聖女と結婚するからと婚約破棄されましたが、神様は解釈違いだそうです
『マリア』
この国が信仰する女神の名であり、この国の女性で最も多いとされる名前だ。
自分にもつけられたこの名前が、私はあまり好きではなかった。
完全なる政略結婚のもとに生まれた私は、両親から愛されることなく、使用人から最低限の世話を受けて育った。
このことから私の名前は、よく聞くからとか、すぐ思いついたからとか、そういった理由でつけられたに違いなかった。
父も母も愛人がおり、家には年に数回帰って来る程度。
おまけに二人とも愛人との間に子供をもうけている。
……せめて私が家督を継げる男だったなら、少しは気にかけて貰えたのだろうか。
我が家は、父と愛人の間に産まれた子を養子とし、後継に据える事となっている。
と同時に、私は王太子殿下の婚約者となることが決まり、おかげで母方の面子も保つことができたのだった。
とは言え母は、血の繋がらない子が跡継ぎとなる事にも、実の娘が王太子妃に選ばれた事にも、特段関心は示さなかったけれど。
愛のない結婚とか愛人とか、この国の貴族ではよくある話だ。
それでも、私は誰かに愛されたかった。
温かな家庭というものに憧れていた。
そして、それらを与えてくれたのが、婚約者であるフレデリック殿下だった。
八歳の時に婚約者となった彼は、穏やかで優しい、愛に溢れた方だった。
彼の両親――つまり国王陛下と王妃殿下は、王族には珍しく恋愛結婚をされている。
お二人のような仲睦まじい関係が理想なのだ、と彼はよく言っていた。
愛し合う夫婦のもとに生まれ、愛されて育ったフレデリック殿下。
私は彼がたまらなく羨ましかった。
そんな私の心情を知ってか知らずか、王妃様は私のことを実の娘のように可愛がってくれた。
いつだったか言われた「あなたは私の娘同然よ」という言葉に、とても感動したのを覚えている。
実の母からは得られなかった愛情を、王妃様が満たしていってくれたのだ。
フレデリック殿下のご兄弟である第二王子殿下と第一王女殿下も、私のことを「姉様」と呼んで慕ってくれた。
城内で遊んだり、一緒に出掛けたり、時には勉強の面倒をみたりと、私も二人を可愛がっていた。
陛下とはあまり話す機会はなかったけれど、私が家族になることを心待ちにしていると、王妃様から伝え聞いていた。
私の存在が認められたみたいでとても嬉しかった。
『マリア、愛してるよ』
婚約して六年、初めてフレデリック殿下から愛してると言われた時は、涙が出るほど嬉しかった。
とっくの昔に彼への恋心を自覚していた私は、嗚咽をこらえて「私もです」と返すだけで精一杯だった。
彼と共にこの国を守り、国に尽くす。
そのためなら辛い王妃教育にだって耐えられる。
彼となら頑張れる。
そう、思っていた。
「マリア、すまない。僕は君との婚約を破棄し、聖女ミローネと結婚することに決めた」
「…………え?」
話があるからと呼び出されてやって来たのは、王宮の第2庭園。
ここはフレデリック殿下が私の好みに合わせて改装してくれた場所で、四年前、初めて愛してると告白してくれた場所でもある。
そんな場所に呼び出されたものだから、もしかするとプロポーズでもされるのでは、と浮かれていた自分が恥ずかしい。
プロポーズどころか、まさか婚約破棄されるなんて。
殿下の横には聖女ミローネ様が申し訳なさそうな表情で寄り添っていた。
殿下に肩を抱かれ、今にも零れ落ちそうな涙を必死に堪える姿は、女の私から見ても健気で可愛らしいと思えた。
「マリア様、ごめんなさい……。私、私がっ、フレッドのことを愛してしまって……!」
「ミリィ、泣くな。君は悪くない。マリアも分かってくれるさ」
特別な仲なのだと言わんばかりに、フレッド、ミリィ、と愛称で呼び合う二人。
殿下の愛称なんて、十年も婚約しておきながら、私は一度も呼んだことがなかった。
二人の仲が良いことは知っていた。
度々一緒にいるところを見かけたし、私よりもミローネ様との予定を優先されることも多々あった。
けれどそれはミローネ様が聖女だから仕方ないことなのだと、自分で自分を納得させていた。
国の安寧のため、聖女の存在は必要不可欠。
だからこそ王太子と聖女が親しい関係であるに越したことはないし、彼女が優先されるべき存在であることに異論はなかった。
その結果がこんなことになるとは思わなかったけれど。
なんにせよこの婚約破棄に、私の意志は関係ない。
現に殿下は「ミローネと結婚することに決めた」と仰っていた。
もう既に決まっていることなのだ。
王太子と聖女の婚姻に、一介の侯爵令嬢が異を唱えることなんて出来るはずがなかった。
でも、それでも、この対応はあんまりじゃないだろうか。
「…………陛下は、なんと」
拳を握り締め、やっとの思いで絞り出した言葉は、一縷の希望だった。
もしかしたら陛下は反対されているかもしれない。
王妃様だって、私を可愛がってくれていたのだから。
だから、きっと。
「父上も母上も了承しているよ。数百年ぶりの聖女と王太子の結婚だからと、とても喜んでくれている」
ガラガラと足元が崩れていくような感覚に襲われる。
頭がぼんやりとして考えることを拒絶しているようだった。
……どうして?
私のこと、本当の娘みたいに思ってるって、家族になるのが楽しみだって、そう言ってくださったのに。
目と鼻の先に熱が集まっていく。
泣きそうだった。
「弟達も、ミリィが家族になるって喜んでるよ」
追い討ちをかけるように、殿下はミローネ様に向かって微笑んでみせる。
その幸せそうな甘い笑みは、これまで私に向けられていたものとは決定的に何かが違っていた。
殿下が好きだからこそ、違いに気付いた。
気付いてしまった。
「でも、私のこと愛してるって……」
「……すまない。マリアのことは好きになろうと努力していた。だがミリィと出会って、真実の愛を知ってしまったんだ」
それはつまり、殿下は私のことなんて好きではなかったと言うことか。
私は愛されてなんていなかったのか。
……そうか、実の家族にすら愛されない私が、彼等から愛されるはずなんてなかったんだわ。
「マリア様、どうかお許しください。そしてどうか私達の結婚を祝ってはくれませんか」
胸の前で祈るように手を組み、私を見つめるミローネ様。
聖女様に見つめられ、まるで罪人にでもなったかのような心地だった。
涙が出そうだったけれど、泣いてしまうと余計に惨めだから、すんでのところでなんとか耐える。
ここに私の味方はいない。
惨めで孤独なこの場所から、一刻も早く逃げ出してしまいたかった。
そして震える唇に力を入れて、祝福の言葉を口にしようとした、その時。
「――いや、婚約者がいる男を寝取る聖女とか、解釈違いなんだけど」
突然、天から降って聞こえた声。
驚いて天を仰ぎ見るも、青空が広がるばかりで何もない。
自分だけに聞こえたのかと慌てて殿下とミローネ様を見れば、二人も同じように驚愕の表情で天を仰いでいた。
私達三人にだけ聞こえたのだろうか。
それとも他にも聞こえた人はいるのだろうか。
そもそもこれは一体誰の声なのか。
いや、それよりも……
戸惑い、疑問符だらけの私達に、天は更に話しかけてくる。
話しかけているのかすらも謎だけれど。
「てか、婚約者がいながら他の女に手を出す王太子も、解釈違いなんだけど」
この言葉にフレデリック殿下がピクリと反応する。
聖女と王太子、これはミローネ様とフレデリック殿下のことを言っているのだろう。
他国の聖女と王太子の可能性も少なからずあったけれど、ミローネ様が「マリア様……」と呟いたことでその可能性は省かれた。
『マリア様』
私のことではない。
この国の守護神、女神マリア様のことだ。
聖女は神より力を貸し与えられ、神の声を聞くことができる唯一の存在。
そのミローネ様が、天に向かってマリア様と呟いた。
それはつまり、そう言うことだ。
そうでなくとも天から声が降ってくるなんて超常現象、神の力でなければあり得ない。
「聖女ミローネ、あなたを聖女に選んだのは失敗だったわ。失敗も失敗、大失敗よ」
「なっ……! マリア様、何故そのようなことを仰るのです! 私はあなた様の導き通り、民を癒してきたではありませんか」
必死の形相で天に向かって叫ぶミローネ様。
常であれば、女神様と聖女様との会話を見られるなんて、こんなに貴重な体験はない。
しかし会話の内容を鑑みる限り、そんな呑気なことを言っている場合ではなさそうだ。
解釈違いだとか、失敗だとか、女神様はミローネ様を叱責するために声を掛けられたのだろうか。
そうではなく、もしももっと恐ろしいことを考えているのであれば、この国は……。
私がそうこう悩んでいる間に、女神様は更なる怒りを募らせていた。
「民を癒した? …………ミローネ、お前、私を謀る気?」
女神様の声が、グッと低くなる。
周りの空気が重くなり、見えない何かに体を圧迫されているような息苦しさを感じた。
あまりの恐ろしさに、咄嗟に自分で自分の体を抱き締める。
圧を感じているのは私だけでなく、ミローネ様もカタカタと身体を震わせ、呼吸も浅く、辛そうにしている。
殿下はそんな彼女を守るように胸の中へと抱き寄せた。
「わ、私、決して謀ろうなどとは……」
「お前が民を癒す代わりに多額の金銭を要求していること。金額によって治療する人間を選別していること。聖女であることを笠に着て、自分に逆らえない者には傲慢に振る舞っていること。あぁ、あと婚約者や恋人のいる男に近付いては体の関係を持ち、彼等を仲違いさせてること。それらを私が知らないとでも?」
「あ……ち、違うのです! それは……あのっ……」
まさかの暴露に開いた口が塞がらない。
先ほどまで感じていた恐怖もあっという間に吹き飛んでしまうほどの衝撃だった。
え、ミローネ様ってそんな方だったの?
「お前を聖女に選んだ時、お前の魂は白く輝いていた。だけど今のお前の魂は、富や権力に目が眩み、見るに耐えない汚い色をしているわ。……ハァ、なんでこんな子を選んじゃったのかしら。これまでこんな失敗したことなかったのに」
ミローネ様は何も言えず、殿下の胸に顔を埋めて泣き始めてしまった。
殿下は女神様の言葉に狼狽えながらも、覚悟を決めたように天を仰ぎ見て、声を張り上げた。
「恐れながら女神マリア様、ミローネがこれまで多くの者を癒し、救ってきたのは事実。私はそのような彼女の献身的な姿に惹かれたのです。ですので、その、体の関係を持ってしまったのも、彼女を愛するが――」
殿下が言い終えるかどうかと言ったタイミングで、殿下のすぐ横へと雷が落ちる。
バヂバヂッと鋭く激しい音を伴った雷に、殿下は言葉を失い、ミローネ様と共にその場へへたり込んでしまった。
そして殿下の股間あたりがじわじわと色を変えていく。
どうやら恐怖のあまり漏らしてしまったようだ。
「脳みそチ◯コ野郎は黙ってな」
…………え?
女神様、今、脳みそ、ちん、え?
まさかの発言に固まる私を他所に、会話は続いていく。
「多くの者を救った? これまでミローネが救ったのは金を持った人間ばかりで、本当に助けを必要とする人間の声は聞こえないふりしていたのを、私はずっと見てたわよ」
「っ……」
ミローネ様は決まり悪そうに俯き、何も答えられないでいる。
清廉潔白、慈愛に満ちた聖女様。
その仮面が剥がれていくのを、私はただ見ていることしかできなかった。
「体の関係を持ったのは愛ゆえ? 違うでしょ、お前達はただ性欲に勝てなかっただけ。それを愛だとかなんだとか、綺麗事言ってんじゃないわよ。それにミローネが体の関係を持ってるの、王太子だけじゃないからね」
「ぇ……マ、マリア様、なにを」
ハッとしたように天を見上げるミローネ様。
殿下もまた、女神様の言葉に顔を上げる。
「真実の愛とかなんとか言ってたけど、ミローネは恋人や婚約者がいようと関係なしに、顔の良い男に擦り寄っては股開いてんのよ」
「っ! ま、お、おやめくだ」
「侯爵家の息子二人に、顔の良い騎士三人、あと神官二人まで食ってんだから。二股どころか八股よ、八股」
「やめて、やめ」
「こんなのが聖女で、未来の王妃なんて冗談じゃないわ。王太子、あなたは自分の子じゃないかもしれない子を育てるつもりなの? 王族の血を引いてない可能性があるのに? まぁでも、性欲に弱い者同士、お似合いかしらね」
「やめて……いや、いやぁぁああああ!!」
性事情を暴露され、ミローネ様は頭を抱えて叫び出した。
女神様の語るミローネ様の実態は、にわかには信じがたいものだった。
けれど、神は嘘をつかない。
この国の民にとって女神マリア様の言葉こそが全てであり、真実だ。
どれほど信じがたくとも、女神様の言葉を否定することなどできるはずがなかった。
殿下は尻餅をついた姿勢のまま、ミローネ様から距離をとるように後ずさっている。
その目には嫌悪と軽蔑、わずかな怒りが浮かんで見えた。
…………地獄だわ。
婚約破棄された時も辛かったけれど、ここにはまた違った辛さがある。
「フレデリック! ミローネ嬢! これは一体どういうことだ!」
そこへバタバタとやって来たのは、王族一家と、数名の護衛。
更に後ろには外務大臣やら防衛大臣やら、国の御偉方が勢揃いしていた。
と言うことは、女神様の声が聞こえているのは、私達三人だけではないということだ。
少なくとも王宮に居た者達には聞こえていたのだろう。
駆けつけた一同が目にしたのは、泣き叫ぶ聖女と、濡れた股間を隠そうともせずにへたり込む王太子殿下。
この二人に状況説明は無理だと判断したのか、一同はいっせいに私へと目を向けてくる。
一体何事だと目が訴えているけれど、私にだってよく分からない。
婚約破棄されて、突然女神の声が降って来て、聖女の本性が暴かれ、王太子が脳みそチ◯コ野郎扱いされたのだから……。
「大体さぁ」
苛立った様子の女神様の声に、その場にいた全員がビクリと肩を揺らす。
まだ何かあるのか。
これ以上、何を言われるのか。
罪を暴かれるのは、次は自分の番かもしれない。
きっと皆が似たようなことを考えている。
「長年支えてくれた婚約者を捨てて簡単にヤレる女へ乗り換えた挙句、その女を連れ立って婚約破棄を言い渡すって性格悪すぎでしょ」
どうやら女神様の標的は依然としてフレデリック殿下とミローネ様のようだった。
二人には悪いけれど、少しだけ安堵してしまう。
殿下を見れば目に涙を浮かべ、誰に言うでもなく「助けて……」と呟いていた。
けれど、女神様の言葉を制するなんて、誰ができようか。
「ミローネが提案したのも知ってるからね。なぁにが『婚約破棄するなら私も一緒に行きます、殿下にだけ辛い役目は負わせません』よ。婚約破棄されて傷付く姿を見て、優越感に浸りたかっただけでしょ。そんな思惑にも気付けない男が王太子だなんて笑っちゃうわ」
婚約破棄の場にミローネ様がいた理由、それがこんな理由だったなんて。
あの健気な姿の裏で、傷付く私を見て笑っていたのだと思うと恐怖すら感じてしまう。
私はそんなにも彼女から嫌われていたのだろうか。
言葉を交わしたのは数えるほどで、それも軽い雑談程度だったと記憶している。
一体何故?
と思ったけれど、女神様の言葉を思い出した。
彼女は、婚約者や恋人のいる男性に近付いては彼等を仲違いさせている、と言っていた。
このような目に遭ったのは、私だけではないのだ。
そうなるとこれは彼女自身の優越感を満たすための、お遊びのようなものだったのではなかろうか。
「ハァ……王太子だけじゃなくて王族はみんなミローネに騙されて、手玉にとられちゃうし。こんなに情けない王族は初めてよ」
女神様の標的がフレデリック殿下から王族へと範囲を広げた。
陛下達の顔がサッと青褪め、絶望に染まる。
慌てた陛下と王妃様がその場に膝をついた。
「大変、大変申し訳ございません! 全ては私共の不徳の致すところ。どうか怒りをお鎮めいただきたく……」
何度も何度も頭を下げ、女神様に許しを乞う。
二人に倣って、第二王子と第一王女も頭を下げた。
惚けたままであったフレデリック殿下も、陛下に頭を引っ掴まれ、頭を地面につけて謝罪の姿勢をとらされている。
家臣や護衛の前で罪を認め、恥も外聞もなく謝る王族達。
王家の権威が失われかねない行動ではあるけれど、神の怒りを買うことほど恐ろしいことはない。
誰もが固唾を呑んで、女神様の次の言葉を待った。
「……人間に力を貸すの、やめようかな」
ぽつりと溢されたそれは、国の衰退を意味していた。
聖女の役目は、癒しの力で人々を治療するだけではない。
その身を介して神の力を地上に降ろし、飢饉や伝染病、水害、干ばつと言った様々な災いから国を守り、民を守る。
それこそが聖女に与えられる、最も重要な役目なのだ。
神が力を貸し与えてくれないとなると、国が滅ぶのは時間の問題である。
どの国も例外なく、神に見放された国では、人は生きていけないのだ。
殿下とミローネ様はもちろん、王妃様も、大臣達も、皆が女神様の言葉に絶望し、二の句を継げずにいた。
誰かが唾を飲み込む音が、やけに大きく聞こえてきた。
かろうじて陛下だけは「どうかご慈悲を……」と、震える声で乞うている。
どれくらいの時間が経ったのだろうか。
棒立ちで何もできずにいると、ふと視線を感じた。
視線に導かれるまま顔を上げれば、やはりそこには青空が広がるのみで何もない。
けれど、何故だか今、女神様と目が合った気がした。
「あなた……王太子の元婚約者? あ、やぁだ、私と同じ名前じゃない!」
声を掛けられ、体が強張る。
「あぁ、あなたも苦労してきたのね。でもその割には……」
姿は見えないが、頭のてっぺんから爪先まで、じろじろと見定められているのが分かった。
何を言われるのか。
何を見られているのか。
女神様は、名乗らずとも私の名前が分かっていた。
女神様には一体何が視えているいるのだろうか。
「真っ白な魂は、逆に穢れやすいとかあるのかしら? でも今までは上手くいってたから、ミローネの資質の問題だと思うけど……。まぁ良いわ。マリア、あなたを次代の聖女に任命します」
「……え?」
「あなたの魂、真っ白ではないけど優しい色をしてるから。大変な思いをしてきて、それでもなおそんな色をしてるあなたに懸けてみるわ」
「え、あの」
「はい、どーぞ」
どーぞ、という軽い言葉と共に、辺り一面にハラハラと光の粒が舞い落ちる。
既視感のあるその光の粒は、ミローネ様が聖女として選ばれた時、国中に降り注いだものと同様だった。
聖女が誕生した国には、その誕生を祝い、国中に癒しの光が降り注ぐのだ。
女神様の言葉通りならば、私が聖女として選ばれた、ということ……?
恐る恐る周りを見てみれば、皆一様になんとも言えない顔をしていた。
助かったのか、喜んで良いのか。
誰にも分からなかった。
「まぁ今回のことは、私の見る目がなかったってことにしといてあげる。魂って白けりゃ良いってもんじゃないのね。やっぱり人間って面白いわ、アッハッハッ!」
あっけらかんと笑う女神の声に、私達は引きつった笑いしか出なかった。
とりあえず今は聖女に選ばれたことよりも、神に見捨てられなかったことを喜ぶべきだろうか。
「聖女マリア」
「は、はい」
「私の愛するこの国のため、民を癒し、守りなさい」
「……はい」
愛する国と言いつつ、つい先ほどまで見捨てようとしていたのでは?
なんてことは、口が裂けても言えない。
言ってはならない。
それとは別で、女神様の言葉に胸が熱くなり、引いていた涙が再び溢れそうになった。
これまで殿下の婚約者として、国を守り、国に尽くそうと覚悟を決めていた。
形は変わってしまったけれど、私にはまだこの国のためにできることがある。
これまでの頑張りが、覚悟が、無駄ではなかったのだと、そう思えた。
「あ、せっかく国民全員に声を届けてるんだから、ついでに言っとくと」
……え、これ国民全員に聞こえているの?
「多少のおいたは目を瞑るけど、あんまり悪いことはするもんじゃないわよ。特に浮気しといて自分は悪くないとか言っちゃう人間が国の指導者とか、まじ解釈違いだから」
「ひぇっ……」
フレデリック殿下が小さく悲鳴をあげる。
さずかに自分のことを言われていると、自覚があるようだった。
ミローネ様もその横で、小さくなって謝罪を繰り返している。
「じゃ、そういうことで。次に用事がある時は、聖女マリアに言うから。よろしくね」
そう言い残して、女神様は帰って行った。
帰って行った、と言う表現が正しいかは分からないけれど。
その後、暫くは誰も言葉を発することができず、どこか気まずい空気が漂っていた。
その中でいち早く動き始めたのは、陛下と王妃様だった。
二人は私のもとまでくると頭を深く下げ、謝罪の言葉を口にした。
「マリア嬢……すまなかった。私達は聖女というだけで彼女を信じ、更には聖女の力を欲するあまりフレデリックとの婚約を承諾してしまった。君が私達を信じ、慕ってくれていたと知りながら……」
「あなたのことを思えば、婚約には反対すべきだったのにね……。あなたのことを傷付け、なのに今回、私達はあなたに救われた。自分が情けないわ。ごめんね、本当にごめんなさい」
陛下は苦しげに顔を歪め、王妃様は涙を流しながらの謝罪だった。
二人は私に対する情よりも、聖女と王太子の婚約によって得られる益をとったのだ。
それはきっと国の指導者として、仕方のない選択だった。
けれど私が傷付き、裏切られたと感じてしまったことは事実で。
どうしようもない感情の中、私はただ頷き、二人からの謝罪を受け取った。
「フレデリック、お前も言うことがあるだろう」
「ぁ……」
陛下に呼ばれて、フレデリック殿下は慌てて立ち上がり、姿勢を正した。
居心地悪そうに視線を彷徨わせた後、彼も頭を下げる。
「マリア、ごめん。これまでずっと支えてくれてきた君に対して、僕は……。本当に、すまなかった……」
あんなにも好きで、輝いて見えていた彼が、今はなんだか色褪せて見えた。
股間、濡れたままだしね。
そんな彼の情けない姿にだんだんと笑えてきて、ついでに我慢していた涙も溢れてきて、私は泣き笑いしながら彼に別れを告げる。
許すとは、言えなかった。
「フレデリック殿下、今までありがとうございました。これから頑張ってくださいね」
先ほどの声は、国民全員に聞こえていると言っていた。
ならば女神様からあれだけのことを言われた王家の人間は、もう今まで通りではいられないだろう。
この国の民にとって、女神様が全てなのだ。
その女神様が怒り、断罪した人間が、王座に居続けられるはずがない。
家族の温もりを教えてくれた、初めて愛を与えてくれた彼等の末路は、きっと辛く険しいものになる。
私はそれを見守ることしかできない。
「嘘よ……こんな、こんなのって……」
いまだ地面に座り込んだまま、ミローネ様は何やらぶつぶつと呟いていた。
髪は乱れ、顔は涙で汚れ、憔悴しきった様子が見て取れる。
彼女と話をするか聞かれたが、何も話す気にはなれなかったので断った。
そのまま彼女は護衛騎士達によってずるずると引き摺られ、どこかへ連れて行かれてしまったのだった。
もしかすると彼女の姿を見るのは、これが最後かもしれない。
そんな予感がしていた。
――そしてこの騒動が落ち着いたのは、約一年後のことだった。
王族が絡んでいることを考えると、これでも早い方なのだと思う。
まず王家は、女神様の怒りを買って国を危険に晒したとして、強く糾弾された。
フレデリック殿下は廃太子となり、けれど第二王子を立太子することもできず。
協議の結果、フレデリック殿下のはとこにあたる幼い少年が王位を継承することとなった。
幼い王様の後ろには教会関係者がついており、実質的な現王政の終了を意味していた。
現在、彼等は国の端の端で、身を隠すようにして暮らしている。
ミローネ様はと言うと、聖女時代に行っていた悪事が明かされたことで多くの者から恨まれ、この国での居場所を失ってしまっていた。
女神様が仰っていたことは極一部に過ぎず、彼女はいくつもの救える命を見捨ててきていたのだ。
聞いた話では、隣国に逃亡する道中で賊に捕まり、行方不明になっているとのこと。
口にするのもおぞましい仕打ちを受けているとか、既に亡くなってしまっているとか、天罰が下ったとか言われているが、真相は定かでない。
家族とは相変わらずの関係だ。
私が殿下の婚約者になった時と同様、聖女になったからと言って両親の対応が変わることはなかった。
ある意味、権力や地位に振り回されない無欲な人達なのだろう。
また、女神様が浮気について言及されたため、黙認されてきた貴族の愛人や不倫について法整備が為されようとしたが、結局は貴族達の反発によってなくなった。
なので両親はこれまでと変わらず、ほとんどの時間を愛人と共に過ごしている。
女神様いわく『まぁ同意の上での愛人なら良いんじゃない? てか、あれは聖女であるミローネがあまりにも浮気しまくってるから声掛けちゃっただけで、あれもこれも監視して制限するつもりないから。あなた達は今まで通り生きて、私を崇め、敬い、私を楽しませてくれたら良いのよ』とのことだったので、神の怒りが再び訪れることを恐れていた人々も、安心したようだった。
それから私は、新たな聖女として日々国中を奔走している。
前聖女があのような結果となったことから、私に降りかかるプレッシャーは相当なものだったが、周りに支えてくれる人もおり、なんとか役目をこなすことができている。
そんな忙しい日々の中で思い出すのは、やはりあの日の女神様の言葉。
あの日、最後に女神様は、私にだけ聞こえる声で仰った。
『聖女マリア、この声はあなたにしか聞こえてないわ。これから先、あなたには苦労をかけるだろうから特別大サービスよ。……良い? あなたを愛してくれる人は必ず現れるからね。私、愛の女神と友達なのよ。その私が言うんだから間違いないわ」
私がこの女神様の言葉に嘘はなかったと気付いたのは、数年後のこと。
「マリア様! こっちの患者も見ていただけませんか?」
「ちょっと待ってて、すぐ行くわ」
「マリア様! これ、治療のお礼です。皆さんで食べてください」
「え、こんなに良いの? ありがとう。美味しくいただくわね」
「マリア! 身重の体であまり走り回るなって言ってるだろ」
「これくらい大丈夫だってば。それよりもあっちの患者を――……」
聖女としての務めを果たす中で知り合った人々。
彼等は親愛、友愛、敬愛、恋愛……それぞれが違った愛の形で、私を支えてくれていた。
嫌いだったマリアと言う名前も、今では誇らしく、そして愛しく思えている。
この名に恥じぬよう、私は私の大切な人達と共に生きていく。
女神マリア様を崇め、敬い、讃えながら――。
余談ですが、女神様は人間達が子供にマリアと名付けてるのを見て「人間可愛い〜♡」と喜んでいます。
愛されお茶目女神様、に見えていたら良いなぁと思いつつ……
ここまで読んでいただきありがとうございました!