古き竜の舞台劇(ヴィスターヴァ)①
『むかしむかし。森の奥深くの大きな湖に、とっても大きな竜が住んでいました。
竜の体は森の中のどんな木よりも大きく、また、竜の首はどんなに大きな蛇よりも長いものでした。
両手両足、尻尾はヒレの形。小さなお家の屋根くらい。
そんなですから、体全部を合わせれば、きっととんでもない重さに違いありません。
このように竜は強い生き物でした。
森や周りに生きるもの全てを合わせても勝てっこないほどに強かったのです。
けれど竜は優しい生き物でした。
あらゆる生き物の言葉を話し、不思議な力でお願いを叶えていたのです。
そう、だから、湖のお魚も森の動物も、そして近くに住む村の人たちも、みんなみんな竜のことが大好きだったのでした。
ある日、湖の中の魚が言いました。
「竜さん。竜さん。お願いごとがあるのだけれど、一つ聞いてはくれないかい?」
「いいとも。いいとも。どうかしたのかな?」
「森のクマが湖の中に入ってきて仲間の魚たちを食べちゃうんだ。クマたちを湖に入れないようにしてもらえないかなあ?」
「ふうむ。しかし、それも命の営み。何より、それではクマたちが飢えてしまうだろう」
「そんなことはないよ。だって森にはたくさんの食べ物があるはずなのに、最近は湖にばっかり来てるんだ。このままじゃ僕ら、みんないなくなっちゃうよう」
お魚の悲しげな声を聞き、竜は目を閉じました。そうして二言三言小さく呟いたあと、ゆっくりと目を開きます。
「確かに、以前と比べて魚たちの数が減っているようだ。よろしい。ならば湖面を凍らせ、陸のものが入れぬようにしよう」
「わあい、ありがとう。やっぱり竜さんに相談してよかったなあ」
湖のお魚は大喜び。
氷に覆われた湖の中、脅かされることなく暮らせるようになりました。
それからしばらくしてのことです。
陸に生きるものが誰も訪れることのなくなった湖に、コンコンコン、と音が響きました。
音は湖の上、氷の真ん中のほうから響いているようでした。
魚たちは誰もそれを気にすることはありません。
けれど、竜だけは違いました。
ゆっくりと首をもたげ、湖の底から泳いで湖面の近くまでやってきます。
すると、氷をノックする音に混じって、小さな声が繰り返し聞こえました。
「大きな竜の方。大きな竜の方。私は近くの村に住む娘です。どうかお話を聞いていただけませんでしょうか」
竜はその声に応えます。
「娘よ。話をしよう。危ないから少し離れておいで」
竜はそう言うと、不思議な力で湖の氷をぱきりと割って、ちょうど頭が出るくらいの穴を開けました。
そうして竜は頭だけ、娘の前に現します。
「娘よ、娘。ほほが真っ赤ではないか。まずは話をする前に温まりなさい」
竜はふぅっ、と優しく息を吐きました。
すると春の陽気のような暖かさが娘を包みます。
柔らかな香草にも似た香りに包まれて、娘の息は少しずつ落ち着いてゆきました。
「ありがとうございます。竜の方」
娘は深く深く頭を下げました。
「娘よ。必死になって何の用かね? 今年の麦は十分ではなかったか?」
「いいえ、いいえ。竜の方。麦の方は十分、村の者が食べるには十分いただきました」
「ふうむ。ならばどうしたのかね?」
「はい、私どもの願いはクマでございます。彼らは私どもの蓄えた麦や果実を奪うのです。どうかどうか、クマを私たちの村に立ち入らぬようにしていただけませんでしょうか」
娘の必死な声を聞き、竜は目を閉じました。そうして二言三言小さく呟いたあと、ゆっくりと目を開きます。
「畑と蔵が荒らされたのだな。よろしい。森の周りを炎で囲い、獣たちが外に出られぬようにしよう。娘よ。お前は早く村にお帰り。明日の陽が沈むころ、火を起こそう。それまでに森を抜けなさい」
「ああ、竜の方。重ね重ねありがとうございます。あなた様にお願いしてよかったです」
次の日の夜、炎に囲まれた森を見た村人たちは大喜び。
蓄えた食べ物は誰に奪われることもなく、飢えずに暮らせるようになったのでした。
これにて古き竜の舞台劇の第一幕はおしまい。
皆様、お付き合いいただきましてありがとうございます。』
ー◇ー
ぱちぱちぱちぱち。
ぽすぽすぽすぽす。
幕が降りた劇場にヤナとぬいぐるみたちの拍手が響きました。
膝上にスヴォボダを乗せたヤナも拍手をする手が赤くなってしまうくらいに楽しんでいます。
そんな拍手が鳴るなか、舞台袖から一匹のぬいぐるみが出てきました。
シルクハットと紺色のスーツに身を包み、黒色のステッキを持ったキツネのぬいぐるみ、座長のアナトライヤです。
「まァ、こんなに拍手をいただいて! ありがとうございます、ご客人! 皆様もお久しぶりでございます」
アナトライヤは大きな身振り手振りで喜びを表します。
その動きが大げさなものですから、ヤナは思わずくすくすと笑ってしまいました。
「あらあら、ありがたいお客人! 打てば響くとはまさにこのこと。……ヤロスラーヴくん!」
アナトライヤがぱちん! と指を鳴らすと、灯りがヤナの元に近づいてきます。
よくよく近づいてみると、それはランタンを持ったヤロスラーヴでした。
ヤナがヤロスラーヴを抱き上げると、ランタンの黒い光がぱぁっとヤナの頬を照らします。
「お客人! それは声を大きくする不思議なランタン。ぜひぜひ一言おしゃべりくださいな」
アナトライヤはくるくると回ったあと、ピタッと止まって言いました。
ヤナの口から思わず「おおー」と感嘆の声が漏れます。そしてそれは劇場内に響きました。
「不思議。わたしの声なのに、まるでわたしのものでないみたい」
「お楽しみいただけたようで何より! はてさて、お客人。お願いがあるのですが、一つ聞いていただけますかな?」
アナトライヤはまるで劇のさなかのように、右手をヤナの方に伸ばしながら尋ねました。
「まあ、何かしら」
「この劇はほんとうは続き物。しかし二幕をお見せできない事情があるのです!」
ジャーン! と、まるでとても重大な出来事があることを示すように、どこからともなくシンバルのような音が響きました。
「それはなあに?」
「ええ。ええ! それは空! それは天穹! 空の青さと雲の白を表すものがこの城には存在しないがゆえに!」
アナトライヤは声を張り上げたあと、すぅ、と息を吸いました。
それは、次に語る言葉こそ大事なのだとヤナに予感させるに十分なものでした。
「お客人! ぜひぜひ貴女にこの城に青い空をもたらしていただきたい! 輝く針を手にした貴女ならば、さぞ美しい幕を作り出せることでしょう!」
再びシンバルのような音が響きます。
いつのまにか、小さなランタンを持ったぬいぐるみたちがヤナの周りに集まっており、ヤナは煌々と黒の灯りで照らされていました。
「ええっと」
ヤナは自信なく、少しだけためらいを感じました。
このお城に来たばかりのときと比べて、ヤナの心は少し変わっていたのです。
「ヤナ、大丈夫?」
小さく声をかけたのはスヴォボダでした。
期待に満ちた瞳を向ける小さなぬいぐるみたちの中にあって、スヴォボダだけがヤナのことを心配そうに見ていました。
「ええ、大丈夫」
ヤナは小さくスヴォボダに微笑んで、ためらう気持ちをしまい込みました。
この小さな友達を不安な気持ちにさせたくない、そう思ったのでした。
「アナトライヤさん! わたし、やってみるわ。詳しくお話しを聞かせてちょうだい!」
「ああ、まことにありがとうございます! 第二幕は我が劇団の願いでありましたゆえに! 完成の暁にはぜひぜひ、竜の物語の続きをご覧に見せましょう!」
広げられたアナトライヤの両腕。
舞台袖から出てきて、くるくると踊るぬいぐるみたち。
鳴り響くトランペットのファンファーレ。
どれもこれも喜びに満ちていて、けれど少し大げさで。
ヤナはやっぱり苦笑いしたのでした。