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♯01 旅立ちの日

   


 夕暮れの太陽の光は既に尽きかけ、暗闇の支配が下界を覆い始めていた。小さな村のあちこちで、夕食の準備のためにかまどの煙りが立ち上っている。

 長い一日の、ほぼ最後の仕事。お腹をすかせた家族のために、温かな心のこもった夕食を作る事。そんな慌ただしい時間を、かまどの前でエミッタは満喫していた。


 小さな家の、小さな台所。そして、椅子に腰掛けていても見上げる程大きな彼女の父親は、台所に二脚しかない木彫りの椅子の大きい方に座って、じっとかまどの炎を見つめている。

 いつも見慣れた風景なのだが、エミッタはどこか急かされるような動きで、夕食の準備に追われていた。


「もうすぐ出来るからね」


 父親のルースにそう呼び掛けて、エミッタは細腕をフル回転させ、料理の並べつけに追われ始める。鍋の具の煮込み具合を見た後に、あたため直したパンを食卓へと運ぶ。

 10歳になったばかりにしては小柄な体に、お下げに編まれた長い銀色の髪。火の前に長い時間いたので、赤くなった頬と大きな琥珀色の瞳が、一層彼女の幼さを引き立てている。

 お気に入りのフリル付きエプロンを着ていると、彼女はまるっきりお人形さんだ。


 だが見掛けとは逆に、エミッタはじっとしている事が大嫌いな性格だった。物心がついた時から父親と二人きりの生活なので、エミッタは自然と家事の担当には慣れていた。

 今ではすっかり家の中の事は、彼女の仕事になっている。


 その家事の中でエミッタが一番好きなのが、夕食の支度だった。掃除や洗濯は、いくらやり込もうとも上達には限度があるし、工夫や創造の入り込む余地はほとんど無い。

 だが料理は奥が深い。何より、一生懸命作った料理が上手に出来て、作ってあげた相手が満足する顔が見れるのが嬉しい。


 ちなみに、彼女がどうしても好きになれない仕事は、家畜の餌やりだった。エルドラーンは自分より小さな者に対しては、とことん馬鹿にする性癖があるのだ。

 それに相まって、過去のいざこざがこの巨大な馬に対するコンプレックスを作り上げてしまっていた。あの時の激痛と怒りと恐怖は、エミッタにとって今でも忘れられないトラウマだ。

 一人と一頭の関係は、今では修復不可能である。


「手伝おうか?」

「ううん、大丈夫よ。横にずらすだけだから」


 スープが煮立ったのを見て、ルースが自分の娘に声を掛ける。低く太い声に、部屋の空気が震えた気さえする。恐ろし気なその声も、娘のエミッタには慣れたもの。

 実際、その響きは肉親への愛情に溢れている。


 父親に言葉を返しながら、エミッタは自分用の踏み台を、足で器用に場所を移した。そこで、ふと小さな物音に気付いて動きを止める。

 何かが窓にぶつかっているようだ。


「お父さん、雨かな? そんな天気には見えなかったけど……」

「いや、虫か何かだろう」


 それでも何か気になるのか、ルースはゆっくりと立ち上がり、窓に近付いてゆく。エミッタはいつも思うのだが、あんな大きな体で、ああも静かに動ける仕組みが分からない。

 父親の動きにつられて、エミッタも踏み台を降りて、窓越しに外を覗き込むようにテーブルから身を乗り出す。その目に一瞬、淡く光る燐光のようなモノを見た気がして、少女は思わずハッと息を呑んだ。

 だが、それを父親に知らせる前に窓は開かれていた。小さな侵入者の手によって。


「さっさと開けなさいよ、こっちはちゃんとノックしてんだから! 全く、長旅の報いがこれだもんね。人間はマナーを知らないから。あっ、お食事? ワタシにも頂戴!」


 小さな侵入者は、蝶のような羽をはためかせ部屋の中に入って来ると、一気にエミッタに向かってそうまくし立てた。一番近くにいるルースには、顔を向けようともしない。


「……おい」

「うわっ!? ワ、ワタシ悪く無いモン。だからこっちに来ないでよっ!」


 ルースが一声掛けるか掛けないかの内に、小さな侵入者はいきなり弱気になって、エミッタの後ろに避難する。無理もないな、と彼女は心の中で思った。

 だってお父さんの顔、見慣れた私でも恐い時あるモン。もとが掘りの深い顔に、鋭い猛禽類のような目付き。真っ赤に燃え立つように波うつ赤毛はいいとしても、左のこめかみの傷跡は不気味にえぐれていて、まるで生えていた角を無理やりもぎ取ったように見える。

 その上、二メートルを超す巨体である。


 とにかく、その侵入者が近付いて来てくれたお蔭で、エミッタはその生き物を間近で観察する事が出来た。その生き物は、口調の横暴さの割には可愛い容貌をしている。

 二十センチくらいの、羽の生えた女の子。一言で言うとそれ以外の何ものでもない。最初に見えた淡い燐光も、部屋の明かりの下では全く目立たない。


「フェアリーがこの家に、何の用だ?」


 ルースが小さな訪問者に向かって、そう尋ねる。父親の知り合いならおもてなしをしなくては、などと考えていたエミッタも、一気に拍子抜けしてしまった。馴れ馴れしいのは、この妖精の元からの性格らしい。

 なんにせよ、初めてフェアリーなるものを目にしたエミッタは、興味津々でさらに細部を観察をしてみる。幸いその飛行生物は、一箇所に飛行し続けていられる能力があるようだ。


 栗毛で色白の、美しい容姿の少女である。花びらを重ね合わせたような、かわった服を身に着けている。腕を後ろに組んで、蝶のような羽で、さ程苦もなくひとところに浮いている。

 顔付きに、ちょっと生意気そうな所は窺えるが、それすら魅力的に思えてしまう。


「へー、これがフェアリーかー」

「あんた、馴れ馴れしいわね。ワタシはあんたには何の用もないんだから。気安く話し掛けないで頂戴」


 思わぬ反論にたじろぐエミッタ。なんだか気難しい性格のようだ。間近で小さな指先をびしっと向けられ、少女に対しては精一杯偉そうな態度を取る妖精なのだが。

 エミッタにすれば、何故自分に突っ掛かって来るのか良く分からない。


「お父さんに用があるんなら、なんで私に話し掛けるのよ?」

「だって恐いんだモン!」


 大きなため息がもれる音に、フェアリーはびっくりしたのだろう。急にエミッタの視界から消え失せたと思ったら、天井の梁の上まで一瞬で避難していた。

 どうやら、思ったより素早く動けるようだ。エミッタはちょっとびっくり。


「何もしないから用件を話したらどうだ? そうすれば、みんなで食事を食べられるかも知れないぞ?」

「そ、そんなこと言って、話し終わったらワタシを食べたりしない……?」


 今度は呆れ返ったため息。エミッタは何だか可笑しくて、ついつい笑い出してしまいそうになる。もっとも、父親を傷つけないためにそんな素振りは見せないが。

 父親の料理で釣る方法は、結構良さそうだ。エミッタも優しい口調で話し掛けてみる。


「大丈夫よ、妖精さん。家のしきたりで、この台所では私が出したものしか、お父さんは食べちゃいけないことになってるのよ。名前はなんて言うの?」


 努めて冷静な話し方で、エミッタ。これ以上話をこじらせるのは無益だし、お腹も空いて来た。冷めてしまっては、せっかく作った料理も台無しだ。

 小さなお皿を、これ見よがしに食卓に追加すると、妖精もぐっと身を乗り出して来た。


「……コルフィ」

「それで、用件は何? コルフィ」


 コルフィはゆっくりとエミッタの頭上を飛びながら、何かを思い出すように額に手を当てる。彼女の視線の先には、湯気を立てているスープの鍋。

 小皿に移してやると、コルフィはとうとうそこから動かなくなった。


「そうそう、いろんな人から言伝を頼まれたんだっけ。ええっと、来月の新月の日に、精霊の塔に来るように。リーファメラ様から……これしか覚えてないや」


 その瞬間、父親のルースの顔色がサッと変わったのをエミッタは見逃さなかった。だがそれが何を意味するのか、少女にははっきりとは分からない。

 リーファメラと言う名前には聞き覚えがある気がしたが、どこで聞いたのだろう?


 エミッタが記憶の糸を辿ろうとした時、コルフィに横やりを入れられた。見ると、小皿に移してあげたスープ皿に木さじを差し入れた妖精が、その匂いに鼻をしきりにヒクつかせている。

 全身を使いながらのその作業は、ちょっとコミカルで可愛いのだが。口から出たのは、完全に命令口調の絶対君主な態度っ振り。


「そう言えば、アンタも一緒に来るようにってさ。それよりこれ、フーフーしてよ」


 


 一夜明けた次の日の朝には、コルフィと名乗った妖精はすでに姿を消していた。食べるだけ食べた後で、そのわがままな妖精は、自分だけさっさと天井の梁の上で就寝した筈だった。

 寝ぼけ眼で辺りを伺うが、父親のルースの姿もベットにはなかった。エミッタはパジャマのままで家の中をうろつきながら、父親の姿を探し回る。


 いつも父親が、仕事で出かけた時に感じる漠然とした孤独が、心の中を支配する。家の中は静まり返っており、三つしかない部屋に目を通すのに、たいした時間は掛からなかった。父親の姿はどこにもない。

 昨日のことが気に掛かっていたのは、父親も一緒だったのだろう。いつしか泣きそうになりながら、エミッタは裸足のまま外に飛び出していた。


「どうしたんだ、エミッタ」

「お父さんっ!」


 声のした方に反射的に振り向くと、大きな父親の姿があった。家の裏の空き地に置いてある、まき割り用の切り株に腰掛けて、考え事でもしていたのだろう。

 いきなり飛び出して来たエミッタに、ルースは驚いた表情を浮かべている。そのままのスピードで、エミッタは父親の広い胸に飛び込んで行った。

 それから照れ隠しに、頭をぐりぐりと胸板に押し付ける。


「くすぐったいよ、エミッタ」

「起きたらいないんだもん。一人でどこかに行っちゃったのかと思った……」


 ルースは軽く思案げな表情を浮かべ、ゆっくりと娘を抱き締める。そのまま考え事をしながらも、まだ小さな娘の不安と孤独をしばらく胸に感じていた。


「そんな事はしないよ、エミッタ。だか、そうだな……旅には出ようと思う。取り敢えずメリビルまで」


 エミッタは驚いて父親を見た。起き抜けでまだ思考がついていってないが、父親が下した決定を頭の中で、少女は時間を掛けて反芻してみる。

 つまりは、この家をしばらく留守にするって事だろうか?


「わ、私も一緒に行っていいの?」

「ああ。家の留守は、ターフばあさんに頼んでおこう。長旅になりそうだしな」


 ルースはそう言うと、娘を抱えたままゆっくりと体を起こし、家の中へと歩き出した。


「詳しい事は、旅の間に話そう。お前の足の裏を洗って、朝食をとったらぼちぼち旅の支度を始めるとしようか」

「あら、仕事から帰ったお父さんの方が、よっぽど汚れてるわ。部屋に落ちた木屑拾うの、大変なんだから!」


 素足の指先を丸めながら、バツの悪い思いでエミッタは言葉を返す。父親は、仕事として木こりと、近くの村までの荷物の運搬を半々にこなしているのだ。

 ルースは娘の言葉に肩を竦め、自分と娘の住む小さな家を眺めた。ルースが、まだ赤ん坊のエミッタを連れてこの村に辿り着いてから、二人の住居として自作したのがこの小屋だった。

 台所と、居間と寝室しかない小さな建物で、後から作った馬小屋の方が大きいくらいだが。それでもルースは、この自作の家が気に入っていた。

 故郷に戻って来て以来、剣の変わりに斧を持って、新しい小さな家族のために日々を送る事を心に決めたのだから。


「しばらく離れるとなると、少し寂しいな。この家は嫌いかい、エミッタ?」

「ううん、好きよ。ちっちゃくて可愛いし、掃除も楽だもの。長く留守にしちゃうのは寂しいね」

「そうだな……」


 この胸に押し寄せる感傷は何なのだろうと、ルースは思う。昨日の夜に十年振りに、懐かしくて愛しい名前を耳にしたせいかも知れない。 

 リーファメラ……彼女が本当に生きていたら、この娘の人生もきっと違って来るに違いない。それが良い方へ変わるのか、それとも今の平凡で幸せな生活を大きく侵食してしまうのか、ルースには見当がつく筈も無く。ただそれを見届ける義務は、父親の彼にはあるのは確かだ。

 父親としての義務だけでなく、彼女を自分の娘として育てた責任を果たすために……。   

 




 旅の支度に時間をとられた訳ではないが、出発は次の日の朝となった。その日が来てみると、エミッタは住み慣れた家を後にする悲しみと、未知の世界へ飛び込んで行く不安と気持ちの昂りをひしひしと感じていた。

 旅の荷物は実際ほんの少しで、料理道具と着替えがほとんどだった。これをエルマと言う、二頭いる馬の若い方に積んで、自分と父親はエルドラーンと言う気性の荒い方の黒馬に乗る予定だった。


 ルースは、穏やかな気性のエルマに娘が乗る事をすすめたのだったが。一人で長時間、馬に乗った経験などエミッタには無かったし、第一それでは落ち着いて話など出来ない。

 そう言って、父の申し出を一度は突っぱねたエミッタだったのだが。エルドラーンとの相性を思い出して、その意志は早くも萎え掛かっていた。


 父親の話では、エルドラーンは炎の精霊の血を引いているらしかった。父親が傭兵をしていた頃に、大切な人から貰い受けた軍馬だと聞いている。

 子供の時から世話をしているエミッタを、エルドラーンは明らかに自分より格下だと認識しているらしかった。からかい相手にされた事は今までに何度となくあり、それが苦手意識の原因でもある。


 一度は危うく大怪我になりそうな事態にまで発展しかけ、さすがにその後で父親とエルドラーンは、拳を交えての話し合いになったらしい。それ以来、悪質な悪ふざけこそされなくなったが、少女と黒馬、二人の仲が改善された訳でもなかった。

 軽くため息をつきながら、エミッタは馬小屋の前を離れて行った。この後父親が、二頭の馬に鞍付けを行う予定だった。


「エミッタ、支度はすっかり出来たのかい?」

「ターフおばさん」


 表まで歩いて行くと、家の建っている丘のふもとから、見知った顔の女性が手を振って近寄って来ていた。エミッタはいつものように、一息で丘を下って行く。

 田舎育ちなだけに、舗装されていない地面でも、エミッタの足並みは少しも揺るがない。


「ああ、エミッタ。もうすぐ発つんだそうだね」

「うん。メリビルってところまで行くんだって。おばさん知ってる?」

「ルース坊やが昔住んでいた所だったかね。なんでも、王都なだけに立派で大きな街らしいよ」


 ターフおばさんは、ルースの両親の友達だったらしく、今でも彼を坊やと呼んでいた。ルースの両親は既に亡く、ルースが子供を育てるのに、ターフおばさんは一役も二役もかっていたので、未だにルース親娘はターフおばさんに頭があがらない。

 エミッタは、いつもターフおばさんと一緒にしていた家事のあれこれを思い出しながら、鼻をつまらせた声で言った。


「そんなに遠くじゃないよね。すぐに帰って来れるよね?」

「エミッタがそんな顔してどうするのさ。心配事は、ルース坊やに任せておきな。何、二人一緒なら長旅もどうってこと無いだろうよ」


 ターフおばさんに、いつもの威勢のいい声でそう言われると、エミッタも少し元気付いて来る気がした。少しだけ元気を取り戻し、エミッタはこっくりと頷いてみせる。

 だけれど、父親の心配事の少しくらいは自分も受け持ってあげなくては。変な所で大人びているエミッタは、心の中でそう思いながら、今日の旅立ちの原因となったチビの妖精の言葉を反芻していた。

 その場面を思い出していたら、不意に質問がエミッタの口をついて出て来た。


「おばさんは私のお母さんの事知ってる?」

「何だい、突然に。いつも言ってるだろう? 私はルース坊やの両親と、ルース坊やが戦争に出てって、結婚したらしいって事くらいしか知らないよ。ルース坊やは自分の傭兵時代の事は、決して話そうとしないからね。私も聞きたくはないし」


 そう言うと、ターフおばさんはいぶかしむようにエミッタを見た。


「旅の目的と関係あるのかい、エミッタ?」

「わかんない。でも……」


 リーファメラ……その言葉が、重くて冷たい塊となってエミッタの心につっかえている。どうしてもどこで聞いたのか思い出せずにいる名前。

 自分の生まれる前の父親の知り合いなど、全く知らないという事実を、エミッタは昨日初めて気付いたのだった。


「だからそんなに考え込むもんじゃないよ、エミッタ。ほら、ルース坊やも支度が出来たみたいだね。忘れ物はないかい、エミッタ? これを持って行きな」


 ターフおばさんに渡された袋からは、いつもの嗅ぎ慣れた香ばしいパンの香りが漂って来た。他にも色々と、ゆうに十日分はありそうな食料の重みに、少女は思わずぐらついてしまう。


「エミッタ、あんたは人より発育が遅いんだから、しっかり食べてしっかり育つんだよ。それから……体に気を着けてお行きよ」


 ターフおばさんの豪快な声と笑顔も、言葉の終わりには涙声になっていた。エミッタも思わず涙ぐみ、父親に馬上に抱き上げられた時には、涙が止めどなく溢れ出て、どうやっても止まりそうになかった。

 ルースが簡潔に別れを告げる。女性陣は、涙のせいでそれ所ではなかったから。


「それじゃあ、留守を頼む。世話になったな、ターフばあさん」

「ああ、早く帰っておいで。エミッタをしっかり見ておやり。しっかりしてても、まだほんの子供なんだからね」


 かろうじてそれだけ告げると、ターフおばさんは涙まみれの顔を隠しながら、ゆっくりと二頭の馬から離れて行った。ルースが合図するまでもなく、エルドラーンは悠然と歩き出す。

 カラスのようなつややかな黒い毛並みの大きな馬は、栗毛の一回り小さな荷物を乗せた馬を引き連れて、こうしてエミッタの育った村を後にしたのだった。

 涙まみれの少女とその父親を背に乗せて、足取りも軽やかに。




 旅は順調に進んでおり、エルドラーンは気分よくその日の道のりを稼いでいた。いつもより乗せている荷物が一つ余分なのは、少し気にくわなかったのだが。それでも単調ないつもの日課から解き放たれつつあるのが、彼には雰囲気で分かっていた。

 山から切り倒した丸太を引くのは、もうこりごりだった。昔の栄光が、脳裏をよぎっては消えて行く。軍馬として、乗り手と一緒に戦った日々。自分より大きな獲物に突進して行った、あの頃の熱き血の滾り。

 それが再び訪れるという予感が、エルドラーンの歩調を軽快にしていた。


「かなり気分が良さそうだな……」

「誰が……お父さん?」


 ようやく涙も止まり、振り帰っても自分の育った村が見えないと納得出来るようになったエミッタ。馬上にも少し慣れて来た少女は、不思議そうに父親に尋ねる。


「エルドラーンがな。こいつは冒険好きなんだ……いや、荒事が好きなのかもな」


 ルースはそう言って、長年の相棒の性格を評した。そんなルース自身も、傭兵時代の服装と背中に吊るした大剣装備で劇的な外見の変化が見受けられた。強面の巨体の持ち主は、さらに見た者に物騒な評価を与える容貌になっていると言わざるを得ず。

 そのルースの巨体に見劣りしない黒馬に乗って近付けば、理性のある者なら誰でも進路を譲りそうである。


「そういえばこの馬、お父さんの知り合いに貰ったんだっけ。どんな人?」


 その質問に、父親がわずかに身じろぎしたのが分かった。エミッタの背中越しに、ためらいに似たものが漂って来る。エミッタは、息を押し殺して父親が口を開くのを待った。


「お前の母親からだ。母親の事を今まで話さなかったのは済まないと思っている。だが、その話は父さんにとっても辛い話なんだ……」


 父親の悲しみに触れてしまったのを知って、エミッタは慌てて話を変えようとした。そして、つい心に引っ掛かっていた、一番聞きたかった疑問を口にしてしまう。

 昨日から胸につっかえていた、恐らく女性の名前を。


「あっ、お父さん。そういえばリーファメラって誰の事? お父さんの昔の知り合い?」

「エミッタ……お前のお母さんの名前じゃないか。知らなかったのか?」


 父親が驚いた様子で尋ね返して来る。だが、それを聞いたエミッタもそれ以上に驚いた様子。混乱がますます渦巻く頭に、父親の言葉が拍車をかけた。


「ええっ……? だって、お母さんの名前はリーフって言うんじゃ?」

「リーフと言うのは、愛称だ。彼女の部族は近隣でも有力な事で知れ渡っていたが、その部族の中でもリーファメラの名を知らないものはいない」


 エミッタはゆっくりと、あのコルフィと名乗った妖精の告げた言葉を思い出そうとしていた。あの娘は確か、リーファメラ様からの言伝だと言っていた。

 それってつまり、自分の母親から……?


「ええっ……じ、じゃあお母さん、生きているのっ? 私てっきり……」

「いや……一度死んだ事は確かだ。ただ、前もって復活の呪文をある人物から掛けられていたらしい。彼女が死ぬ間際に、俺にそう言い残したんだ。その後俺は、その人物に会いに行った。だが彼女はいなかった。呪文は不完全だったらしい……そう言う事だ」


 ルースは淡々と、その事実を口にした。あの時のリーフの死に顔、彼女の言葉で得たわずかな希望。そしてそれが叶わなかった時の、深い絶望を思い出さないように。

 そしてその淡い希望が又、目の前にある。自分と同じような期待と絶望を、エミッタにも与えないように、ルースは慎重に娘に声を掛ける。

 

「お母さんとの事は、残らず話してあげよう。だが、この旅の目的はしっかり決めておく事にする。取り敢えず、王都メリビルに行く。その後の事は、それから決めよう……それでいいね?」

「う、うん。お父さんがそう決めたのなら、私はそれでいいよ?」


 エミッタは、スッキリしない気持ちのまま、取り敢えずそう答えた。それならば、あの妖精は嘘をついていたのだろうか。父親の話を疑う気持ちはなかったが、それでも父親が何か隠し事をしているのではないかという雰囲気を、エミッタは図らずも察してしまう。

 深く考え込むと、嫌な想像がどんどん増えて行きそうな気がして、エミッタは代わりに、父親の話す思い出話しに心をゆだねる事にした……。



 馬での旅は決して楽ではないと、エミッタはたった半日で思い知らされた。代わり映えは無いが起伏は充分ある山道のせいで、数時間も過ぎない内にその苦痛は訪れた。

 お尻が物凄く痛い。しばらくしたら、股ずれも起きそうだ。ひょっとしてエルドラーンは、わざとこんなに揺れながら歩いているのではないだろうか?

 父親にそう尋ねると、軍馬だから仕方がないと言われ、エルマに移るように諭された。


 エミッタのために、馬の速度はかなり緩められており、これ以上はどうする事も出来ないらしい。エミッタはとうとう諦めて、父親の指示に従う事にする。

 旅の初日はこうして過ぎて行った……。


  



 村を出て二日目の夕暮れ前に、険しい山道は突然終わりを迎えた。密集して伸びていた木々に邪魔され、周りの景色などまるで見えなかったのが、一気に立体的な映像で目に飛び込んで来る。

 まだまだ山道は続くのだが、遠くの景色がくっきりと見えているのは気分的にも違う。


「お父さん、山を抜けたの? ここって分かれ道になってるよ?」


 エミッタはその景色を見て、思わず大きな声ではしゃいでしまう。今日も昼過ぎから、エルマの方に乗り換え、一人での乗馬という違う気苦労と戦っていた所だったのだ。

 エルマはエルドラーンの娘だが、気性の荒さは全く受け継いではいなかった。ルースがエミッタのためにと、わざわざ乗馬用に仕込んだ馬なのだが。それでも乗馬自体に慣れていないエミッタにとって、乗っているだけでも色々と大変だし体力も使うのだ。

 ルースは迷わず左の道を辿る。緩やかな下りの山道は、整備こそされていないが、広さは十分だった。


「大きな街に出るのは、まだまだ先だな。だが道は良くなっているから少しは楽だろう」


 隣にエルマを寄せて来た娘に、ルースが説明をする。旅の道のりで、エミッタは父親から母親の事だけでなく、地理や国の情勢や様々な話を聞いていた。

 興味深い話の連続だったが、エミッタにしてみればお尻の痛さを紛らわす手段の一つ。とは言え、彼女の記憶力は大抵において素晴らしく、スポンジのような吸収力を発揮する。


「じゃあ、メルランドって国もずっと先なんだ。また今日も野宿だね」


 エミッタは昨日聞いたばかりの、この辺りの地形を思い浮かべながらそう言った。彼女の住んでいたアッシ・ガーソンの村を含め、今歩いているこの辺りは、アザーランドという、いわゆる辺境の地で、メルランドの属国扱いらしいとの事。

 険しい山脈や樹海からなる地で、小さな村が点在しており、正式な統治者はいない。


 一方、目的地であるメリビルは、メルランドの王都であり、城壁都市の異名をとる堅牢な構えの街である。人口も多く活気のある街だが、十年前の魔神戦争では、一番の激戦地であったらしい。現在の国王はルドロス四世。

 メルランドは農業や放牧、漁業と何でも盛んで、この大陸ではいわゆる大国の一つである。特に軍事力は、騎馬部隊から魔法騎士隊まで、大国を維持するには十分な力を備えており、魔神戦争で削られた国力も、既に回復しているそうだ。


 なんにせよ、景色が変わったのは嬉しい事だとエミッタは思った。下り坂も先ほどみたいな急斜面ではないし、乗馬のコツも少しは分かって来たし。

 旅というのも、案外悪くはないと、エミッタは良い方に考える事に。


「もう少し行けば、確か無人の宿泊所があった筈だ。今日はそこに泊まる事にしよう」

「私、別に野宿でも平気だよ? 昨日もちっとも寒くなかったし」


 春先とは言え、まだ夜になると冷える上に、昨日の野宿では森の中で、たき火も小さなものしか焚けなかった。それでも父親に抱かれて、二人一緒に毛布にくるまれて寝た昨日は、いつもと同じくらいぐっすり眠れたのだ。

 エミッタは、なんだか誇らし気に父親に告げる。乗馬でお尻が痛いのは別にして。


「私って、変なのかな? それとも案外、旅や冒険に向いてるのかも」

「別に急ぐ旅じゃない。張り切り過ぎずに、自分のペースを見つけるんだ」

「うん、そうする」


 それならば、とことん旅を楽しもう。エミッタはそう決めると、一定のリズムを刻む馬の足音を聞きながら、ゆったりした気分で遠くに見える景色を眺め始めた。

 父親と長話をするのは、もう諦めていた。エルマを隣につけると、エルドラーンが不機嫌になるのだ。かと言って、エルドラーンの乗り難さは、一日や二日で慣れるものではない。

 特に、荒れた地面の上では。


 しばらく進むと、不意に空き地が見えて来た。夕暮れ前の、まだ明るい広場に人の動く姿がちらほらと見える。奥の方には、宿泊施設らしい古い粗末な建物が建っている。

 どうやら先客がいるようだが、建物を使うのはもともと無料なので、早い者勝ちというものでもない訳だ。ルースはさして迷いもせずに、建物の入り口に馬を進ませた。


 大いに迷いが生じたのは、実は相手側の方だった。たった二騎で近付いて来る傭兵風の旅人を見て、護衛役の若者が数人、文字通り固まってしまっている。

 手には槍や剣を持っているが、その護衛達はぎょっとした表情を浮かべて、制止の声さえ上げようとしていない。


「怪しい者ではない。一緒に一晩、宿を使わせて貰うぞ」


 広場の中に入って行っても声が掛からないの、でルースの方から話し掛けたのだが。近くでまじまじと、ルースとその乗る馬を見た若者達は、その大きさに改めてぎょっとした様子。

 ルースの挨拶も聞こえない様。一番の年長者らしき若者が、やっとの事で震えた声をあげた。


「あっ、怪しい奴……何物だっ!?」

「こんにちはー。どこの村の人?」


 エミッタがさり気なく、両者の間に割って入ると、若者達は別の意味で驚いたようだった。今までルースの人目を引く容貌のせいで、少女が目に入っていなかったらしい。

 いち早く馬から降りたルースが、エミッタも降ろしてやろうとエルマに近付く。その動作を見て、またもや過剰に反応する護衛役の若者達が数名。

 及び腰ながらも、武器を構え直す仕草。


「おやまあ、ルースさんかい? こんな所で何を?」

「やあ、ヘンデル爺さん。この荷馬隊は、あんたのか?」


 丁度その時、建物から出て来た老人がルースに声を掛けて来た。小柄な容貌で、白髪の優しそうな老人である。旅装束が馴染んで見え、立派なヒゲも真っ白で目立っている。

 父親がそう言ったのを耳にして初めて、エミッタは荷馬車の存在に気付いた。おんぼろの建物の奥の方に、使い込まれた荷物を満載した荷馬車が、二台程止まっている。

 父親の知り合いらしい白髪の老人は、笑いながら頷いて言った。


「若いのが失礼をしたようじゃが、許しておくれ。こちらはわしの知り合いで、人手の足りない時に、木材の運搬を手伝って貰っておる、隣村のルースと言う人じゃ」


 隣村と言うにはやや離れ過ぎている距離のせいか、他に面識のある者はいなかったよう。それでも老人は護衛の若者達に穏やかな顔を向け、武器をおさめさせる。

 そしてルースを紹介ついでに、エミッタに興味深い視線を送った。


「は、初めまして。エミッタ・ガーランドと言います。お父さんがいつもお、お世話になってます」


 慣れない口調でそう言うと、老人は愉快そうに笑い出した。エミッタは赤くなって、父親を見上げる。父親のルースもなんだか、笑い出しそうな顔である。


「初めまして、エミッタちゃん。礼儀正しい娘さんだ。噂はかねがね聞いているよ。それはそうと、少しお父さんと話をさせて貰えないかな?」

「エミッタ、馬を馬小屋に連れて行ってくれないか?」


 これから大人の話が始まるのだとエミッタは察し、素直に頷きを返して二頭分の手綱を受け取る。それなら自分は散歩にでも行っていようと、頭の中でスケジュールの算段など。

 ずっと馬上にいると、自分の足での歩き方を忘れてしまいそうだ。父親に一応言付けをした後、エミッタは馬小屋目指して歩き出した。


 陽はまだ十分高く、気温もあったかである。旅の服装に借り物の弓矢を携えて、エミッタは宿泊所の裏山に分け入って行った。一応、泉へと向かう小道がある事にはあったが、エミッタはそれを途中から無視していた。

 下生えはそれ程茂っておらず、季節の花が香り高く咲き誇っている。その色と香りを楽しみながら、エミッタは気ままに歩みを進めていた。

 方向感覚には自信があったし、村の生活で木立の中の散歩は慣れっこである。


 それでもいつもと勝手は違い、念のためにと借りた弓と矢筒が重い。手頃な獲物がいれば、仕留めて帰ろうと思っていたが、先ほどから小鳥くらいしか見ていない。

 莫迦らしくなったエミッタは方針を変え、今夜枕元に置く花の輪を作る作業に専念する。 


「……あれ、今なにか光った?」


 草の絨毯の上で、花の輪づくりをしていた手を止め、エミッタは顔をあげた。夕日の反射とも思えない、何か真上から射す光が、前方の茂みに射し込んだ気がしたのだ。

 腰を浮かせ、エミッタはしばしためらう。


 特にこれといって、怪しい動きは何も無い気はするのだが。けれども、この手の予感の外れた事の無いエミッタは、茂みの向こうに潜む者の気配を、敏感に感じ取っていた。

 音を立てないように、弓矢を引き寄せる。


 不意に、茂みの青葉をかき分けて何物かが顔を出した。エミッタは悲鳴を上げて、その場から逃げ出そうとする。だが、それ以上の動きは両者とも取ろうとはしない。

 立ち上がって逃げ腰の姿勢のまま、エミッタは茂みから首を覗かせたモノと、視線を合わせていた。クリクリッとした丸い瞳が、不思議そうにエミッタを見つめている。

 好奇心丸出しの顔付きで、じっと自分を窺う二つの瞳。


「アンタ、なに?」


 思わず聞いてしまって、間の悪い思いをするエミッタ。最近、こんな事が多いなと考えつつ、つい先日の妖精の訪問を反芻してみたり。そして、取り敢えず危険は無さそうだと判断を下す。

 目の前のそれは、まだほんの子供のようだった。外見はトカゲに似ていて、既に大人のネコ程の大きさはあるが、外見や仕種で何となく分かってしまう。

 茂みから引っぱり出してみると、案の定背中に不釣り合いな大きさの羽がついていた。


「ドラゴンの子供だわ……」


 エミッタに触れられても、その仔ドラゴンは全く嫌な様子を見せなかった。むしろ、甘えた様子で、エミッタにすり寄る仕草を見せて来る。

 知能は高そうだが、何故こんな場所に独りで?


「なんでこんな所に一人でいるの、アンタ?」


 緑茶色のウロコの光沢や、子供特有の妙にアンバランスな体のつくりを見ながら、エミッタは仔ドラゴンに尋ねてみる。むろん、返事は返って来ないが。

 取り敢えずポケットに入れておいた緊急用のビスケットを与えながら、エミッタはどうしたものかと思案に暮れる。人間を全く恐れる様子も無く、少女の手から直接食べ物を貰う仔ドラゴン。

 母親とはぐれたのだろうか? ……いや待て、そもそもドラゴンって、子育てと言う概念を持っていたっけ?


 持っている知識を総動員して、エミッタはこの窮地と言えなくもない事態をおさめようとする。仔ドラゴンを抱えて、付近の捜索を一通り行った後、エミッタは厳かに決定を下した。

 この仔ドラゴンが、迷子であると言う事を。


 帰りはとにかく大荷物だった。花の輪と弓と矢筒、それに仔ドラゴンを抱え、エミッタは宿泊施設の建っている空き地へと戻って来たのだが。大人達の悲鳴を聞き、慌てて辺りを見回してみる。

 それで分かったのは、どうやら人々が自分を見て仰天していると言う事実。と言うより、抱えている仔ドラゴンに驚いている感じ。ほんの一瞬、父親の気持ちを理解したエミッタであった。

 恐れられる存在になるって、かなり悲しい。


 早めに父親のところへ辿り着こうと、エミッタは父親の大きな姿を探す。広場にその姿は見えず、どうやらまだ話し中なのかも知れない。こちらもこの迷子について、話を伺いたいのだが。

 仕方なくエミッタは、てくてくと建物に歩を進めて行く。


「頼むから、しっぽ振り回さないでよ。脚に当たって痛いんだから」


 仔ドラゴンは、どうやら周囲で騒ぐ人間に少し興奮しているらしい。しきりに、エミッタの腕の中でもがこうとする。仕様が無しに、エミッタは仔ドラゴンを地面に降ろす事に。

 一瞬の内に、辺りに人陰が無くなった。


「いらっしゃい、こっちよ」


 エミッタは先頭に立ちながら、仔ドラゴンを言葉と仕草で誘導する。のたのたと仔ドラゴンがついて来るのを見て、エミッタはにっこり笑い、建物の中に入って行った。

 建物の中は薄暗く、ろくな家具も部屋割りすらなかった。中央に大きめの火鉢が置いてあり、その周りに椅子代わりの丸太が数本。

 裏口には敷き居がしてあって、かまどと簡単な台所が設えてある。


 父親のルースは、ヘンデル爺さんとまだ話し込んでいる最中だった。中央の丸太椅子に座って、数人のグループが出来ている。奥の台所では、夕食の支度に数人が働いていた。 

 大事な話は、既に終わっているらしい。今は和やかな歓談で、それでも道中は物騒だという単語もチラホラと飛び交っている。旅人にとって、道中の安全の確保は最優先である。

 そんな話の最中に娘のエミッタが近付いて来るのに気付き、ルースはゆっくりと振り向いた。惰性でエミッタを抱きかかえようとした、その動きがピタッと止まる。

 当の娘も、何かを抱きかかえようとしていたので。


「お父さん、ただいま。あのね、散歩の途中にこの子を見つけたの」

「……このドラゴンの子供の事か?」

「ほう、ドラゴンの子供ですか。初めて見ますが、何と言うかこの……」


 他の者達のように逃げ出しこそしなかったものの、驚き顔のヘンデル爺さん。少女の足元でじゃれ付くドラゴンを、何と形容して良いか分からないようだった。

 その場は、パニックにこそならなかったものの、騒然とした雰囲気に包まれている。


「……なにか餌をやったのか、エミッタ?」

「ビスケットを少し……」


 ルースがのんびりと、既に懐いてしまった感じの仔ドラゴンを眺めながら尋ねる。近くまで来たそいつを、ルースは刺激しないでゆっくりと抱きかかえてみる。人懐っこい仔ドラゴンは、その扱いに暴れも驚きもしない。

 エミッタは、叱られるのかと冷や冷やしながら、それでも正直に答える。同時に、父親がドラゴンの事に詳しいようだと知って、内心ホッとしてみたり。

 野生動物は餌付けしてはいけないと、これは村の掟なのだが。


「精霊界から落っこちて来たんだろう。仕方ないから、メリビルに着くまで面倒見て上げなさい」

「えっ、飼ってもいいの、お父さんっ? やった、じゃあ早速名前考えなきゃ!」


 エミッタは大はしゃぎで、父親と仔ドラゴンに飛びついた。ルースはエミッタを膝の上に座らせると、仔ドラゴンを手渡して厳かに言った。


「ずっと飼える訳じゃない。ドラゴンは人間よりずっと長寿だし、長生きする程、人より賢くなるからな。だいたい、10年も経てば、牛や馬より大きくなるんだぞ?」

「じゃあ、その時は友達になればいいんだ。大丈夫よ、今から教育するから!」


 思いっ切り気楽な調子で、エミッタがそう返事をする。ルースはひょいと肩を竦めると、今度はヘンデルじいさんに向かって言った。


「そう言う訳で、騒々しい道連れが増えてしまったが……。ヘンデルじいさん、それでも俺を護衛に雇うつもりかい?」





 二台の荷馬隊を、ルースは先導する形で護衛に就いていた。よく晴れた朝の山道を、一隊は国境へ向けて進んでゆく。エルドラーンは、今日も引き続きご機嫌のよう。

 エミッタはヘンデル爺さんと一緒に、一台目の馬車の御者台に腰掛けていた。そしてエルドラーンにまたがった父親の後ろ姿を、見るとは無しに見つめていた。

 こうやって遠目で見ると、父親の姿は怖さよりも勇ましさの目立つ騎士のよう。肉親の贔屓目を差し引いても、頼りになりそうな外見である。

 そんな訳で、エミッタの機嫌もかなり良い感じである。


 少女の足下には仔ドラゴンのルシェンが丸まって、無心にこちらを窺っていた。一晩考えて決めた名前だが、エミッタはこの上なく気に入っていた。

 この人懐っこい仔ドラゴンは、よく分かっていないようだが。


「お嬢ちゃんは、旅は初めてかね? メリビルまで行くそうじゃが」


 エミッタが退屈していると思ったのか、ヘンデル爺さんが話し掛けて来た。結局、昨日依頼された時点で、護衛の仕事をルースが引き受ける事と相成って。

 その代わりに、旅慣れていないエミッタを、馬車に乗せる事に話は決まったのだった。


「ええ、そうです。おじいさん達は、どこまで行くんですか?」


 エミッタは愛想よく、表面は快活にそう答える。確かに馬車は楽だが、何となく不満が残る。父親は今仕事中なのに、自分だけ楽をしていると言う不満が。

 ヘンデル爺さんは、そんなエミッタのいら立ちを知ってか知らずか、のんびりと答える。


「メリロンと言う街まで、積み荷を届けになぁ。荷物は木材や木製品がほとんどじゃが、砂金や宝石の原石も少々ある。たいした荷物でもないが、この頃は物騒な輩が多くていかん」

「はあ……それでお父さんを護衛に?」

「いやいや、念のためじゃよ。ルースさんがかなりの使い手なのは、ここいら辺りじゃ有名じゃからなぁ」


 飽くまでのんびりと告げるヘンデルじいさんに、エミッタも少し緊張を緩める。同時に父親を誉められて、少女は目に見えて気を良くする。


「お父さんはそう言う話、全然してくれないの。戦争の頃の話とかも……。おじいさんは何か知ってる?」

「いやいや、確かにあの頃はひどい時代で、子供に聞かせるようなものじゃないね。ルースさんの気持ちも分かるから、簡単な話にとどめておこうか」


 ヘンデル爺さんはそう言うと、目を細めながら語り出した。


「あの頃はこんな辺境でも、怪物どもの被害は少なくなかったが。一番酷い激戦地じゃったのは、やはり王都メリビル周辺のようじゃったね。怪物どもが群れをなして城壁を囲み、連日血なまぐさい戦いが絶えなかったそうじゃ。正規の軍隊は街を守るので手一杯じゃから、敵の本拠地を突く事など叶わなかった。そこでルースさん達傭兵軍が各地から集い、他の種族の力を借りて、怪物の親玉を打ち取ったと言う話じゃよ」


 非常に簡潔に、ヘンデル爺さんは戦争話を語り終える。昔話風の言い様は、それでもエミッタの好奇心を掻き立てた。


「お父さんはその傭兵軍の一隊の、隊長をやってたんだって。そして精霊の一族の、姫君だったお母さんと知り合って、戦争中に結婚したって言ってたよ!」

「ほう、そしたらお嬢ちゃんは、お姫様と言う事になるのかな? どうしてこんな辺境に引っ込んでおるのかなぁ」

「お母さんが死んじゃったから……戦争の事なんて、思い出したくないってお父さん言ってた」


 エミッタはルシェンを抱き上げて、呟くようにそう言った。ヘンデル爺さんは済まなさそうな顔をして、小さな娘と父親を交互に見遣る。


「思い出させて済まなかったねぇ。儂の息子も傭兵に出たが、結局帰って来なかったよ。胸の痛みが去ってくれるまで、ずいぶん時間が掛かったもんじゃ」


 エミッタはヘンデル爺さんに向かって大きく首を振りながら答えた。


「私はなんにも覚えてないの。私が物心ついた時には、お母さんもういなかったし。この間お父さんに聞くまで、そんな話全く知らなかったの」


 それでも優しい父親が、いつも自分の側にいてくれた。エミッタは自分が不幸だとは、少しも思った事は無かった。この気持ちを、どうヘンデル爺さんに伝えようかと考えていると、父親がエミッタの乗る荷馬車に近付いて来た。


「もうすぐ昼だがどうするね、ヘンデル爺さん?」


 ヘンデル爺さんがエミッタの方に目をやると、少女の抱えている仔ドラゴンが、訴えるような瞳で見つめていた。少なくとも、そんなふうな表情で。


「昼飯にしようかの」


 馬車隊はスピードを緩め、道の側の小さな空き地で、休息のため停止した。十数人の人間と一匹の仔ドラゴンは、明らかにくつろいだ表情で、食事のためにそれぞれの行動に移った。

 

 仔ドラゴンのルシェンは、少女にミルクをねだるという風に。



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