の瞬間には、大きく刀を振りかぶっていた。バネのように足を跳躍させ、最大級の踏み込み――地下室すらも両断する勢いで、《愛刀・鞍馬》を引き抜いた。光さえも、闇さえも断つ。心眼一閃だ。



「……す、ごい……」


 オリゼが目を見開き、呆然とした頃には。


 また再び、黒い靄に戻ろうとしていた――いや、もう半ば黒い煙となり、僕の物理的な刀の干渉を受けつけないように変化していた『書の魔物』が。その胴体から、半分。すっぱり靄ごと切り落とされていた。


 そもそも、この幽霊のような魔物は異国の刀法にすら出会ったことがないのかもしれない。このくらい屋敷の地下で。そのまま、肥大化しようとしていた影は、再び煙のように散る。



「あなたの剣術って、森の熊や、剣の王だけじゃなく。怨霊や幽霊のたぐいまで斬り捨てられるのね。……少し、想定外だった」

「僕だって、もう一生に何度も戦いたいとは思わないよ」



 そして、残ったのは『黒い書』。


 ヘンリエットさんの話しにあった、遺品整理の時に見かけた書というのが……おそらくこれだろう。複数の書棚にしまわれ、そして、表装から黒い靄を発しながらそこに存在していた。


 その数は、


「……十数冊。いや、もっとあるのか」

「たぶん、これの一つ一つが『財産のルーン』が刻まれた魔道書。効果が相乗し合って、手がつけられないほどの『大きな魔道書』のようになった」


 オリゼは埃のかぶった地下室を見回しながら、そう呟いていた。







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