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第十一話 善の魔物



 屋敷の地下に入ると、ひんやりと冷たかった。


 これまでとは違う空気感。螺旋のように石畳の階段が続き、それがこのフロウド邸が建てられた先祖の代から、そこにあったという。


 地下室はまだ国が戦争をしていた古来より、不穏な場所として想像がされていた。地下に拷問器具があって、騎士が尋問する。……もちろん、そんな歴史がなかったとは言えないが、大抵の地下室は『貴族連中や、領主の避難場所』だったりするため、特筆な構造がある。


 つまり、屋敷の『内』と『外』に、一つずつ入口があるのだ。


 屋敷の中からの通路は、残念ながら僕らには知ることができない。それはもともと屋敷の主人のみが知りうるべき秘密であったし、息子のヘンリエットさんも知っているか分からないが、僕らのような部外者が聞いても教えてはくれないだろう。


 だとすると、外側からの分かりやすい『固い門』である。



「背の高い雑草や、棘の多い花のある『屋敷の裏庭』――手入れされていないそこに、不思議な入口があったと思ったら。まさか、こんな石壁でつくられた洞窟みたいな場所に出るなんてね」

「昔は、そこそこの物持ちに違いなかったわ。ここの領主の家系はね」


 僕とオリゼは、進む。

 ………あの話の後。


 僕とオリゼは、老婆から地下室の鍵をもらうことができた。部外者であるが、この屋敷の傾きつつある将来――侯爵と息子のヘンリエットさんの件を解決するのは、おそらくこれが最後の希望だと判断したようだ。


 もともと、仲がよかった親子なのだ。

 それがいびつに歪んで、誰からも見向きもされない『騒動』に発展していた。書を巡るトラブルは、不思議で、奇怪なことばかり起こる。


 そうして僕らが邸宅の下を進んでいくと、



「なにか、心当たりがあるのか」

「あるわ」


 屋敷に備え付けの『燭台灯カンテラ』を借りたオリゼは、先頭を進みながらそんな声を返した。



「もともと、『財産のルーン』――その系譜は、悪魔的な崇拝からきているの。人間が、人知を越えた富を手に入れようとするとき、恐ろしいものに祈りを捧げねばならない」

「……む。オリゼ。ここで、カルト的な崇拝を出すのかい?」


「違うわ。神様か、よこしまな悪魔か、というだけの違いよ」



 オリゼの髪が灯火の明かりに染め上げられ、洞窟を進みながら揺れていく。

 こんな不気味な光景が続くのだ。せめて、もう少し明るい話題がないものかと顔を顰める僕に、オリゼは淡々と告げる。



「普通の人だって、そうでしょう? もし何か幸運ラッキーなこと……今晩、付き合っていたあの娘に結婚を申し込むんだ、という青年は神にひたすら祈る。宝くじを買えば、自分にだって幸運が訪れますように。馬車が買えますように、って教会で神に祈りを捧げるんじゃないかしら?」


「まぁ、ね。でも、一般的に神様と悪魔は違う」

「一緒よ。より強い欲求……それがよこしまで、脂ぎっているほどの願望から出てしまう願いを、誰かに叶えてもらおうとするんだから」


 オリゼは言った。

 昔、洞窟などで財宝の金貨を守る番人は、『ドラゴン』がよく描かれていたらしい。教会の壁画にもある。


 それは、ドラゴンが貪欲な生き物というだけでなく、『他者を喰らい、貪ってまで願いを叶えたいほどの欲求』が、財産に絡めて、人の中にある欲求を具現化した結果なのだという。

 つまり、人間の原始的な『欲望』という願いに対しては、常に悪魔的な要素を孕む。


「……神秘的な話しだね。とても、信じられないが」

「ええ。でも、実際に悪魔は、『他者から奪い、自分のものにする』という欲望の現れでもあるわ」


 実例がある。

 かつて落ちぶれた実業化を目指す青年は、『悪魔的な崇拝』の力を借りて富を手にした。しかし、人格は変わってしまい、性格も醜く歪み、路上で助けを請う浮浪者にすら一銭も渡さなかった。

 ……その末路は、哀れなものだったという。



「過ぎた欲望ほど、魔道書との関連性が高いのよ。あなたも身に覚えがあるでしょう、アストレア国の『剣士』さん?」

「…………士官学校での魔道書に頼った件は、悪かったと思っているよ」


 僕は手を広げた。

 僕の一生の反省材料である。


「オリゼがいなかったら、今でもどうなっていたか。一応、恩には着ているよ」

「では。その腕前を、もう一度振るってはくれないかしら」


「?」

「言ったでしょう。過ぎた願望には、魔が宿る。…………そして、人が行き着く最後には、『魔物』が宿るの」



 その地下室の、扉を抜けた先。


 部屋に入った僕の前髪がふわりと動き、そして外とも繋がっていないのに、室内の風が動く。

 とっさに身を引いた僕の前を黒い『かまいたち』が過ぎていった。それは得体の知れない、しかし確実に敵意のある『何か』の一撃だった。



「……な。何かがいる……!?」

「書の番人。……きっと、いると思っていた。『財産のルーン』に関する魔道書の件には、かならず、それを守る〝怪物〟が飼われているものだから」


 僕は驚愕し、オリゼは身を引き締める。

 僕らの前――カンテラの光に照らされたのは、ゆらゆらと動く蜃気楼のような、しかし実体をもった黒い化物。『書の怪物』だった。





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