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第十一話 帰還




「――坊ちゃま、今回はえらく遠出の外泊でしたね」


 パカポコ、と。

 田舎道を馬の足が踏みならしながら、迎えにきたセダンが陽気に後部席の僕に振り返ってくる。


 ああ、と僕は上の空で答えるしかなかった。

 今回は、いろいろありすぎた。人も、消えてしまった。気持ちの整理をつけるにはしばらく時間がかかる。


「…………」


 後部席の向かいに座る、オリゼを見た。

 彼女も黙ったまま、遠くなる屋敷を見つめている。行きがけのように喋ったりするわけでも、本を読むわけでもない。ただ、二人とも黙っているだけだ。


(……結局、僕にはなにも分からなかったな……)


 思う。

 マリアテールさんの言葉の意味も。どうして、彼女は最後に、主人が亡くなっていたという悲しい事実を前にしてもなお、微笑んでいられたのかも。


 僕に〝愛〟なんて、分からない。

 それを分かるためにはまだまだ経験が足りないのかもしれなかったし。誰かを本気で愛したことなんて、ただの一度もなかった。


 剣の道一筋に生きてきた僕にとって、今までも、これからもずっとそれでいいと思っていた。


 なのに。


「…………」


 チラッと。僕は、オリゼの考える横顔を見つめる。


 ……恋って、美しいのかな?


 誰かを好きになるのって……寂しくなったりしないのかな。

 僕には分からない。なにもかも。

 分からない、けど――。



「――あ。坊ちゃま、ご覧ください!」


 セダンが、馭者用の鞭をかかげて丘を指した。


 ひらり。ひらり。と。丘の上から鮮やかな花びらが舞い降りてくる。僕は目を見開き、憂鬱そうにしていたオリゼの鼻先もかすめる。

 見上げると、そこには大輪の花をつけた桜が咲き乱れていた。


 …………。


 オリゼは、緑の瞳を見開く。僕だって、驚きは同じだ。

 大樹の桜がつけた、花。何年も、何年ごしもかけてようやく開花した、季節外れの桜吹雪だった。


 ――僕には、恋が美しいのかなんて分からない。

 でも、僕は確かに。今、ここで桜――待ち焦がれた恋人同士が再会して、花をつけた樹を見て――とても綺麗で、素晴らしい花だと。そう心から感じてしまっていた。


 それだけは、何にも代えがたい。確かな真実だった。

















***




【花神の書】


 かしん、もしくは、はながみの書。

 「枯れ木に花を咲かせましょう」のフレーズで知られる花咲かじいさんの物語が収録されている。その出典には諸説ある。もともと中国読みがあることから、大陸からもたらされた本という説も。


 アストレア国には伝聞のみ寺院僧舎で編纂された書が、海を渡って伝わり、いつしか生命の温もりを宿す妖しき幻想書となった。オリゼも看破したとおり本書は『偽書』として力を失っており、元の書の力は「マリアテール」という女性の個体へと変化し、己が誰であるかも忘れて所有者の帰還を待ち続けていた。


 『花神』というフレーズは東国の一つにある『唐』国家にその名を残す(現在の中華人民共和国)。現地の言葉で「花咲かせる翁」を現わしており、国内書籍では司馬遼太郎氏の『花神(小説)』が著名なタイトルとして採用されている。(幕末の兵学者「大村益次郎」の生涯を描いた内容)



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