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古き竜の舞台劇(ヴィスターヴァ)③

「さァさァ、皆様お集まりいただきましてありがとうございます。本日お届けしますのは古き竜の舞台劇、その第二幕でございます」


 緞帳の降りた舞台の上、その真ん中でアナトライヤがうやうやしく礼をしました。

 芝居がかったその振る舞いも劇の始まりを予感させて、ヤナはドキドキしてきました。


「はてさて、かの竜はどのような運命を辿るのか。そして竜はどこに行くのか。ゆめゆめお見逃しなきよう、どうぞお楽しみ下さいませ」


-◇-


『寒さが厳しい冬の日のこと。

 湖の氷の上にすら、しんしんと雪が降り積もる冬の日のことです。

 動く生き物が他にいない氷の上に、ゆっくりと動く影が三つありました。

 クマです。

 一匹は二匹に比べて大きく、そしてひどく痩せていました。

 残る二匹は小さく、大きな一匹の後ろについて歩いています。


 母グマと子グマでした。

 冬の蓄えが足りず、冬眠することの出来なかった家族の一つです。

 この年の冬、森には同じようなクマたちが溢れていました。


 こんこん。こんこん。


 弱々しく氷を叩く音が水の中に響きます。

 魚たちは誰もそれを気にすることはありません。

 けれど、竜だけは違いました。

 ゆっくりと首をもたげ、湖の底から泳いで湖面の近くまでやってきます。

 そうして、音の響く場所から少し離れた場所で氷を割り、冷たい水が氷上に溢れないようそうっと首を出しました。


「望みを聞こう。ただ、その前に腹を満たしなさい」


 竜はそう言うと口の端を奥歯でかじり落とし、欠片をクマたちの前に落としました。

 竜のお肉は栄養たっぷり。溢れた血も渇きを癒すことでしょう。


 伺うように、子グマが母グマにちらりと顔を向けました。母グマは頭を縦にふります。良いよ、という合図でした。

 子グマたちは二匹とも肉に飛びつきます。

 母グマはその様子を少し見届けたあと、口を開きました。

 

「竜よ。願いを聞いてください」


「良いとも。何が望みかね?」


「竜よ。わたしたち、森の獣たちの願いを叶えないようにしてはもらえないでしょうか」


「ふむ。その理由は?」


「あなたの力は大きすぎて歪みを産むのです。わたしたち、森の獣たちは増えすぎました。わたしがかつてあなたに言った『お腹いっぱいに食べられるようになりたい』という願いによって、森に食べ物が溢れたからです。わたしたちは飢えず、増えすぎた。そして森の食べ物だけでは足りなくなった。だから、今年、わたしたちは生きるために湖と人の食べ物を求めたのです」


「しかし願いを叶えなければお前たちは飢えてしまうのではないか」


「ええ。ええ。わたしたちは飢えて数を減らすべきなのです」


「それが分かっているのに、それでもわたしは我が子にあなたの恵みを得ることを許してしまう。わたしが愚かであるがゆえに。ですからわたしはあなたにここから去っていただきたいのです。あなたがそこにいれば誰もが愚かな願いをしてしまうから」


「そうか。ならばわしはこの場所を去ろう。迷惑をかけて済まなかった」


 竜は川を下り新たな場所に向かいます。

 その間、自分の何が悪かったかをずっと考えていました。

 誰の願いを叶えないことも考えました。けれど竜は誰かの願いを叶えたかったのです。ですからその方法を考えていたのでした。


 やがて竜は城のほとりの湖にたどり着きます。苔むし、命の溢れる森でした。すぐそばには人の街もありました。


 そこで竜は対価を得て願いを叶えることを決めました。

 無制限に願いを叶えることをせず、願いと対価の釣り合いが取れるようにしたのです。


 公平に、平等に。願いのもたらす影響と対価のバランスが常に等しくなるよう、あらゆるものの価値を定めました。


 魚もリスも熊も人も、命の循環に基づく数により、あらゆる命の価値が定められました。

 すなわち、より多く生まれより多く食べられるものの命の価値は小さく、より少なく生まれより多くを食べるものの命の価値は大きく定められました。

 同様に、人の命にも価値が定められました。

 働けるもの、愛されるもの、育ってゆくものの命の価値は大きく、逆のものの命の価値は小さく定められました。


 果たしてどうなったでしょうか。

 ……ええ、それはうまくいきましたとも。


 竜は智慧のある生き物でしたのであらゆるものの価値を正しく定めることができました。

 命と社会、いずれもの営みが大きく崩れることもなく、正しく歯車が回っていきました。


 ただ一つ。悲しむべくは。

 竜は弱いものの願いを叶えることができなくなりました。

 価値のないものを救えなくなりました。

 窮状を訴えるしかできない、真に助けを求めるものにだけは何をももたらすことはできなくなったのでした。


 ある日のこと。

 竜の前には飢えた子供が横たわっていました。

 病に侵され、体の節々が醜くとがり、学のない人の子供です。


 その手から木の実が溢れました。竜に差し出せる精一杯のものでした。

 もはや声を出すこともできないのでしょう。

 ただ口のかたちだけがわずかに動きました。


『おとうとをどうか』


 それきりもう子供は動くことはありません。

 竜は足りない対価のために動くことはできません。


 その子供が『街の治安を良くしたい』という望みを叶えた果てに、居場所(スラム街)すら無くした子供であったとしても。

 竜が正しくあるならば、竜は子供を救えませんでした。


 森に大きな声が響きます。

 びりびりと森の木全てを震わせたその声は竜の嘆きの声でした。


 竜は分かってしまったのでした。

 誰かを助けようとしても、自分が願いを叶えるのではどこかに歪みが生まれ、誰かが悲しんでしまうことを。それは何をしても止められないことを。

 

 その事実にもう、優しい竜は耐えられなくなりました。

 天を仰いだ竜の視界には空が映りました。

 雲一つない青い空でした。


「ああ。力も何もかもを捨てて、ただ空を飛べたなら」


 それは竜が初めて呟いた自らの願いでした。

 無意識に呟いた言葉は空気に溶け、そして。


 銀色の煌めきとなって竜の周りを包みました。驚く竜を尻目に、煌めきはどんどん強く、また瞬きの頻度を増していきました。


 竜の力は優しさでした。

 そしてそれは自らの主人をも労ったのです。


 眩さがいっそう強くなり、竜は思わず目を閉じました。

 そして竜は体がふ、と軽くなるのを感じました。

 そしてすぐに落ちてゆく感覚に包まれます。

 慌てて目を開くとそこは空でした。

 

 竜だったものは鳥になっていたのです。

 鳥は精一杯に翼をはためかせて飛んでゆきます。生きるために精一杯のことをする。それは竜だった鳥にとって初めてのことでした。


 鳥は眼下に沈んでゆく真っ黒な巨体に小さく頭を下げたあと、どこまでも遠く、はるか高くに飛んでゆくのでした』


-◇-


 幕が上がります。

 ヤナは、静かにぬいぐるみたちの拍手を聞きながら、温かいものがほほをつたうのを感じていました。

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