黒いお城の竜とヤナ①
「さァさァ、無事第二幕も終わりまして。本日はおうさまの厚意による宴でございます。皆様、大いにお楽しみくださいませ」
「「「かんぱーい!」」」
大広間の壇上にアナトライヤの言葉が響くとともに、盛大なパーティが始まりました。
劇団員に観客、更には皆さんお誘い合わせ、ということで、黒いお城にいるほとんどが集まっています。
ジトムィールの作ったご飯を美味しそうに食べているヤナもその一人です。
劇の最後を見てさめざめと泣いていたヤナでしたが、あれよあれよという間に広間に連れて行かれ、席に座らされ、目の前にご飯が並ぶと、涙はいつのまにか止まっていました。
「おいしいね! スヴォボダ」
「ええ、そうですわね」
ぬいぐるみたちはみんな背丈が違うので普通の椅子だと食事も大変です。
けれど、黒のお城の真っ黒な椅子は座るものにとってちょうど良くなるように高さや広さを調節してくれるので、みんなでご飯がたべられるのでした。
「飲み物はいるかな?」
「はい、お願いします!」
声をかけてきたのはコックのジトムィールでした。料理を作り終わったので、今は給仕をしているようでした。
「そちらの猫さんはいかがかね?」
「いただきますわ。……この、くぬっ」
スヴォボダはひよこ豆のスープと格闘中でした。最後に残ってしまった豆がつるつる滑るのでなかなか取りづらいようです。
「どうぞ、お嬢様」
「え、ええ。うん、おいしいですわ。ありがとう」
ジトムィールは器用に豆をスプーンですくってスヴォボダに食べさせてあげました。スヴォボダも怒りそうなものですが、お嬢様扱いされてそんな気もないようでした。
「あの方、紳士ですわね」
去っていくジトムィールの背中を見てスヴォボダはぽつり呟きました。
やりますわね、と認めているようでした。
「ねえねえ、ヤナ! お空の幕をありがとう!」
「いえいえ、どういたしまして」
次にヤナに声をかけてきたのは小さなリスのヤロスラーヴでした。色々なテーブルを回ってお話しているようでした。
「ユルコーのおばあちゃんも、あんなにきれいな青色が出たのはヤナのおかげなんだって! きっときれいなお空の下にいたんだろうって言ってたよ」
「ふふ、そうね。麦畑の収穫の手伝いもしていたし、お空を見る機会も多かったかも」
「そうなんだ! ヤナのいたところはいいところなんだね」
「そうね。そうだったかも」
思い出すのは小さな頃の思い出です。
生活は少し厳しくても、作物の恵みとともにあった思い出でした。
「でもね、ボクはきっとこの黒のお城の暮らしももっと素敵だと思うなあ。ねえヤナ」
「小リス。やめなさいな」
スヴォボダはヤロスラーヴの顔をじろっと見つめました。ヤロスラーヴが言おうとしたことを咎めるような顔つきでした。
「ふんだ。自分だってさびしんぼのくせに」
「小リス、そんなに食べられたいのかしら……!」
「べーっ! ヤナ、ボクが言いたかったのは、ボクはキミが大好きってこと! またね!」
「う、うん、またね!」
ぴゅーっ、と走り去っていくヤロスラーヴにヤナは手を振って見送りました。
隣のスヴォボダを見るとぶすくれた顔をしています。
「スヴォボダ、大丈夫?」
「ふぅ。ごめんなさいね、ヤナ。気にしないで大丈夫なのだわ。あ、無理してるわけじゃないからね!」
「ふふっ、分かった」
慌てて両前足を振るスヴォボダの様子がどこかおかしくて、ヤナは思わず笑ってしまいます。
ふとヤナは辺りを見回しました。
大広間ではたくさんのぬいぐるみたちがご飯を食べたりおしゃべりをしています。
見たことのある子も、みたことのない子も色々です。
そしてその中に見慣れたひとがいないことに気がつきました。
「おうさま……?」
おうさまの大きな体も入るくらいの大きな広間に、みんなが楽しそうにしているパーティに、おうさまの姿だけがありません。
ヤナはぎゅうっ、と胸が締め付けられるような気持ちになりました。
あの大きなお部屋に、一人きりで静かにたたずむおうさまの姿が頭に浮かびました。
しん、と静まり返ったあの広い部屋の中、誰も話しかける者もいない。
なのに、表情も分からないあのひとは、みんなが楽しそうだという理由で嬉しい気持ちになっているに違いないのです。
劇で見た、沈んでいく竜の体と重なりました。あらゆる生き物の願い事を叶えて、最後は自分自身にすら別れを告げたあの黒い塊。あれとおうさまの姿が重なったのです。
ヤナは居ても立っても居られなくなりました。
「スヴォボダ、わたしちょっと行ってくる」
そう言ってヤナは立ち上がります。
そしてテーブルの上にあった籐のカゴにそうっと料理を詰めていきました。
せっかくこんなにおいしい料理なのに。そんな気持ちもありました。
「行ってきます!」
カゴにひとしきり詰め終わったヤナは、中の料理が崩れないようそっと歩きながら大広間を抜けていきます。
「行ってらっしゃい、ヤナ」
スヴォボダはその背中を優しく見送ります。
猫目石を探していたときに自分たちを見送っていたおうさまも、きっとこんなふうに心配と応援する気持ちになっていたのかな、なんて思いながら。
-◇-
ヤナがおうさまの部屋の前に立つと扉がひとりでに開きました。きっと両手が埋まっているヤナのことを考えて、誰かが扉を開けてくれたのでしょう。
誰か。それは考えるまでもありません。
「おうさま」
部屋の主人はいつもと変わらない姿で部屋の中に佇んでいました。
真っ黒もやの姿からは気持ちを伺うことはまできません。
「ヤナよ。わざわざわしを気にしてくれて感謝する。だが、早く広間に戻ってパーティを楽しんできておくれ。それこそがわしの喜びなのだから」
おうさまの優しい声が部屋に響きます。
嘘ではないのでしょう。おうさまは自分の力を誰かに使えて、みんなに喜ばれているのですから。
きっと嬉しいに決まっているのです。
それでも、それがヤナには悲しく思えました。だからおうさまのお願いは聞きません。
「おうさま。お願いを聞いてもらえる?」
「いいとも。なにかね?」
「劇の竜とおうさまは……ううん、沈んでいった竜の体とおうさまは何か関係があるの?」
お話とほんとうの話をまぜこぜにするのは間違っていると分かってはいました。
けれどもあの沈んでいく真っ黒がおうさまと重なって見えて仕方がなかったのです。
「ほんとうのことを教えて。これは『お願い』よ」
ひどく。ひどく嫌な言い方だとヤナは思いました。おうさまも、そして竜も、竜だったものもこういう言い方をすれば絶対に断ることはないのですから。
「ヤナよ。おまえの思う通りだとも。竜が捨てた力。体。誰かに優しくしたいという感情。それら全て。それがわしなのだよ」
おうさまは静かに語り続けます。
「ただ、わしは捨てられたもの。冥界に近しいものであり、力も姿も元の竜には遠く及ばぬ。自らに近しい『捨てられたもの』のゆりかごになるしか出来ぬものだ」
「おうさま……」
「だが感情だけは変わることがなかった。わしはみなの願いが叶えられて本当に幸せなのだよ。……これで良いかな、ヤナ」
おうさまは柔らかく語りました。
それは本当なのでしょう。おうさまは誰かに悲しまれることなく、誰かの願いを叶えることができているのですから。
自らの願いも叶っているのです。おうさまは幸せに違いなのです。
「それでも寂しいわ」
だっておうさまはいつもひとりです。
喜びも悲しみも何もかも、誰もおうさまと分かち合うことがありません。
公平であるために。みんなに等しく優しくあるために。おうさまは誰をも愛し、誰からも愛され、そして誰とも寄り添うことはないのです。
「だからわたしがあなたのそばにいる」
優しくて、哀しいこのひとのそばに何をしてもいてあげたいと思いました。
そう、強く強く、心を決めました。
ええ、けれどそれが鍵でした。
ぱきん、と湖に張った氷が砕けるように突然に。
黒のお城に来るまでの記憶。その全てをヤナは思い出していました。