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第十三話 後悔と贖罪




 神殿から、光が消えていく。



 僕はしばらく呆然として、同じく『記憶の旅』に出ていたらしい『グルグ』を見つめた。男は、記憶をのぞかれたことが分かったのか、奥歯を噛みしめてオリゼを睨んでいた。


 夜風に、どこからかすすり泣く声が聞こえてくる。

 探す。それは、膝をついていた少女――エデンだった。


「う。うう。……ごめん、ごめんよ……。おやじが、あんたの夢の邪魔をしたなんて……思ってなかったんだ」


 うちひしがれ。肩を落として。

 それから、這うように、遅々とした動きで、『グルグ』の前に出て行った。


「アタシのこと、そりゃ憎いよな……。あのおやじが、自分の娘に『書』を手渡してたんだもん……。アタシは、あんたに合わせる顔もない……『グルグ』なんて呼んじまった」


「…………」


 斬られても、文句ないのか。

 少女は再び、月が翳ったことで『猫の顔』に戻った男の前で止まった。

 オリゼの『解呪』は受けているはずである。書の文字が消滅し、中身が空白になってもなお、男の『猫』になる呪いは解けていなかった。


 これでも、無理なのか――?


 僕は思った。奇蹟が、起きない。

 この男が背負ったものはあまりにも大きく、解けない呪いと、エデンの『父親』に向けられた恨みは、黒い刃として彼女に振り下ろされてもおかしくなかった。

 だが、


「…………」


 呪われた男。『グルグ』は、それでも少女を見下ろしていた。

 身を切られるような、痛ましい瞳で。


「……斬るの?」



 弾かれたように、男は顔を上げた。

 二階から、オリゼが降りてきていた。



「あなたは、彼女を斬るの?」


「……」


「斬ることが――できるの?」


「……」


「誇りを失った騎士。アリオア。私は、あなたの譚をずっと本で読んでいたわ。かつての崇高な伝説は色あせ、祖国は消え、そしてあなた自身にももう誇りなんてものは残ってない。

 ずっと憎み続けて。追いかけてきた、友の娘――。でも、本当に斬るべき。そうあなたは思っているの?」


「…………」


「あなたは、本当に『彼』が書が欲しくて〝盗んだ〟と思うの――?」


 何かが、落ちた。

 それは鉄の塊だった。男が手にしていた愛剣〈フランベルク〉――。僕がどうやっても弾き落とせなかったそれが、自然と、こぼれるように男の手から滑り落ちた。


「顔を上げろ。娘……」

「……?」


 声を、かけられた。

 子犬のようにうなだれていた少女は、おそる、おそる――といった潤んだ瞳で男を見上げた。


「我は。――いや、私は。愚かな男だ」


「え……?」


「実は、ずっと考えていた……。夢の中の、現実。あの男が私の前から『書』を盗み出した、本当の理由」


 気まぐれに雲間からのぞく満月。

 照らされた男の顔は、本物の青年と変わらないように少女を見つめていた。



「私は、生まれついての不運を背負った化物だ。いつも、なにか言葉にならないものを憎んでいた。それは運命かもしれないし、自分自身かもしれない……。生まれを憎み、運命を呪い。そんなことばかり考えていた。―――だが、その化物にも。感情というものができた」


「…………」


「感情はいつしか友を求め、安寧を探し旅をしていた……。私は、きっと祖国は興せないのだろう。弱すぎる、あまりにも弱すぎる。亡霊なのだ。今日、それがやっと分かった」


「……」


「私は、去るよ。今日、他にも世に潜む『化物』を見れたことだしな……」


 顔を上げる。

 視線の先には、静かな佇まいで立つオリゼがいた。


「あなたの姿は、少しずつ呪いより解放され、戻っていくわ」


「……なに?」


 再び猫の姿に戻って足を止めた男に、オリゼは説明する。


「私の『詠唱鬼ヴァンドール』としての力は、本物よ。あなたが信じようと、信じまいと勝手だけど……。双書の力が強力すぎて、元の姿に戻るまで時間がかかるの。『月齢』とともに効果が発揮される書だから、戻るときも同じ……月夜を重ねるたび、あなたは少しずつ人の姿に戻っていく。およそ、一年ね」


「……」


「……あなたの『旅』は、もう、そんなに長くはないの」


 男は、呆然としていた。

 もう……旅は終わりに近づきつつある。オリゼがそう言うのだから、そうなのだろうと僕は思った。祖国を興すこと、そして元の姿に戻ることだけが人生のすべてだった男は……これを、どう受け止めるのだろうか。


 と。


「あの、グルグ……ううん。騎士アリオア……」


 そんな男のそでを、少女が弱々しく引っ張った。


「……アタシ、サーカスはもうやめるよ。もともとおやじが、盗品漁りの隠れ蓑で始めたなんて……他の団員たちに合わせる顔がないし。アタシは支えられて仮の団長をやっていたけど、でも……もっと素晴らしい団員に任せようと思う」


「……?」


「だから。アリオア。もしよかったら……アタシと、世界を旅してみない……?」


 彼女は、真剣で――どこか、同じ悲しみを背負った者の瞳で見つめていた。


「もう一度。この世界の、空と海が続く果てを……見てみない? アンタ、放っておいたら死んじゃいそうなんだもん。ずっとおやじの流儀で人に迷惑ばっかりかけてきたけど……アタシ、誰かの役に立ちたい。アンタが見失った世界っていう灰色を、空と海の青に変えてやりたい」


「……」


「だって。誰かが喜ぶ顔を見たい、ってのが旅芸人じゃん」




 男は。夜空を大きく吸い込んで、息をついた。

 今夜は、いろいろなことがありすぎた。たくさんの事実が分かって、たくさんの裏切りも分かった。


 でも、僕は思う。本当に大切な、最後の信頼は――きっと、彼らの間で繋ぎとめられたのだと。



「……。そうか」


 サーカスを襲った『グルグ』――いや、滅んだ王国の末裔、アリオアが少女の求めを承諾したとき。オリゼが微笑んだ。


 アリオアが見咎めると、オリゼは「……ううん」と首を振って、



「いえ。ただね……きっと、上手くいく」


「なに?」


「お似合いよ。化物さん」


 オリゼは辛辣ながら。

 しかし、そのたびたちの祝福を口にして、見送るのである。




 ……まぁ、そんなこんなで。話がまとまりかけ。


 無事に剣を交した決闘は幕を閉じ、鉄の火花は血を含むことなく終わり。夜の見世物サーカスの幕は、めでたし、めでたし、という方面でまとまりかけた。オリゼも怪物一行も、お顔を下りて行く中。



 ……申し訳ないのだが。


 いい加減、僕の忘れられた学友のパリオットを思い出してあげられないだろうか。そろそろ気を失ったこの大男の介抱に手を貸してくれてもいいんじゃないかと思う。

 僕一人じゃ、重いんだよ……パリオット……。




誤字脱字、それに読みにくさを含めて、改稿しました。

続きも投稿します。よろしくお願いいたします。

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