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第二話 サーカス天幕




 テントに入ると、騒ぎが起こっていた。


 もともと僕はサーカスなんて見世物小屋に入るのが久しぶりだし、父に連れられて以来、諸国放浪中に一度立ち寄ったきりなので、懐かしくて堪らない思いはあった。だから、『本日の興行こうぎょうはなんだろう?』って気になったし、その演目も注目の的だった。


 しかし、イベントは、僕の思うとおりには運ばなかった。


 まず。先に入ったはずの観客が、青ざめながら引き返してくるのだ。僕たちを波のような人が囲み、さらに押し返す。パリオットの並外れた大きな胸板が、そんな通行人を押し返していた。

 舞台の上からは悲鳴が上がっていた。


「な、なんだなんだ?」


 僕は目を丸くしていた。

 ステージ。円形劇場として囲まれたステージから男が飛び出してくる。背丈は二メートル近く。パリオットとそう変わらない偉丈夫だった。


 ―――ただし上半身が筋肉質でスマートなためか、東洋神話に出てくる『龍』がそのまま上半身を持ち上げたような姿にも見えた。顔が、見えない。放浪者のフードを深くかぶって、面貌を隠していた。

 手に、籠手。指に黒い剣を持っている。


 明らかに不審者だ。

 細く炎のようにうねった刀身――あれは、〈フラン・ベルク〉か。北国特有の刀身と、使い込まれた黒光りを見た瞬間、僕は身構え、一緒にいたパリオットも背負っていた大剣を構えた。


「おう! 止まれや! その手に持った武器はなんなんだよ? 最近のサーカスは、客席に暴れ込む趣向でもお持ちなのかね!」


「…………愚かな。サーカスはとっくに店終いしてる」


 暗いフードの内側から聞こえるは、錆びた鉄の声。

 いい声だ。隔てた年月の重みを感じさせる。


 落ち着いていて、ゆったりと含ませるような声色は、ふらりと風に漂う布きれのようだ。奇しくも衣服も同じようだった。そのせいか、男の影は黒炎にも見えた。


 一見して、サーカス関係者ではない。そう分かる。逃げる観客の中で、頭一つ飛び出る大男であるパリオットの『巨躯』にも怯んでいなかった。挙動は、間違いなく『剣士』そのもの。腰を低姿勢に構え、油断のない目配りで観客の中に『人』を探していた。


 これは。何が起こっている……?

 僕は油断なく身構えていた。剣舞などという、ステージの道化た演目ではないことは確かである。

 逃げ惑う観客たちに紛れて、フードの男は足を踏み出そうとする。僕とパリオットは観客をかばうように前に立ちふさがった。


「…………なんの真似であるか」

「事情を、聞かせてください。このような騒ぎ、公衆の面前で起こしていいものではない。そうでなくとも交易通りでは事件が絶えないんです」

「ふん。俺たちは士官学校の生徒だ。不審者。アストレア国で無粋な騒ぎを見過ごしてはおけねえってことよ。俺様は将来国を代表する剣士・偉大なるパリオット様――。そしてコイツは、俺様の一の子分」


 …………いつから、僕はパリオットの子分になったのだろう。

 悲鳴の中で、男は放浪のコートの裾をまくり上げた。――どうやら、勝負する気らしい。殺気が、天幕の中に満ちた。

 二対一でも勝てると思っているのか。それとも、よほど腕に自信があるのか。

 と、僕は。


「…………無謀なる。愚物どもよ」


 男がボソリ、独特の消えそうな声でまくり上げたコート。その内側――腰のベルトにつけられた革紐に、ある一冊の古めかしい書が挟まれているのを目撃した。

 あれは。まさか。

 ――『魔導書』――?


「参るぞ。あまり時をかけたくない……」


 男が、腕を振り上げた。

 剣が一閃する。凄まじい風圧が襲ってきた。僕とパリオットも応じた。

 僕が腰から抜いたのは朱色の愛刀。鞍馬〈くらま〉――。パリオットがやや遅れた動作で大剣を引き抜く間に、男の〈フランベルク〉を弾き返した。


「……ほう」と男が意外そうに声を上げ、それからパリオットが大剣〈クレイモア〉を振り下ろす。すでに客席に人がいなくなっており、床に敷かれた粗末な板張りが木くずを舞い上げた。


 男は、転がり回避する。素早い身のこなしだった。すかさずパリオットが追撃する。轟音とともに大剣が斬り上げられ、粉塵とともに――必殺の刺剣〈メイルブレーカー〉が左手より襲いかかる。

 僕も、腰を沈めて回り込む。パリオットが当てられなくても、僕が一撃加えられる位置に移動するためだ。

 が、


「――ふむ。少々、この国の剣技を舐めていたか」


 男は、ブーツの底で床を激しく叩き、宙に舞いあがる。

 僕も――そして、パリオットも――呆然とその男の姿を見上げてしまっていた。なぜなら、ほぼ予備動作なしで跳躍した男は、そのまま――上空一〇メートルの高所にあるテントの『骨組み』にまで達したからだ。


 ……な、なんだあれ……?


 信じられなかった。バネでも使っているのか。まるで軽業師のような着地だった。体が、回転しながら足場を踏みしめている――。あれは、もう手妻トリックだ。


「では、私からもアストレア国の剣士どもに『馳走』しよう」


 上空にあるテントの骨組みに着地した男は、それから黒い剣を一閃、二閃させる。

 黒いつむじ風になった剣が、足場の鉄材を切断した。それも信じられない光景だった。

「な……!?」とパリオットが驚愕の声を上げていると、すでに男の姿は足場にはない。代わって、竹槍のように鋭く落下してくる鉄材が、僕たちの立つ場所に殺到してきた。


 僕もパリオットも、横に転がって回避する。とっさの判断だった。――瞬間。背筋に寒さを覚える。


「……っ!」

「ほう。不意打ちにも嗅覚が動くか」


 背中でボソリ。声がする。僕がとっさに背中をかばった刀に、男の〈フランベルク〉が火花を散らせていたのだ。


 ――間、一髪である。

 同時に、加勢して斬り込んできたパリオットの剣戟を、一撃、二撃と男はいなしていく。僕も加わって二対一となったが、それで状況が優位になるには、あまりにも男の動きが尋常を逸脱してしまっていた。


 男は、〈クレイモア〉を舞うようにかわす。気負うわけでもなく、春風のように。回転しながら突き出された〈メイルブレーカー〉ともども鍔元で器用に受け止めて、流すように剣を回転させる。それが、そのまま風車のような剣の軌道となり、僕への攻撃として繋がるのだ。


 跳躍が、最も厄介だった。

 男は予備動作なしに、足を踏みならす。それだけで、四メートル近い浮遊を実現させる。すでに人間の脚力ではない。放浪のローブを空気に流して、剣舞のように腕を振り下ろした先には僕たちがいる。黒い剣技の風から、僕たちは身を守ることが手一杯だった。


 やがて、男は、



「……ふむ。時を浪費しすぎたか」


 小声で呟くと、フードの内側から遠巻きにする観客たちを一瞥する。どうやら、目当ての人物が消えてしまったらしい。天幕の外からは、アストレア国の騎乗警官が駆けつけていた。


 そのまま、くるりと背中を向ける。僕たちは男を追いかけることができなかった。剣で天幕を裂き、男はそのまま外に飛び出していった。

 騎乗警官が追いかける蹄の音が聞こえてきた。


「……。おい、大丈夫かよ」

「あ、ああ」


 僕は、荒い息をついていた。パリオットも同じだ。

 パリオットは男が消えたテントの隅を睨んで、切裂かれた天幕に舌打ち。「なんて強さだ」と忌々しく口にしていた。気持ちは、僕も同じだった。


 あの男。


 ―――とにかく、強すぎる。




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