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第七話 調査



「――で、なんで僕まで居残りになるのさ」


 午後の空白。

 窓の開いた外から、穏やかな風が流れ込み、白いカーテンを揺らす屋敷の書庫で――無数の本に囲まれながら調べ物をする僕は、不満の目をオリゼへと向ける。彼女は、書棚の上に手を伸ばし、調べ物をする本を落としていた。


 時間は、招待客が帰った後。


 あれから屋敷では、訪れる客人たちを返すための馬車が音を鳴らし、門でちょっとした喧噪ができていた。貴族のお祭りやパーティーなどの終わりはいつもそうで、招かれた招待客が一気に帰るため、渋滞が起こるのだ。


 帰る時間は、『主人』の意向によって一緒だし。

 貴族連中は、みんな大きな馬車を使う。


 そのために起きた喧噪だが、残念ながら僕は参加することができなかった。オリゼと一緒に残ることになったためで、彼女の申し出によって僕は、使用人のセダンに屋敷に残る旨を告げ、空の馬車を見送ることになってしまった。先日の、辺境の桜の件と一緒だ。



「なんでって。『私』が残るんだから、『あなた』も残るに決まっているじゃないの」

「……よくも、ぬけぬけと。平気そうな顔でそれを言えるのかが知りたいよ。僕は」


 銀色の髪を揺らして、書棚の上から僕を見つめるオリゼ。

 相変わらず瞳は、午後の窓からの陽光に照らされて麗らかに輝いており、その緑の澄んだ輝きは宝石のようだった。…………僕の目にも眩しい。とても、こんな腹黒な思考の主に宿ったとは信じられない。


 この屋敷に残った客人は、僕とオリゼの、たった二人。


 話しの要点は、こうだ。

 彼女が僕を護衛の剣として紹介し、『王都の占い師というのは、腕の立つ護衛が必要なのか』と感嘆したフロウド侯爵によって、僕は『よし、頼んだ』という言葉とともに屋敷の居残りが決定した。


 ……少なくとも、僕はそんな予定なんてなかったし、心の準備もなかった。



「早めに解決すればすぐに帰れるわよ。小さな紳士リトル・ジェントルマン

「……ちなみに。屋敷に残るからには、当然どこか当たりをつけているんだろうね? 貴婦人ミス・マドモアゼル。君がわざわざ興味を示すということは、またぞろ。ロクなものが関わっていないんだろう。――『魔道書』がある。違う?」


「そうね。だいたいの見当はついているわ」


 僕へとそう返事をすると、さらに書棚から主だった本(――装丁が古く、どこかページの端々が朽ちているもの)を三冊ほど抱え上げると、足場にしていた梯子から飛び降りてくる。

 僕の前へと着地すると、膝を折って、座り込む僕へと顔をのぞき込むようにした。



「―――『財産のルーン』。もしあるとすれば、その系統よ」

「……?」


 やけに真剣な顔に、僕は言葉を選びきれなかった。


 この場所は、フロウド侯爵の家の書庫―――つまるところ、書斎に入りきれなかった本を管理する『別邸』ともいうべき場所だった。なので、僕ら二人以外は人目がない。


 昔から、このアストレア国というのは『文武』を尊ぶお国柄でもあった。


 よって、書物が大事にされる。

 古来より書というのは複製する技術が限られているため、秘蔵書というのはアストレア国で最近見かけるような『活版印刷かっぱんいんさつ』のように、文字を彫り、その羅列を印刷して発行する――そんなものとは違っていた。僕がいつも朝の片手間に見ているようなアストレア国報新聞とは、違うのである。


 原則、筆写ひっしゃである。

 古来より国では、文字の達筆な『筆写官』というものを置き、指定された文献や、重要書類の写しなどもコピーして映させる。要は手書きである。そして、その文字へと込めた気迫からも『魂が宿る』とされ、魔道書などの伝説(……今となっては、伝説ではないんだけど)が生まれた。


 書物へとかけた思いは、書物を一流にする。

 そこには多大な敬意が込められているし、読む側にも品位が求められる。だから書物が高くとも誰も文句などは言わないし、その敬意を理解する上流階級――特に王族貴族などからは、こよなく愛される。


 剣の道にひとすじの武官なども、多くは書に敬意を払っており、世間一般に粗野なイメージをもたれがちな武将なども本を読む。ちなみに、僕の父も書物を多く蔵書しており、屋敷に小さいながらも書庫がある。



 ――しかし、僕やオリゼが求めているものは、〝書物〟の形をしているが、中身はまるで別だった。



「魔道書。……あるのか?」

「ええ」


 そうオリゼは頷く。

 銀の前髪が揺れた。


 『書物』の外観をしているが――それは、この世界の理に干渉する、とんでもなく危ないものだった。よく人間は、道具を使いこなしてこそなんていう。馬でも剣でも、それを扱えば達人だと。


 …………しかし。『魔道書』だけは違った。

 それは到底、人の理解の範疇をこえたものだった。扱いきれない物を道具などと呼ばない。ただの爆弾だ。



「この屋敷には、うっすらとだけど……日常生活にはない気配。『魔道書』と呼ばれるものの気配がしているわ。屋敷に入ったときから、気づいていた」

「ということは、ずっと探っていたのか」


 僕はてっきり、占い師の真似がしたかっただけかと。


「……あなたが私のことをどう思っているのか。この際は置いておいて。お仕置きに関しても。だけど、今はこらえてあげる」

「それは、どうも。でも、魔道書が絡んだ問題となると、アストレア国広しといえど『君』にしか解決できない」



 オリゼは、いわば専門家だった。


 どんな常識人でも、貴族でも、それにかかってしまえば日常を狂わされてしまう。運命が乱される。


 ――不運にあった人物が、出世を成し。

 ――落ちこぼれていた作曲家が、世に名を売り出し。

 ――路上の賭け試合などでも、無敗になる。


 しかし、それは本当の『人間の幸せ』からは、踏み外してしまうことが多かったのだ。才能に及ばない名声を手にしたものは苦しむ夜を過ごすことになるし、魔道書によって強引に成功を手にしたものは、多くの競争者を突き落とすことになる。


 傲慢にならない人間でも、どこか、おかしくなってしまうのが『魔道書』なのである。自分の力よりも大きく、急激に『日常』の流れが変わった河に、人は溺れて呑み込まれてしまう。



「……で、今回の魔道書は、どんなのなんだい?」

「財産のルーン…………その名の通り、『秘文字ルーン』を使って作られる特別な世界観よ。広義では、「おまじない」の一種かしら?」


 それは、どういったものなんだ?


「単純な記号の組み合わせ。―――文字を使って『言葉』が並べられているというよりも、一つ一つが、独立した風水力学をもつ『神秘文字カレル』をあわせて作り出される世界。といったほうが近いかしら。

 普通の魔道書が『文字を綴った短編集』とするなら、それは『記号を揃えて絵を完成させる、パズル』のようなもの。かしら? だから、わりと簡単に作れるの。作者は不明。…………おそらく、『カバラ派』の魔術師学者でしょうけど」


 念入りな言葉を付け加えて、オリゼは講座を完了する。例のごとく、僕にはほとんど分からない。



「……………………えっと、簡潔にいうと?」

「『風水』的な、幸運の置物」

「それ、魔道書なの?」

「立派な魔道書よ」


 魔道書なのに、置物っていったらずいぶんと格式が落ちるようなイメージだが。

 僕はあの東国からの露店に並んでいる『招き猫』の置物を頭に描いた。


 オリゼ相手に、小さく右手を上げて、


「はい、先生。いくつか質問があるんだけど……まず、『簡単に作れる』っていってたけど、まずくない? だって魔道書だろ? 人の運命を左右する」

「魔道書といっても、ピンからキリまであるわ」


 先生―――もう書物の一つに手を伸ばして、時間を惜しむように冷たい瞳を落としたオリゼは、そんな僕の質問に答える。



「全部が全部、最大級の『魔道書』―――そんなのばっかりだったら、この世はとっくに壊れているわよ。強大すぎる『小さな世界』をもった魔道書が、現実に絡んできてもロクなことが起きないもの」

「……ま、まあ。そりゃそうだけど」


「ミヤベが所有していた書物や、あの『桜の書』なんかは、特に強大な力を持っていた書の一つだわ。…………よくもまあ、あんな短期間に集まったと感心するほどだけど。本来の魔道書は、そこまで『季節外れの花を咲かす』なんて、大きな現実干渉は引き起こさないの」

「そうなのか」


 僕が感心すると、オリゼは今さらのように『素人ねえ』と息をついてくる。


「オリゼこそ、専門家過ぎるんだよ」

「そんなことはないわ。私はただ…………その、最たるもの。最大級の魔道書を一つだけ知っているだけで」


「? どんな?」

「…………。いえ、何でもないわ」


 何があったのか。

 古い記憶でも蘇ったような顔のオリゼは、幼い容姿に似合わない渋い顔つきになると『私のことは、どうでもいいの』と一つだけ前置きをしてから、話の本筋に戻るように続けた。


「ともかく、今は財産のルーンよ」

「幸福の置物だね」


「それは例え。……でも、あながち間違ってはいないかも。現に、今までその系統で効果を発揮した『魔道書』は歴史を見ても数えるほどしかないわ。その数のわりにね。―――だから、『幸運の招き猫』が置いてある、なんて思えば、いいのかもしれない。……本来は」


「? 本来は?」


「そう。本来は。この屋敷の場合は、違う」



 何となく、オリゼは不穏な気配を感じ取っているようだ。

 読んでいた本をまとめると(……驚いたことに、もう二冊も目を通してしまったらしい。万年読書家の早業である)、夕方から夜にかけてこもる腹づもりでもあるのか、部屋を照らす蝋燭や、カンテラの光、そして自分用の(たぶん)防寒の毛布をまとめて移動していた。


 書庫の一角。机の近くに、『居場所』をつくる。



「…………この場所に漂う『秘文字ルーン』の気配の強さは、私でも嗅ぎとれるほど。黒い気配がする」

「つまり。強力な魔道書がある。……と?」


「もしくは、大量に書物があるか。それか、古く長い年月が経って、屋敷に染みついてしまっているのか。……いずれにしろ、一つずつ手がかりを求めていくしかないわ。強力な書物ともなると、隠されている可能性すらある」


 オリゼはいった。

 それは、彼女の中での、彼女にしか分からない嗅覚。そこから発せられる、危険への大きな警鐘。


 そして。『友』である、彼女が危険であるとするのなら。

 ――そこで出番があるのが、護衛の剣である、僕だろう。



「今回は、魔道書の一つの根底に関わることになると思うわ。人の運命を左右する魔道書―――。その理論。『それがある』ことによって、起こりうるべき日常が改変されていく、『多世界解釈の理論」


「………?」


 調べ物は、長い。

 僕は夜のとばりをうっすらと迎えた屋敷の大きな書庫で、オリゼの解説する魔道書理論を聞くことになった。






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