♯07 魔法都市メリロスカ
犬達がけたたましく、なおも宙に浮く妖精に向かって吠え立てていた。生意気な妖精のコルフィは、もうここには用がないとばかりに、その場を飛び去って行く。
一言、エミッタに言い添えて。
「あんたのノロマちゃん……さっさと拾いに行ったら? あのまま放っておいたら、生ゴミで回収されちゃうわよ?」
言われるまでもないエミッタは、犬達に命令を下しつつ、コルフィを悔しそうに睨み付けた。少女のいつか負かしてやるリストの上位に、エルドラーンと共にコルフィの名前が追加される。
むろん、負かすのはルシェンの役目だが。
「ネル、あんた達、ルシェンを探し出して頂戴……急いで!」
エミッタの号令を受けて、リーダーのネルを先頭に、番犬達が一斉に急な階段を駆け下り始める。エミッタも慌てた様子で、行き先を確認しながらそれに追従。
いくらドラゴンが頑丈だからといっても、この高さから落ちて大丈夫なのだろうか? 先程とは別の不安に急かされながら、エミッタは再び込み入った街中を詮索し始める。
しばらくは上から見た落下地点の大まかな目測と、犬達の鳴き声で足を進めていたエミッタだったが。細い路地に入り込むと、その目測も覚束なくなって慎重に辺りを窺い始める。
この周辺は大体が平家造りで、似たような家並みが続くばかり。戸惑いつつ足を止めていると、ひょっこりとネルが姿を見せ、少女を迎えに来た素振り。
「みっ、見つけたの、ネル? どっち……?」
ネルが身を翻し、少女を誘導するように軽妙に歩を進め始めた。幾つか角を曲がり、細いつくりの階段を下りて行き、建物の隙間を器用にくぐり抜ける。
やがて、屋根に大きな穴のあいた納屋と、ルシェンが目に入った。駆け寄るエミッタ。
「ルシェン……あんた大丈夫?」
犬達に囲まれていたルシェンは、よろよろと少女に近付き、甘えた声をあげてエミッタにすり寄って来た。外傷は、まぁあった。ルシェンは放心したような顔つきで、元気一杯とは言い兼ねたし。
エミッタは仔ドラゴンを抱き上げ、負傷箇所を調べる。
「あらら、あんたお尻から落ちたの……? ウロコ、禿げかかってる……」
エミッタは思わず、そこから上方を見上げてみた。威圧的な城壁が確かに面前にあり、ルシェンがダイブを敢行した場所も、ちゃんと視認する事が出来る。
意外に飛び込み地点からの高低差を感じ、さすがにエミッタも肝を冷やしてしまう。それはさておき、さぁどうしよう……? ルシェンの怪我は自業自得だが、壊れてしまった納屋の天井は、やはり自分が弁償するべきだろう。
おまけにルシェンは、そこから脱出するために木製の窓まで壊していた。
「取り敢えず、この納屋の持ち主には謝るべきよね……あんた達悪いけど、私が呼ぶまでここで番をしてて頂戴。あとで何か奢ってあげるからね?」
犬達は元気に吠えて、思い思いの場所に腰を落ち着けていった。念のために納屋の中を確認したエミッタだが、幸い中の荷物の破損は無さそうな雰囲気である。
袋やざるで積み上げられている荷物は、ルシェンの猛威の被害とは無関係に、整然と並べられていた。落ちた場所が、壊れ物の無い地点で何よりだったと安堵するエミッタ。
それだけに、余計に外の光が差し込む天井の穴が目立つのは致し方ない。
ルシェンを抱え、エミッタは隣の建物の入り口を探し始める。弁償というのは、お金の掛かる事だとエミッタは知っていた。父親に負担をかけるのは、いかにも気が引ける。
だが、リットーのおじさんならお金持ちだし、何よりお城勤めの国のお偉いさんだ。きっと少女の頼みを、父親に内緒でこっそりと引き受けてくれるだろう。
何と言っても同じヘトヘト仲間だし、とエミッタは付け足して考える。
隣に建つ民家らしき正面玄関はしゃれた感じで、まるでお店か何かに見えた。事実、お店なのが入った途端に判明する。小綺麗に並べられた瓶や薬草の数々、見慣れぬ護符やアクセサリーにしか見えない物、書物やお呪い用の奇妙な道具……。
特に薬草類は多彩のようで、入った途端に独特の匂いが鼻につく。
店内の奥にはカウンターがあって、魔法の明かりを頼りに、店主と思われる男が黙々と読書に耽っていた。ローブを着込んだ、栗色の髪の三十代位の男だ。
エミッタが近付いて行くと、男はようやく少女の存在に気がついたようだった。
「いらっしゃい。ああ、これは可愛いお客さんだ……。ごめんなさい、読書に熱中してて気付きませんで……それって、本物のドラゴン?」
「こっちこそ、ごめんなさい……! これは本物のドラゴンの子供で、私はお客じゃないんです。この子が城壁から飛んで落っこちちゃって、隣の納屋の天井ぶち抜いちゃって……それで謝りに」
「ああ、何だか大きな音がしたと思ったら、そんな騒ぎが。そのドラゴンは、ちゃんと飼育許可が降りているのかな? 怪我をしてるね……ちょっと見せて御覧」
魔法屋の店主は優しい口調でそう言って、カウンターにルシェンを置ける場所を作った。雰囲気も周りを和ませる優しいものを持っており、年頃の子供に聞けば、大抵の子供が理想の父親像にあげそうな感じである。
だが、エミッタはエミッタだったので、彼女の理想の父親はルース以外にあり得なかった。たとえ、どんなに周囲が驚き怖がる強面の持ち主だろうと……。
そんなものは、ほんの個性の一部分でしかないではないか。
「それで、あとは納屋の窓も壊しちゃってて……今はウチの番犬達が見張ってるから、中の荷物は大丈夫だと思うんですけど……。私のお父さん、王様とレ・グリンって人と知り合いだから、許可とかなら平気だと思います」
魔法屋の店主は、少女の言葉に複雑な顔をしたが、何も聞き返さずにルシェンの傷を診察し始めた。戸棚から液体の入った瓶を取り出し、エミッタに仔ドラゴンを押さえるように指示を出す。
液体を滲ませた脱脂綿を傷口に当てると、ルシェンは情けない泣き声をあげ、少女の腕の中で暴れ始めた。
「そりゃ痛いだろう……ウロコが剥がれちゃったな。しばらく経てば、新しいのが生えてくる筈だから。それまでは外気に触れないよう、包帯でも巻いておこうか」
「この子は自業自得だから、どうでもいいんです。それより弁償……」
エミッタが気まずそうにそう口にすると、魔法屋の店主は笑いながらエミッタの言葉を制した。ルシェンのお尻に包帯を巻きながら、剥がれたウロコを指差す。
「ドラゴンのした事を、本気では怒れないよ。それより修理代の代わりと言っては何だけど、このウロコを貰えないかな? 竜のウロコは、魔法のアイテムとしても高値で取り引きされてるから、これじゃ貰い過ぎな気もするけど……。そうだ、これをおまけに付けてあげよう! これは魔法のシャボンで、使い方は……」
エミッタはルシェンの看護のお礼を言い、改めて壊した納屋の謝罪をすると、元気よく魔法用品のお店を飛び出した。少女のポケットには、貰ったばかりの傷の消毒剤と魔法のシャボンの瓶が入っていて、走る度にチャプチャプと音を立てる。
店からさほど離れていない場所に石造りの階段があり、その下は人目を忍ぶ絶好の隠れ場所になっていた。子供独特の嗅覚で、目ざとくそれを見つけたエミッタ。
ルシェンを抱えて、いそいそとその臨時の隠れ家に入り込む。
「凄いもの貰っちゃった! これって、やっぱりあんたのお陰かしら? 身から出たウロコって諺、あったかしらねぇ……? 早速、使ってみなくちゃ!」
一人大はしゃぎのエミッタは、貰ったばかりの魔法のシャボンを取り出すと、店主の言葉を思い出してみる。このアイテムは、魔法に取り組み始めた子供がよく使う物らしい。
使い方は、至って簡単。ストロー伝いに呪力を込めながら膨らますと、その人のだいたいの魔力の強さが分かるアイテムらしかった。
ようするに、そのシャボン玉の強度や大きさで判別を行うのだ。
エミッタは蓋を開け、ストローを差し込み、ありったけの強さで息を吹き込んだ。自分の顔位の大きさの玉が、不思議な彩りを湛えて目の前に現れる。
エミッタは酸欠のせいで顔を真っ赤にしていたものの、それでも満足そうにその大きく膨らんだ玉を見遣る。だが、ルシェンが珍しげに顔を近付けた途端、それは呆気無く壊れてしまった。
エミッタ、しばし呆然。
「……つ、使い方間違ってたのね、きっと。呪力を込めるのよ、うん!」
エミッタはそう呟いて、なおも続けて悪戦苦闘の作業に取り掛かる。そんな少女の心中を知ってか知らずか、不意にルシェンがけたたましく鳴き声をあげた。
エミッタが顔を上げると、袋小路の入り口に見知らぬ男が立っていた。他の誰かに合図を送るように、そいつは手を頭の上で振っている。
嫌な予感に、少女は身を竦ませた。男の傍を通り抜けねば、自分はどこにも行けない……。
「身から出たウロコって諺は、残念ながらありゃしないぜ、お嬢ちゃん。そりゃ、身から出た錆だろ? ちなみに今の状態、袋の鼠って言うんだ……どちらも悪い状態を指す」
自分の知性をひけらかして、その不審な男は嫌らしく笑った。先程の自分の独り言を聞かれていたとすると、どうやらずっと後を付けられていたようだ。
エミッタが男の真意を測り兼ねていると、後方からその仲間らしき男達が2人、3人と集まって来た。エミッタは内心焦って、増えて行く怪しい身なりの男達を見つめ返した。
何だか、状況はどんどん悪くなっている気がする。
「お嬢ちゃん、いい物を持ってるね? そのドラゴン、ちょっと見せてくれないか……」
エミッタが躊躇している内に、出口は集まって来た男達に完全に塞がれてしまった。人相の悪い男達の一人、最初に声を掛けた諺男が、そう言って仔ドラゴンに手を伸ばす。
ルシェンは精一杯の威嚇と共に、そいつの手に噛み付こうとした。
「おおっと……! 窮鼠猫をむなんて、洒落になんねえぜ。おい……!」
「ちょっと、何のつもりよ……きゃっ?」
後ろに控えていた男達が、手に持っていた網を次々と少女に投げ付け始めた。ルシェン共々動きのとれなくなったエミッタに、後ろの男が用意良く、目の粗い布袋を携えて近付いてくる。
エミッタは、その頃には完全に頭にきていた。何で自分がこんな目に……?
「うおっ……な、何だ? 風が……!」
瞬間、大の男達でさえたたらを踏むような強風が、狭い路地裏の袋小路に吹き込んだ。埃が目に入り、男達が目を覆う。少女がゆっくりとした足取りで、袋小路から出て来るのがわずかに確認出来た。
そう思った途端、風が足下をさらった。転げ回る男達。
「何やってんだい、情けない! その娘は魔法を使うって言っておいただろ? 逃がすんじゃないよ……手傷を負わせてもいい。私が可愛がる分を残しておいてくれりゃね……」
新たな手勢を引き連れて、見た覚えのある女が路地裏から姿を現した。必死に網を取り去ろうとしていたエミッタは、その露出の多い女の顔の包帯を見て怪訝な顔をする。
他の男達は大柄で、皆武器を手にしていた。
「メリロンじゃ、お世話になったね……倍にして返してあげるよ、仔猫ちゃん?」
「ああ、あの時の……」
そう言えば、メリロンでルシェンを付け狙っていた悪党がいたっけ? ほんの束の間の出合いだった上、包帯で人相が判然としなかったので、エミッタはしばしその女が本当に誰だか分からなかったのだが。
女はそれを、挑発と受け取ったようだった。
「……手足の一本くらい無くしたっていい。人が来ない内に、とっ掴まえな!」
物凄い形相でそう言い放った女の言葉も、エミッタには逆効果だった。そうだ、騒ぎをもっと大きくして、誰かに来て貰えば……そう、それがいい!
そう思った瞬間、エミッタは高らかに指笛を吹いていた。ルシェンが反応して、騒がしく吠え立てる。そして、鳴き声の群れは別の方角からも続々とやって来た。
階段を飛び越えて、エミッタの元へ……。
「な……何だい、こいつら? お前達、犬っころなんぞに負けるんじゃないよ……!」
ところが、ネルをリーダーとする番犬達は、ただの犬っころでは無かった。エミッタが訓練をする遥か以前に、番犬としての正規の訓練を受けて育った、言わば生粋の生え抜きだったのだ。
そうとは知らぬ男達は、手に持つ武器が空振りするのを、驚き顔で示すしかなかった。エミッタでさえその活躍振りに仰天し、しばし経緯を窺うのみ。
男の一人が腕から派手に血を流して倒れるに至り、少女はようやく明確な指示を出す。
「あんた達、そこまでしなくていいから……! この袋小路に追い込んで、全員! おじさん達も死にたくなかったら、早く入って……おばさんも!」
利き腕の腱を噛みちぎられ、武器を手放した大男が、真っ先に少女の指示に従った。一人が従うと、後は脆い。命惜しさに、次々と悪党達は袋小路に逃げ込む。
一旦指示を貰うと、ネル達は忠実に主人の命令に従った。一人も逃す事なく指定の場所に追い込み、袋小路は悪党達で鮨詰めの満員御礼状態に。
悪党達の瞳は、各々が恐怖に戦いている有り様。
最後まで抵抗していた女盗賊は、服のあちこちが破れ、包帯まで失って散々な状態だった。番犬達が、威嚇のうなりをあげて袋小路に蓋をする頃、ようやくエミッタは網の束縛から逃れる事が出来た。
後は役人か誰かを呼んでくれば……。
その時、ようやく階段の上から複数の声が聞こえて来た。近くの住人か通行人の誰かが、衛兵か何かを呼んでくれたのだろう。エミッタはホッと胸を撫で下ろし、青い制服を着込んだ衛兵の到来を待った。
衛兵の一人が、慌てて大声をり上げるのが聞こえて来る。
「ここかっ、善良な一般市民が野良犬に襲われてる現場ってのは……?」
エミッタは憤慨した。
「別に俺は、番犬をチビちゃんに取られた事も、舶来の椅子のセットを訓練とやらで駄目にされた事も、身元保証人に指定されて呼び出された事も大して気にしてやしないぞ? でもな、何で自分の敷地内で、自分の飼ってる番犬に吠えられなきゃならないんだ?」
「そんなの犬に聞いて下さい」
お庭番のディズが面倒そうに、一言でお館様のリットーの文句を片付けた。事の一部始終が屋敷に舞い込んで来たのは、夕方近くのもう遅い時間だった。
それと言うのも、エミッタが父親に迷惑をかけまいと、リットーの屋敷に世話になっているのを強調したから。その結果、屋敷を遁走していたリットーを、衛兵達が発見するのに手間取ったから。
エミッタが自由を得るのにディズが一役買い、犬達は褒美の食事をたっぷりと与えられた。遠乗りから帰っていたルースとオルレーンは驚き、次いで呆れ返った。
詳しい事情を得るため、オルレーンは詰め所に赴き、ルースは娘と話し合った。一番遅く帰って来たリットーがディズから事情を聞いて、ルース親子に話を聞こうと離れを訪れたのだが。
敢え無く番犬達に追い返されて、愚痴をこぼしている次第である。
「大体何で、首輪が赤いスカーフなんだ……? 全然番犬らしくないじゃないか!」
「あの娘に言われて、儂が用意しました。儂は結構似合ってると……。いや、それより儂の集めた情報を……」
「お、おお、そうだった! そう言えば、オルレーンはどうした……?」
リットーは少し赤ら顔で、外で飲んでいたのがバレバレだった。今は館の私室で、男だけの三人で顔を突き合わせている最中である。一人考え込んでいた様子のルースが、疲れたような口調でリットーの質問に答える。
「娘と一緒に入浴中だ……俺は娘を、もっときつく叱るべきだったのかな……?」
「よせやい、今更そんな事! 無事に戻って来たんだから、それでいいじゃないか。第一、そんな事言ってたら一人で外出も出来やしないぜ。可愛い子には、旅をさせろってね」
多少酔っ払いの口調が混じっていたが、リットーの言っている事は正論だ。なおも複雑な表情のルースを差し置いて、おもむろにディズが口を開く。
「衛兵の話じゃ、ちんぴら連中の計画的誘拐じゃないかって事で。何故かメリロンのコソ泥も、数人混じっていたそうですが。どのみち、もうすぐ旅立ちなさるんでしょうが?」
「それもそうだ。それよりディズ、メリロスカとそれより北の状況を」
ディズは肩を竦める仕種をすると、言われるままに淡々と語り出した。彼は優秀な庭師であると共に、それ以上に有能な情報収集員でもあるのだ。
先日請け負った情報収集の結果は、早くも手元に集まったよう。
「メリロスカより北の戦場跡地の情報は、余り確実じゃありませんな……怪物どもの群れの動きが、多少活発になったと言う報告程度ですが。エルフの部族も同様ですが、どうやら今回の妖精の伝言騒ぎは、彼らとは無関係のようで……」
「レ・グリンはどうだ、オルバ爺さんの居場所の情報は……?」
猫背のお庭番は再び肩を竦めると、暗くなった窓の外をチラッと見遣った。焦れたようにリットーが、自分の部下に顔を寄せる。それを遮るように、ディズは一枚の紙切れをリットーの面前に差し出した。
そこにオルバ爺さんなる探し人の現住所が書かれてあると、ディズは付け足して口にする。リットーはそれをひったくるように受け取ると、眉をひそめつつじっと眺め遣る。
その後、ディズはため息と共にさらに言葉を紡ぐ。
「精霊の塔は、戦場跡地を突っ切らないと辿り着けやしませんて。暗闇を透かして、遠くの景色を見ろってな注文ですよ、お館様。ま、レ・グリンとリーファメラの名前は、味方ばかりか敵にも有名でしたから、魔族どもがその名を語って罠を張っていないとも限らない。それより儂が心配なのは、めっきり身体の鈍っちまったお館様が、鬼神ルースのお役に立てるかって事で……」
「余計なお世話だ……!」
リットーがふて腐れたようにわめき散らした。長年の主従関係なので、二人とも容赦のない言葉をかけ合うのだが、年の功が勝るのか、リットーがやり込められる確率の方が遥かに高い。
ルースが思案するように言葉を発した。
「仮に魔族の罠だったとしたら、何故エミッタを……? リーフが身籠った事は、あの頃はごく身近な者しか知らなかった筈だ」
「さあ、それは何とも。けれども、バカ正直にお嬢さんを連れて行くのはどうかと思いますがね。罠だとすると、誰を狙うにしろ娘さんは足枷になる……」
「分かってる……だが、俺は……自分が殺されるのはいい、俺は確かに、奴らに恨まれるだけの事はした。だが、奴らに二度と、俺の愛する者を殺させるものか……!」
束の間、鈍い音がして、ルースの持つ銀製のゴブレットがひしゃげた。半分程残っていた赤い色をしたワインが、机の端を伝って絨毯に黒い染みを作る。
あの時の情景が蘇ったような気がして、リットーは掛ける言葉を瞬間失った。揺るぎない存在だと信じて疑わなかった自分達のリーダー、鬼神ルース。その彼が最愛の女性の遺体を前にして号泣した、あの最後の戦いの情景を。
自分達の頼っていた戦神が、脆い存在だと気付いたあの時の苦い思い出を。
「……まだ吹っ切れていなかったのか」
リットーが静かにルースの大きな背中に語り掛けた。いたわる様に、彼の情の厚さをむしろ嘆くように。辛かったのは、ルースだけではなかったのだ。
落ち込んだ彼を傍で見ていた仲間達も、あの時は引き裂かれるような痛みを感じたのだ……。
「……吹っ切れたと思っていた。10年、経ったんだ。だが、奴らが再び俺の前をうろつくのなら、奴らの企みごと滅ぼすまでだ……!」
ルースが暗い表情で、そう呟いた。それは彼の強みなのだろうかと、リットーは考え込んでしまう。願わくば今回は、彼の情愛の深さが良い目に出てくれる様、リットーは祈らずにはいられなかった。
窓からの景色は、既に夕闇へと形状を変えていた。
それから後の2日は、あっという間に過ぎて行った。リットーは、今度は本当に旅の支度に追われ始め、ルースは一人裏庭で剣の稽古を黙々とこなしていた。
オルレーンとの魔法授業も半分に凝縮されて、エミッタは残りの時間をリズや使用人達とのお喋りにあてたり、コックから新しい料理を教わったりして過ごした。
何しろ、あの騒ぎから先、一人での外出は全面禁止だと言い渡されたのだ。仕方ない事とはいえ、エミッタはがっかりだった。新しく見つけたお店には、まだまだ面白そうな商品が沢山あったと言うのに。
シャボン玉をリズに試して貰った時は、とても愉快だった。ほとんど膨らまないだろうと予想していたのだが、小さな玉がポコポコと生まれて周囲に飛び散っていったのだった。
それが何を意味するかは分からないが、自分とは明らかに違う魔法の素質が眠っているのかも知れない。エミッタがそう言うと、リズは笑いながら、それよりもパイが焼けた頃だと口にした。
魔法の素質など、リズにとってはその日の髪型よりも興味が無い話題らしい。
オルレーンも旅の支度と城への様々な報告で、忙しくなっているらしい。エミッタの特訓が短くなった主な理由はそのせいだったが、代わりにディズを初め、使用人たちが少女の動向を窺うようになっていた。
お館様の命令だと、簡単にネタをばらして来るリズ。
「あんまり信用されてないよね、エミッタってば。大人達は腫れ物を扱うみたいに、あんたの事についてはおっかなびっくりだわよ?」
「……あれは私のせいじゃないのに」
隣で楽しそうに笑う少女に対し、エミッタは多少の不満顔。完全に巻き込まれただけなのに、全部自分が悪いみたいに思われるのは心外だ。
屋敷を出たのは妖精のコルフィのせいだし、襲って来た連中に至っては、自分には全く非は無い筈。無造作に箱から取り出したリンゴに、虫がついていたようなものだ。
そう反論すると、リズは複雑な顔をして少女を見返した。
「でもあんたが持っているその龍は、とっても高価なモノなんでしょ? そんなもの持って子供が一人で出歩いていたら、悪い連中にとっては絶好のカモだわよ!」
「そ、そうかな……? じゃあ、リズは私にも原因があるって言うの?」
「そりゃ、理不尽だとは思うわよ? でもお館様だって、金持ちだからって理由で何回か強盗に狙われた事もあるし。そのための備えに、男衆を一時期雇ってたり、番犬を飼う事にしたり。つまりは、一種の予防策は張っておかないとって事よ」
なるほど、確かにリズの言う通りだ。エミッタは感心して、5歳年上の少女を見遣った。その友達は、今は台所から失敬してきた焼き菓子を一緒に頬張りながら、目の前の犬達にもお裾分けを与えようとしている。
犬達はエミッタを窺いながら、食べて良いかと確認して来る素振り。自分達の食欲よりも規律を一番に持って来る辺り、さすがに訓練された番犬である。
エミッタが頷くと、番犬たちは喜んでおやつを口にし始める。リズは楽しそうに、多少おっかなびっくり犬の頭を撫でていた。以前は絶対に、出来なかった行為だ。
「あんたが来てから、お屋敷の雰囲気も随分と変わったわ。とっても明るくなったし、私もあんたの事好きよ? ……もうすぐここを出るって本当?」
「う、うん……」
「そうかぁ……寂しくなっちゃうね……」
リズの呟きに、チクリと心の弱くて脆い部分が痛みを発した。ターフおばさんと別れた時のような寂しさの奔流が、心の隙間から湧き起こって来るような感覚。
自分にはどうしようもない、寂しくて心が張り裂けるような感情。リズの口数も、その後段々と少なくなって行く。裏庭の大人たちの目を遠ざける一角で、二人はぽつりぽつりと言葉を交わす。
無情な時間の流れに、逆らうすべを探すように……。
旅立ちの日の朝は、屋敷内は朝から蜂の巣をつついたような騒ぎに彩られていた。既に馬上の人となっているエミッタでさえ、多少は忙しない気分にさせられた。
お館様は、ディズに総責任を、メイド頭の中年の女性に屋敷内の雑用を任せると、葦毛の愛馬にまたがり気難し気な表情を作っているよう。
彼にしてはシリアスに、完全に酒気も断っている感じ。
エミッタは父親と共にエルドラーンに騎乗し、再び旅の興奮にさらされていた。それでも番犬達が、寂しそうに別れの辛さを彼女に語りかける度、少女は胸が締め付けられる思いを味わっていた。
旅とはいつも、こんなものだ。出合いと別れ……。エミッタは知らない内に、声を出して泣いていた。犬達の切ない遠吠えが、彼女の耳にいつまでもこだまする。
使用人の中にも、いつの間にかつられて泣き出す者が出始めていた。
その筆頭が、リズやお喋り仲間のメイド達だった。流れ出した涙を隠そうと試みているが、皆がそれは無駄な所業となっている。お屋敷の前は、束の間名残惜しさで溢れかえる。
ルースが無言で、エルドラーンに出発をするよう告げる。それを察した犬達は、可哀想な程に自由を求めて、鉄製の檻に体当たりを始めた。
エミッタが昨日の晩、あれだけ言い聞かせたと言うのに……。
エルマが従順に後に続いて歩き始め、リットーの葦毛の馬とオルレーンの若い馬がそれに従って歩を進め始める。荷馬が三頭程、さらにその後に続いて行列を作る。
エミッタは涙顔で、何度も何度も後ろを振り返った。
数分で辿り着いた街の裏門では、数人の護衛が一行に合流して来た。フリーパスで城塞都市を出てしまうと、岩の連なる荒野しか見えなくなってしまう。
一行は列を作り、薄曇りの天候の中を寡黙に街道を進んで行く。ルースの指示する並み足のペースに、エルドラーンは渋々従っていた。群れが賑やかになったのはまあ良しとして。
自分が先頭ならば、彼にとってそれはむしろ歓迎すべき事なのだ。
「……また帰りにも、みんなに会いに寄れるよね?」
「そうだな……。用事を済ませてしまえば、幾らでも暇はあるさ……」
父親の思案顔は、いつにもまして複雑のように少女には映った。自分を抱く手に力がこもるのを感じ、エミッタは伺うように父親を見上げる。
街道は道行く人達で賑わっており、荷馬車隊や旅人とは頻繁にすれ違った。先日味わった、王都メリビルまでの旅路と余りに違うのに、エミッタは面喰らう。
街道は程よく整備されており、警備隊の列とも時折出会う程。
警備隊の反応は、見ていて面白かった。彼らは父親を見てぎょっとし、オルレーンの存在に再びぎょっとするのだ。オルレーンの存在を知らぬ者は、王都付きの警備隊にはいないらしい。
どうやら彼女は、独身の隊員達の密かな人気者のようだった。
夕方には、小さな街に着いた。街というよりは街道市場なのだそうで、そこには旅人に必要最低限の店しかなかった。メリロンに行く途中にも、似たような場所に泊まったのをエミッタは思い出す。だが、ここはもっと大きく、宿の数もずっと多い様子。
旅の用意は万全だったので、その街道市場は泊まっただけの素通りの結果に。天気も少しずつ晴れやかになり、それと共に景色にも変化が見え始める。
遠くに故郷ですら見た事のない険しい山並が見えて来て、周囲には緑が窺えるようになって来る。大地が段々と肥沃になって来ており、土質の変化ははっきりと分かるほど。
「今日には着くんでしょ、お父さん。メリロスカって街に……?」
「ああ、昼過ぎには見えて来る。魔法都市メリロスカが……」
魔法都市という名を聞いて、エミッタはぞくぞくするものを感じた。一体、どんな街なのだろう……? エミッタは不意に思い付いて、馬上で魔法の特訓を始める事に。
綿毛を浮かせ、馬の歩みと同じペースで移動させる。エルドラーンが途中、何度もいらただし気にこちらを見たが、エミッタは全く気にしなかった。
昼過ぎには父親の言葉通り、幾つもの塔のそびえ立つ街並みが目に入って来た。緑の丘はそこからずっと下りに入り、馬の脚で後一時間程度。
エミッタはしげしげと、初めて見る魔法都市とやらを観察した。ルシェンは騒いでいる様子だが、エミッタは少し拍子抜けの気分。
「普通の街とあんまり変わらないね……。もっと凄く楽しい街を想像してたのに」
「見た目はともかく、街の中はいつも騒々しかったな……。魔術師の実験や、遺跡探検者達が街に溢れてて。もっとも、俺が知ってるのは10年前までだが……」
父親が簡単に、街の歴史や産業を説明してくれた。元は遺跡探検の冒険者達相手の小さな街が、発掘品の解析などで魔術師を呼び寄せ、いつしかその割合が逆転してしまったのだという。
今は王都メリビルの近隣都市として、魔法産業が盛んらしい。
「オルバ爺さん、本当にまだいるかな……?」
「さあな……少なくとも、くたばってはいないだろう。居場所の情報は教えて貰ったが、近くの酒場を調べた方が早く見付かるかも知れないな」
「違いない……昔と同じ住処だったのは拍子抜けだったけど、直接寄ってみるかい?」
馬を寄せてきたリットーの言葉に、ルースは思案気な表情。それから、行きつけの酒場に最初に寄ってみるとの答えに、リットーは黙って頷き返す。エミッタは訳が分からず、ただ父親を見遣るのみ。
魔法都市メリロスカの市街門はもう目の前だ。門番の対応にとリットーが、一足先に馬を進めていた。エルドラーンが、不快げにいななく。
「オルバ爺さんって、誰の事?」
「昔の仲間だ……俺が冒険者時代からの。魔神戦争でも一緒に戦った、元気なドワーフの爺さんさ」
エミッタはひとしきり感心した後で、エルドラーンが門を潜って街中に入るのを意識した。街は入り口付近から既に活気に満ちており、屋台や人の群れが溢れ返る程だ。
エルドラーンは道行く人々を威嚇しながら、自分の進路を確保していた。やがて人の密度の薄い場所に出た頃に、一行は馬を降りて一息つく事に。
リットーがすかさず提案する。
「宿をとって、一旦馬を預けた方がいいな、ルース。その方が行動しやすいし、どのみち今夜の宿は必要だし」
「そうね……私は、この街の警備団に顔を出しておくわ。何かあった時のためと、この辺りの最新の情報も欲しいし……」
ルースは鞍から娘を抱え降ろすと、頷いて空を見上げた。夕方近くの、街が一番賑やかな時間帯だ。高い塔が割と近くに建っていて、大きな影を歩道に落としていた。
エミッタは父親につられ、空を見上げる。
「宿をとったら、少し街を歩いてみる。昔の行き付けの酒場にでも」
「酒場に行くの、お父さん? 私も一緒に行っちゃ、駄目かな?」
エミッタがそう口にすると、ルースはやっぱり思案気な表情のままに、肯定とも否定とも取れる頷きを返して来た。エミッタはそれを、ついて行って良いと取る事にして。
ルシェンの入った篭をしっかりと抱え、お出掛けの準備。
皆の泊まる宿はすぐに決まった。ルースは馬を預け、娘を抱えて街の広場へと向かう。リットーとオルレーンは、それぞれ街の行政機関に顔を出しに行くそうだ。
エミッタにしてみれば、観光気分の方が遥かに強かった。父親と同じ高さの目線で、賑やかな街の風景を眺めやる。初めて目にする街並みだが、そこかしこに異色な雰囲気が感じられる。
エミッタは暫し考え、それがすれ違う人達の格好にある事に気付いた。
冒険者らしい人の群れは、至る所で目についた。安物の鎧を着込み、腰には思い思いの武器を佩いている。エミッタから見れば、恐ろしげな格好の姿の者達が目立つ。
そうは言っても、父親に敵うような強面は滅多にいないのは確か。
通りは様々な人種が入り乱れ、それ目当ての物売りが横行している。広場の隅で紙芝居が興業しており、その題が魔神戦争の英雄劇だったので、エミッタは目を丸くして父親を見た。
父親は全くそれを無視して、細い通りの1つに入って行ったので、エミッタは少し残念だった。細い路地にも人がたむろっており、ルース親子は取り分け人目を引いた。
やがてルースは、小さな穴蔵のような扉の前で立ち止まった。古い看板には、飲み屋らしい酒瓶の意匠が施されている。背をかがめて入った店中は思ったより広かったが、薄暗くてやはりエミッタに穴蔵を連想させた。
空気には酒臭さが混じって、快適でないのは確か。さらに、柄の悪い視線が幾つかこちらに向けられて来る。
「おい、おっさん! ここは子連れで来るような場所じゃ……」
「や、やけにでけえな……傭兵崩れか? ここはベテラン冒険者御用達の店……」
威勢の良い若者達の声も、ルースが振り向くとぴたっと途絶える。柄の悪い場所だと、エミッタは目を細めて警戒する。父親をおっさん呼ばわりした若者に、一言文句を言ってやろうと少女が口を開きかけた時、店の主人が驚き顔で父親に呼び掛けた。
「ルース……鬼神ルースじゃないか……? 何年振りになるんだ、おい。よく来たな!」
「オルバ爺さんを探してる……。まだ爺さんは、遺跡潜りをしてるのか……?」
ルースがカウンターの椅子を一つ引いて、娘を座らせた。店の主人がエミッタに気がついて、奇妙な物を見る目付き。後ろに控えた若者達は、時が止まったように身体を硬直させている。
エミッタは居心地の悪さに、ルシェンを強く抱き締め、父親を見た。
「儂ならここにおる……。なんじゃ、お前さん……少し老けたな?」
「オルバ爺さん……」
座りかけた父親が立ち上がり、後ろの若者達が弾けたようにその場を逃げ出した。雌鳥のような悲鳴と、ばたつく手足。オルバ爺さんが、呆れたように首を振る。
「全く……最近の若い衆は……! 10年前のお前さんを見せてやりたいわい。おお、これが例の赤ん坊じゃな……? どうやら、ちゃんと育ったようじゃな」
エミッタは自分に視線が注がれているのに気付き、その奇妙な言い回しに違和感を覚えた。取りあえず挨拶をすると、人の善さそうな老人は、笑いながら挨拶を返す。
ずんぐりとした体格に、灰色の立派な鬚。顔の半分を覆い隠していて、何となく年齢不詳に見える。父親がドワーフの特徴だと付け加え、エミッタは改めてオルバ爺さんを見直した。
背丈に関して言えば、自分より少し高い程度だが。体重は……樽のようなお腹とぶっとい手足、筋肉質なのは見ただけで分かる。地味な服装で身を固め、飲んでいたのか顔は赤かった。
他の肌は焦げ茶に近い肌色をしている。
「リットーとオルレーンもこの街に来ている。娘を連れて来たのは、色々と事情があってな……詳しい話は後でする」
「なんじゃ……? お前さん、娘に本当の事を話しとらんのか?」
歯切れの悪い父親の言葉に、オルバ爺さんが怪訝な顔をする。本当の事……? エミッタは隣の父親を伺うと、珍しく困ったような表情で固まっている。
店の主人がその場を立ち、気を利かせるような口調で言葉を発する。入り口に本日貸し切りの札を出し、エールの樽をポンと叩いて。
「今日はあんた達の貸し切りだ。思う存分やってくれ。お嬢ちゃん、何か食べるかい?」
戸惑うエミッタより先に、ルシェンが元気よくそれに答え、店の主人はにこやかに笑った。あっという間につまみの皿がテーブルを占領し、ルシェンを喜ばせる。
つまみの中に何故かドーナツが紛れ込んでおり、エミッタは最初にそれを口にした。他の大人達は早速エールを口に運び始めている。
他のつまみも、試しに食べてみると美味しかった。結局は出された食べ物を色々と味見しながらも、膝の上に陣取っているルシェンにも給仕してやる。
食事をしながらも、エミッタは大人達の会話をぼんやり聞いていた。
店の主人も給仕の合間に飲んでいて、主人を交えた昔話や苦労話に華が咲く。オルバ爺さんと父親の昔の冒険談は、少女の好奇心をくすぐった。
父親とドワーフが組んで潜った遺跡の数々の思い出話は、多岐に渡るようだ。溢れるように出て来る冒険譚に、エミッタは想像心を最大限に発揮させ、一緒にロマンを味わった。
後5年もすれば、自分とルシェンも……。
「ああ、やっぱりここだったか。オルバ爺さん、久し振りだな!」
閉じた扉を開いて、リットーとオルレーンが入って来た。場は一気に盛り上がって、収集がつかない程。エミッタは仕舞いにはカウンターに入り、大人達の給仕を始める事に。
お立ち台の高さを店主に調整して貰うと、ここからの景色も悪くない。
「何だ、この店ちっとも変わってないな……繁盛してるのかい?」
「ああ、オルレーン……別嬪振りがますます上がって! 好い旦那は見つけたかい?」
「そういや、儂に何ぞ話があったんじゃ……? お嬢ちゃん、済まんの……お代わりを注いどくれ」
酒の量に比例して皆の口調も軽くなり、場の盛り上がりはもはや収拾のつかない程。父親でさえ先程の顔付きとは変わって、楽しそうな表情を浮かべていた。
エミッタも雰囲気そのものに酔ったふうに、楽しそうに笑いながら話に加わって行く。いつの間にか夜が更けており、オルレーンがエミッタを気遣うように声を掛ける。
少女はいかにも眠そうで、ルースが手を差し出すと、いつもの場所に安堵を覚えたのだろう。最終的には眠気に抗えず、落ち着くように腕の中で丸くなってしまった。
大人達は小声になって今までの経緯を、そしてこれからの行動を相談し始める。
オルバ爺さんが、卵の話をしていた。それから、精霊界と魔界の話を……。竜の話も出て来た気がして、エミッタはおぼろげ気にルシェンの事だと思った。
覚えているのはそこまでで、後は混濁した記憶と、麦酒の匂いだけが感覚を占領して行く。完全に灰色の世界で、少女の意識は闇の彼方へ。
少女は卵のように丸まって――卵……?