東さんと肝試し本番
肝試し開始から、50分が経った。
「じゃ、行ってくるね」
二見さんが、元気そうに手を振った。昇降口には、もう僕ら4人しかいない。
「八木さん、大丈夫ですか??」
二見さんが傍らの八木さんに尋ねる。八木さんは眼鏡を外し、眉間を摘んでいた。脂汗も浮かんでいるようだ。もしかして、怖いの苦手なのか?
「元気出してください、八木さん」
僕も声をかけた。八木さんは、ああ、とか、うう、とか言いながら、大丈夫とアピールするように、手を振った。
心配は心配だったが、出発しないわけには行かない。二見さんが先に歩き、その後を八木さんが追うように進んだ。
2人が踊り場でターンすると、辺りはしん、と静まり返った。
「………」
「………」
暗闇の中、東さんと2人きりである。いつもの、朝の教室ならば、東さんが黙っていても一方的に話しかける僕だが、いまは何故か言葉が出て来ない。二見さんに絡まれ過ぎて、既に疲れているせいかもしれない。
ぼんやりとしたまま時間を浪費していると、
「うわあああああああああああああっ!!」
本日11回目の悲鳴が聞こえた。不意打ちをかけられ、僕は思わず肩をビクン、と震わせた。東さんは、相変わらず微動だにしない。
「……いまので、11回目だね」
東さんは、こくん、と頷いた。
腕時計を見ると、もうすぐ5分である。少し早いが、もう出発してしまおう。
「東さん、5分経ったから、行こう」
懐中電灯で、階段の方を照らす。東さんは「うん」と頷いて僕の後を着いてきた。
旧校舎の中は、当然ながら、掃除がほとんどされていなかった。床は埃だらけだし、方々に蜘蛛の巣も張っている。歩くとギッギッと音がして、階段に響く。
「足元、転ばないように気をつけて」
東さんの足元を懐中電灯で照らしながら、僕は先へ進んだ。踊り場を回り、2階へ昇る。二見さんたちがまだいるかと思ったが、廊下に人の気配はなかった。もう3階へ行ったらしい。
と、そのとき。
「きゃあああああああああああぁぁぁっ!!」
また悲鳴が聞こえ、僕は肩をすくめた。どうやらこの悲鳴、3階の女子トイレから聞こえているらしい。つまり、そこに何か仕掛けてあるわけか。
「さ、行こう、東さん」
なんだかんだ、僕も怖くなってきていた。心拍数が上昇しているのが、自分でもわかる。何か喋っていないと、走り出してしまいそうだ。と、東さんがやや小走りになり、僕のすぐ側に立った。
「ど、どうしたの、東さん?」
「いまのって、何回目?」
「え?」
「悲鳴」
えーっと…。
「12回目」
僕が答えると、東さんは上目遣いに僕を見た。その瞳は、僕の見間違え出なければ、かすかに潤み、不安げに震えていた。
え、あれ……もしかして東さん、相当怖がってる?
東さんは何か言いたげに小さく口を開いた。しかしすぐに口を閉じ、俯いてしまう。
「?」
僕が首を傾げていると。
東さんが、僕のシャツの裾を摘んだ。
「えっ?」
え、ええっ、なにこれ。何が起こったの?
まさに、「ちょこん」という擬音がピッタリな所作だった。細い3本の指が、僕の裾を摘んでいる。長い髪に隠れ、東さんの表情はうかがえない。しかし、髪の隙間から見える耳は、暗闇でもわかるほど真っ赤に染まっていた。
「……まで」
「え、なに?」
「屋上まで、こうしてて、いい?」
「……えっ!?」
思わず硬直する僕に、東さんは俯いたまま、不安げに尋ねた。
「だめ?」
「い、いや!」僕は何度も首を振った。「いいよ、もちろんいいよ、全然いいよ!」
物凄い、ギャップだった。
いつもの、あのクールな東さんからは、想像も出来ない行動だ。ついさっきまで、悲鳴を聞いても眉1つ動かさなかったと言うのに、突然どうしたのだ。
「あのさ、東さん。もしかしなくても、怖いの?」
「……」
しばしの間のあと、東さんは小さく頷いた。
やばい。
超可愛い。
僕はさっきとは違う理由でドキドキした。シャツを引っ張る東さんの手の感覚に、全神経が集中する。華奢な彼女の手が生む力は、やっぱりとても儚い。抱きしめたくなる衝動を抑えながら、僕は廊下を進んだ。
この時間を少しでも長く保ちたいと、僕の足は自然とゆっくりになっていった。いやしかし、怖がっている東さんをいつまでもここに留めておくわけにはいかないと、再び歩みが速くなる。だけど、もしかしたら東さんだって、僕と2人きりの時間を長くしたいと思っているかもしれない、と足がまたゆっくりとなった。
「東さん、平気?」
こくり。
「……よかったら、手、繋ごうか?」
ふるふる。
東さんは首を横に振った。ドサクサに紛れて……とか思ったのだが、そうは問屋が卸さなかった。
西端の階段につき、3階へ登る。3階の廊下にもやはり人気はない。二見さんたちはもう、屋上に行っているようだった。
長い廊下を、そのまま真っ直ぐ進む。窓からは街灯の光が差し込んで僕らを照らしたが、懐中電灯の方が余程明るい。月でも見えないかと夜空を伺ったが、良く考えたらこの窓は北向き。月が見えるはずがない。
廊下の突き当たり。階段の横に、トイレがあった。懐中電灯でトイレのマークを探して女子トイレに入り、入り口に設けられたコの字型の通路を抜ける。中は、右側の壁際に洗面台が3機並び、左側に個室が5~6室並んでいた。小便器のないトイレに違和感を覚えつつも、僕は東さんを引き連れて一番奥まで進んだ。
指定された最奥の扉を引く。木製の扉は、キィィィ…と甲高い音を立てて開いた。そして、中を懐中電灯で照らすと。
少女の首吊り死体がぶら下がっていた。
「うひゃあああああああぁぁぁぁーーっ!?」
「きゃあああああああぁぁぁーーーっ!?」
僕はみっともなく悲鳴をあげ、東さんは咄嗟に僕にしがみついてきた。
なるほど、みんなこれを見て悲鳴を上げていたのか。
ぶら下がっていたのは、もちろん人形だった。とてもリアルな人形で、薄汚れたセーラー服を着た黒髪の少女の格好をしている。天井にむき出しになっている水道管に麻縄が括り付けられ、そこから首を吊っていた。
「あ、東さん、大丈夫?」
僕は本日何度目かになる質問を投げかけた。東さんは、僕にしがみついている事実に気がつくと、パッと離れた。……が、裾だけはしっかりと摘んできた。
個室の中を照らすと、和式便器の向こうに、五十嵐が持っていた段ボール箱が見えた。奥に入り、中を覗きこむ。リボンは大量に持ってきたようで、まだ何本もあった。僕はそのうちの1本だけつまみ上げ、東さんに見せた。
「よし、目標を手に入れたから、早く屋上に行こう」
こくこく。東さんは何度も頷いた。
トイレを出てしまえば、ゴールは目の前だ。階段をやや駆け足で上り、屋上へ続く木製のドアを突き破るようにして開けた。
「おつかれーー!」
開けた途端、盛大なお出迎えが成された。どうやら、先に上がった全員が、一斉に声を出したようだ。僕らはしばし、豆鉄砲を食らったハトのように硬直した。
「いやー、聞いたよ、2人の悲鳴!」五十嵐がバシバシと僕の肩を叩いた。「良い声してたねー!」
「って、あー! 千歳!」二見さんが、僕の背中を指差した。「一ノ瀬君のシャツ掴んでる!」
東さんはパッと手を離し、自分の背中に手を隠した。二見さんが僕の耳元でささやく。
「やったじゃん、好感度上がりまくりだね!」
そうなのだろうか。手は繋げなかったが、高望みはよくないか。
ところで、彼らはいままで屋上で何をしていたかといえば、本当に天体観測をしていたらしい。せっかくなので、僕らも興じることにした。屋上の適当なところに寝転がり、空を見上げる。屋上の塀には隙間がなく、良い具合に周りの光を遮っていた。おかげで、地上や旧校舎の中から見るよりは、多くの星を望むことが出来た。
「ねえ、聞いてよ千歳ー」
二見さんが、東さんに小声で話しかけていた。しかし、とても小さな声だったので、僕はその続きを聞くことが出来なかった。
それに、僕の頭の中は、東さんのことでいっぱいだったのだ。
僕の背中を引っ張る、あの東さんの小さな手の感触が、まだ体に染み付いて残っていた。
しかし、このあと僕は知ることになる。
何故クールな東さんが、あそこまで恐怖したのか。その、本当の理由を。