ー第5節 無心で過去の紙資料を手に取り、先人たちの痕跡を慈しむようにエクセルへ入力していくミオ。かつてない凄まじい情報処理能力により、ただの書類整理が無自覚のうちに神進化していく。
第5節 無心で過去の紙資料を手に取り、先人たちの痕跡を慈しむようにエクセルへ入力していくミオ。かつてない凄まじい情報処理能力により、ただの書類整理が無自覚のうちに神進化していく。
パソコンが起動するのを待つ数秒すら、もどかしかった。
エクセルの真新しいシートを開き、私は両手をキーボードの上に置いた。
左手で古い決済書を取り、視線を落とす。
――カタカタカタカタカタッ!
地下室に、激しいタイピングの音が鳴り響いた。
自分でも信じられないほどの速度だった。指が勝手に動いているかのように、三十年前のプロジェクト名、予算額、発注先の企業名、担当者名が、次々とセルのなかに打ち込まれていく。
ただ入力するだけではない。
私の脳は、無意識のうちにエクセルの複雑な関数やマクロを次々と構築し始めていた。
「この企業からの資材調達……単価が不自然に変動してる。別のシートにリンクさせて、時系列で比較できるように関数を組んで……」
呟きながら、私は無心で作業を続けた。
一つ入力し終えると、紙の束を丁寧に、まるで壊れ物を扱うように揃えて新しいファイルに綴じ直す。過去の社員たちが残した痕跡を慈しむように。彼らが繋いできたバトンに光を当てることに、私は深い喜びと、静かな達成感を感じていた。
そこに、「会社に評価されたい」とか「凄いデータを作って見返してやる」といった野心は微塵もなかった。
ただ、パズルのピースが美またはまるように、情報が整然と並んでいくことが心地よかった。他者を想い、過去の仕事に敬意を払いながら、ただひたすらに書類整理という日々のささやかな作業に没頭する。
それはまさに、今ここにある現実での、最高の精神状態だった。
何時間経っただろうか。
昼食をとるのも忘れ、私は次から次へと段ボールを開け、埃まみれの紙資料を読み込んではエクセルへと入力し続けた。
画面上には、素人が見れば理解不能なほど複雑に絡み合った、しかし究極に洗練された巨大なデータベースが形成されつつあった。
各年代の予算の推移、特定の企業群への偏った発注、経費の不自然な流れ。それらが精密なハイパーリンクで結合され、単なるファイルの目録だったはずのものが、まるで意志を持ったシステムのように脈打ち始めている。
私が無心で行っているのは、ただの「書類を年代順に並べただけの資料整理」に過ぎない。
しかし、欲求や執着から完全に解放され、神懸かった集中力を手に入れた私のタイピングは、無自覚のうちに【過去の全プロジェクトの真実を可視化する神の検索機能】を生み出そうとしていた。
このエクセル表一つが、やがて大都ゼネコンという巨大企業を根底から揺るがす数十年来の『不正』を暴き出す最強の武器になるとは、この時の私は知る由もなかった。
ただ、キーボードを叩きながら、私は満ち足りた微笑みを浮かべていた。
窓のない地下室は、今や私にとって、世界のどの場所よりも平穏で幸せな空間に変わっていたのだ。




