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♯02 新しい家族


 それから二日が経過して、荷馬車の旅は順調にその距離を稼いで行った。天候は穏やかな日が続いており、春の暖かさも日増しに強く感じられて来ているようだ。

 山道もだんだんと緩やかになって来ており、馬達への負担も軽くなっていた。急な山脈の峰は、今となっては馬車の後方に幅広く存在するのみ。

 山々は、春の装いをようやく見せ始めているところだった。


 春の日ざしの暖かさも手伝い、エミッタとルシェンは馬車の上でうたた寝するのが日課となっていた。単調な荷馬車の車輪のガタゴトと進む音が、余計にエミッタを夢心地へと誘っている。

 その音が突然止んで馬車の止まる気配で、エミッタは眠りから覚めた。まだはっきり覚醒していない彼女の瞳に、建物のひさしが飛び込んで来る。

 

「……もう着いちゃったの?」

「ここはリ・シェという街道の市場じゃよ、お嬢ちゃん。旅人のための店が何件かあるだけで、そんなに多くの人が住んでいる訳じゃない。まだ昼過ぎじゃが、今日はここに宿を取ろうかの」


 寝ぼけた口調のまま、誰にともなく尋ねるエミッタ。父親の姿を無意識に探すが、ルースは既に馬を降りて、こちらに近付いて来るところだった。

 近付いて来たルースは、御者台から娘を抱きかかえ、地面に降ろしながらヘンデル爺さんと話し合う。どうやらここでの滞在と宿泊は、前もって決めてあったらしい。


「宿を取るのは任せていいか、ヘンデルじいさん? 俺はこれから、剣の磨ぎ直しと、馬の蹄鉄替えをしなきゃならん。エミッタはどうする?」

「じゃあ、私も付いてく!」


 エミッタがそう言って歩き出そうとすると、御者台に取り残されたルシェンが抗議の声をたてた。翼をはためかせて飛び下りようとするが、どうやら恐くて出来ないらしい。

 それを見たルースが、優しく抱えて娘に手渡してやる。


「なっさけないなー、アンタそれでもドラゴンなの? まぁ、まだ子供だから仕方がないか……」


 エミッタはそう呟きながら、父親の後を追って歩き出した。父親に手綱を引かれていたエルドラーンが、こちらを見て馬鹿にしたようないななきを上げる。ついむっとして、巨体の黒馬を睨むエミッタ。

 建物は街道沿いに、おもむろに軒を並べていた。それぞれに賑やかな形の看板が、目立つように飾られており、エミッタの興味を引く。


 人通りもそこそこで、どうやらヘンデルじいさんの荷馬者隊の他にも、客となる旅人がいるらしい。宿はちゃんと取れるのかしらと、エミッタは余計な心配をしてみたり。

 ルースはまず、鍛冶屋の店の前で立ち止まった。外にいても何とも騒々しい、鉄を打つ音が響いてくる。独特の臭いと熱気に、エミッタは多少たじろいで、父親を見遣った。


「あ、あんたうちに何か用か……?」


 突然、半開きの店の扉越しに、若い男がルースに話し掛けて来た。金物がびっしりと並ぶ、小さな店の中で死角になっていたらしい。

 エミッタはびっくりしてルシェンを落っことしそうになったが、その男もルースを見て驚いているようだった。


「剣の磨ぎ直しをしてもらいたい。親方は中か?」

「あ、ああ……あんた傭兵か何かか? 素性のわかんねえ奴を中に入れる訳には……」


 若者の言葉が終わる前に、ルースはその巨体を既に店の中に滑り込ませていた。エミッタもかなりむっとしながら、堂々とした足取りで父親の後に続く。

 若者は仕事で鍛えた立派な筋肉を持っていたが、ルースの前ではひよっ子にしか見えない。


「お、おい。あんた……」


 身体を張って止める度胸もなく、その若者はルースの背中にか細い声を掛けるのみ。エミッタは振り返りながら、取り敢えず若者に向かって苦言を口にする。


「何よあんた、失礼ね。こっちはお客なのに! 因縁つける暇があるなら、しっかり店番してなさいよっ!」

「……どこでそんな言葉遣い覚えたんだ、エミッタ?」

「ターフおばさんからよ。私達、そんな言葉遣いでしょっちゅう喧嘩してたんだから」


 ルースがあきれ顔で振り返って聞いて来た。得意げな娘の向こうで、若者が立つ瀬ない表情を浮かべているのが見え、ルースは多少同情を覚える。

 仕事場は倉庫を挟んで、その次の部屋だった。音と熱気、それらをひっくるめた、とにかく凄まじい喧噪が五感に降りかかって来る。

 そこでは、大きなかまどを中心に、四人の男が汗だくになって働いていた。


 中年の筋肉質の男が、すぐにルース親子に気付き近寄って来た。顔は煤で汚れており、剥き出しの肌は炎焼けで赤茶色に変色していた。職人気質の鋭い目でちらりとルースを一瞥し、挨拶のつもりかコクリと小さく頷く。

 その後その視線は、ルースの背中の大剣で長い時間止まっていた。


「急ぎの仕事かい?」


 どうやら親方らしいその男は、煙でやられた嗄れた大声で、ルースにつっけんどんに尋ねて来た。手のひらで汗を拭いながら、思い出したようにタオルで拭い直す。

 茶目っ気たっぷりに、親方はエミッタに笑い掛ける。エミッタも驚きつつ、笑い返して見せた。


「今は成り行きで、ヘンデルじいさんの護衛をやっている。明日の朝発つそうだから、それまでに仕上げてくれればいい。この剣の磨ぎ直しを頼みたい」


 ルースはそういいながら、背中の大剣を外し、親方に手渡す。親方は早速大剣をさやから外し、刃並びを確かめようと、いろんな角度からじっくりと眺め始めた。


「こりゃいい刀だ……。見た目以上の重さだな。長い事使ってないが、手入れはしてたようだな。大丈夫、夕方には終わってるよ。腰の刀はいいのかい?」

「これは魔剣だから必要無い。だがこれも頼もう」


 言われて受け渡された懐刀を作業台に置いた後、親方は興味深そうにルース親子を改めて見遣る。


「用事が他にある。剣は夕方引き取りにくるが、代金は前払いがいいか?」

「そうさな……その腰の魔剣とやらを、少しでいいから拝ませちゃくれないか? そうすりゃ、小刀の代金はまけてやってもいいんだが」


 急にエミッタに見せた人懐っこい笑みを浮かべて、親方がそう切り出して来た。いつの間にか他の鍛冶職人達も作業を休んで、見物にと集まっている。

 その男達の顔が、皆期待に満ちているのを見て、エミッタはあきれ顔になる。


「見せるだけなら、別に構わないが」


 ルースはそういって、腰の長剣をすらりと抜き放った。周りから、ため息に似た歓声が沸き上がる。淡い魔法の光を帯びた魔剣は、芸術品ですらあった。

 盛り上がる男達をよそに、エミッタは独り冷めていた。何で大の大人達が、刀の一本や二本でこんなに盛り上がれるんだろう? 

 何となく目をそらしたのは、子供の頃あの剣を抜いて、悪戯していた所を父親に見つかり、思いっ切り叱られた思い出のためでもあったのだが。

 気がつくと騒ぎはおさまっていた。父親は既に出口に立って、エミッタを促していた。


「これから馬の蹄鉄替えに行くが、エミッタはどうする?」


 エミッタは少し考え、こっちの方が面白そうだと判断を下す。エルマはともかく、エルドラーンは父親以外の人間に触れられるのを極端に嫌っており、そのため些細な世話から何から、ルースがいないと始まらないのだ。

 蹄鉄替えなどの作業も大変根気のいる仕事になるのを、エミッタは身を持って知っていた。


「私、ここで仕事を見ていていい?」

「こっちは構わねえよ。別に壊れもんはねえけど、お嬢ちゃんが怪我しちゃいけねえから、ほっつき歩かねえでくれれば」


 父親が尋ねる前に、親方の了承が返って来た。ルースは軽く頷くと、出口へと消えて行く。エミッタはルシェンを抱えたまま、取り敢えず用心しながらあちこち観察して回る事に。

 これ程大きな鍛冶屋は、エミッタの村にはなかった。様々な見慣れない機具が、整然と並べられており、男達がそれを使って何やら作業をしている。

 出来上がるのは釘のような小さなものから、包丁や鍬の刃などの日常品まで様々のよう。


 邪魔にならぬように、狭く熱気と喧噪に満ちた作業場を移動していると、先ほどの親方が父親の刀を磨ぎ始める所だった。真剣な目付きが、格闘を始めるように刀剣に注がれている。

 エミッタは、親方の手元が影にならぬよう注意して、仕事を盗み見る。


「仕事が見たいんなら、その椅子に座りな、お嬢ちゃん」


 親方にすすめられた、やけに脚の低い椅子に腰掛け、エミッタは父親の大剣が磨ぎ上がっていくのを見ていた。滑らかなリズムで、磨ぎ石が左右に動いていく。


「この水は特別でな、刀を磨ぐのにちょうどいいんだ」

「ええ、そうみたいね。ここの水も炎も、とっても働き者だわ。凄く騒々しいのは別にして」


 エミッタは親方に聞こえるように大声で喋った。


「ああ、お嬢ちゃんはそういうのが視えるひとかい。そういやあ、耳がとんがってるな。儂の知り合いにも、妖精族の者がいるよ。ドラゴンの子供なんか抱えてるのも、それで説明がつくなぁ。北国の辺境には多いそうだが」


 親方は笑いながら答える。エミッタは慌てて耳を隠したが、もう後の祭りだった。父親に言わせれば、それは母親譲りなのだそうだが、彼女にとってはただのコンプレックスに過ぎなかった。


「あんた達は親子なのかい? ひょっとして父親の名前は……」


 親方は何かを思い出すように、宙をあおいだ。エミッタは憤然として答える。


「ルースよ、ルース・ガーランド。おじさん、知ってるの?」

「鬼神ルースか! がっはっはっ、道理でただ者じゃない奴だと思ったよ。しかし、あんなに若いとはな。しかも子持ちと来たもんだ!」


 愉快そうに笑い出した親方を、エミッタはもとより、作業中の若い男衆全員が、あっけに取られて何事かと見守っていた。作業場の炎が、驚いたように踊るように揺らめいている。

 親方の笑いはそれでも止まらず、しばらくは止みそうになかった。



 喧騒にまみれた鍛冶屋の仕事場を後にして、エミッタは心底ホッと息をついた。夕方の近付いた通りは先程よりも人が増えており、夕方の活気に満ちていた。

 取り敢えず新鮮な空気を吸い込み、騒音でおかしくなった鼓膜を休ませる。それからルシェンを地面にほうり出し、ゆっくりと伸びをする。仔ドラゴンは、抗議するようにエミッタを仰ぎ見た。

 その後でエミッタは、やたら疲れた足取りで、宿と思しき方へと向かい始める。親方という人は、悪気はないのだろうが、相手をしていて疲れる性格だった。


 あれから親方は有名人に会った記念に、ただで仕事を引き受けると言ってくれた。砥ぎが終わり次第、宿の方に剣を届けるとエミッタに約束してくれたのだ。

 エミッタは何と答えて良いか分からずに、父親に知らせておくとだけ答えて、鍛冶場を後にしたのだった。


 通りに一軒しか無いという宿は、すぐに見つかった。入り口から眺めると、一階は食堂兼酒場で二階に幾つかの宿部屋があるという造りらしかった。

 食堂に父親の姿は見つからず、エミッタは一人で入るのが躊躇われたので、入り口で待つ事にした。


 ルシェンの相手をしながら時間を潰していると、程なく父親が現われた。建物の裏側から、濡れたタオルを持ってこちらにやってくる。

 昼間と違う服に着替えているのを見、エミッタは自分の想像が正しかったのを悟った。


「お父さん、大変だったみたいね」


 エミッタは父親に、ねぎらいの声をかけてから、鍛冶屋の件を報告した。ルースは軽く頷いてから、酒場へと娘を連れて入って行く。

 階段を上り切った時、ルシェンが二度目の抗議の声を上げた。


「あんたってそればっかりね……」


 足が短いので段差の苦手な仔ドラゴンを抱えてやる。自分もひょっとして、子供の頃は迷惑ばかりだったのだろうかと、嫌な想像をしてしまうエミッタだった。



 次の日はあいにくの曇り空だった。雨の降る気配はまだ無いが、鉛色の雲は空の広範囲を覆っている。ヘンデルじいさんの話では、山の方では降り始めているそうだ。

 荷馬車隊の出かける準備は既に整っていた。馬車から荷物を下ろした訳ではないので、馬を馬車に繋ぐだけの作業である。

 国境越えの隊は、どうやら自分達だけのようである。他の旅人達は既に朝早く出かけていたり、天候を見て出発を見合わせたりしていた。


 荷馬車のいつもの席に既に座って、宿街の朝の様子を眺めていたエミッタは、昨日の鍛冶屋の親方が見送りに来ているのを見つけた。ヘンデルじいさんと顔見知りのようで、何やら真剣に話し合っている。

 父親はまだ機嫌を損ねているエルドラーンと、荷馬車隊の先頭に立って出発を待っていた。エミッタは自分の足下にどくろを巻いて座っているルシェンを見て、この子はまだ手のかからない方だと、妙に納得した気分になっていた。


「待たせたね。出発しようか」


 ヘンデルじいさんが戻って来て、隊の皆に声をかける。エルドラーンが待ちわびたように、駆け足で進み始めた。


「鍛冶屋の親方と、何を話していたの?」


 動き出した荷馬車の御者台で、手綱を握っているヘンデルじいさんに、エミッタは好奇心から尋ねてみた。大人の話しには首を突っ込まないようにしているエミッタだが、今日は隊の皆がぴりぴりした雰囲気なのが妙に気にかかる。


「いやなに、昨日も宿屋の者に聞いたんだか、つい二、三日前まで、王国の兵隊が国境付近に在駐してたそうじゃよ。つまり、最近とくに盗賊の被害が多いんで、討伐隊を国王が出したらしいんじゃ。そういう時期じゃから、道中気をつけろという事じゃ」


 心なし青ざめながら、ヘンデルじいさんは語り終えた。それから懐に手を入れ、青く光る小さな石を取り出した。それをエミッタに渡して、親方からの預かり物だと言った。


「市場から離れたら渡してくれと頼まれたんじゃよ。遣いに出した若いもんが、ルースさんから刀の磨ぎ代を結局貰ってしまったんで、代わりにお嬢ちゃんにこれをあげたいと言っておったよ。何でも水の精霊が宿った石じゃそうな」


 エミッタは最初ぽかんとしていたが、次第に事態をのみ込むと、そういう事かと納得した。つまり、自分にも親方の好意を突っ返されないために、わざわざヘンデルじいさんに頼んで、リ・シェの市場から離れた場所で渡してもらいたがったのだ。

 エミッタは何だか可笑しくなって、思わず独り含み笑いしてしまう。そういう変に気の利いた心遣いは、エミッタにも覚えがあった。

 よく彼女の父親が、そういう事をエミッタに対してするのだ。


 エミッタはその貰い物と気配りに気を良くし、午前中ずっと清浄な冷たさを発する石の感触を楽しんでいた。ヘンデルじいさんの話していた盗賊の話は、きれいさっぱり忘れていた。不意に父親が馬を止めて、警告を発するまで。


 その気配を最初に感付いたのは、エルドラーンだった。正確には、離れた場所から発する、自分と同じ獣の臭いに気付いていたのだろう。しきりに首を振って、警戒をあおる。

 程なく道路に、障害物がばらまかれているのが見つかり、荷馬隊は停止を余儀無くされた。護衛役の若者達は、ルースの指示に従って、何かにせかされるように岩や丸太を退かせ始めた。


 奇声が上がったのはその時だった。10人余りの馬に乗った荒くれ共が、丘の斜面から駆け降りて来る。リーダーらしき髭面の男が、群れの中心で手を振ると、馬に乗った男達は荷馬隊を囲むように散会する。

 ルースはその時には既に大剣を抜いており、エルドラーンはやる気満々だった。つけ直したばかりの蹄鉄を高らかに鳴らして、山賊の群れの中に矢のようなスピードで飛び込んでいく。


 ルースがエルドラーンの走路を反らして、斜に突っ込んで行く動きを見せた。最初の激突で山賊の二人程が落馬して、エルドラーンの蹄の犠牲になった。ルースは片腕で、その衝撃に何とか耐えた後、無造作に近くの敵に剣を振り下ろす。

 山賊の頭らしき髭面の大きな体格の男が、異変に気付いて振り返った時には、既に半数の手下が馬上から姿を消していた。山賊の頭は、明らかに顔色を変えて戸惑っている。

 落馬した男達は、うめき声を上げているのはいい方で、ほとんどが絶命していた。


 その元凶が馬首をこちらに向けるのを見て、山賊の頭は戦慄を覚えたようだ。死神が黒い大きな馬にまたがっている。手に持っているのが、大鎌でなく大剣なのが不自然な程だった。

 部下達もそう思ったのだろう、手にした武器を捨てて、一目散に散り散りの方向へと逃げてゆく。それを見た瞬間、山賊の頭の恐怖は、怒りに取って代わった。


 蛮刀を手に、その山賊の頭は邪魔者に切り掛かっていく。怪力には自信があった。その剣先が、いとも簡単に跳ね返されるのを感じ、男は自分の血の気が引く音を聞いた。

 次の瞬間、黒馬の体当たりで、バランスを崩したところに衝撃が襲った。山賊の頭は頭からぶざまに落馬した後、自分もやはり逃げるべきだったと、後悔しながら気を失った。

  

 エミッタはハラハラしながら、事の成りゆきを見守っていた。父親の強さは信じて疑わなかったが、相手が多すぎるような気がしていた。

 残りの護衛達は作業を中断し、取りあえず武器を手にしたものの。馬で応援に駆け付けた方が良いのか、この場に留まり荷物を死守した方が良いのか、判断をつけかねていた。


 だが、ほとんど一瞬のうちに、その激しい戦闘は終わっていた。山賊の群れは散り散りになり、最後の一騎討ちもたった一太刀で決着がついててしまう。

 荷馬隊の人々から歓声が上がり、ルースは気を失った山賊の頭を引きずりながら戻って来た。エミッタは父親に抱き付こうとしたが、エルドラーンが歯を剥いて少女を威嚇したので、近付く事すら出来なかった。

 興奮すると、父親でも持て余す気性の持ち主なのを知っているエミッタは、憤慨しながらも父親の無事を天に感謝する。


 ルースは黒馬をあやしながら、すぐにも出発するようヘンデルじいさんに頼んだ。ぐずついた天候は相変わらずだが、自分の馬の性格がそれより厄介なのをルースは承知していた。

 取り敢えず運動をさせないと、何に当たり散らすか分かったものではない。


 一行は程なく進み始め、山賊の頭と言う荷物が増えた割には、その歩調は朝にくらべて軽快な程だった。荷馬隊に何が襲い掛かろうと、最強の護衛が付いていると言う安心感が、隊の皆に芽生えたためである。

 しばらく行くと、森の木々がまばらな生えようになって来た。やがて小高い丘を一つ超えた辺りから、山の景色は不意に終わりを告げた。


 人の背丈より高い木はほとんど見えなくなり、なだらかな平地に沿って馬車用に整備された道が続いている。枝道もしばしば見受けられるようになって、馬車は一番大きな道を進んでいるようだった。

 エミッタはヘンデルじいさんに尋ねてみる。余りにも唐突な景色の変化に、少女は少々面喰らっていた。


「もう国境を超えたの?」

「ここはまだ、アザーランドの外れじゃよ。川を超えて、もうすぐ行けば関所が見えてくるよ」


 ヘンデルじいさんは、エミッタにそう答える。ここまで来れば、怪物や山賊の類いが襲ってくる事は、まず無いと言う。エミッタは安心して、先頭を行く父親を見遣った。


「ルースさんが護衛を引き受けてくれて、儂らも命拾いしたよ。こりゃあ、ボーナスでも払わんといかんなぁ」

「お父さんはあんまりそういうの、好きじゃないみたいよ。でもお酒は大好きだから、街に着いたら奢ってあげれば?」


 エミッタの言葉に、ヘンデルじいさんはにっこりして頷いた。しっかりした娘だと改めて感心し、同時にルース親子の愛情の深さを知る。


「まあ、どちらにせよ、後ろの荷物を兵隊さんに引き渡せば、国から褒美を貰えるんじゃなかろうか。ほれ、見えて来たよ、エミッタちゃん」


 かなり急な流れの川が、確かに目の前を流れていた。意外に幅もあり、そこに馬車がなんとか通れる位の古い掛け橋が、でんと掛かっていた。

 一行がスピードを緩めてそこを渡り切ると、小さな関所が門を閉じて待っていた。エルドラーンが不機嫌そうに鼻を鳴らす。門といっても丸太の束が三本、横に通してあるだけである。

 エルドラーンの得意の体当たりで、簡単に吹き飛びそうだ。


 衛兵は、その巨大な馬と乗り手に驚いたのか、何か言いたそうにして口を噤んだ。ルースが代わりに言葉を発する。


「先ほどの戦闘で、この馬は気が立っているんだ。門を壊される前に開けてくれないか」


 ほとんど脅しに近い文句だが、衛兵は素直に従う。関所に詰めている衛兵のほとんどは、今巡回に出ていていないという事実が、彼らを素直にしていた。

 ルースが簡単に通り抜けた後を追うように、ヘンデルじいさんの荷馬車隊も国境越えを果たした。国から発行してもらった隊商札を見せて、土産にルースが捕らえた山賊の頭を置いて行く。

 取りあえず今夜泊まる予定の街と、簡単な事情を告げると、ルースに追い付くため荷馬車は飛ぶようにそこを立ち去った。


 夕方には、ソーロンという小さな街に辿り着き、一行は久方振りに羽をのばした気分だった。皆が一様に明るい雰囲気で、今日あったルースの武勇伝をお互いに話し合っていた。

 エミッタもルシェンを抱えて、馬を降りた父親にやっと近付く事が出来た。


「お父さん、お疲れさま。どこも怪我しなかった?」

「俺は大丈夫だ。それより恐かったか?」


 ルースはいかにも消耗した様子で、娘の頭を軽く撫でた。エミッタには、その消耗が昼間の戦闘ではなく、エルドラーンと折り合いをつけるための物だと分かっていた。

 父親はこのとんでもない相棒と、10年以上愚痴もこぼさず、辛抱強く付き合って来たのだ。


「今日は早めに休んだら、お父さん? 泊まる宿分かってるから、お風呂と食事、用意出来るか聞いてくるね」


 エミッタはルシェンを父親に預けると、ヘンデルじいさんと一緒に、今夜泊まる予定の宿の中に入っていった。ルースは腕の中で大人しくしている仔ドラゴンに、何やら言いたげな視線を送り、それから自嘲気味に笑みを漏らす。


「俺ももう年かな? お前は大きくなっても、俺の相棒みたいにはなるなよ……」


 少しずつ肌寒くなる夕暮れ時に、一日の疲労が一気に襲い掛かって来たようだ。ルースは成長した自分の娘に対して、奇妙な感慨に耽りながら、今度の旅の行く末を思った。

 若かったあの頃は、自分の最愛の人の死を受け入れる事が出来なかった。そして、娘と共に10年間過ごして来た今では、リーファメラが生きている事をどうしても信じられずにいる。

 エミッタはどう思うだろう? 自分の母親は本当は生きており、これから三人で暮らす事になるとしたら?


 エミッタは喜ぶかも知れない。確かに最初は戸惑うだろうが、あの娘は人見知りしない性格だから、すぐに打ち解けるだろう。

 だが、母親として打ち解ける事はできるのだろうか? ルースは、自分が娘と共に暮らして来た、長い10年の年月を思った。そうして培って来た、親子としての絆を。

 おそらく心配するような事はないのだろう。ルースは自分の娘に任せておくのが、一番いいと考えていた。あの娘は他人の感情を読み取って、共感するのが上手だ。

 多少短気なところはあるが。


 まだ起こってもいない事態を、あれこれ考えても仕様がない。ルースは娘が自分を呼ぶ声に我に返り、長い一日の汚れを取るべく、古い建物の中に入っていった。

 




 その日は朝早い出発になった。順調に行けば、今日の昼過ぎには、荷馬隊の目的地であるメリロンに到着するとあって、心なしか馬達の歩調も軽い。

 エルドラーンも、休息と共に既に機嫌を直していた。商隊の一行は人の激しく行き交う街道に差しかかっており、エルドラーンは自分の仕事振りを誇示するのに忙しかったのだ。

 彼は荒くれ者だが、決して怠け者ではない。


 街道の周りは見渡す限りの田園風景で、エミッタはこれほどの敷地面積の田畑を見た事がなかった。遠くの方にぽつんと大きな農家が点在しており、春先の農場はのんびりとした雰囲気を漂わせていた。


「ここでは何を作ってるの? こんなに広い畑、初めて見たけど……」


 エミッタは驚きの表情のまま、ヘンデルじいさんに尋ねる。こんなに広い農地で、一体どれだけの食料が一年を通して出来るのか、少女には想像もつかなかった。


「そりゃあパンの原料の麦から始まって、野菜やその他いろいろさ。家畜の餌、王都に納める食料、自分達が食べてゆく分までなぁ」


 ヘンデルじいさんは和やかに答えて、自分達もメリロンで、馬車に乗せた荷物を売ったお金で、食料を仕入れるのだと付け足した。

 じいさんの荷馬車隊は、二ヶ月に一度は国境を越えて、メリロンの街に食料を買い足しに訪れるのだと言う。辺境の村々に売る分まで、帰りも荷物を満載する訳だ。


「大変なんだね、商隊って。旅って面白いけど、この前みたいな恐い事もあるもんねぇ」


 エミッタは感心しながら、思わずそう呟いた。旅の間にいろいろな事があり過ぎて、エミッタは当初の旅の目的をすっかり忘れそうに。

 ヘンデルじいさんの話を聞いて、エミッタは何となく考えてみる。それぞれがいろんな理由で、それぞれの場所を目指すと言う意味を。


「おじいさんは、どうしてこんな危ない仕事をしているの?」

「そりゃあ、いろんな理由があるがね……山では山の実りしか採れないじゃろ。パンを作ったり、美味しい野菜スープを食べたいと思ったら、誰かがその材料を買いに出ないといかんのさ」


 ヘンデルじいさんは冗談めかしてそう語った。だがその話を、エミッタは感心しながら聞いていた。自分も将来、何かの役に立ちたいと無性に思う。

 とりわけ、自分の父親の役に立つ存在になりたいと思うエミッタ。


 他愛の無い話をしている内に、大きな街が見えて来た。昼を少し過ぎた時刻で、太陽がぽかぽかと照りつける良い陽気の中、荷馬隊は誰にも咎められる事なく街中へと入って行く。街の中心を通っている大きな街道は、物売りや行き交う人々でごった返していた。

 エミッタが余りのその盛況振りに二の句をつけないでいる内に、二台の馬車は大通りの角を曲がって、大きな倉庫の前で止まった。

 どうやら目的の場所に、無事に到着したらしい。


「さあ、到着じゃ。荷物を降ろしたら、今日はこのまま宿屋に直行じゃ。長旅の報いに、皆に酒でも奢ってやらんとなぁ」


 ヘンデルじいさんはそう言ってエミッタに笑いかけると、さっさと馬車から下りて男達に指示を与え始めた。エミッタは父親の姿を倉庫の側に見つけ、ルシェンを抱いて近付いて行く。

 ちょっと興奮気味なのは、先ほど見た景色のせい。


「お父さん、さっきの人通り見た? 何であんなに人がいっぱいいるの?」

「ここは交易の盛んな土地だからな。アザーランドから山の物、川を上って海の物、ここいら辺りで畑の物がこの街に運ばれて来るんだ。王都で買い物するよりずっと安く、皆が望みの物を手に入れられるから、こんなに人が集まるんだ」


 父親の説明を聞いた後、エミッタは目を輝かせて、至る所から集まって来た物について想像を巡らせる。大勢の人達の営みで、世の中が動いているイメージ。

 大通り沿いにはたくさんの出店が出ていたのを、先ほど馬車から見る事が出来たのだ。


「おじいさんの荷物も、ああやって道ばたで売りに出すの?」


 エミッタは勢い込んで、そう尋ねた。できたら自分も一度やってみたいと思いつつ。


「いや、じいさんの荷物は、この倉庫の持ち主に直接納めるんだ。売るのは、また別の人の仕事だ。何しろ出来上がるのは木製の家具や何やらで、重い物ばかりだからな」

「ふうん、じゃあ食料を買い込んだら、すぐに帰っちゃうんだ……」

「そうだな……どちらにしろ、明日にはお別れだ」


 ルースはそう言って、作業をしている男達に目をやる。縄をほどかれた、馬車に乗せられた荷物が、濃厚な樹の香りを放っている。不意に、住み慣れた家が懐かしくなる程。

 エミッタは、すぐにでも大通りを見物しに行きたくてうずうずしていた。この後父親を含めた大人達が、酒場へと旅の疲れを癒しに飲みに行くのは分かっていた。

 そうすると、自分は確実に暇になる。


「お父さん。今からその辺を見物しに行っちゃ駄目? お父さん達は、今から酒場へ行くんでしょ? 私、そうしたら退屈なだけだし」


 ルースは娘をじっと見つめて、少し考えた後言った。


「一人じゃ迷子になるだけだぞ。夕方まで二人で街を見て回ろう。酒場は逃げたりしないからな」


 エミッタはつかの間喜んだが、父親が気を利かせているのをすぐに悟った。ルースの酒好きは、エミッタの知る上で父親の数少ない娯楽だった。それを自分のために諦めさせるのは、余りにも可哀想すぎる。 

 エミッタが口を開こうとした時、ヘンデルじいさんが父親を誘いにやって来た。作業はあらかた終わったらしく、荷馬隊の男達も倉庫を後にしようとしている。

 エミッタは大急ぎで、父親をそちらに合流させようと画策する。


「ルースさん、ちと早いが飲みに行きましょう。今から皆の衆に賃金を払って、行きつけの酒場で宴会の予定ですわい」

「いや、この娘が街を見たいと言うから……」

「私は別にどっちでもいいの。ただ、ちょっと出店とか見たかっただけだから……」


 エミッタはヘンデルじいさんに目配せしながら、父親の服を必死に引っ張っていた。ヘンデルじいさんは何かを察したらしく、エミッタに笑いかける。


「ああ、女の子の買い物は時間がかかるから、ルースさんは飲みながら待ってる方がいいんじゃ? 大通りに面した酒場じゃから、エミッタちゃんが大通りから逸れなけりゃ、迷うような事にはならんでしょう」


 ルースも二人掛かりの攻撃に、やっと折れる事にしたようだ。エミッタに心配そうにあれこれと注意を促しながら、懐から小遣いを渡して来る。

 買い物などほとんどした事のないエミッタは、少したじろいだ表情を見せる。取り敢えずお金を受け取った後、大事そうにポケットにしまいこんだ。

 エミッタは父親の小言に何度も頷きながら、父親と一緒に大通りへと歩いて言った。ヘンデルじいさんが、さも愉快そうに親子のやり取りを眺めている。


 大通りへ出ると、エミッタは手を振って父親と一時の別れを告げた。父親のいる飲み屋の場所は、聞いてだいたい分かっていたし、目印代わりにエルドラーンを酒場の前に括り付けておいてくれるらしい。

 しばらくは何の目的もなく、目につく店の物や周りの建物を、エミッタは気ままに眺めて歩いていた。そして不意に、ルシェンを抱えたままなのに気付く。

 通りを行く人、すれ違う人、店の人までが、珍しそうにこちらを見ている。


父親に預けておけば良かったかもと思いつつ、今さら引き返すのも面倒だと思い直すエミッタ。それに、何より一人じゃない事に、エミッタの心は勢いづいた。


「アンタの物もなんか買ってあげるわ」


 小物を売っている出店の前まで来て、エミッタはルシェンに話しかける。ルシェンは分かったのか分からないのか、嬉しそうに尻尾をぱたぱたと振る。


「痛いってば、それは止めなさい!」


 エミッタに叱られて、ルシェンは尻尾を振る代わりに、かん高い声で一声哭いた。愛嬌のある珍しい生き物に、エミッタの後ろにはいつの間にか人だかりが出来ている始末。


「へえ、そのドラゴンは人の言葉が分かるのかい?」


 店の主人が、珍しそうにエミッタに尋ねて来る。父親と同じくらいの年だろうか、よく陽に焼けた肌に簡素な服を着込んだ、ひょろっとした体躯の男だった。

 通りで最も多い、道の端に場所を取って、品物を広げただけの店構えである。


「だいたいはね。この子に何か買ってあげたいの。いい物ある?」


 エミッタはそう言いながらしゃがみ込んで、いくつも並べられている竹かごの中を覗き込み始めた。数種類の小物が、種類ごとに分けられて並べられているらしい。

 ブローチやリボン、布製品や木製のクシや置き物もある。


「これなんかどうだい? お嬢ちゃんなら、安くしとくよ」


 店の主人はそう言って、布で出来たスカーフを取り出す。エミッタは手に取ってみて、ルシェンの首に取りあえず巻いて、笑い出した。


「あんまり似合わないわ。他に首に巻く物何か無い?」


 それから買う品が決まるまで二十分掛かり、値段が決まるまで、もう五分掛かった。エミッタは別に値切るつもりはなかったのだが、後ろにいた観客から値切りコールが湧き上がったのだ。

 人々はどうやらエミッタの事を、遠い妖精の国からお忍びで来た、育ちの良いお嬢様か何かだと勘違いしているようだった。

 ペットの仔ドラゴンの存在が、その想像に拍車をかけているらしい。


 まあ、普通の感覚の持ち主が、ペットにドラゴンを抱いて散歩などする筈がないのだが。エミッタは多少バツの悪い思いをしつつ、話の流れに大人しく従うのみ。

 散々な値段をつけられて、儲けなどほとんど無いのではと思われる店の主人だったが。最後には清々しい笑顔と共に、品物をエミッタに手渡してくれた。

 店の主人も、これは良い宣伝になったと思ったらしい。


 店の主人に別れを告げて、エミッタはその場を後にする。人だかりも散り散りになって行き、エミッタはどうやら見せ物から解放されたようだった。なおも出店を見て歩きながら、夕食の前に何か甘い物を食べるのも悪くないと考える。

 ルシェンを引き連れて、エミッタは食べ物屋を探し始めた。





 人だかりからこっそりと離れて行ったジェッカは、自分のボスであるパンドラと言う女盗賊に連絡を取るため、足早に通りを歩いていた。

 ジェッカは髪の毛の薄い痩せた小男で、この街で幅を利かせている盗賊団の下っ端だった。


 街の裏通りには、大通りにはない秘密めいた雰囲気がある。ジェッカが足を止めた一軒の居酒屋も、そこが客相手の店だとは、外から到底分からない造りになっている。

 パンドラは十中八九ここにいるはずだった。大抵夜に行動するので、今頃は丁度起きた頃だろう。見張り役の仲間が入り口に、何気なく立っていた。ボスはやはりまだ出掛けておらず、店の中にいると言う。

 ジェッカはためらいなく、店の中に入って行った。


 薄暗い雰囲気の店には、仲間が何人かたむろっていた。最近、派手な稼ぎ話が無いせいか、どことなくぎすぎすした感情をあらわにしている。

 そいつ等を束ねるパンドラは、特にそうだった。


「どうしたのさジェッカ、そんなに慌てて。何かいい儲け話しでも見つかったのかい?」


 パンドラはそう言って、椅子を傾けてジェッカを見据えた。まだ二十代後半の、どことなく妖しい色気をまとった女だ。露出の多い服装で、豊かな金髪を腰の辺りまで伸ばして、太ももに蝶とナイフの入れ墨をしている。


 ジェッカはさっき見た事を、脚色なく話しはじめた。特にあおるまでも無く、パンドラの目の色が変わる。子供が一人で出歩いている事と、その子供が抱えていたのが確かにドラゴンである事を念入りに確かめると、パンドラは素早く立ち上がって表へ飛び出して行った。

 部下達が数名、後へ続いて外へと飛び出す。


 置き引きやかっぱらいに、特に細心な計画など必要も無く、だいたいが己の役柄をわきまえていた。特に旅人や買い物客相手だと、やり方はほぼ決まっている。

 パンドラが相手の気を引いて、足の速い物、手先の器用な者が荷物を狙うのだ。


 獲物のいる方へとジェッカが先導する内に、残りの部下達は目立たない場所へと姿を消して行く。大通りへ辿り着く頃には、パンドラはすっかり指示を出し終えていた。


「ドラゴンなんて獲物、その筋に売れば一体幾らの値がつくのかねぇ。噂じゃ軍隊の大軍にも引けを取らない強さだって言うじゃないか。魔法使いが欲しがってると言う話も聞くし、こりゃ上の方にも話を通さなきゃ……」


 パンドラは、すっかり獲物を捕らえた気になって上機嫌だった。御満悦の女盗賊の横を歩きながら、ジェッカは先ほど目を付けた少女とドラゴンを抜け目なく探している。

 時間にして十分と経過してはいないので、それ程遠くへは行っていない筈た。


「……ボス、いました」

「へえ……あの娘かい」


 小さな店構えの駄菓子屋の店先で、少女は大きな造りの四角い椅子に腰掛けて、ペットのドラゴンと一緒に休息をとっていた。パンドラはそれを見てにやりと笑うと、一転して真面目な顔で少女に近付いて行った。

 さながら、獲物を狙う豹のように。


 並べられている駄菓子のほとんどが、エミッタの見た事も食べた事もない種類だった。味を想像しながらあれこれと食べている内に、いつの間にか七つ目の注文に。

 お茶を飲みながら、ちょっと食べ過ぎたかもと束の間後悔する。だが半分以上は、ルシェンの胃袋に入っているのだから、良い事にしよう。


 最初エミッタは、甘い物をドラゴンが食べるとは思ってなかった。ところが試しに一つあげてみると、ルシェンは喜んで食べるので、調子にのって二人でお腹がいっぱいになるまで注文してしまったのだ。


 ミルクを飲み終わったルシェンが、皿から顔を上げた。父親へのお土産も買ったし、そろそろ帰ろうかと考えながら、エミッタは会計を済ませる。

 ここでもルシェンの食事風景を見て珍しがる者はいたのだが。幸いにも人垣ができる程は、皆長くは立ち止まらず仕舞いで。


 大通りは依然活気に満ちており、夕暮れにはまだ時間の余裕がある感じ。お金はもう少し残っていたが、エミッタはこの街で全部使い切る気はなかった。

 やっぱりもう帰ろうと、やって来た道を振り返るエミッタ。そこに見知らぬ女の人が立っていて、不自然ににこやかな笑みを浮かべてこちらを眺めている。

 思わず知り合いだったっけと、愛想笑いを返す少女。


「おや、可愛いお嬢ちゃん。この街には観光、それとも買い物かしら?」


 親しげに話し掛けてくるその女性を、エミッタは思わずまじまじと見てしまう。どうやら初顔合わせのようだが、エミッタの田舎には、こんな派手な服装を着た女性など全くいなかった。

 髪も変な風にいじっており、むき出しの太ももには、入れ墨までしてある。


「はあ、ええと、旅の途中に寄っただけで……」


 エミッタは圧倒されながらも、何とかそれだけ答えた。さすがに大きな街となると、いろんな人がいるものだと、改めて素直に感動する。そう言えば父親の左腕にも、ドラゴンの入れ墨が彫ってあったっけ。

 そう考えると、この人もそんなに変わってはいないのかも知れない。


「そう、長い事ここに滞在するの?」

「いいえ、明日には出発すると思いますけど」


 エミッタは愛想よく答える。向こうも何だか愛想がいいので、自然と口調を合わせていた。だがその女性の目が、食い入るように自分に注がれているのは何故だろう?


「買い物は終わったみたいね。そうだ、船着き場へはもう行ってみた? たった今、丁度港町から船が入ったところよ!」

「へえ……」


 エミッタは船も船着き場も、見た事がなかった。持ち前の好奇心が、むくむくと頭をもたげる。まだ時間はあるけど、どうしたものだろうかと考えていると、その女性が彼女の肩に手をやって歩き出した。


「すぐそこだから案内したげるわ。お姉さん、この街に詳しいんだから」

「あの、でも……」


 少々強引な申し出に、エミッタは戸惑ったものの、今さら断るのも悪いと思う。そう言えば父親に、知らない人について行ってはいけないと言われていたっけ。

 やはり断って、自分一人で行こうかと思案を巡らせるエミッタ。だが何度話し掛けても、その派手な衣装の女性は立ち止まろうとしてくれなかった。

 それどころか、肩を掴んだ手に力が込められ、エミッタは半ば引きずられる格好になる。


「ちょっと、おばさん!」


 エミッタはとうとう辛抱しきれず、女性の手を強引に振りほどいて大声をあげる。既に大通りから細道に入り込み、人通りもない寂しい通りに二人は移動していた。エミッタの危機感が、だんだんと大きくなって行く。

 憎々しげに振り帰ったその刺青の女性は、もはや愛想の良さなど微塵もなかった。


 その時エミッタの死角から、何かがぶつかって来た。エミッタはたまらず尻餅をつき、小さな悲鳴をあげてしまう。痛みをこらえて目を開けると、走り去って行く小柄な男と、先程の派手な女性が見えた。

 小柄な男は、手の中に何かを抱えていた。


「ルシェン!」


 いつの間にかエミッタの腕の中から、仔ドラゴンが奪われていた。エミッタはすぐに起き上がって、男達の後を追い始める。足の速さには自信があったが、エミッタには街の地理を全く知らないという不利がある。

 前を行く二人が角を曲がって見えなくなると、少女は不安に駆られてさらに足を速めた。


 突然の悲鳴が、エミッタの耳に届いた。驚きながら角を曲がると、先程の男が地面にしゃがみ込んで片腕を押さえており、ルシェンが盛んに威嚇の声を上げていた。どうやらルシェンに噛み付かれたらしく、男の腕からは血がだくだくと流れ出ている。

 掴みかかろうとした女の鼻っ面に、強烈な尻尾の一撃を加えた後、ルシェンは不得意な歩みで少女の方へ近付いて来た。


「ルシェン!」


 エミッタはもう一度仔ドラゴンの名を呼んだ後、近付いて来たルシェンを抱え上げる。


「逃がすんじゃないよ!」


 不意に女が叫び、エミッタはハッとなって辺りを伺う。いかにも柄の悪そうな男達が、一人二人と路地から出て来るのを見て、エミッタは素早く走り出した。

 大通りへと向かいたかったが、捕まらないよう細い路地を走っている内に、方向感覚が怪しくなって来る。追う方も必死なのか、エミッタが後ろを伺う度に、男達の数は減るどころか5、6人にまで増えていた。


 エミッタは泣きそうになりながら、何度目かの路地を勘を頼りに曲がった。不意に景色が開けて、大きな河の流れが目の前に広がって来る。

 人通りはそこそこあったが、エミッタは誰に頼って良いのか分からない。仕方なく川沿いに走り続けていると、前の細い路地から男達の仲間が飛び出して来た。

 不味い、挟み撃ちだ!


 エミッタはパニックに襲われ、辺りを見回してみた。逃げ込めそうな路地は近くにはなく、隠れる事も出来ない。恐怖を無理矢理押し込んで、エミッタは取りあえず川岸へと走り出す。

 河の岸辺には、船が桟橋に繋がれていた。


 エミッタはふと、良い方法を思い付いた。あの船に乗り込んで、河を渡ってしまえば良いのではないか? 幸い近くに、船の持ち主の姿はなさそうだった。

 船など乗った事も、ましてや操った事もないが、この際そんな事は言ってられない。立ち止まって考え込んだせいで、男の一人に追い付かれそうになっていたのだ。

 エミッタは息を荒げて、桟橋に辿り着く。河の水の匂いが鼻孔をつき、エミッタを少し落ち着かせた。だが、船を停めてある綱を外して、河に漕ぎ出す時間は作れそうになかった。

 不意に、エミッタはポケットの中の石を取り出す。


 それは鍛冶屋の親方にもらった水の精霊石だった。船着き場の水の豊かさに感応するように、その石は青い光を放っている。石が語り掛けて来る声を、少女は確かに聞いたのだ。

 エミッタはそれをまじまじと見て、それから思い付いた笑みを浮かべ、近付いてくる男を見た。既に桟橋に足をかけ、こちらに逃げ道がない事に、勝利の表情を浮かべている。


 精霊語で水の精霊に呼び掛けると、意外に素直な返事があった。精霊語は生まれた時から理解していたが、それを使って積極的に精霊を使役した事はほとんど無かった。

 父親はまじない程度の簡単な呪文しか知らなかったし、魔法の概念を教えてくれる者が、周りに全くいなかったのだ。少女もせいぜい、日常の暇な時間に、風や炎と短い会話をする程度。

 それでも何とかなりそうな手応えに、少女は背中を押される勢いを得る。


 水の精霊石がエミッタの魔法に力を貸してくれた。突然水しぶきが上がったと思うと、それは急激なカーブを描き、桟橋の追っ手の男をまるでゴミか何かのように洗い流してくれた。

 エミッタは思わず驚嘆の声をあげる。自分にこんな事が出来るとは思わなかったのだ。


「おおっ、凄いっ! ルシェン、今の見た?」


 ルシェンはかん高い声を上げて答える。エミッタはさらに勇気が湧いて来て、次に取るべき行動をじっと考え込んだ。追っ手の大人達は、まだまだ近くにいそうな気配。

 近付く奴らを、みんな河の中に叩き落とすのは大変そうだ。何より、異物を自分の中に迎え入れるのを、水の精霊は嫌がっている。エミッタは改めて水面を観察し、しばし交渉。

 精霊語を使って、もう一度話しかけてみると確かな手応えが伝わって来た。


「おう、てめぇっ! 今、一体何をしたっ!?」


 物凄いどら声に振り返ると、数人の男達が用心深くこちらを伺いながら、少女の逃げ道を塞いでいた。さすがにさっきの出来事を目のあたりにし、用心深く少女を窺っている。

 ルシェンが負けずと威嚇の声を上げたが、エミッタにはあまり頼もしく聞こえなかった。


「さっきの人は水の龍に食べられちゃったわ。ルシェンと私をイジメようとした罰よ」


 エミッタは澄まして言う。何となく余裕が生まれて来た。男達をじっと見ながら、桟橋の端まで下がってゆくと、男達も間をつめるようににじり寄って来た。

 怖がってはいるが、逃がす気も無いようだ。


「ふざけんな、このガキ! 何が食べられただっ、こいつならここで溺れてるじゃねえか!」


 どら声の大男は、そう言って水を必死に掻いている男を指差した。どうやら、仲間を助けようという気はないようだ。エミッタは肩を竦めて相槌を打っておく。

 洒落の通じない相手だ。子供相手に、全く大人気ない。


「私、そろそろ行かなくちゃ。お父さんが心配してると思うから。あなた達も溺れたくなかったら、さっさと引き返した方がいいわよ。まだまだ水は冷たいし」

「言いたい放題抜かしやがって、このガキッ! てめえら、ガキ一人に手間取ってんじゃねえ。とっ捕まえろっ!」


 こんな小さな子供のせいで、散々街中を走り回された男達は、皆一様に頭から怒りの湯気をたてていた。我先にと悪者らしく、命令を遂行すべくこちらに殺到して来る。

 広くない桟橋の上で、男達が一斉にエミッタへと飛び掛かって来た。エミッタはルシェンを抱えたまま、大人達との距離を測りつつ、ひょいっと後ろへと飛ぶ。

 桟橋の終焉の先の、水面に向かって。


 水面までの高さは1メートルもなかったが、深さはそれ以上ありそうだった。エミッタは予定通り水面へと着地を決めて、桟橋の上でたたらを踏んでいる男達を見遣った。

 男達のほとんどは、唖然とした顔付きでこちらを見遣るのみ。次にどうするべきか、明らかに決めかねているようだった。中には水面を恐々と覗き込む者もいる。

 エミッタの使った魔法の効果は、思ったより安定していた。水の精霊との接触を確かめながら、エミッタは最後の魔法を使う。


「それでは皆さん、さようならー」


 明るく言い放って、先ほどの水の架け橋をもう一度再現する。エミッタに掴みかかろうとしてバランスを崩していた男達はもちろん、後ろで怒鳴っていたどら声の男も、一瞬の内に水の中へと放り込まれて行く。派手な着水音と、水柱が次々に上がっていった。

 エミッタはそれを見届けると、安心してその場を去ってゆく。





 ――水面伝いに、男達の溺れてもがく音を聞きながら。



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