第1話「実験開始」
12年前―
都内のとある病院で一組の親子が話をしていた。父親はおらず、母子だけで話をしているが、あまり好ましい状況ではないようだ。少年は目に大粒の涙を抱え、母親がその少年の頭を優しく撫でている。
??「お母さん!死んじゃやだよ!」
少年が母親に必死に訴えかける。どうやら母親は危篤のようで、2人の周りには医者と、少年の心を案じ、同じく目に涙を浮かべている数名の看護師が立っていた。
??母「ごめんね裕人…あなたにたくさん愛情を注いであげられなくて…」
母親が少年に謝る。おそらくもう長くはないのであろう。残された子供にしてやらなかったことを心の中で悔いていた。それでもなお泣きじゃくる少年に対し、母親はいよいよ最期の言葉を告げる。
裕人母「私はここでバイバイしちゃうけど、あなたが大きくなった時、いつかあなたに大きな愛情を与えてくれる人に出会えるから。寂しくなんてないよ。だからそんなに泣かないで。かっこいい顔が台無しよ。」
そう言うと母親の手から力が抜けてしまう。少年は状況を理解しきれず、必死に母親に呼びかけた。それに見かねた医者と看護師が最後の処理をしにいく。すると少年は看護師に連れられながら、1人悲しく叫んだ。
裕人「お父さんの嘘つき!絶対に家族を見放したりしないって言ってたじゃないか!」
病院には、少年の声だけが虚しく響き渡っていた…
それから12年、彼は父を恨んだまま、高校2年生になった。
??「ただいま…」
夕方からもうすぐ夜になろうというのに一切の電気の点いていない、薄暗いから漆黒に変わりつつあるこの時間に、1人の少年の寂しげな声が聞こえる。しかしその声に対して返事をするものはおらず、その声の主である少年の寂しさをより一層強く演出する。
??「はぁ…」
もうこの光景に慣れているのか、少年は小さくため息をつくと、手洗いを済ませ、リビングに行った。電気を点けることなく部屋の中央にあったソファにカバンを置き、もう一つのソファに寝転がる。疲れていたのだろうか、それとも誰1人家にいないことに寂しさを覚えたのだろうか、少年はまた一つため息をつくと、そのまま軽い眠りへと沈んでいく。
裕人「お母さん!!お母さん!!」
主治医「裕人くん、残念だけど、お母さんはもう…」
裕人「なんでだよ!絶対助けてくれるって言ったじゃないか!嘘つき!お前なんか大っ嫌いだ!」
そう言うと、看護師が幼き裕人を嗜める。
看護師「裕人くん、お医者さんにだって治せないものはあるのよ。」
しかし裕人は納得しようとしない。
裕人「でも絶対って言ったじゃないか!」
裕人のその声に、看護師は返答に困ってしまう。
看護師「裕人くん…」
裕人「お前も嘘つきだ。みんな大っ嫌いだ!」
そうして彼は人を信用しなくなった。
裕人「…なんだ、夢か。」
裕人はそう言うとゆっくりと起き上がった。ふと時計に目をやった。軽く寝るつもりがゆうに3時間も眠っていたようだ。外はすっかりと夜になり、部屋の中は外と同様に漆黒に染まっていた。裕人はスマホの光を頼りにスイッチの元まで行き、明かりをつける。一瞬の眩しさが裕人を襲う。すぐにそれには慣れたが、明かりをつけたことで一つの変化に気づく。裕人の目には涙が浮かんでいた。どうやら先ほどの夢の影響で泣いていたようだった。
裕人「また泣いていたのか。いい加減気持ちの整理、つけないとな。」
そう言うと裕人は少し遅めの晩御飯の準備をするためにキッチンへと向かった。そろそろ買い足しておかないと、と思いながらカップ麺を探し出すと、お湯を注ぎテーブルに置いた。するとそこには郵便物が散乱していた。置き方からして裕人の父だろう。というか、置き方関係なく裕人の父親であることは明白だった。
裕人「あのクソ親父、一体いつ帰ってきたんだか。」
裕人はそう愚痴をこぼした。父親とはもう5年近く会っていない。小・中と卒業式にも顔を出さず。入試の合格発表すら一緒にいたことはない。世界の全てを1人で開拓してきた裕人にとってはもはや慣れっこだが、それでも怒りの感情というものは少しばかり湧いてきていた。
裕人「ん?」
裕人は何やら奇妙な封筒を見つけた。白い封筒で何も書かれていない、非常に無機質な封筒だ。差出人が書いていない。また怪しい宗教の手紙だろうか。実際この家にはよく来るのだ。普段保護者がおらず、高校生の男子が一人暮らしをしているとあらば、隙あらば自分たちと同じ沼にはめてやろうと、多くの宗教団体からの勧誘の手紙が届くのだ。普段なら無視するところだが、どうも今日はその中身が気になる。裕人は慣れた手つきで封筒を開け、中の手紙を読むことにした。もし宗教関係なら無視すれば良いし、本当に危ない集団なら警察を呼べばいいだけの話だ。裕人はそう思いながら手紙の内容を読むと、そこには
「今日からここで観察実験を行う。21時ごろに届くので、受け取るように。」
と書かれてあった。
裕人「…なんだこれ。」
これがもし宗教の勧誘ならかなり手が混んでいるが、普通の生活をしていたらまずこんな手紙が届く事は無い。そう考えるとこの手紙を考えた人はバカなのか、それとも雑なのか少しだけ気になってしまう。しかしどちらにせよくだらない内容の手紙である事は間違いないので、手紙を適当に放り投げ、残り少ないカップ麺の待ち時間を堪能することにした。すると程なくして
ピンポーン
家のインターホンが鳴る。確かに普段食べ物や飲み物は定期便で頼んでいるし、欲しいものがあればその都度ネットショッピングで頼んでいるのだが、今日はそれらがどれも届く日では無いのは確認済みだ。
裕人「…まさかな。」
一つだけ心当たりがあるとしたらさっきの手紙だが、そもそも信憑性が低い上に実験される心当たりも理由も一切ない。それでも事実インターホンは鳴っているので、唯一の心当たりがあたっていないことを祈りながら、念の為スマホを手にインターホンのモニターを覗き込む。そこには自分と同年代で、一見するとあまり生気が感じられないが、整形や人工物には見えない、極めて端正な顔立ちの少女が立っていた。
最近の宗教は本当に手が混んでいる。まさか役者まで雇って勧誘をしようとするとは。自分によく絡んでくるアイツなら確実に陥落していたことだろう。しかし自分はそうでは無いので、とっととこの役者に帰ってもらうためにスマホは握りしめたまま、玄関へと向かい、扉を開ける。
裕人「すみませんが宗教なら間に合ってます。」
裕人がそう言いかけた時だった。
??「私をここに住まわせてください。」
裕人「……え?」
少女の口から発せられた言葉はあまりに信じ難いものだった。