回想 前
母は着物の似合う女性だった。
記憶の中の母は、いつも和装している。
簡単には触れられない空気がそこにある。
しかし普段着に戻ると、俺だけの知る母親の顔になる。
目裏に浮かぶのは、白肌の項。
幼い頃、母はよくおんぶをしてくれた。
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母はまだ十代の頃、駆け落ちした男との間に俺を産んだ。俺は父親の顔を知らない。なぜ別れたのか、その理由も知らない。母は俺が物心ついた時にはもう単身で俺を育てていて、小学二年の時には、母はどこで知り合ったのか、富永敦の愛人になっていた。
富永敦には三人の子供がいた。
正妻の長女・るり。長男・直隆。
そして、内妻の長男・正晴。
政略結婚で娶った正妻とは、すでに邸内で別居中。
内妻が本命のようで、彼女は邸の主同然の振る舞いを許されていた。
俺と母はその本邸に招かれ、家族同様に共に住むこととなった。
壮大な敷地と、豪奢な邸、多くの見知らぬ人々――富永家の人間や使用人――の目に戸惑う俺に、母はそっと微笑んで背中を押した。
「大丈夫よ、大丈夫。すぐに慣れるわ。良介はあの人の子供になったんだから」
母の右目にある泣き黒子が、何だか哀しく見えたのを覚えている。もしかすると、あのときから母の具合は悪かったのかもしれない。そう思うほど、いつもは安心するはずの母の笑顔に、俺は不安を感じていた。
その不安の正体が、
俺の、母と共に築いた小さな世界が崩壊した悲しみだったと気づいたのは、つい最近のことだ。
『回想』は読みやすいように小分けにしました。
富永家のイメージは、日本庭園と洋館……
……和洋折衷ってことでお願いします(汗)