番外編①『これが、普通の恋人同士の時間ですか?』
――セリア=マーゴット(伯爵令嬢)の一人称視点
「本日は、護衛ではなく、“デート”のつもりでお供いたします」
朝からぴったり私の屋敷前に待機していたサイラス=ザイークが、そんな爆弾発言を放ったのは、朝八時ちょうどだった。
……本当にこの人は、時間厳守がすぎる。
「……“お供”って言ってる時点でデートじゃありませんわよ、それ」
「ならば、“同行者”。それとも、“恋人”という表現のほうが適切か?」
「……もう少し、恋人という言葉を大事に扱っていただけると助かりますわ」
彼が私の恋人――
ええ、そう呼ぶことにしたのは、あの告白(というより、宣言のような執着の言葉)を受け入れた、数週間前のこと。
以来、サイラスは“護衛”という名目をほとんど口にしなくなり、代わりに「恋人としての付き合い方」を学ぶのだと、全力で私との関係を「常識の範囲内」に持ってこようとしている。
……まあ、努力は認めますけれど、時々それが裏目に出ているのが困りもの。
「本日は、君が行きたい場所を三つ、順番に案内してもらいたい」
「……まるで任務ですわね」
「事前に“普通のデートコース”を調査した。選択肢を複数用意している」
「やめて、調査という言葉がすでに普通じゃない」
彼の手元のメモには、【A:書店→喫茶→公園】【B:花市→博物館→遊覧馬車】などと書かれていて、それぞれに細かい時間配分まで記されていた。
思わず笑ってしまう。まるで作戦会議。
「それじゃあ……今日は、Aコースでお願いしようかしら」
「了解した。では、書店へ向かう」
こんなに真面目に、緊張しながらデートに臨む男なんて、他にいるのかしら。
彼は相変わらず私の右斜め後ろを半歩下がって歩く。
まるで私が要人であるかのように、周囲に常に気を配りながら。
「……ねえ、手をつないでくださらない?」
その言葉に、彼は一瞬動きを止めた。
顔を向けると、普段ほとんど表情を変えない彼の耳が、ほんのり赤く染まっていた。
「……君から、そう言ってくれるとは思わなかった」
「だって、デートでしょう? 恋人のすること、ですもの」
私が差し出した手に、彼は恐る恐る触れるようにして、けれど確かにその指を絡めてくれた。
大きくて、節の硬い手。でも、私を包む力は、優しかった。
「サイラス」
「……ああ」
「初めて手をつないだのに、そんなに顔を真っ赤にするなんて、可愛いところあるじゃない」
「……からかっているのか?」
「ええ、少しだけ。でも……私、今日のこと、ずっと覚えておきますわ」
彼の瞳が驚きに見開かれ、少し揺れる。
「あのとき、あなたが私のことを忘れないでいてくれたように。今度は、私が忘れない番ですのよ」
「……ありがとう、セリア」
そう呟いた彼の横顔は、思いのほか優しくて――
この人の不器用で歪んだ愛を、私はやっぱり、選んでよかったと思えた。
これは、私たちにとっての“普通”の初デート。
きっと他の誰にも真似できない、ちょっと不格好で、でも確かにあたたかい時間。
終わり。