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♯05 冒険への道標



 ルースはその夜反省しきりで、皆との食事の後に離れに戻ってからも、エミッタに対して気を使っていた。調べものに夢中になり過ぎて、娘の事をすっかり疎かにしてしまった後ろめたさが、態度の節々に見え隠れしている。

 困ったような照れたようなその素振りは、仕事で何日か家を留守にした後、父親がよく見せる態度である。こちらも父親に恥を掻かせてしまった手前、エミッタは大いに安心した。

 そう言う時は、こちらから甘えてやればいいのだ。


 手紙を悪戦苦闘の末に、何とか書き終わったエミッタが書斎を後にしたのは、父親が秘密の会合を終えたほんの少し後だった。迎えに来た父親は、明らかにどこか気落ちしていた。

 そんな父親を気遣って、エミッタがさり気なくスキンシップを提示したのだが。


 家族の団欒に何故かルシェンも加わって、嬌声と共にベットが大きな軋みを発した。寝間着に着替えたエミッタとルシェンが、父親の腹の上で交互に高い高いをして貰っていたためだ。

 ルシェンに至っては、天井近くまで放り投げられてはキャッチを繰り返され、かなり目を回していたが。


「ねえ、お父さん。ルシェンはいつになったら飛べるようになるの? せっかく立派な翼を持ってるのに……」


 父親に高い高いをして貰ったのは数年振りだった。その興奮の余韻を楽しみながら、エミッタは今は大人しく父親に寄り添って、一緒のベッドに横になっていた。

 ルシェンはルースのお腹の上がお気に入りなのか、そこでどくろを巻いている。


「そうだな、属性にもよるだろうが、数回脱皮をした後じゃないと難しいんじゃないかな……竜は本来、精霊界の住人だから、向こうではこの翼で充分なんだろうが……」

「脱皮……ルシェンって脱皮するの? 属性って何……?」

「属性というのは、俗に言う『火風土水』とか何かの事だよ。育った環境によって、ドラゴンが特別な進化を遂げるんだ。火竜は凶暴で火を吐く能力があって、水竜は水の中を自在に動き回るという風に……」


 エミッタはしまったという表情になり、上体を起こして父親の顔をまじまじと凝視した。連日の犬達との特訓を、父親は知っているのだろうか……。

 取り返しのつかない事になっていたらどうしよう?


「じゃ、じゃあ犬達と遊び過ぎたら犬竜になっちゃうの……? もしかして、犬くらいの大きさにしか育たなくなっちゃう……?」


 ルースは思案げな顔になって、思わず娘を見返した。空想好きな娘は時折突飛な話を聞かせてくれるが、これはその中でも最高に面白い。

 犬竜とはどんな生き物だろうと想像して、ルースはもう少しで吹き出しそうになった。


「うむ……どうかな。エミッタはルシェンに、何竜になって欲しいんだい?」


 辛うじて笑い出しそうになるのをこらえ、ルースは娘に真面目顔を繕ってそう尋ねてみる。エミッタは可愛い顔に精一杯の威厳をたたえて、強くて立派で、エルドラーンより物分かりの良い竜なら何でも良いと答えた。

 最後の項目は、絶対に譲れないと付け加えるのも忘れない。


「早く空を飛べるようになる、おまじないを教えようか? フーフーして、風の精霊を送ってやるんだ。そうすれば、ルシェンは飛竜の素質が芽生えてくるかも知れない」

「ホント? こう……?」


 素直な性格のエミッタは、すんなりとその話を信じたらしい。眠ってるルシェンに顔を近付けると、小さな唇をすぼめ、フーフーと息を吹きかけ始めた。

 ルシェンは耳をヒクつかせが、起きる気配はなかった。だが、寝床としていたルースのお腹が揺れるに従って、不機嫌そうに鳴き声をあげて目蓋を開ける。

 エミッタが不審に思って父親を見遣ると、ルースは声を殺して笑っていた。エミッタはようやく、からかわれていた事に気付く。


「ひどい、お父さんっ! ウソついたんだ……!」


 エミッタが騒がしく父親の胸元を叩いてる間、ルシェンはノロノロとベッドの端に移動する。そこを新しい寝床に決めたようだ。その様子を見て、二人は思わず一緒に笑い始める。

 親子はなおもクスクス笑いながら、些細な秘密や冗談話を、夜中まで囁き合っていた。





 この所の書斎に籠っての文献漁りにも行き詰まり、ルースはその朝、気分転換に街の観光を娘に提案した。もちろんこの誘いには、最近構ってやれなかった娘への配慮も含まれており、エミッタはそれを察知した上で快く了承した。

 故郷では、散歩といっても行く場所は限られていた。ここは全く、未知の場所だ。


 ルースはもともと、魔法が苦手だった。土着神への祈りの言葉や、魔除けの呪い程度は知ってはいたのだが。それが毎回、必ず成功するかと言うとそうでもなかった。

 魔法の書物を読み漁り、その理論を理解しろと言われても、覚束ない事この上ない。それが独学で覚えた竜言語で書かれてあるなら、尚更である。

 そんな訳で、独学が行き詰まるのも当然の結果かもしれない。


「凄く人が多いね、お父さん。メリロンも多いって思ったけど、この街はもっとごちゃごちゃしてる感じがする。坂も多いし、道も狭いみたい」


 ルースは書物との格闘で鈍った体と頭を覚醒させるように、娘を抱えたまま頭を何度か振った。朝の澄んだ空気を肺一杯に吸い込み、細い街道を進みながらリフレッシュを図る。

 エミッタと、少女の持つ竹籠からルシェンが、不思議そうに彼を見上げている。ルースは何事も無かったように、街に沿って延々と巡らされている城壁を指差した。

 父親の威厳を保つのは、なかなかに難しい……。


「ここは噂に名高い城壁都市だからな……。メリロンなんかの街と違って、空間が限られているんだ。あの高い場所にある立派な建物が国王のいる城だ。つまりはこの国の重要拠点だな。リットーとオルレーンの二人も、あそこで働いてる」

「お城に入った事ある、お父さん? 王様に会った事は……?」

「ルドロス四世には会った事はあるが、お城に招かれた事はなかったな。あの頃は戦争中だったし、戦争が終わった後は、俺は田舎に引っ込んだしな……」


 エミッタは、はしゃいだ声を上げて尊敬の目付きで父親を見た。何にしろ、父親が高名で鼻が高い。そう思ってふと周囲を見回すと、その他大勢の視線も自分達に注がれているのにも遅蒔きながら気付いてしまった。

 と言うより、父親が歩を進める傍から人々が道を譲り、遠巻きに怖々と観察されている感じ。


 鬼神ルースの高名は、ここメリビルの街でも知れ渡っているのだとエミッタは思おうとした。何しろ、ここにいる自分の父親は、現国王と知り合いなのだから。

 だが、現状はやっぱり違ったようで。道行く母親が驚き顔で子供を庇ったり、幼い年頃の子供が怯えた表情で泣き出したりすると、さすがにいたたまれなくなってしまうエミッタ。

 少女は憤慨し、喉を鳴らして人々を威嚇してみせた。父親のインパクトと比べると、余り効果は無いようだったが。


 それでもルース親子は、街の景色を充分に見て回る事が出来た。朝市や屋台の軒を見物し、段差の多い街並みをのんびりと二人で眺めて歩く。

 涼し気な噴水のある広場では、群集の興味を引く芸人が朝から日銭を稼いでいた。数人の興行師達がパントマイムや楽器の演奏で、道行く人達を楽しませようと演技に熱を込めている。

 ルース親子はここでは悪目立ちしない事が判明し、エミッタは内心安堵した。逆に頼みもしないのに、ルシェンを見学する人々の輪がいつの間にか出来上がっている始末だ。

 エミッタの歓待精神が、ムクッっと顔をもたげて行く。


「お父さん、芸を見せた方がいいのかな……?」


 エミッタは少し浮き浮きした口調で、父親に尋ねてみる。好奇心とサービス精神の入り交じった声に、ルースはため息をついて少女を地面に降ろした。

 エミッタは手にした竹籠を足元に置き、ルシェンの様子を伺った。仔ドラゴンは、大勢の観衆に驚いたように鼻を鳴らし、勝手の違う場所にオドオドしている様子。

 何事も経験だと、エミッタは竹籠を乱暴にひっくり返した。仔ドラゴンは非難の声を上げる。


 そんな乱暴な遣り取りにすら、観衆はわっと受けた声を上げる。ルシェンは立ち上がり、逃げ場が無いのに気付くと、少女のスカートの中に入り込もうと画策する。

 何しろ、竹籠は取り上げられてしまっているのだ。


「わっ、こらっ、ルシェン!」


 観衆がそれを見てどっと湧いた。エミッタはそれどころではなく、仔ドラゴンを必死に宥めつつ、待ての合図を送る。渋々と従うルシェンに、今度は竹籠からボールを取り出して放り投げる。

 ルシェンは反射的に、それを口で見事にキャッチする。愛嬌良く、その後少女にちゃんとボールを返すと、再び観衆からやんやの喝采が湧き上がった。

 エミッタは少し舞い上がっていたが、父親も拍手をしているのを目にし、さらに勢いを得る。


 披露する芸自体は、全く大した事は無いのだが。エミッタとルシェンの愛嬌の良さのためか、観衆は増える一方で、いつの間にか竹籠は人々の投げるコインで一杯になっていた。

 ルシェンはいつしか、乗り乗りだった。煌めくコインの山に鼻を押し入れ、もっと頂戴と観客にねだって回っている。ルシェンの節操の無さに、エミッタは半分呆れ顔になって父親を見上げた。

 父親のルースは、いつもの思案げな顔をして娘を見守っていたのだが。馬蹄の轟きがこちらに近付いて来るのを聞き、真顔になって顔を上げる。

 エミッタも、つられて人垣の合間からそちらを見た。


 商用道路はともかく、街の鋪装された道は、役人の許可か特別な役職の者でないと馬を走らせてはならない事になっている。そうすると、自然と馬蹄の主は限られて来る訳だ。

 観衆は騒然として途を開け、広場に入って来た騎手達を囲んで成り行きを眺めていた。騎手達は城の衛兵で、制服姿の厳めしい顔が三つ程並んでいる。

 先頭の白馬に跨がっているのは、まだ若く美しい女性だった。観衆はいつの間にか野次馬と呼び名を変えていたが、見せ物の舞台に立つのは相変わらずルース親子に変わりは無いらしい。

 ルースの強面の顔が、じっと騎手達を射るように見つめている。


「芸を見せて観衆を楽しませるのは結構ですが、許可証はお持ちで……? 申し訳ありませんが、城まで御同行願えますか?」


 エミッタは先頭の女性の素性に気付いて、もう少しで声をあげそうになった。父親が素直に頷いて、エミッタと竹籠を抱え上げ歩き出す。去って行く自分のねぐらに、ルシェンが抗議の声をあげて、勢い良く竹籠の中に飛び込んだ。

 最後の芸に、観客から控え目な拍手が起こる。


 しばらくは衛兵と罪人の一行は、静かに坂道を上って行った。ルース親子は拘束されている訳でもなく、前後を囲まれさえいなかったが、逆らう素振りは全く伺えない。

 エミッタはむしろきょとんとした顔で、前を行く白馬の騎士を見つめていた。


「……ごめんなさい、ルース、エミッタ。驚かせてしまったわね」


 周囲に人気がなくなった頃、白馬の女性がそう言って馬を降り、ルース親子に近付いて来た。エミッタがまじまじとオルレーンの顔を見て、続いて父親を見遣る。

 父親の顔が笑っているのを見て、ようやくエミッタは胸を撫で下ろした。


「この扱いじゃ、俺達はまるで罪人みたいだな……」

「だって、私だって驚いたわよ。国王があなたの滞在を知って、私に連れて来る様仰られたのは仕方ないけど……。あなた達ったら、あんなに目立っているんですもの。理由も無しに連行したら、一体どんな噂が立つかと思って……」


 ルースのからかうような言葉に、オルレーンもそう言って反論する。オルレーンはまだ若い自分の部下達に、先に城に戻っている様命令を下した。それからとうとう我慢出来なくなったのか、クスクスと笑い始めてしまった。

 エミッタはようやく納得がいって、それからつられる様に笑い始めた。驚いた後の発作のような笑いだが、途中までは本当に捕まってしまったのだと信じ込んでいたのだ。

 その割には父親の態度が堂々とし過ぎていたし、オルレーンもまるで自分達を知らないように振る舞っていたし。


「何だ……そうだったの。私、物凄くびっくりしちゃった……!」


 女性二人はしばし見つめ合い、それから再び声を出して笑い始めた。気がつくと城の城門がすぐ側にあり、エミッタは別の意味で緊張し始めてしまう。

 こんな立派な場所に、私ったら普段着で来ちゃったわ。しかも、ペットの仔ドラゴン付きで。もしかして、王様と面会したりとかするんだろうか……。

 王様に対する礼儀とか、お父さんは知っているのかしら?


 考え始めるときりのない心配事に、エミッタは不安を隠し切れず、父親の首に廻した手に思わず力を込めた。門番の衛兵達もそれは同様の様子。ルースの存在感に緊張を隠し切れず、恐ろし気な瞳でこちらの挙動を伺っている。


「そんなに緊張するな、エミッタ。国王のルドロス四世は気さくな男だぞ」


 その言葉に驚いたのは、エミッタだけでなく門番達も同じだったろう。だが、言い返す者はその場に誰もおらず、オルレーンが楽しそうに微笑んでいるだけである。

 こうしてエミッタは、生まれて始めて城を訪れる機会を得たのだった。





 ジェッカは自分の運を喜んで良いのか、悲しむべきなのか判然としないまま、薄暗い路地裏を小走りに駆けていた。自分はメリロンが縄張りの、ケチな物盗りだった筈だ。それが女ボス、パンドラの一言で、右も左も分からない街で獲物を捜し回っている。

 物盗りにとって、右も左も分からないというのは致命的だ……。今の寝床すら、地元の盗賊団からの借り物という有り様である。ジェッカをはじめパンドラに付いて来た手下達は、この数日の間、肩身の狭い思いをしていた。


 女の執念の恐ろしさを、ジェッカは今更思い知るはめになった。パンドラの鼻は、獲物にし損ねた仔ドラゴンの尻尾の一撃で骨折してしまい、未だに包帯が巻かれていた。

 自慢の顔を傷物にされ、美貌に自信があっただけに、パンドラは荒れに荒れた。その復讐のほこ先は仔ドラゴンの所有者の娘に向かい、それは完全な逆恨みだと部下達は誰もが分かっていたのだが。

 誰もそれを口にする勇気など、持ってなどいなかった。


 幸いというか何と言うべきか、獲物の親子は目立つ存在で、後を追うのは楽だった。パンドラの部下達の内数名も、一獲千金を夢見て彼女に同行を申し出て。

 何故かジェッカも、その中のメンツの一員に数えられていた。それはもう、運命と呼ぶしかないのだと、ジェッカは早い段階で悟って諦めの境地に辿り着いていた。

 そんな訳で今、彼はメリビルの路地裏を走っている。


 その運命の歯車は、ピンポイントで彼を直撃した。どのみちあれだけ目立てば仲間の誰かが発見したであろうが、とにかく最初に見つけたのは、誰あろうジェッカだった。

 そして、獲物の後ろに見たくないモノを見て、彼はやはりメリロンから出るべきでは無かったと今更ながら後悔した。街道に沿って後を追っている時も、嫌な予感はしていたのだ。

 実物を目にした時、彼は成竜から宝物を奪う冒険者のスリルを、肌で感じた気がした。


 それは、間違いなく鬼神ルースだった。ジェッカが一番よく聞いた通り名は『死神ルース』で、その響きは彼の感受性を刺激するには充分過ぎる程だった。

 足が速いのだけが取り柄の下っ端盗賊の彼と、魔神戦争の英雄とでは、恐ろしく格が違い過ぎる。間違って対面した時、どうやっても争い様が無いではないか。

 そういう事も含めて、ジェッカはありのままを報告した。


「好都合じゃねえか。有名人の娘なら、たっぷりと身代金がふんだくれる」


 そう答えたのは、ここ数日世話になってる盗賊団のボスで、コヨーテという通り名の痩せた男だった。残忍そうな顔付きで、30人以上の手下を抱えている大物だ。

 ここら辺りを取り仕切る裏社会の住人の頭は、顔付きの通りに残忍だとの噂だった。今は、もたらされた極上の情報に、嫌らしい笑みを浮かべている。

 ジェッカは絶望的な気分になった。


「あの忌々しい娘と仔ドラゴンは私の獲物だよ! 手出しをしないでおくれ……!」


 ヒステリックな声音で、パンドラがコヨーテに噛み付いた。鬱憤を晴らすように、手近な椅子を蹴りつけて、気の毒なジェッカから詳しい報告を聞き出す。

 その態度を見て、今度はコヨーテが反論する番だった。


「おいおい、確かにあんたの持って来た話だがよ。こっちも一枚噛むって前提で、人手やヤサを貸してるんだ。第一、お前等が一度しくじった相手だろう……?」


 小馬鹿にした口調で、コヨーテがそう口にした。コヨーテはパンドラ以下の盗っ人達を、田舎街で物盗り程度の活動しかしない、田舎盗賊団だと決め込んでいた。

 実際その通りなのだが、小馬鹿にされて悔しくない訳がない。


「うるさいね……! あんたは黙って人手を貸してりゃいいんだよっ!」

「そっちこそ黙りな……無策で捕まるのもそっちの勝手だが、失敗する度に向こうも警戒するんだよ。こっちはドラゴンを売り捌くコネだって持ってるんだ。一度はっきり言っておくが、この街でのボスは俺だ……分かるな?」


 むしろ優し気な口調で、だが底冷えするような声音で、コヨーテが言い聞かせるようにパンドラに話し掛けた。忌々しげな表情を浮かべはしたが、今度はパンドラは、何も言い返さない。

 嫌な男に借りを作ったと、忌々しそうに睨み付けはしたが。


「鬼神ルースの直属の部隊のほとんどは死んだが、生き残った奴は城の重役に就いてた筈だ。恐らく奴は、そこに世話になってるんだろう……。おい、2人程人をやって、張り込んでろ! 心配するな、パンドラ。実行役は、あんたにして貰うからよ……」


 パンドラはコヨーテに背を向け、今度は壁を睨み付けながら、そっと自分の鼻先に触れた。包帯の柔らかな感触に、むしろ彼女は怯んで眉根をひそませる。

 この仕返しはきっとする。あの小娘、捕まえたらただで帰すもんか……。





 そんな陰謀があるなどとは、仔ドラゴンの爪の先程も知らないエミッタは。父親の後に続いてお城の中を、上の階層へと上っている最中だった。

 緊張感に震えが来る程のエミッタは、先ほどから何とか父親に、挨拶や礼儀作法を教えて貰おうと必死になっていた。隣にいたオルレーンが、同情するようにそっと口添えする。


「目上の人に普段話しかける調子でいいのよ、エミッタ。後は聞かれた質問にはしっかり答えて、お父さんが話している時には大人しくしていなさい。出来るでしょ?」


 エミッタはぎこちなく首を振り、それなら出来ると頷いてみせる。じき、広い廊下の立派な扉の前で、オルレーンが立ち止まる。エミッタの心臓は、うるさい程鼓動を速めていた。

 オルレーンがノックをして、ノブを廻す。そこは王の執務室だった。


「ルース、鬼神ルース……! メリビルにやって来て、ここを素通りとは酷い奴だな!」


 鬚を伸ばした筋骨逞しい大柄な男が、ドアが開くなりルースに突進して来た。エミッタは驚いて、咄嗟に父親の側を離れる。二人は握手しながら互いの肩を叩き合い、友好を確かめ合っているように見え、エミッタの頭は混乱した。

 部屋の中は地味な調度品がほとんどを占め、豪華な玉座やトランペットの出迎え、目を見張る王冠すらそこにはなく、エミッタをがっかりさせた。

 現実って厳しい……。


「雑務で忙しいと思ってな。あんたも俺の事を忘れてるだろうと、気を遣ったんだ」

「忘れるものか、忘れるものかよ! お前はこの国の救世主だ。何なら、私の玉座を譲っても良いくらいだ……!」

「それはやはり、丁重に断った方がいいんだろうな……」


 二人は大声で笑い合い、再び肩を叩き交わした。オルレーンが口を挟まなかったら、そのままの調子で延々と話が進んでしまっただろう。

 エミッタは、こんな気さくな人物が王様だという事実に、かなり腰が引けてしまっていた。オルレーンがようやくの事、国王にエミッタを紹介する。

 エミッタは緊張気味に一礼。こんなに緊張した礼など、生まれて初めてだった。


「は、初めまして……エミッタ・ガーランドです。今年で10歳になります……」

「ほう、君がルースと……リーフの? いや、よく来てくれた。私と一緒に、昼食をいかがかね?」


 エミッタが父親を見上げると、小さく頷くのが見えたので、エミッタは喜んで御一緒しますと、何とかとちらずに返事をした。オルレーンが仕事で席を外すと言ったので、エミッタは少し心細く感じてしまう。

 一同は執務室の隣の休憩部屋に場所を移し、テーブルを囲んでしばらくは他愛のない話で場を和ませていた。エミッタも顔を紅潮させながら王様と何度か会話を交わし、次第に寛いで持ち前の元気の良さを発揮し始める。

 部屋の造りも、住人が和むような設計になっていて、雰囲気がとても良い感じだ。エミッタは二人の会話を聞きながら、感心して室内を観察していた。


 父親は会話の中で、王様のことをアーサーと呼んでいた。もしくは、お前とかあんたとか気軽に口にするため、エミッタは一人父親の傍若無人振りに肝を冷やしていた。

 だが、王様はそれ以上にくだけた性格のようで、仮にも一国の主導者にはとても見えない。王様は父親に、しきりに内政の重役に加わるよう薦めていたが、ルースにはその気が無いようだった。


 エミッタの観察では、王様は父親と同じくらいの年齢だった。見るからに筋肉質で、自分から動き回るタイプなのだろう。父親に比べると小柄だが、それでも身長はかなりあるようだ。

 鬚も髪の毛も見事なブロンドで、気にしてみればハンサムと言えなくもなかった。仕立ての良い服を着ているが、装飾品はほとんど身に付けていない。

 実質剛健な感じが、そこからも窺える。


 王様の存在より少女の気を奪ったのは、昼食のメニューだった。エミッタはふかふかのパンの中にちりばめられた、ビロードのような果実を見て歓声を上げ、信じられない触感のビスケットを何枚も口に放り込んだ。

 紅茶や蜂蜜酒も、贅沢過ぎる程の味わいに感じ、エミッタはため息をつく。王様というのは、なんて美味しい職業なのだろう。やっぱり万人が憧れるだけはある……。

 下らない事を考えていると、膝に上ってきたルシェンが、テーブルの上のご馳走を見て自分の権利を主張した。


「あの、済みません。この子にも昼食を食べさせてあげてもよろしいでしょうか……?」


 エミッタがおずおずと口を挟むと、くだけた性格の王様は気軽に了承した。ルースに笑いながら、冗談交じりに仔ドラゴンの出生を尋ねて来るのを忘れない。


「あれもお前の子供か……?」

「その冗談は、もう聞き飽きた。それより、レ・グリンの居所を知らないか?」

「レ・グリン……? 私はもう随分会ってないが、リゼッタなら知っているかも……」


 そろそろ会話について行けなくなったエミッタだが、レ・グリンの名前はどこかで聞いたような気がする。そう、以前に小さな村の大きな体の元傭兵が口にした名前だ!

 そう言えば、話によるとメリビルと国王は魔物達に包囲され、孤立無援だったのでは? だったら、どうやって父親と王様は知り合ったのだろうか。

 興味を惹かれたエミッタは、父親にそれとなく聞いてみる事に。


「ルースの傭兵部隊がメリロスカに集結し始めてから、私は何度も転位の魔方陣で、彼らと接触をとっていたんだよ、お嬢ちゃん。国の大事を、どこの馬の骨とも分からない連中に、私が任せっきりにする筈が無いだろう……?」


 エミッタの問いに答えたのは王様で、エミッタはそれに対して何と返事をすればよいか分からなかった。父親が辛辣な言葉で言い返し、二人はまた笑い合う。

 話題はもっぱら10年前の戦争での苦労話になって行った。エミッタが最近聞きかじった歴史上の事実もあれば、驚くような内容の裏話も多いようだ。

 エミッタは興味を惹かれ、大人しく聞き役に回る事に。


 だが、期待していた父親の活躍話は、なかなか話に出て来ない。当時の隣国の対応だとか国の情勢だとか、エミッタには良く分からない話ばかりの有り様である。

 どうやら二人は、少女の前で血なまぐさい話をするのを、意識的に避けているようだ。


「あの頃の通り名がまだ通用する程度には、腕は錆びてないだろうな、鬼神ルース? 私の方の悪評は、この10年でようやく消えたよ。『魔界の契約者』とか『堕落王』とか……」

「当然だろう。この10年来の平和をもたらしたのは、間違いなくあんたの業績なんだから。お陰で俺も、田舎で平和にきこりをしていたよ……」

「そんな事をしていたのか、勿体無い! ……だが、こういう考え方をした事はないか、ルース? 時というのは巨大な大河だ……我々総てを呑み込んで、その流れの全貌は神ならぬ身の我々には決して見る事は出来ない。10年前の契約で私がもたらした平和など、川の支流に小さな堰を作ったようなもので、それもいつまでも持ちはしない……」


 真面目顔でアーサー王が、ひっそりと語った。少しだけ前屈みになって、膝の前で手を組み合わせて。ルースは無表情だったが、かすかに頷いて話を促す。


「現に、その兆候は現れ始めてる。隣国のアクビスが、長い沈黙を破って影で動き始めたとの報告が入って来た。上位魔族ガルディアックと結んだ、相互不干渉契約も後3年で効力を失う……お前が再びここを訪れたのも、偶然ではないと私は思っているんだが」

「俺の行動など、どうでもいい事だ。魔族と交わした契約が、10年も持ったのが俺には不思議に思えるよ……」

「お前は交渉の席にいなかったからな……奴はあれでも、約束をちゃんと果たすだけの理性と外交能力は持っていた。好戦的なのは魔族の性質上仕方ないが、力が完全に戻るまでは、条約を破る事はしないだろう……」


 エミッタは何だか恐くなって、父親の膝元にすり寄って行った。冒険という言葉に憧れるものはあるが、戦争という言葉の響きは寒々しく、陰鬱で、拒絶感すら覚えてしまう。

 その話が、魔族との争いともなると、恐ろしくなっても当然だという気がする。


 娘の怯え顔に気が付いて、ルースは素早く話題を変える事に。昨夜のリットーの館で得た情報は、未だに頭の中にこびり付いて離れて行きそうに無かったのだ。

 国王から直接状況を確認するのも悪くは無い。


「そう言えば、今は難民問題の方が大変なんじゃないか、アーサー? オルレーンから聞いたが、国内に一万人を越す難民を抱えて、彼らは行き場も無いそうじゃないか」

「ああ、ルシンドル王国の内乱が原因で、戦から逃げてきた小作人が大勢な。奴隷身分の者が大半で、食わせていくのが精一杯なんだが。見殺しにする訳にも行かないので、メリビルの西の開墾を任せられないかと模索中なんだが」


 ルースはこの辺りの地形を思い出そうとして、小首を傾げる仕草。アーサー王が立ち上がり、壁に飾ってあった魔法装置を簡単な指の操作で作動させた。

 エミッタが驚いた声を上げるのに、王様は気を良くしたようだった。得意げな表情で、仕組みを解説に掛かる。要するに、地図を立体的に浮かび上がらせる装置なのだが。

 ルースはそれを覗き込み、さらに考える仕草。


「樹海に近いのが心配だが、確かに肥沃な土地を眠らせておくのは勿体無いな。ルシンドル王国ともメリビルを挟んで反対側だし、アクビスとも離れてるのはいい立地だな」

「その通り、今放出している国庫の食料は、いざという時の戦争用の兵糧だしな。アクビスに攻め込まれた時に、後ろに穀物地帯があると心強いだろう?」

「確かに、その通りだ。なる程、転んでもただでは起きないあんたらしいな。……この件の進行はリットーに任されているのか、昨夜手伝いを頼まれたんだが?」


 思案気な顔は崩さずに、ルースが国王に尋ねる。アーサー王も、つられて少し考え込む素振り。それから不意に、楽しそうな表情になって言葉を発した。

 その内容は、エミッタを心底驚かせた。


「そうだな……街を造ってみないか、ルース? そのための人材は、既に手配してあるんだが、肝心の長になる人物が見付からなかったんだよ。リットーは優秀過ぎて、手放すには惜しい人材だし。その点、お前さんならぴったりだ!」





 部屋にノックの音が響き、メイド達が昼食の皿を下げに入って来た。さすがにお城のメイド達は、訓練が行き届いており、ルースを見て悲鳴を上げるものはいない。

 もちろん、ルシェンに好奇の目を向けるものも皆無だ。


「エミッタ……退屈だったら、お城の中を見学させて貰ったらどうだ? 滅多にある事じゃないし、俺達の話よりは面白いだろう……」

「そうだな、うん、オルレーンがいい。彼女に案内させようか……おい君、この小さなレディを近衛隊長の所まで連れて行って、そのように伝えてくれ」


 アーサー王がメイドの一人にそう告げて、メイドが静かに了承のお辞儀をした。エミッタはオルレーンが相手をしてくれるなら、父親の元を離れても良いだろうと判断し、素直に立ち上がる。

 案内役が知らない人だったら遠慮しただろうが、やはり彼女は少しだけ退屈だったのだ。


 ルシェンを抱きかかえて、エミッタは下げられたお皿と共に部屋を出て行った。入れ代わりにまだ若い、自分と同じ銀色の髪の女性が、部屋に入って行くのを少女は目撃する。

 白く透き通る肌と、尖った耳を目ざとく盗み見たエミッタは、その女性がエルフであることを内心確信した。その女性は、こちらには全く興味を示さなかったが。

 エミッタは気になって、隣を歩くメイドに尋ねてみる。


「今の女の人は誰……?」

「リゼッタ様です、精霊の魔女の異名を持つ……。エルフの部族との交渉の際には、あのお方が仲介役をお勤めになります……」


 落ち着いた口調で、そのメイドが答えてくれる。余りの礼儀正しさに、エミッタは背中がむず痒くなったが。なるほど偉い人なのは分かったが、果たして父親や、顔も知らない母親の知り合いなのだろうか……。


 偉いといえば、父親にしてもそうだ。誇らしい気持ちで、エミッタは先ほどの話を思い出す。王様と仲良く話し込んでいたと思ったら、何と街を丸々1つ造るのを託されるなんて……!

 街造りどころか、出来上がった後には、そこの統治者になって欲しいとまで、王様は父親に頼んでいた。よく分からないが、多分王様みたいな仕事なのだろう。

 さっきの執務室にはがっかりだったが、考えてみれば王様にも仕事があるのだ。


 王様の仕事とは、一日中ふんぞり返って、臣下達に命令を下しているものとばかり思っていたエミッタだったが。どうやら想像より遥かに忙しいようだった。

 そう考えると、父親にはやっぱり始終あんな部屋に閉じこもって、仕事に追われては欲しくないと思ってしまう。そんな事になったら、自分と過ごす時間が減ってしまうではないか。

 きこりの仕事は、少なくとも日が落ちれば父親を解放してくれていたのだ。


 エミッタが考え込んでる内に、メイド達は何人かのグループに別れて行く。目の前に不意に現れた影に驚いて立ち止まると、メイドの一人が丁寧な口調でこの階段を降りるのだと教えてくれた。

 エミッタはお礼を言って、メイドに続いて豪華な絨毯敷の階段に足をかける。階段の途中の踊り場からは、外に出れるような仕掛けになっているらしい。

 エミッタが窓越しに覗くと、そこは空中庭園だった。


「わあ……」

「そちらは空中庭園になっております。仕事に疲れた臣下様方の、憩いの場でございます……」


 思わずため息が洩れる程、その庭園は手入れが行き届いており、それ以上に自然の活力に満ちて美しかった。数種類のバラの茂みや緑の潅木、色とりどりの花々が一つの幾何学模様となって庭園を形成している。

 細い枝振りの白樺すら目に入って、少女は驚いた。薔薇はともかく、樹木まであるなんて! 後でオルレーンと絶対ここに来ようと、エミッタは計画にチェックを入れる。

 それともここには、王様以外は入れないのかしら? だとしたら、余りにもったいない……。


 その時、窓の外で何かの光が横切った。昼の陽光の中、目立つような輝きでは無かったが、それは庭園の潅木の影を縫うように飛び回っていた。

 ルシェンが騒ぎ出し、エミッタもその光を見失わないように庭園に飛び出す。ガラス張りの扉はあっけなく開き、エミッタは夢中になって花の植え込みの間を駆け抜けて行く。

 ただ、その飛行物を見失わないよう一心に。


「ちょっと、ねえ……あなた、あの時の妖精でしょ? ねえってば……!」


 淡い光を放っている妖精と、並行して走りながら、エミッタは大声で話し掛ける。小さな妖精は少女の顔をちらりと見て、すいっと高みに飛び上がった。

 立派なお城の塔をバックに、チビの妖精は少女に向けて勇ましく啖呵を切る。


「でっかい声でわめかなくっても、ちゃんと聞こえてるわよ、この間抜けっ! アンタこそ耳が遠いの……? 私はアンタに精霊の塔に来いって言ったのよ。何でこんなトコで、呑気に油売ってるのよっ!?」


 エミッタはたじろぎ、彼女に合わせてようやく立ち止まって息を整える。腕の中で、ルシェンが騒々しく暴れていた。エミッタは仔ドラゴンを手放し、記憶を必死に探り寄せ始める。

 気難しいフェアリー、名前は確か……そう、コルフィ! 


「そんな事私に言われても知らないわ……何でお父さんに言わないの、コルフィ?」

「だって恐いモン!」


 確かにそれはそうだろう……。死んだ筈の母親から呼び出しを受けて、エミッタだって混乱しているのだ。父親が手荒な手段で、このチビ妖精から情報を仕入れないという保証はない。

 けれども自分相手なら、この生意気な妖精も気楽に喋ってくれるのではないだろうか……俗に言う誘導尋問だ。エミッタは忙しく、心の中で有益な情報を得る手段を考え始める。


「それじゃ、私が代わりに伝えてあげるから……ええと、伝言は何だっけ?」

「…………」


 コルフィは必死になって、内容を思い出そうとしているようだった。頭を抱えてクルクルと空中を飛び回り、焦ったように呻き声を洩らす。


「ホラホラ、リーファメラ様から伝言があるって……。コルフィは、その人に会った事があるの? その人はどんな……どんな人だった?」

「あったり前じゃん、そんなの! 私がユーシューだから、リーファメラ様は私に伝言を託したのよっ……! なのに何でアンタは、従わないのよ? バカ、まぬけっ、頓珍漢っっ!」


 エミッタの計略は、はかなくも無駄に散った。何より、エミッタの気の短さが、この生意気な妖精の暴言を、放っておける訳が無かっのだ。

 もう少し粘って、根気よく言葉を続ければ、あるいはもっとましな情報が掴めたかも知れないのだが。今や少女は、小生意気な暴言に怒り心頭。


「優秀なメッセンジャーなら、伝言くらいちゃんと覚えてなさいっ!」


 そう言ってエミッタは、地面で騒いでいるルシェンを抱き上げ、頭上で旋回している妖精目掛けて投げ付けた。コルフィは華麗にひょぃっと避け、見下した口調で呟く。


「ノロマな物体……羽根があるのに飛べないなんて」

「うるさいっ、余計なお世話よっ!」


 本気で頭に血の昇ったエミッタは、落ちて来たルシェンをキャッチして、再び口の減らない妖精に再び投げ付ける。口では忙しく、舌戦の火蓋を切って落としながら。

 二人の小娘は騒々しくわめき散らしながら、空中庭園を縦断して行く。


「ルシェン、構わないから飲み込んじゃいなさいっ!」

「愚図っ、ノロマッ……! そんな間抜けなドラゴン、見た事ないわ……!」

「ムキ~~~ッ! ちよっと飛べるからって、いい気になって……!」 


 気がつくとエミッタの前には、長々と頑丈な木製の柵が行く手を阻んでいた。蔦で危うく見落とす所だった少女は、ルシェンを抱えたままやむなく急停止する。

 手すりの向こうはお城の外堀で、建物3階分の高さとなっている。覗き込んだエミッタの真下一面には、暗く淀んだ水が張られてある様だ。

 エミッタはもう少しで、その中にルシェンを投げ込む所だった。


 妖精のコルフィは、追う手段を失った少女をあざ笑うように見つめていたが。しばらくして何を思ったか、すぐ側の開かれた窓に飛び込んで行った。

 それを視認したエミッタは、ラストチャンスとばかりにその窓へルシェンを放り込む。やる気満々の仔ドラゴンも、翼を振り絞っていっぱしに獲物を狙う仕草。

 窓までの距離は、目視では約3メートルちょっと……!


「……よし、やった!」


 ルシェンの小柄な体躯は、首尾よくその窓に吸い込まれて行った。仔ドラゴンの鳴き声と見知らぬ男達の怒声、何かが壊れる音が部屋の中から聞こえて来る。

 エミッタは耳をこらして、事態の成り行きを知ろうとした。


 コルフィが窓から姿を現したのは、それ程後の事ではなかった。何か瓶のような物を抱きかかえて窓から出て来た妖精は、すぐ側で様子を見守っていたエミッタの元と言うか真上に、一直線に飛んで来る。

 完全に無事なその姿に、エミッが文句を言ってやろうと見上げると。コルフィは待ち構えていたように、盛っていた瓶の中身を眼下の少女目掛けてぶちまけた。

 その瓶には、真っ黒なインクがたっぷり入っていた…………。





「それじゃあ、先程すれ違った子供がリーファメラの娘だったの……? 小汚い格好だったから、全然分からなかったわ」

「うむ、いや……何だか庭園が騒がしいな。……ああ、お前の子供が虫を追いかけてる」


 ルースは一度窓を見遣り、それからすぐに冷たい美貌のエルフの女性に向き直った。射るような視線で睨み付け、その態度は決して友好的ではない。

 アーサー王、ルドロス四世が良く分からないフォローを入れたが、部屋の空気は冷える一方。


「俺の子供だ……放っておいて貰おう」

「リーファメラの子供でもあるわ……つまり、私達エルフ部族の子供でもある。私は、あなた達の結婚には反対だった……」

「そんな昔の事を今更言っても、詮無いだけだ。元気で利発そうな、明るい子供じゃないか……? 何より、父親似でなくて良かった!」


 リゼッタが無言で頷き、その場の空気はさらに冷え込んだ。王様は身じろぎして、今のは笑うとこだろうと隣のルースを肘で突つく。

 ルースは無視して、リゼッタに質問を投げ掛ける。


「確かに昔の出来事を根に持っていても仕方がない……。おかしな妖精を送り込み、リーファメラの名を語って俺を誘き寄せたのはお前か、リゼッタ?」

「……何の事? 覚えのない事で非難されるのは心外だわ。第一、私達サラーン部族はあなたに用など一切無い」


 アーサー王がポンと手を叩いて、思い出したように口を挟んだ。


「そうだ、その妖精なら、一月ほど前に空中庭園で遇ったぞ? 鬼神ルースの居所を知りたいと言うから、リットーを紹介してやった。そう言えば、私の伝言は届いたかな?」

「いいや、聞いてない……」

「そうか……いや待てよ。そう言えばあの妖精、レ・グリンがどうのと口にしていたな……。リゼッタ、レ・グリンが今どこにいるのか知りはしないだろうか?」


 白銀の髪のエルフは、眉間にしわを寄せ、話の流れに疑問を投げかけていた。妖精一匹の行動で、彼らが色めき立つ理由が、リゼッタには分からなかった。

 それでも彼女は、優位に立つ事を前提として、知り得る情報を国王に語った。正直に。


「教えてあげる代わりに、後でリーファメラの子供と話をする機会を、私に下さらないかしら……? 彼は随分前から、精霊の塔でまどろんでいる筈よ。そう、随分前から……」





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