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第十話 流浪の王子




 男は。

 ―――いや、アリオアは。


 祟り者『グルグ』と呼ばれた彼は、猫の瞳を閉じて、冷たい夜風に息をついた。



「アリオア――かつては、そんな名前だった。私は祖国を再興するため、そして自分を残した先祖たちの墓を再建するために、なんとか力を得られないか神に求めた。……剣技には、自信があった。自分には、資格があると思っていた」


「……」


「考えられないだろう。数世紀、私は俗世さまよっていたのだ。先祖の墓から頂いた『双書』はずっと腰のベルトに下げていた。ある夜、とある北の街の酒場で……あいつに出会ったのだ」


「あいつ……?」


「発掘品売り。サーカス団を率いてはいるが、その正体は『墓荒らし』の団長だよ」


 と。瞬間。

 今まで呆然と会話を聞いていた少女が、目を見開いた。


「……う、うそだ!」


「愚かなる。実に、愚かなる出会いであった……。私は世をんでいた。ヤツは、この世を楽しんでいた。だから、羨ましかったのかもしれぬ。庶民とはいえ、フードを深くかぶった怪しい私に、ヤツが声をかけてきたのだからな。正直なところ嬉しかった。幾夜も、酒を酌み交わす仲となった」


 サーカス団長でもある、エデンの父親は。

 彼女の慕うとおり、とても気さくで好人物に見えたという。苦労もしており、話す話に脂がのっていた。だから、ついつい。彼は長らくできていなかった『友人』に、『双書』のことを漏らした。

 呪いを解く方法の、参考にしたかったらしい。


「が、私は裏切られた」


「う。うそだ。うそだ……」


 エデンは膝をつき、無力に叫ぶ。


「祖国の再興――。私自身でも空々しくなった言葉だが、ヤツは別の受け取りかたをしたらしい。つまり、『伝家の宝物である双書さえ手に入れれば、自分も王族の末裔が名乗れる』――そう考えたのだろう。普段よりも高い酒を飲まされ、気がつくと私は書を盗まれていた」


 追いかけたらしい。

 が、すでにサーカスを興行していた場所は跡地になり。人一人の姿も見えなかった。それから各地で噂話を集め。やがて彼はサーカスを襲って、書の一つを取り戻すことができた。

 エデンの父親が『書』の呪いに当てられなかったのは、書を使うだけの『読解力』がなかったようだ。


「…………そして、今。私から書を奪った貴様たちは、私のことを『グルグ』と呼ぶ……。亡国の亡者たる私には、相応しい名かもしれぬが」


「うそだ……。おやじが、そんな。サーカスの一団が、そんな集団だったなんて」


 偽装。サーカスは、世間の目を欺く隠れ蓑。

 エデンはどうしても受け入れられず、首を振っていた。僕も、オリゼも言葉が出ない。父親によって隠されていた真実は、あまりにも残酷なものだった。


「それで、娘」


 グルグは。遺跡の二階に立つオリゼを見上げた。


「……今さら、貴様が出てきて『真相』を明かしたところで……なにも変わらない。貴様らが私の邪魔をするというのなら、『剣』をもって応酬するのみだ」


「それはどうかしら?」


 夜に鈴を鳴らすように、澄んだ声が響いた。



「呪いを解く。その方法があるとしたら?」


「……なに?」


 ピクッと。猫の耳が動いた。

 まさか。瞳に、その疑問が出ている。どれだけ世の闇に染まろうと、やはり生まれが高貴なためか、心に抱いた感情がすぐに出てきてしまうらしい。


「……。聞こうか」


「まずは、その書。双書のうちの『月』の書を私に貸しなさい。それから、エデンの『夢』の書も私が預かるわ。二つ揃った『双書』、それを私の体質なら浄化できる――」


「なんだと?」


「私はね。『詠唱鬼ヴァンドール』という血族の末裔なのよ」


 オリゼは、語った。

 それは彼女が人に明かさないようにしている、最上位の機密事項。

 書の文字を飲み、中身である『小さな世界』を自分のものにするという特性。それは『呪いを解く方法を探し続けていた』というグルグ――アリオア王子――にとって、信じられないくらい型破りの体質のはずだ。


 なにせ。

 彼は、ずっと各地を流浪しながら、その救いの手段だけを求めていたはずだから。



「…………っ。くっくっく……」


 夜風に立つ、その男は。

 ようやく呪われた運命から解放され、喜びの声を上げたのかと思ったが、違った。

 ひとしきり、虚空に笑いが響いた。


「はっはっは――。なんだ、貴様らはうつけ、か?」


「え……?」


 ほがらかな、吹っ切れた笑い。しかし、乾いたその裏側には、凄まじい殺気が宿っていた。


「――この私が。どれほど苦労をして『呪い』を解く方法を探し続けたと思う。――この私が、どれだけ試行錯誤を繰り返し。下げたくもない頭を下げ、先祖の財宝を身を切る口惜しさで売り、そして醜く汚らわしいこの面貌を隠し――どれだけの長い間、人々の俗世をさまよったと思っている――?」


 黒い剣――〈フランベルク〉を、空で斬った。


 ゾクッとした。今までにない、本物の怒りがそこに宿っていた。背筋が粟立ち、僕は思わず向けられてもいない剣に備えるため、鞍馬〈くらま〉で構えをとった。



「すべて。すべて。試した……。いかなる嘘くさい占い師や、祓い師にもすがり、紹介を受け、財を投げうち――それでも結局は不可能だったのだ! 誰一人として我が呪いを解いた者はいなかった! 一握りの手がかりすら、与えてくれなかった! すべてがまやかしであったのだ! そんな私に貴様らの『嘘』が通用するとでも!? この私を甘く見るな!」


「…………」


 黒い波のような殺気が押し寄せてくる。

 凄まじかった。僕も刀を構えるのがやっとで、後ろにいるエデンは震えながら涙をためていた。半ば気を失い、腰が抜けている。

 オリゼだけが、何事もないように涼しい顔で立っていた。



「私に、書を渡せだと。冗談もたいがいにしてほしいものだな。この私が、誰かを信じるとでも思っているのか? 生まれついて、人から、書からも欺き続けられた、この私が!」


「…………」


「どうしてもというなら、力で奪い取るがいい。だが、私は宣言しておこう。書に呪われ、まさに『グルグ』に相応しい姿となった私は、化物の力で躊躇なく人を殺せる。血を見て、それでも私は次の罪を重ねられるであろう」


「…………」


「参る」


 と。男が、跳躍しかけたとき。


 オリゼが、空を見上げる。


 雲が晴れる。

 丘に一段と強い風が吹き、月が、分厚い雲の中から丸い全身を見せる。丸い。今夜の月は、欠けることのない完全で、淡い光に包まれていた。



「…………頃合いね」


 その無機質な瞳で口にする。空高く、月を見上げた。




 ――今夜は、『満月』である――。




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