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第九話 農耕談話


 翌日。その場所を訪れたときは、昼を回っていた。


 前日に遅くまで調べ物をしていたからかもしれない。屋敷を辞して、それから宿屋へと引き取った僕ら(主にオリゼ)は泥のように深い眠りについた。翌日は朝から目覚めた僕だったが、一方のオリゼのほうがなかなか部屋から出てこず、ぐずつくように長い睡眠をとって、開けたのは昼前だった。


 ……まあ、そこはいつも通りなんだけど。


 外出の用意を手伝って。僕らが遅い朝食を食べたときには昼の直前だった。それから郊外に出て、駅馬車と呼ばれるその辺りをうろついている民間馬車をつかまえ、目的の場所に着いたのは昼過ぎだった。


 僕らは、一軒のあばら家を目指していた。


 そこはフロウド侯爵――この周辺の領主を務める、彼の大きな屋敷と庭が見える『山あい』にあり、ささやかながら季節の花などが植えられている。村人から贈られたのか。


 僕らが近づくと、家の前の畑。

 農耕をしていた一人の青年が、顔を上げた。



「おや。これは、珍しいお客さんだな」

「――こんにちは。ご迷惑だったでしょうか」


「いや、いいさ。ちょうど休憩を入れようと思ったんだよ。見てくれ、この夏に植えた季節の赤豆さ。立派なもんだろう」


 そう言って、心の底から誇らしそうに笑顔を向けてくるのは、追放された侯爵の息子であるヘンリエットさんだった。

 鼻の頭に泥の汚れがついていたが、本人は一向に気にする様子はない。無我夢中で、毎日の農作業に取り組んでいる様子がうかがえた。



「この赤豆、収穫の季節はいつですか?」

「秋過ぎ。つまり、もうそろそろさ。季節が少し肌寒くなってくると、人間よりも敏感な植物はすぐに変化を見せる。生長する葉はこんなにも青々しくて瑞々しいが、葉は黄色く枯れ、赤い実をつけるのさ」


「……へえ」


 農業にも少し興味がある僕は、単純に好奇心をそそられてのぞき込んだ。小さな葉の茂みの中にある実は、まだ小ぶりであった。

 しばらくヘンリエットさんと意気投合して話をしたが、その後、彼は気づいたように僕の後ろを見て、


「それより、こちらの貴婦人マドモアゼルは? ミヤベ。驚いたな。こんなむさ苦しい場所に、こんなに綺麗なご寮人さんが来るなんて」

「あ、言い忘れてました。僕の友人で、王都の占い師をやっているオリゼフィール・マドレアンです」


 僕がそう紹介をすると、殊勝な顔の(実はまだ眠いだけだが)オリゼは、深々と腰を折って挨拶した。

 意外な顔をしたヘンリエットさんは、しかし、やはり元侯爵家のだけはある礼節の一礼を返した。こういう時、とっさに育ちは出る。僕はそう思った。野良着を着ていても中身は立派な紳士だ。



「これは。なんというか、こんな着替えしかなくて申し訳ない。と言うしかないな。お見苦しいが、これでも俺の仕事着なんだ。見逃してくれ」

「いえ。そんな事はないですよ。立派です」


 僕は言った。ウソではない。

 人間が今の暮らしの上で、必要があって着ている服が粗末であろうはずがない。それは誇ってものだったし、僕の父も『剣士が、仕合で傷ついた服を恥じてはならない』と常々教えている。


 立派に頑張って働いているのだ。なにが、見苦しいことがあるものか。


「そういう君は、相変わらずだな。ミヤベ。昨日会ったときの、第一印象のままだ。今日訪れたのは、俺に何か用事があって?」

「はい。――単刀直入に言いますと、お父さんのことです」



 僕がそう言うと、思いっきり苦い顔になった。

 なんというか。心許した、友人のような感情が芽生えているからこそ、こんな素直な顔をしたのかもしれない。苦虫でも噛みつぶしたような顔、とでも言ったらいいか。


 その顔は父親に見せるような警戒心や、世間体の顔ではなく、ただ純粋に子供っぽい『嫌だな』という顔だった。



「……また、親父の話か。さては、仲介を雇ったか」

「はい。……いえ。ええと、厳密にはそうではないのですが、ただ『困りごと』という内容で僕らがフロウド侯爵の一件を請け負いました。こっちの占い師オリゼが。息子と、不仲だからと」


「一緒さ。自分で足を運ばずに、同じ領内にいる息子のところに、わざわざ他人を使って足を運ばせるというのが、何とも言えずあの親父らしいじゃあないか。心根が腐っているのさ」

「そんな。しかし」


「いや。いいさ。あんたたちを困らせるつもりじゃない」



 ヘンリエットさんは首を振った。

 それから、色々と事情を話してくれた。


 ――父親と仲直りをできない理由。

 ――母親と、彼らとの思い出話。


「……母さんが死ぬ前、優しかった『あの人』ことを覚えている。今は他人だけどな。昔はそこそこ裕福で、満たされた生活を送っていたつもりなんだ。けど、領内の経営で失敗してね。

 それだけなら、まだいいが。それからの親父の変貌ぶりはなんというか――金の亡者だよ。家族との仲を深めることもしない。年に一度のアストレア国建国記念日にも顔を合わせない、誕生日も祝わない。『父親』であることを――捨てたんだ。ずっと昔にね」


 農耕用の鍬に手をかけながら、青年は山から眼下に見える『屋敷と領内』の風景を遠望していた。

 ときおり、通りかかる村人たちが、山菜を採った帰りなのか籠を背負って手を振ってくる。青年は手を振り返していた。



「……今は、こうだ。村人たちの暮らしが厳しくても、飢えて苦しんでしまった年でも、倉の麦を解放することもしない。

 そりゃ、俺は一応は親父の息子さ。血縁関係も認めている。温かかった頃の、あの家族の思い出を覚えている。…………だから、こんな。屋敷が見える郊外のところで耕しているし、親父に異変があったら助けるつもりではいる」


「だったら」

「だが、それとこれとは別さ。ミヤベ」


 じっと、真剣な瞳が注いでくる。

 剣士ではないのに、その眼差しに宿った気迫は、僕を少しばかり怯ませた。



「土地の人は、俺とは違って親父のことを悪く言う。……だが、それでも、親父はあくまで俺の親父だ。あんまり言われると、心が苦しいんだ」

「帰ってくる気は、ないのですか」


「ないさ。今のところはね。俺は『領主』としての今の親父に納得していない。だから、家に戻っても、後を継げと言われるだろう。財産の運用? 金の動かし方? 富のやしかた? ――そんなもの、教わるつもりは毛頭ない」


「それは」

「当ててみようか。親父は、『たった一人の息子』と、そう俺を引き戻す理由を言っただろう」


 その言葉に、僕は息を飲んだ。


 停止した。その場に動けなくなった。

 部外者が、とやかく言ってしまった。そういう後ろめたさはある。でも、今はそうではない。同じく『男』で、家を継ぐべき嫡男という立場にある僕は、自分と重なって、彼の気持ちが分かってしまったからだ。


 僕は、この青年が何を思っているのか。

 次に言う言葉まで、何となく分かってしまった。


「――『一人しかいない息子だから』と理由を言ったのだろう。『ヘンリエットだから』、じゃあない」

「…………」


 そうだ。

 その通りだ。


 僕は悟ってしまった。フロウド侯爵の一件。彼の書斎へと招かれ、息子を呼び戻してくれ、と頼んだ彼に何か違和感のようなものを僕は覚えた。それは、オリゼには理解できない、僕にだけ感じる――感情だった。


 ――ヘンリエットだから。ではない。


 つまり、人を人としてみてない。記号としか見ていない。

 ヘンリエットさんがどういう性格で、どういう思想を持ち、この村や領国経営のことを、彼なりにどう考え、どう見ているのか――そんな『個性』なんか問題にしていない。


 ただ、自分の血を継いで生まれたから。

 それだけだ。それだけなら、どんな性格で何を考えていようが、『従順』ならばそれでいいということになる。犬でもいい。中身など問題にしていない。ただの『複製品レプリカ』として、金銭のやりくりを教育しようとしている。



「…………」

「そんな顔をするな。ミヤベ。言っただろ、困らせるつもりはないんだ」


 僕が沈黙に呑み込まれると、青年は苦笑した。

 苦っぽい笑いだが、その中には、確かな親しみと温かな感情があった。寂しそうでもあった。



「親父と俺の問題は、俺たちの問題さ。そこであんたたちを困らせるつもりはない。俺はどこまでもこんな人間だし、領国を見捨ててまで侯爵家を継ぎたいとは思わない。……親父は、どこまで行っても、クソ親父だしな」


「一つ。良いかしら?」


 そこまで黙っていたオリゼが、僕の後ろから声をかけた。


「『魔道書』、『財産のルーン』…………この単語に、聞き覚えはないかしら? あなたたちにとってとても困る事態。今の状況を生み出しているのかもしれないの」

「む。なんだ、急に喋ったと思ったら、変なことを聞くな」


 不思議ちゃんかい? といった目で、青年はオリゼを見た。女性としてよりも、親戚の子供でも見つめるような視線を低くした会話である。



「占い師ちゃんが、何を求めているのかは知らないが。……『魔道書』、ねえ。生憎俺は物心ついたときから、そんなもの聞いた記憶もないな」

「何でもいいの。隠し事をするにうってつけの部屋とか、屋敷であまり知られていない場所とか。ご子息のあなたなら、何かを知っているでしょう」


「……うーむ。いや、ないな」


 しばらく腕を組んで考えていたヘンリエットさんだが、行き着いた結論は同じものだった。断言し、畑の先に見える屋敷の屋根を見てから、


「いや。待てよ? 確か、母親の遺品整理で――なんだかよく分からない本とか、色々出てきたのは覚えているな」

「……! その本は、なんて題名?」

「いや。題名なんかなかった。ただの、黒い本だ。日記みたいな」


「……どこにあるか。分かるかしら?」

「さあて。母さんが亡くなってから、もう十年以上も経つし……それに俺自身が屋敷から出てからずいぶんたつ。その間に屋敷の様相もすっかり変わっちまっているし。――でも、地下室なら、そのまま残っているかも」


 屋敷の中で、唯一、増改築の手を逃れたのはそこくらいだろう。


 ヘンリエットさんの話では、屋敷は過去よりも三倍もの大きさになっているそうだ。緑豊かな庭園は、もともと屋敷が小さかった時代にはなかったものであり。書庫なども、そうだ。


 増えたことで家具やものの配置は大きく動いたり、散ったに違いないが、昔からある地下室ならばものの配置は変わらないだろう。




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