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♯08 父の戦場跡地

 雷でモデムが破壊されて、更新が遅れてしまいました、すみません。って思ってたら、壊れたのはどうやら本体の差し込み口の模様です。せっかくモデムを交換して貰ったのに、今は安物のノートパソコンしかネット環境に繋げないと言う。


 前回までの掲載と、雰囲気変わってたら済みませんがそんな理由です。



 目覚めたのは、エミッタが一番最初だった。父親が隣のベットで眠っており、他の大人達はこの部屋にはいない。簡素な造りの部屋は、どうやら宿屋の一室のようだ。

 少女がもぞもぞと起き出すと、ルシェンが寝言を言って尻尾を振った。ルシェンの怪我は既に完全に治っており、巻かれていた包帯も取り外されていた。あれからまた数枚のウロコが剥がれ、エミッタはそれを大事に保管してあった。

 いざと言う時に、何かの役に立つと思って。


 皆が起き出したのは結局昼過ぎで、エミッタは大いに暇を持て余した。寝坊が少しで済んだオルレーンと朝食をとり、今日の予定を話し合う。

 ちょっと頭が重いのは、多分お酒の臭いで少女も酔っていたせいかも知れない。


「町長がルースに面談を求めてるの。彼とは顔見知りだから、無下には出来ないわね。エミッタは、オルバ爺さんの所でお留守番でいい? 塔への出発は、多分3日後位になるかもね」

「偉い人に会いに行くの? それなら大人しくしてなきゃ」


 エミッタは了承し、自分はお留守番で良いと答えた。昼過ぎに、オルレーンに連れられて訪れたその家は、趣のある平家建てで、中はもっと凄い事になっていた。

 きちっと仕切られた部屋は、とにかく用途が多彩だったのだ。鍛冶屋顔負けの仕事場だったり、彫刻部屋だったり、遺跡の発掘品を仕舞い込んだ物置部屋まである始末。

 オルレーンが去ってしまうと、エミッタは興味津々で部屋から部屋へ忙しく見学して回った。


 オルバ爺さんは芸術家気取りで、目下製作中の彫刻や銅板画について、少女に説明してくれた。その他様々な発掘品は、ほとんどががらくたばかりだそうで、それでも一通りは見るとエミッタは言い張った。

 オルバ爺さんは諦め、少女の好きにさせてくれた。


 大満足のエミッタは、午後のお茶の席で、オルバ爺さんに自分のコレクションを披露した。エミッタの持ち物は、ほとんどがリボンやビーズ類や色紐だったが、貰い物の水の護符やチェスの駒はオルバ爺さんを驚かせた。

 入念に鑑定後、オルバ爺さんはチェス駒の裏を少女に示して説明した。


「ここに合い言葉が彫ってある。これはゴーレムの一種で、合い言葉を唱えて放ってやると、主人に使える忠実な人形に変化するんじゃ。恐らく、この街で製造されたんじゃろうな」

「ええっ、そうだったの……? それ、王様に貰ったの……使ってみていい?」


 オルバ爺さんは、その駒の使用回数は確実に一度きりだろうと言い、エミッタをがっかりさせた。でも、駒は三つもあるのだから一つくらいは試してみても……。

 そう口にすると、呼び出して何を命令するのかと聞かれたので、エミッタは言葉に詰まってしまった。確かに、用も無いのに呼び出しても勿体無いだけの気がする。

 ルシェンがもう少し強ければ、けしかけて訓練の相手を務めさせても良いのだが。


「そうがっかりするな。そう……そうじゃ、あれをお前さんにあげよう」


 オルバ爺さんはそう言って、自分用の脚の低い椅子を立った。その椅子はエミッタにもぴったりのサイズで、座り心地もまずまずな上に彫刻も凝っている見事な細工物だ。

 エミッタはお茶を飲みながら、大人しくオルバ爺さんの様子を伺う。ドワーフの入れてくれたお茶は、味も匂いも濃くて風変わりだったが、なかなか美味しかった。

 ルシェンとお茶請けのクッキーを食べながら、エミッタはオルバ爺さんが再び部屋に戻って来るのを待っていた。奥から物を動かす気配と、時たま大きな音が聞こえて来る。


「待たせたの……。随分前に貰った物じゃから、探すのに手間取ってな……ほれ」

「わぁ……」


 オルバ爺さんがそう言いながら、再びエミッタの前に現れた。無骨な手には、銀の鎖の付いたブローチが握られており、エミッタの気を妙に引いた。年代物のブローチは羽をかたどっており、傍目に分かる程の力に溢れていた。

 けれど、何の……?


「風……風の力を感じるわ……。これ、ひょっとして……?」

「十年前、リーフの形見分けにとルースから受け取った物じゃ。お前さんが持っておる方が良いじゃろうて……」


 エミッタは震える指先で、そっとそれを手にした。それは風の護符だった。しかも、母親が昔愛用していた……。エミッタが再び口から発した言葉も、やはり震えていた。

 自分は、何故こんなに動揺しているのだろう? エミッタは訳が分からなかった。


「お母さんは……お母さんはどんな人だったの、お爺さん?」

「そうさの……儂はエルフの部族の奴らは大抵嫌いじゃが、リーフは別じゃった。気立てが良くて仲間を思いやる、愛情に溢れた女性じゃったよ。その愛情がルースに向き始めた時、皆が驚いたが儂は当然の成り行きに感じたわい。奴の情も人一倍強く、そして厚かったからな……」


 瞳を潤ませて、エミッタは老人の話を聞いていた。会った事もない母親への賞賛の言葉を、とても嬉しく感じてしまい、戸惑いながらも頷きを交えて。

 手にした風の護符が、何かを訴えるかのように手中で震えている。


「魔術も強大で、それに見合う地位も持ち合わせておった。全てを捨てる覚悟で、お前さんの父親に倣って戦場に立ったのも、奴の側にいたかったためじゃよ……」


 自分だって、そうだ。たとえどんなに辛い事も、父親が一緒ならエミッタは我慢出来る自信があった。それとも、そう言う感情はどんな親子でも共通した想いなのだろうか?

 母親がいなかった分だけ、自分は父親に寄せる想いが強いのかも知れない……。


「本当の事……昨日言ってた本当の事って、お母さんと関係あるの?」


 ずっと気にかかっていた事を、エミッタはさり気なく口にした。父親が、自分に秘密にしている、恐らく昔の自分についての事。オルバ爺さんは眉を潜め、モゴモゴと唇を動かした。

 口鬚がそれにつられてわさわさと揺れる。


「その事は、直接ルースから聞くがええよ。どのみちレ・グリンに会えば、奴が喋ってしまうじゃろうがの……」


 またも、レ・グリンと言う名だ……。物事が重要な場面になると、何故かその名が出て来てしまい、全体の輪郭が全く掴めなくなってしまう。

 終いには突飛な空想にはまりそうだと感じて、エミッタは絡まった糸のような思考を中断させる。余り考え込むと、大事な事の方をポロッと忘れてしまいそうだ。

 それではあのメッセンジャーの妖精、コルフィと同じではないか。


 エミッタが何も喋らずに俯いていると、オルバ爺さんは気を利かせたつもりか、テーブルを片して部屋から出て行った。母親の形見を握りしめながら、エミッタはようやく顔を上げた。

 この部屋の窓からは、青い空がほんの少ししか見えない。風を感じたくて、少女は窓に近付いた。そして違和感……今、屋根の上で何かが動いたような?


「そこにいるのは誰?こそこそしてないで、用事があるなら……」


 威勢の良い少女の声に、不審な影は余程驚いたのだろう。誰何の声の途中でバランスを崩し、エミッタの目の前を勢い良く落下して行く。

 裏庭の地面に勢い良く落ち、完全に姿を曝けてしまうと、不審な男はただのくたびれた中年に過ぎなかった。髪の毛の薄い、痩せて血色の悪そうな……。

 どこかで見たような気がして、エミッタは首を傾げる。記憶を掘り起こしながら、旅の途中の出会いを脳内で整頓するのだが。ルシェンはしかし、もっと直接的な交信を望んだよう。

 いきなり飛び掛かり、男に噛み付き、髪の毛を爪でむしり始めたのだ。


「うわっ……ひゃっ……!やっ、やめてくれ……!」

「ルシェン……お行儀悪いわよっ!」


 ただでさえ薄い髪を標的にされて、男はついに泣き出した。それとも、落ちた時にどこか打ったのだろうか? エミッタは気の毒になって、暴れるルシェンを回収した。

 そして、その時はっきりと思い出した。この人、前にルシェンをかっぱらった一味の……!


「あなた……確かメリロンの街で、私からルシェンを盗もうとした……!」


 中年のこそ泥は涙ながらにそれを認め、聞かれてない事まで少女に話し始めた。以前はパンドラという女盗賊の下に仕えていたが、メリビルで女が捕まったので、今はコヨーテという盗賊に仕えいると言う事。

 ドラゴンは売れば大金になるので、街から総出で組織ぐるみで追っており、自分が偵察に出された事。自分は足が速いのだけが取り柄の、昔っからの屑である事……。

 エミッタは自分が追われる立場な事も忘れ、何となく男に同情してしまう。


「あなたが本当に屑な所は、自分の意志を持たずにそうやって流されてしまう事よ。悪い奴らと縁を切って、真面目になるつもりがあるなら、私が職を紹介してあげるけど?」


 エミッタはそう言って、メリビルのリットーの屋敷の場所を教え、ディズという庭師の名前を紹介した。あの屋敷は広くて雑用が多いし、リットーのおじさんは何と言っても大金持ちなのだ。

 もう一人使用人を抱えるか、仕事先を紹介するくらい何ともないだろう。


 呆然と話を聞いている男に、エミッタはポケットの物を差し出した。それはルシェンのウロコで、実際エミッタはそれがどの程度の価値なのか、良く知らなかった。

 それでも何かの役に立つのなら、先ほどの無礼のお詫び代わりにもなるだろう。


「これをあげるわ……この子のウロコよ。魔法のお店に売ってお金にしてもいいし、お守りに持っててもいいと思うの。……随分、怪我させちゃったから」


 中年のこそ泥は、歓喜の涙を流して少女を仰ぎ見た。何度も礼を述べ、しつこく狙う盗賊団について忠告し、自分は今から真人間だと呟きながら去って行く。

 ルシェンと共にそれを見送りながら、エミッタは思った。あの男の人生は、道を踏み外したとは言えども、それなりに分かりやすくて良いと思う。

 ……少なくとも自分のよりは。


 振り返ると、オルバ爺さんが窓際に立っていた。侵入者の落下音に用心して、手には巨大な斧を持っている。使い込んだその武器は、室内で異彩を放っていた。

 オルバ爺さんは、不審気に去って行く男を見送りながら、それでも少女の無事を知ってホッとしていた。そのギョロッとした目は、何があったか少女に説明を求めているようだが。

 エミッタが思わず呟いたのは、ちょっと的外れな言葉だった。


「私だって、あの二人の娘よ? 情の深さじゃ、負けちゃいないわ……!」





 次の日の朝は、皆が早起きで宿屋の食堂で顔を合わせていた。何より、オルバ爺さんはやる気満々で、朝食が終わって早々に皆を宿の外へと連れ出して行く。

 彼の乗る馬は背丈が低く、癖のある顔立ちをしていた。エルドラーンがうさん臭気に、新参の顔をねめつける。とにかく全員乗馬して、オルバ爺さんの案内の元、街外れの赤い塔へと連れて来られる。

 ずんぐりした変わった趣の塔は、外見からしてかなり胡散臭い感じ。


 その中に通されて、まず最初に始まったのは、顔を寄せ合っての地図との睨めっこだった。何しろ物騒な土地を、少人数で渡り切ろうというのだ。慎重さが足りないと、たちまち全滅してしまう。

 先日までの再開を祝しての宴会騒ぎは、全く鳴りを潜めていた。オルバ爺さんの忠告を交え、大人達は半日に渡って意見を交換する。

 その甲斐あってか、何とか進むべきルートは決定したよう。


「後はお前さんの試験だけじゃな、ルース。……もし腕が鈍っているようなら、儂が先頭に立つ」

「ここでいいのか、俺の試験会場は……?」


 ルースの問いに、オルバ爺さんは凄みのある笑顔で答えた。エミッタは何だか不安になり、隣に立つ父親を見上げる。どこか飄々とした顔付きで、父親は娘を見返した。

 安心させるように、少女の頭を撫でてやりながら。


 塔の一階の奥の部屋は吹き抜けで、何をするにも充分な広さがあった。周囲の壁はやたらと頑丈そうで、ゴーレムが暴れても壊れるものは無いような造りだ。

 実際そこは本当に、ゴーレムの試験運転をする研究施設のよう。一行は、通されたその空間をしばらく眺めやる。オルバ爺さんが、一人の若い男を皆に紹介した。

 魔道士と言うより研究者のいでたちのその男は、ルースを見て明らかに怯えていた。

 

「落ち着け、オーエン。誰もお前さんに、直に戦えと言っとる訳じゃなかろうて……。ほれ、さっさとゴーレムを操らんかい……!」

「し、しかし……いえ、分かりました」


 逆らったら逆らったで、後が怖いと思ったのだろう。オーエンと呼ばれた若い魔術師は、極力ルースを意識しない様、使役の術を編み上げ始める。

 エミッタは、初めて見るゴーレム使役の呪文に興味津々だった。一行がいるのは吹き抜けの二階のテラスのような部分で、そこから見る一階部分はまるで闘技場。

 オルバ爺さんが、端に備え付けてある鉄製の非常階段をルースに指し示した。大剣を片手に持ったまま、それを使って階下に降り立つルース。

 それを見て、エミッタは二人の話していた試験の内容を瞬時に理解する。


 途端に不安そうな表情になったエミッタに、オルレーンがそっと腕を回して来てくれた。仲間達の見守る中、ゴーレムの起動音がミシミシと嫌な音を立てる。

 対戦相手の大物振りに怖じ気付いた魔術師を叱咤し、オルバ爺さんが戦いを急かした。妙な輝きを放つ石が二つ、たちまち大人並みの体躯を持つゴーレムに変わって行く。

 オルバ爺さんは首を振って、更に術を催促する。


「だっ、だって……こいつらも充分強いですよ?」

「こんなのろまじゃ試験にならん……そこの石像も全部動かせ」


 部屋の壁際の石像は、ガーゴイルと呼ばれる翼ある怪物だった。大柄だが動きの鈍いゴーレムより遥かに俊敏で、その分強敵である。魔術師が諦めて二つの部隊に命令を下すと、それは明らかになった。

 二体のゴーレムよりも素早い動きで、空中から三体のガーゴイルがルースに襲い掛かる。


エミッタは悲鳴をあげそうになって、隣のオルレーンにしがみついた。それは使役者の魔術師も同じ事で、彼はもはや結果を見てなどいなかった。

 瞬間、ルースの大剣が閃いた。


 間合いが全く違うのを、エミッタはリットーの指摘で認めざるを得なかった。つまり、敵の攻撃の届く範囲に入らない限り、父親は全くの安全なのだ。

 最初の剣の一振りで、一体がバランスを崩し、もう一体は翼を切断されて、不様に地面に落下した。バランスを崩したガーゴイルを返す刃で真っ二つにしながら、ルースの踵は地面に墜落した敵に止めを差していた。

 魔法で命を得ていた石像は太い足に踏み付けられ、乾いた音と共に石塊に戻って行く。


 リットーの解説は、なおも続いていた。ルースの奴は横着だから、必ず一振りの軌道で複数の敵を仕留めるのだと。実際は重い大剣を振るう力のロスを防ぐために、ルースが編み出した最善の手段なのだとオルレーン。

 ただ力任せに武器を振り回しているだけでは、英雄の二つ名は冠せられない。


 魔法で稼動している石像とは言え、ガーゴイルにも知能はあった。残った一体は、進むか戻るか決断を強いられる。その場に留まるのは論外だった。一旦距離を置き、そいつは剣の届かない空中に舞い上がる。

 その時には、ゴーレム達がルースの背中を取っていた。


 エミッタは今度こそ、心の底から沸き上がる震えと共に、悲鳴をあげていた。ゴーレム達は手に石製の棍棒を持っており、今にもそれを振るおうとしていたのだ。

 敵の間合いに父親は完全に入っていた。だが、背中からの斬撃を予測していたように、ルースは身を翻した。一歩、たった一歩の移動で、間合いは逆転していた。

 敵の間合いから、ルースの間合いへと。見事なゴーレムの空振りの後、ルースの二の腕にぐっと力が入る。横殴りの一撃で、二体のゴーレムは胴を真っ二つにされていた。

 同じような格好で、地面に崩れ落ちて行く土塊。


 見ているだけで消耗していたエミッタは、ようやく息を吐き出した。大勢は既に決しており、オルバ爺さんもそれは認めざるを得ない状況だ。隣のオーエンと呼ばれていた魔術師に終わりを告げると、彼は明らかに安堵した様子。

 一体だけ生き残ったガーゴイルも、慌てたように元の石像に戻って行った。少なくとも、エミッタにはそう見えて、魔法生物の不思議な生態に興味をそそられまくりである。

 それはともかく、父親が無事で良かった。それと共に、壊されてしまったゴーレム達にも、多少は同情するエミッタであった。





 出発の前日の夕食後、就寝までの数時間にエミッタは軽い講釈を受けていた。これから進む樹海周辺の事や、10年前の戦争の事など内容は色々。

 今ではこのメリロスカが王国最東の街となっているが、昔は樹海周辺にも小さな街や村が点在していたらしい。そう、魔族が襲撃して来る前までは。

 その襲撃は、あまりに突然で軍隊は全く対応出来なかった。混沌の迷宮と呼ばれた次元通路は、魔界と直通していたため、付近の街や村は瞬く間に怪物達の餌食となった。

 その魔界との通路が、樹海のあちこちで突然開いたのだ。


 生き残った住民は僅かで、メリロスカが次の標的にされなかったのも、同じような距離に魔族達の進行目標があったから。つまりは、国の要である城壁都市、王都メリビルが。

 結果的には、その判断は大間違いだった。ルースを頭にする冒険者や傭兵部隊が密かに集結して、連中は手痛い反撃を浴びたのだから。当時のメリロスカはそれ程栄えてなくて、進行ルートをそれてまで襲う価値も無かったのだ。

 今では魔法都市の名を冠し、王国第二の都市にまで発展しているが。


 とにかくそうして集まった部隊の多くも、魔族との戦いで散って行ってしまった。最後の敵の本拠地への襲撃は、それ程凄惨で被害も甚大だったのだ。

 それぞれが死を覚悟して臨んだ最終決戦は、文字通り大将のルースの一撃で決着がついた。敵の本陣に達するのに、混沌の迷宮を使ったのも敵にとっては皮肉な結果だろうか。

 ルースに首をはねられても、敵の大将は命を落とさなかった。ただしその力は大きく減じたようで、ようやく戦争にはけりがついたのだ。

 戦争の処理にはリットーが奔走し、ルースは最愛の女性を最終決戦で失った……。


 それで今に至る訳だと、オルレーンはため息混じりに話を終えた。エミッタの途中の質問の多くは、彼女に簡単にはぐらかされていた。自分はその時どこにいたのかとか、レ・グリンと母の関係はとか。

 父親は、レ・グリンは魔法使いだと言っていた筈だ。母親のリーフに復活の魔法を掛けて、それが失敗に終わってしまった事も聞き及んでいる。

 ひっょとしたらその失敗を今でも引きずって、隠居してしまったのだろうか?


 エミッタの鋭い推測も、肝心のヒントや解答が与えられないままに出発となってしまった。つまりは精霊の塔への、最後の旅路となるわけだ。一行の表情は、一律に真剣そのものだった。

 当初の予定通りに、旅のメンバーはルース親子にリットーとオルレーン、それからオルバ爺さんと決まっていた。オルバ爺さんのコネで、現役の冒険者を雇う案は却下されていた。

 人を増やして、樹海の生物を無闇に刺激しないためだ。


 まぁ、他にも色々と理由はあるのだが。危険に関してはルースとオルバ爺さん、それからエルドラーンさえいれば大抵は平気だろうと言う理屈も大きかった。

 特にルースとその乗馬の戦い方を知らない者が近くにいても、足を引っ張る結果になるだけである。リットーとオルレーンは、戦闘時にはエミッタの護衛役になる。

 つまりは、この旅団の一番のネックが、エミッタだったりする訳だ。


 そんな訳で、エミッタの格好はオルバ爺さんの半日に渡る力作に装われる事となった。膝丈のズボンと皮製の丈夫な靴、上着も丈夫な皮製でポケットが良い感じについている。

 それから形の変わった帽子は、日差し除けではなくて頭をガードする目的らしい。傍から見たら、この完全装備は立派な冒険者のいでたちである。エミッタは大はしゃぎで、オルバ爺さんにお礼を言って皆にそれを見せびらかす。

 賞賛よりも、可愛いとの感想は少女を少し傷つけたけれど。


 こっそり武器っぽいモノも持ちたいとオルバ爺さんに頼んだのだが、それは素気無く断られてしまった。身に危険が迫ったら、全力で逃げろと言う事らしい。

 そんな細々とした注意を受けつつ、一行はメリロスカを後にした。


 昼前に街を後にしたルース一行は、しばらくは道沿いに進む予定だったのだが。昔の街道ははやくも途切れ途切れで、荒れた土地にしか見えない場所もチラホラ。

 父親と一緒にエルドラーンに乗ったエミッタは、相変わらず難解な馬の揺れに頭を悩ませていた。いつものようにルシェンを腕に抱え、いつかはルシェンに乗る日を夢見ながら。


 山並は険しく、故郷のアザーランドより木々が密集している感じを、エミッタは受けていた。もっとも、その樹海なる土地に入るにはもう少し掛かりそうだけど。

 植生が違うのは、一目見て分かった。山育ちのエミッタでさえ、見た事のない植物が、そこかしこに存在する。荒れ果てた街道は登りになり、細まって行き、時には完全に消滅していた。

 ぼうぼうに生えた雑草を越えて、エルドラーンは面倒臭そうに、先頭で薮分けに励む。エルドラーンの記憶には、この地帯の道順が詰め込まれており、それ故彼はやる気満々だった。

 昔の蛮勇が、彼を奮い立たせていた。


 険しい山道も、視界の悪い密林地帯も、一行には大敵だった。神経をすり減らしながら、地図とエルドラーンの記憶を頼りに、ルース達は進む。

 やがて、樹海の入り口が見えて来た。


 初日はとりわけ、何事もなく過ぎて行った。樹海に深く入るにつれ、温度が上昇して行くのがエミッタには分かった。夜の冷え込みもなく、虫が多いことを除けば快適だった。

 ただ、街や村の廃虚を通るたび、少女は否応無く重苦しい雰囲気を味わった。昔はここでも、賑やかでごく普通の生活が営まれていたのだ。今では荒れ放題の状態を、管理する者もいない。

 人骨がそのままの状態で散らばっており、エミッタは思わず目を背けた。


「この辺りは激戦地だったな……。ここから西に行けば、確か混沌の迷宮があった場所だ。今でも次元通路は開いてるようだが……前程大掛かりでないだろうな」

「大きな奴は、戦争終結と共に全て塞がれたよ。魔物の群れも、名目上はこの地帯にはいなくなってる筈だ。連中の全てが、その条例を守ったかは知らないがね」


 父親とリットーの会話に、エミッタは驚いて辺りを伺った。その昔、父が魔物達と戦った場所……冒険者だった父が、エルフの族長の母親と一緒に駆け抜けた戦場……。

 今感じられるのは、むせ返る程の樹木の匂いだけだ。父親は昔、どんな思いでどんな感情を、今通っているこの場所で抱いたのだろうか?

 お互いに愛し合っていた筈の、母親を隣にして……。


 夜は夜で、また別の気遣いが必要だった。ルース達大人が数時間ずつ見張りに立ち、周囲の警戒を怠らない。焚き火の炎は控え目に調整しているが、虫除けのまじないを掛けてキャンプを快適に保つのも忘れない。

 月は既に鋭利な程欠けており、新月の近さを物語っていた。エミッタは眠りにつく前に父親と月を眺め、お互いを伺うように昔の想い出話を持ち出した。

 二人で過ごした時間を、まるで確認するかのように。


「あら、エミッタ……変わった練習を始めたのね?」

「これ……? メリビルの魔法屋の店主さんに貰ったの。魔法の強さが分かるんだって」


 朝食前の短い待機時間に、キャンプの端っこで、エミッタは例のシャボンを膨らませていた。オルレーンが興味深そうに見学に来て、自分の子供の頃にも流行っていたと懐かしそうに語る。

 エミッタが催促すると、彼女は妙に張り切って技を少女に披露する。


 最初、オルレーンが作ったシャボン玉はやけに柔軟で、エミッタが触れると割れる事なく形を変えていった。その次のシャボン玉は、指で弾くとガラスのような澄んだ音を立てた。

 エミッタは驚き顔で、素直に術の制御の差に感心した。自分はまだ、こんな芸当など出来やしない。最後の術は、とびきり面白かった。オルレーンの作ったシャボン玉は、あっという間にルシェンを包んで行き、中に封じ込められたルシェンは大慌てだった。


「おもしろぉい……! 私にも出来るかな……コツを教えてよ、オルレーンさん……!」


 オルレーンは、今は制御の技を磨く時期だと少女に諭し、エミッタは旅の途中も例の風の特訓を続ける事に。自分で作ったシャボンを、風で壊れない様馬上で制御する。

 草木の息吹の強い樹海で、風の精霊に渡りをつけるのは、これでなかなか難しい。


 父親のルースは、娘の特訓について何も触れて来なかった。他に考え事があるのかも知れないが、どちらかと言えば周囲の警戒に気を取られているのだろう。

 気の休まらない樹海の行程は、まだまだ半分にも満たないらしい。


「私が今よりずっと強くなったら、一緒に冒険に連れてってくれる、お父さん?」

「その頃には、俺はとっくに引退しているよ……」


 娘の率直なおねだりに、父親は笑いながらそう答えた。エミッタはそんな言葉は真に受けず、父親はこれからもずっと力強い存在なのを確信していた。

 これから先も皆に慕われつつ、父親はずっと自分の側にいてくれる筈だ……。


 休憩はこまめに取ったが、思ったより馬の消耗は激しかった。道は荒れに荒れており、薮分けや樹木の根っこ、低く茂る枝や潅木が障害物となって邪魔をする。

 時には野生の動物の襲撃が、一行の足並みを大いに鈍らせていた。魔族で無いだけマシと取るか、そこら辺は微妙な判断だが。とにかく心臓に悪いし、警戒するだけでも体力を消耗する。

 リットーはしきりに愚痴をこぼして、首を傾げていた。


「昔はここら辺まで、ちゃんと道があった筈だぞ……? おかしいぜ、ルース……10年やそこらで、完璧に消えちまったってのかい!」

「精霊の塔自体が、一夜にして出来た代物じゃからな。上位精霊との契約で、我々と魔族の長との、契約のためだけに造り上げた、幻みたいなモノじゃ……」


 オルバ爺さんの言葉に、皆が不安を隠しきれない顔付きになった。幻だったら、消えてなくなっても不思議ではない……現に道は途絶えてるし。

 国王と共に条約に出席したのはこの中ではリットーだけで、彼は方向は合ってる筈だと言い張った。その口調は、しかし思いっ切り不安気だったが。


 エミッタだけは、そんな不安とは無縁だった。何しろ、父親が一緒だったから。見慣れぬ花や植物があると、少女は好奇心旺盛に首を突っ込んだ。

 これも身体に半分流れる、エルフの血のせいだろうか?


 二日目の昼の休憩時間に、エミッタはとうとう禁断の雑草を発見してしまった。恐らくは種に当たる部分だろう。茨のような雑草の、トゲトゲの小さな毬は見るからに不快で、肌にぞわっとする感触をもたらした。

 これに較べれば、毛虫の方がまだマシかも知れない。


「エミッタ……お願いだから、私では試さないでね?」


 傍に座っていたオルレーンが、気味悪げに顔をしかめてそう言った。自分の肌で実験していたエミッタの苦り切った顔を、先程からずっと見ていたのだ。

 リットーが、楽しい話題だとでも思ったのだろう。二人に近付きながら話し掛けて来た。


「何の話だい……? 俺もまぜてくれよ」

「うん……それじゃ、遠慮なく……」


 エミッタはひょいっと一つ、棘の塊をリットーのブーツの隙間に放り込んだ。次の瞬間、彼は絶叫こそ上げなかったものの、のたうち回って必死の形相でブーツを脱ぎ始めた。

 二人の女性は、呆気にとられて見守るばかり。


「……凄い威力ね。本当にお願いよ、エミッタ? 私には試さないでね……」


 エミッタは改めて、凄い形相のリットーとオルレーンの目の前で誓いを立てさせられた。しかし、人で試さないのと収集しないのは別の話だ。そんな訳で、少女は紙袋一杯分その毬を採集し、リュックの奥深くに入れておいた。

 エルドラーンに使ってやりたかったが、振り落とされてはかなわない。だが、持っていると使いたくなるのが人情だ。馬上で一人うずうずしていると、エルドラーンが不意に警戒のいななきをあげた。


 襲撃者の悪意は、唐突に周囲の気配を変えたようだ。怪物共の呻きと斬撃の音。不安げな馬達のいななき。エミッタは特等席で、焦茶色の表皮の獣じみた顔の怪物が、父親の大剣で駆逐されて行くのを目にした。

 ドワーフの怒鳴り声と、オルレーンの魔法の炸裂音が耳に響く。エルドラーンの蹄にかかって、数匹の怪物が次々と無気味な悲鳴をあげる。

 気付いたら、十匹以上いた魔獣は、皆が皆動かぬ骸と化していた。


「さっさと離れよう……皆、怪我はないな? ……エミッタ?」

「私は平気よ、なんとも無いわ、お父さん」


 惚けた表情の娘に、父親が心配げに尋ねて来た。エミッタは慌てて返事をして、血の気を失った自分の頬を、ごしごしと擦りあげる。一行は逃げるように、その場を離れて行った。

 警戒をしていたのだが、その日はそれ以外の襲撃はなかった。


 四日目の昼前に、ようやく木々の隙間から精霊の塔が見えて来た。それほど遠くはないが、決して安易な道のりでもない。一行は気を引き締めて、再び前進を開始した。

 見上げた父親の表情が、心無し硬くなっているのをエミッタは気付いていた。自分の表情はどうだろう……不安が顔に出ているだろうか?

 少女には、それを否定出来るだけの自信がなかった。


「何だか妙だな……なあ、オルバ爺さん。精霊の塔が増築したって話、風の噂か何かで聞いた覚えはないかい?」

「何のためにじゃ? 住んどる奴なぞ、おりゃせんのに……おっと、レ・グリンがおったな? それじゃあ、奴の仕業か……」


 ようやく間近で全貌を見れるようなった精霊の塔は、かなり変な造りだった。天にそびえるように大小の塔があちこちに建っており、一つの建物とは言い兼ねる感じだ。

 言うならば建物群で、それぞれの塔が思い思いの高さで、それぞれの存在を主張している。一体、コルフィの口にした“精霊の塔”と言うのは、どれを指しているのだ?

 エミッタは憤慨した。


「期日には間に合ったが、肝心の相手がどこにいるのやら……? レ・グリンも人が悪いね」

「ま、時間はまだあるわい。腹ごしらえを先にするべきじゃな……」


 オルバ爺さんの提案で、ようやく開けた場所に出た一行は、少し早めの昼食をとり始めた。食事時には必ず元気になるルシェンが、さっそく食べ物を少女にねだる。

 エミッタは、食事よりも塔の外装に意識が向いており、どことなく上の空だった。どこの誰が、人気の全くない場所にこんな無意味な建築群を造ったと言うのだろう?

 全く、理解に苦しんでしまう。


 大人達は、どの塔に入るのかを検討し始めていた。妖精の伝言は完全に無視して、捜索相手はレ・グリンという人物のみに絞られているらしい。

 エミッタはルシェンを伴なって、近くの広場を散歩して回る。この辺はむき出しの土が多いのだが、所々鋪装もしてあるようだ。もっとも、ここ数年は使われた気配など無いが。

 近付けば近付く程に塔は威圧感を増し、人の存在を拒絶するかの様。こんな時にこそ、あの小さな妖精の案内が必要なのに……。

 エミタは青く晴れ渡った空を見て、嘆息した。




「ここだ、この塔に間違いない。まぁ、少なくとも入り口はここの筈だと……」

「ふむ、見た限りでは一番古い建造物に見えるしの。それじゃ、入ってみるか、ルース?」


 リットーが自信のなさを音量でカバーして、びしっと一つの塔を指差した。その塔は、白い外装の中程度の大きさで、長い年月に風化した趣が漂っていた。

 オルバ爺さんも、討論に飽きたのかリットーのあやふやな記憶に乗っかる構え。


「しかし、10年前の建物にしちゃ、風化が進み過ぎとりゃせんか? 雰囲気もどことなく……」

「条約を結んだ塔ってのが約束の場所なら、間違いなくここだ! 俺は国王に伴なって、10年前にここを訪れたんだから。この建物に、間違いはない!」


 オルバ爺さんの懸念を、リットーは塔の壁をバシバシ叩いて封じ込める。ルースは太い首を巡らして、どこか思案げに辺りを伺っていた。

 エミッタはその足下で、ルシェンを抱いて大人達のやり取りを眺めるばかり。


 馬達は、すぐ側の建物の中に放してあった。建物と言っても、どこか洒落た中庭のような造りで、出入り口が豊富にある上、吹き抜けで開放感が有り余っている。

 蔦や雑草が伸び放題で、地面の鋪装もお座なりなその建物は、何のためのものだろう?


「何だか妙な匂いが漂っているな……。混沌の迷宮に入った時も、似たような気配を味わった。異界と次元が繋がっているのは、まず間違いないな……」

「そうね……あの黒い塔なんか、いかにもな感じがすると思わない?」


 父親の言葉をオルレーンが引き継ぎ、エミッタはその黒い塔とやらを見遣った。一際大きく感じるその塔は、彼女の言葉通り、どことなく禍々しい感じがする。  


「外から見る限り、塔の間は通路で行き来出来るようじゃな……。取り敢えず、リットーの言う入り口から入ってみるかの?」


 父親が頷いて、大股で歩き出した。エミッタが慌てて続こうとすると、オルバ爺さんが割って入る。大きな戦斧を手に持ち、厳粛そうな顔立ちで。


「お嬢ちゃんは儂の次じゃ。弱い者は、常にパーティの真ん中に置かんとな。オルレーンはお嬢ちゃんを、リットーはしんがりを頼むぞ……?」


 弱いと決め付けられて、エミッタはぶ然とした表情を見せる。それでも後ろを伺うと、オルレーンが笑顔を見せて頷いて来るので、エミッタも厳粛に頷きを返した。

 建物に入ると、足音だけがやけに響いて行く。皆、無言だった。


 エミッタは旅の服装のままで、リュックを背中に背負った格好だった。ルシェンを胸に抱えて、至っていつも通りの身なりである。リュックの中身は、水筒やタオル等々。

 先頭を行く父親もそんな感じで、普段と違うのは手甲をしている程度ろうか。慎重な足取りで進んでいるので、エミッタも苦労せず付いて行ける。

 階段を上り、通路を渡り……しばらくはそんな行軍が繰り返された。


「そろそろ、条約の間に辿り着いてもおかしくない筈だな……。いや、そこに何があるって訳じゃないがね……?」

「一応覗いて見るかの……?」


 後ろのリットーが、控えめな声でそう告げた。オルバ爺さんも短く肯定の言葉を掛けて、パーティは通路を奥へと入って行く事に。恐らくその場の誰もが、どこに何があってどんな事が待ち受けているかなど、教えたくても無駄な相談だろう。

 建物の中は、通路にしても数多い部屋にしても、外見程の損傷は見られなかった。ただ、砂や木の葉の埃が、どこから入り込んだのか、堆積する程多かった。

 昆虫の死骸なども、時々目につく。


「条約の間って……王様と、お父さんにやっつけられた敵の大将が、休戦の取り決めをした場所だよね……? それじゃ、やっぱりここが精霊の塔じゃないの?」

「そうね……まあ、何かあるとしたら、そこしか考えられないわね」


 エミッタは自分の考えを、後ろを歩くオルレーンに打ち明ける。オルレーンは肩を竦めながら、それでも肯定を含んだ発言を返した。その口調は、しかし何も期待してない感じだったが。

 エミッタは鼓動を速くさせて、前を歩く父親を見た。オルバ爺さんがその隣に展開し、二人は慎重に大きな扉の前に立つ。美しいレリーフの施されたその扉は、両開きの立派な造りにもかかわらず、風化に曝されてひどく痛んでいた。

 だが、何故そこだけ……?


「なんじゃ……何もありゃせんわ。しかし、ひどく痛んでおるわい……どうする?」


 父親が肩の力を抜いたのが、後ろからでも分かった。エミッタは、中を見たくて父親に近付く。ルシェンが腕の中で暴れる仕種を見せた。ひどく怯えた素振りで、目の前に何か異質な物があるかのように。

 その時、エミッタは確かにそれを見た。 

 ――自分に向かって、一直線に飛んでくる光の矢を。




 目の前の魔神ガルディアックは、片方の角を失っていても異貌の迫力に満ちていた。瞳は赤く爛々と輝き、浅黒い肌と整った体躯は、むしろ美しい造形芸術を思わせる。これで本当に力を失っているのだろうか……?

 だが、エミッタの見ている前で、条約は滞りなく決議されていった。そして、エミッタの知る限り、十年に渡ってそれは守られるのだ。


 ルドロス四世ことアーサー王は、側近に囲まれ、驚く程若く鬚もなかった。今は豪華な礼服を着こなしているが、鎧姿も良く似合いそうな体格をしている。その辺は今と余り変わらないと、エミッタは思った。

 むしろ驚きなのは、メルランド王国側の末席に、ぶ然とした表情で座っているリットーだった。十年前と言えばリットーは十七歳で、オルレーンは十五歳だ……なるほど、若い筈だ。だが何故、彼はあんなにむくれているのだろう。その瞳には、敵意さえ伺える。

 それより父親はどこにいるのだろうか?


 条約の間は小綺麗に装われており、大きな机の両側にメルランド王国の使者と、侵略者の魔神達とに分かれていた。場は決して和やかではなかったが、条約が速やかに締結されると、両者の間にため息とも安堵ともつかぬざわめきが洩れた。


「メルランド国王殿……条約通り十三年間、私の軍は侵攻も次元通路の使用も行わない。それより、私の首を切り落としたあの凶戦士が、この場に出席していないようだが……?」


 魔神ガルディアックはむしろ人間臭い温和な口調で、アーサー王と握手しながらそう尋ねて来た。人の形をとっていると、むしろ人という人種より洗練されているようで、気味が悪く感じる。

 エミッタは身震いした。だが、自分はどうしてここにいるのだろう?


「彼は……彼はここにはいない。一応誘ってみたんだがね」

「そうか、個人的に興味があったのだが。十三年後に再び会える事を期待しよう……」


 魔神ガルディアックはそう言うと、慇懃に笑みを浮かべてその場を去って行った。彼の部下達が、冷たい表情で後に続く。その中の一人、蛇の瞳と緑色の鱗の肌をした女が、こちらを見ながら何かを呟いた。

 ……小娘? エミッタにはそう聞こえた。エミッタは、血の気の引く思いで後ずさりした。この場の誰もが自分に気付かないと思っていたが、その女だけは自分が見えている……?


 急に場面が変わって、どうやらここは塔の別室のようだった。エミッタは腰を低くしながら、用心深く辺りを伺う。アーサー王と若い頃のリットー以外、ここには誰もいないようだ。

 やっぱり透明なままの、自分を除いて。


「やっぱりこんな条約、納得いかないぜ……! 奴は……ルースは、最愛の女性をあいつらに殺されたんだぜ? 自分の目の前で……!」


 激昂したように壁に拳を叩き付け、リットーがアーサー王に食ってかかった。アーサー王は俯いたまま、静かに立ち尽くしている。苦し気な表情を、エミッタはそっと見上げた。


「俺は……奴が仇を討つって言うなら、喜んで手を貸すつもりだった。だが、あなたは侵略者とさっさと条約を結んじまうし、肝心のルースは……府抜けち……まって……」


 リットーは泣きながら、再び壁を打ち据えた。アーサー王の顔は苦渋に染まり、吐く息も苦し気な程に見え、エミッタは王様に同情してしまう。条約は仕方のない事だったと、父は言っていた。

 だが、父親を思って涙を流すリットーの気持ちも、痛い程分かる。


「個人の感情だけで、いたずらに戦争を長引かせる訳にはいかない……分かってくれ」

「奴は……未来を失っちまった。二度と立ち直れないかも知れない。命を預けてくれた五十人以上の部下を一度に失い、最愛の家族すら……二人も……」

「……二人?」


 アーサー王が驚いたように顔をあげた。リットーに向き直り、自分の動悸を確かめるように胸に手を当てる。若者は涙を拭おうともせず、国王を見遣った。

 冷たい灰色の瞳で。


「オルレーンが教えてくれた。リーフは、彼女にだけ打ち明けてたんだ。自分のお腹の中に、新しい命が芽生えたって。ルースには内緒だった……奴に言えば、戦場に出して貰えないと思ったんだろう。そうすりゃ良かったのに……!」


 アーサー王の驚きよりも、エミッタはさらに驚愕に襲われた。母親と一緒に、お腹にいた自分も死んだ? いや、自分の弟か妹の話をしているのろうか? 

 だが、自分は今十歳だ……つまり?


「俺だって本当は、ルースに付いていてやりたいんだ……! レ・グリンが変に期待を持たせたお陰で、余計に話がもつれちまった。へぼ魔術師め……卵なんか召還しやがって! とにかく話はついたんだ……もう、ここには用はないんだろ? 俺は帰らせてもらうぜ」


 レ・グリン……ここでもレ・グリンだ。この話が本当ならば、コルフィの言った通り、母親に復活の秘術を施したのは、どうやらレ・グリンという名の魔術師に間違いないようだ。

 でも何で卵? エミッタの視界は暗転した……。




 少女の白昼夢は父親の顔のアップに取って代わり、図らずもエミッタは驚いて悲鳴をあげた。次いで弾かれたように、少女は父親の胸の中に飛び込む。

 何だったのだろうか、あのやけにリアルな出来事は。


「エミッタ……どうしたんだ? 幾ら呼んでも反応しないなんて……」

「ご、ごめんなさい……。その、光が目の中に飛び込んで来て、そしたら急に昔の記憶だか映像たかが頭の中に……」

「昔の記憶じゃと……?」


 オルバ爺さんが不審気に少女の言葉を繰り返す。エミッタは詳しく話すべきか迷い、それが恐ろしい事実に繋がるのではないかという思いで震え上がった。

 父親の頬に自分の頬を擦り付け、少女は泣きそうになるのをひたすら我慢する。ひょっとして自分は、父親の本当の娘じゃない……?

 そんなのは、絶対嫌だ……!


 その時、通路の暗がりから耳障りな音が聞こえて来た。足を引きずるような音と、苦し気な呻き声……死霊の暗い呟きのような。エミッタは悲鳴をあげて父親にしがみつく。どこから現れたのか、ゾンビの集団がこちらに向かって来ている。

 そして反対側からも同様の気配が。


「冥界の住人……何で急に? ルース、挟み撃ちになっちゃうわ……!」

「文句は後じゃ、オルレーン! 儂とルースで何とか防ぐ。この部屋に入って入り口を固めれば、何とかなるじゃろう……」


 ルースは頷いて、娘をそっとオルレーンに預ける。立ち上がった時には抜刀しており、二人の戦士は遅い歩みの死霊共を睨み据ていた。

 二人の戦い振りは凄まじく、案の定と言うか、部屋の中に入って来る敵はただの一体もいなかった。父親もオルバ爺さんも、忙しそうではあったがどこか余裕が伺え、エミッタは安心して息を吐き出した。

 彼女の前にはリットーが控えており、エミッタは映像の中の出来事を改めて反芻してみた。先ほどの記憶の中でのリットーの言葉……あれは、本当にあった事なのだろうか?

 それにしても、何故自分だけがあの映像を見る事が出来たのだろう……。


 人が一生懸命戦っている時に、考え事などするものではない……。エミッタはすぐにそれを後悔する事となったが、誰がその偶然を責められよう?

 オルバ爺さんが跳ね飛ばしたゾンビの首が、回転しながらエミッタの目の前に飛んで来た。バッチリその物体と目が合ってしまい、少女ばかりかルシェンまで驚きの声をあげる。

 エミッタは後ずさりした拍子にバランスを崩し、しゃがみ込んだ姿勢で部屋の壁にぶつかった。


 次の瞬間、エミッタはどうして目の前が真っ暗で、風音がうるさい程耳に響いて来るのか、瞬時に判断しかねる事態に陥っていた。

 自分が狭いトンネルのような通路を、頭を下に滑空しているのだと気付いた時には、すでにそのびっくり滑り台は終点に差し掛かっていた。

 お腹の上で、ルシェンがパニックを起こしていた。狭い通路は少女でもギリギリの幅しか余裕がなく、エミッタは最後の直線を足で体を押し進めるようにして、出口らしき場所へと向かった。

 数秒後、埃だらけになった少女と仔ドラゴンは、無事見知らぬ場所に足を降ろしていた。

 自分達の意思とは無関係に。


「……ここはどこかしらね?」


 エミッタは服に付いた埃を落としながら、ルシェンに尋ねる。ルシェンは、やってきた通路に顔を突っ込み、すぐに帰るべきだと盛んにアピールしていた。

 実際、エミッタも何度か試してみたのだが。それが無理だと判明するまでパニックを起こさなかったのは、ルシェンが一緒だったせいでもあった。

 エミッタは父親に何度も大声で呼び掛け、返事が全く聞こえないと分かると、ようやく事態の重大さを察した。


「……迷子? こんな場所で迷子になるなんて……!」


 ルシェンを腕に抱いて、エミッタは泣き出しそうになり、必死に解決策を頭の中に描こうとする。父親が探しに来るのを待つ……? 多分、それが一番良いだろう。

 エミッタは知らなかったが、実はここが彼らの目指すべき塔であり、招かれざる客人が塔に入って来たのもほぼ同じ時刻だった。

 ここはレ・グリンの建てた塔であり、冥界への通路が常時開いている場所でもあったのだ。


「お父さん……早く助けに来て……」





 涙混じりの少女の訴えは、しかしルースに届きようもなかった……。




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