第八話 亡き王国の月物語
「――お帰りなさい……あら。どうしたの?」
帰ると。アンティーク調の椅子に座るオリゼが、銀の髪を揺らして首を傾げていた。
僕は、なにも言えず。ただ心臓がバクバクと早く動くのを感じる。こんなに驚き、動揺したのはいつ以来だ。門番をさせていた家人のセダンを家に帰して、念入りに人払いをしたつもりの僕は、どかっとオリゼの前に崩れた。
疲れが、体中の血を嫌な温度で沸騰させている。
「…………とんでもないものを、見た……」
「私も。新しい発見をしたわよ」
オリゼが。分厚い書をめくりながら答える。
僕が見たのは、それ以上だ。そうは思ったが、口が動かない。口中が乾ききっていて、舌が張り付いていた。滑らかに動かせそうにない。水を探した。
水は、オリゼの座るアンティーク椅子の隣。テーブルの上の水差しにあった。
「あの盗難に遭った魔導書。――そして、エデンという踊り子の団長が所持している書。『月』と『夢』の二つの書は、さる北国の滅びた王家が秘蔵していた双書だということが判明したわ。その名も、『月夜の書』。どうりで、魔導書の蒐集家である私が知らないはずよ」
「……なんだ、それ……」
僕の、一歩遅れた思考がそう叫ぶ。
それしか言葉が出なかった。もう一度水を含む。
「『月夜の書』は、本来は外敵から自分たちを守るために受け継がれてきた『防衛』の書だったみたいね。いつしか、内容を読める人物も絶えて、ただの古い書になってしまったみたいだけど……魔導書としての価値は今も変わらず一級品よ」
…………彼女が、その滅びた王家の末裔なのか……?
相変わらず猫人の顔のことが脳裏をちらつく。
言葉にするにも選ぶ必要があった。しかし、その前に、半分が思考を停止させた頭に、オリゼの声だけが飛び込んでくる。こういう時のオリゼの声は冷静で、とても涼しげで、頼もしかった。
エデンは、確か例の双書を持っている理由として『――先祖が眠っている祭祀場に遺品として残っていた』と語っていた。それが本当ならば、彼女の出自も滅びた王族の子孫ということになる。
――しかし。
彼女の粗野な言葉遣い、『おやじ』と父親のことを表現し、それが違和感もない、となると少し妙な心地がした。疑うわけではないが、現実と一致しない、不都合を生じさせる。
滅んだ王国の末裔が、夜盗やギルドに落ちる話しもないでは、なかったが……。
しかし、オリゼは首を振って、
「彼女が、その滅びた王家の末裔―――それは考えにくいわ。私も調べたけど、あの子の南方特有の肌の色は、とても『寒さの厳しい、北国の王家』のルーツとは思えないの。彼女自身に確認をとったけど、先祖の記録については曖昧で、彼女自身も理解していないことが多かったわ。……どう低く見積もっても『流れ者』の生まれかしら」
「……? どういうことだ? エデンは今どこに?」
「……遊び疲れて寝ているわ。どうやら、あの子は旅から旅を続けるサーカスの中で奔放に育てられたみたいね。文字も読めないみたいだし、私の店は退屈だったみたい」
「そう、か」
少しだけホッとしつつ、オリゼの話を聞く。
「父親の形見という『夢』の書も、手放してくれないし」
アレが調べられれば、いろいろな事実が分かるんだけど……。とオリゼは深く息をついていた。
お手上げの表情。
少し、調べもので疲れたようにも見える。
「…………なあ、オリゼ」
僕は、少しだけ迷って。
それから、オリゼに帰り道に起こった『出来事』について話すことにした。
こればかりは、何もかも信じられない事件が起こる『魔道書』の騒ぎの中でも、明らかに別格だろう。




