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瞳を探す猫のスヴォボダ④

「ふむ。それでわしのところに来たのか」


 ヤナはスヴォボダと別れたあと、すぐにおうさまの部屋に向かいました。スヴォボダに何が起きたのか、おうさまに教えてもらおうと思ったのです。


「おうさま。扉の先には何にもなかったの。あるはずの降りる階段がなかったからスヴォボダは落ち込んでしまったの?」


 ヤナは必死に考えたことを話します。

 扉の先で変わったところをスヴォボダは見に行ったはずでした。だからそれを見てスヴォボダが落ち込んだのなら、その変化が望ましいものじゃなかったのかとヤナは考えたのでした。


「塔の中を見たのだな。上も下もよく確認したのかね?」


 おうさまの問いかけに対し、ヤナはこくこくとうなずきます。

 それを見たおうさまは小さくふるえ、考えこむように黙ってしまいました。


 ヤナは不安になりました。

 おうさまが黙ってしまうくらいよくないことが起きているのかもしれないと思ったのです。


「おうさま……?」


 思わずヤナはおうさまに声をかけていました。それに対し、おうさまは優しくヤナに語りかけます。


「ああ、すまぬ。心配をかけたな。扉の先は見る者によって姿をかえるのだ。そなたが見たものは心配するようなものではないのだよ」


 それを聞いてヤナは少しだけほっとしました。それと同時に。


「じゃあ、なんでスヴォボダはあんなに落ち込んだんだろう」


 肝心のところがよりいっそう分からなくなってしまったのでした。


 そんなヤナに対し、おうさまはゆっくりとヤナに語りかけます。


「ヤナ、よくお聞き。下り階段は冥界(ナーヴィ)、死後の世界へと続き、上り階段はその逆、現世(ヤーヴィ)へと続いているのだ。言葉の意味は分かるかね?」


 ひときわ大事なことのように。忘れてはならないことのように、おうさまは語ります。


「うん、ちゃんと分かるわ」


 ヤナもおうさまの言葉を受けて、こくこくと首を縦にふりました。


 死ぬこと。その意味は知っていました。

 だってヤナのお母さんはヤナたちをのこして亡くなってしまったからです。

 何日も泣きはらしたことをヤナは覚えていました。


 ヤナの真剣で、そして少し悲しそうな見たからでしょう。

 おうさまは言葉を続けます。


「下り階段は多くの者に見えるが上り階段が見える者はほとんどいない。『拾いあげられるもの』の前にのみ上り階段は現れるからだ」


「スヴォボダには……」


 ヤナは思わず呟いていました。

 おうさまの話を聞いて分かってしまったのです。


「あのときのスヴォボダにも、上り階段は見えなかったのね……」


「……おそらくだが」


 それがどういう意味を持つことなのか。

 それがどんなに残酷なことだったのか。


 ヤナはスヴォボダの悲しみの理由を知りました。だから。


「おうさま、わたし行かないと」


 今はただ、友達の小さな体を抱きしめてあげたいと思ったのです。

 言ってあげたい言葉があったのです。


「よろしい。ならばわしもその願いに応えようとも」


 おうさまの言葉と同時に、ヤナの足元からたくさんの黒い糸が伸びました。

 それは膨らみながら撚りあい球となり、ヤナの周りを覆っていきます。


 突然の出来事にヤナは少しだけ驚きました。

 けれど倉庫で守ってくれた黒い繭のことを思い出して胸が熱くなるような思いになりました。


「そなたをスヴォボダのもとに届けよう。ヤナよ、どうか願いを超えた幸せを朋友に届けておくれ」


「はいっ!」


 ヤナは力強く答え、すっぽりと黒の球に包まれます。

 そして黒い球はとぷん、と床へと吸い込まれていきました。


 部屋にはひとり。

 はじめて誰かに願いを託したおうさまがたったひとり。いつもよりも落ち着かない様子で佇んでいるのでした。


-◇-


 黒い球に包まれたヤナは、ぎゅんぎゅんとお城の中を滑るように進んでいきました。黒い球はヤナが中で転ばないような速さを保ちながら、壁も床もすり抜けていったのです。

 それはいつかお話で聞いた馬車に乗っているようで、スヴォボダを思う気持ちのすみっこでヤナはドキドキとしているのでした。


 やがて黒い球はふわりとお城の空気と溶け合うように止まります。

 そしてヤナの周りを囲った黒は、糸がゆっくりとほどけるようにしてお城の床に消えていきました。


 開けたヤナの視界の先にはスヴォボダがいました。

 突然現れた黒い球と、そこから出てきたヤナの姿を見てびっくりしている様子でした。


「や、ヤナ? あなたどうして--」


「スヴォボダ、わたし、わたしね--」


 スヴォボダが何かを言い終わる前に、ヤナは声を上げました。けれど伝えたい気持ちがあふれて中々言葉にできません。


 そんなヤナの様子と、ヤナを運んできた黒い球を見て、スヴォボダは自分が塔で見たものをヤナが理解したことに気づきました。

 きっとおうさまがヤナに教えてあげたのだろうと察したのです。


 きっと悲しまないで、とか。

 わたしがそばにいるわ、とか。

 優しいヤナはそういう言葉をかけてくれるのだろうと思いました。


 そしてそんなことを言わせてしまう自分に愛想が尽きるような思いなのでした。

 だからいま、塔の階段を降りるために色々なものを片付けていたのです。


「むかしの話をしましょうか、ヤナ」


「え……」


 スヴォボダはヤナの言葉を遮ります。

 自分のダメなところ話して愛想を尽かしてほしい気分だったのでした。


「わたくしの持ち主は小さなお嬢様で最初はとても可愛がってくれたの。だけど人は大人になるものだから」


 スヴォボダはことさら懐かしそうに昔のことを語ります。それは本当の気持ちでもありましたし、ヤナに嫌われたいという気持ちもありました。


「お部屋にはキラキラした宝石やきらびやかなお召し物が増えていったわ。それこそ、このお城にも負けないくらい。まあ、それで子供っぽいおもちゃやぬいぐるみをしまうための『なくなってもいいもの入れ』がお部屋に置かれることになったのだけれど」


 スヴォボダは自分をあざけるように笑います。いっそ自分の心が傷ついてゆくのが心地よい気がしていました。


「箱の中身は使用人たちが少しずつ無くしていくの。そしてついにわたくしの番がやってきた。お嬢様の誕生日のあの日、首元に指輪があしらわれたぬいぐるみが持ち込まれて、わたくしは棚を開けるために『なくなってもいいもの』の箱に入れられて。そして気がついたらこのお城にいたのだわ」


 これでお終い、とスヴォボダは締めくくりました。


 思い出してもつまらない話でした。

 一方的に自分が相手を好きでいただけの、使い捨ての『おもちゃ』の話でした。

 誰も求めてなんかいないのに、それでも相応しい姿になって戻りたいだなんて。

 くだらなくて、愚かで、意味のなくて。

 階段を下るのも仕方のないような存在だと。

 スヴォボダは思って、途切れ途切れに話して。

 それをヤナはじっと聞いていました。


 聞かなければならないと思っていたのです。

 全てを聞いて、受け止めて。

 その上で優しく抱きしめて慰めてあげないといけないと思っていました。


 けれど。


「ぐすっ」


 思わずヤナは鼻をすすっていました。

 友達の悲しみを受け止めて、そして受け止めきれなくて、気持ちが涙となってこぼれてしまっていたのです。


「や、ヤナ……?」


 スヴォボダは分かっていませんでした。

 目の前の友達は、話を聞いて呆れるよりもずっと、寄り添って悲しんでくれるということを。


「わ、わたし……あなたが大好きなの。だからどこかに戻ろうとして悲しくならないで。わたしのそばにいて」


 ヤナはスヴォボダを拾い上げ、力の限りスヴォボダを抱きしめます。それはまるで、怖い夢を見たこどもがお母さんに抱きつくみたいな勢いでした。


「ヤナ……」


 ヤナの涙がぽたぽたとスヴォボダに触れました。

 それはひどく熱くて、スヴォボダには心の奥の何かを焼くようでした。

 スヴォボダはヤナの涙を止めてあげたいと思いました。


「ヤナ、分かった、分かったらから……」


 スヴォボダはなだめるように、ヤナに優しく声をかけます。


 それはなんだかあべこべな風景でした。

 ヤナはスヴォボダの悲しみを止めようとしていたのに、逆にスヴォボダに慰められているのですから。


 けれども、ええ。そういうものかもしれません。

 寄り添い、優しくされることよりも、ただ純粋に求められることの方が嬉しいときもあるのでしょう。

 そしてスヴォボダにとって今がそのときだったのでした。


 黒のお城の端っこ。

 一番古い倉庫の一角で、スヴォボダはずっと胸の奥にあった悲しみが溶けていくのを感じていました。

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