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古き竜の舞台劇(ヴィスターヴァ)②

「よいしょ……と。持ってきたわ、ユルコーさん」


「ああ、ありがとうお嬢ちゃん。またそこの桶に入れておくれ」


 ヤナはしわがれた声に言われた通り、カゴいっぱいに入った緑色の葉っぱを広い桶の中に入れました。


 桶いっぱいになったものはウォードの葉っぱ。

 おうさまからもらった、布を染めるための染料の素材です。


「何往復もありがとうね。これだけあれば大丈夫じゃよ」


 しわがれた声の主、ユルコーはヤナよりも大きなウミガメのぬいぐるみ。ヒレをぺったんぺったんと動かして歩きます。

 そして彼女は黒の城における染物師でした。


 ユルコーが前ヒレで桶をとんとんと叩きます。

 すると桶に黒い水が湧き上がり、桶の半分ほどの高さで静かに止まりました。


 そうして水を張った桶の中にユルコーはざぶん、と飛び込みます。

 水面(みなも)に浮いていたウォードの葉っぱはユルコーの大きな体に押しつぶされて沈んでいきます。

 そしてさらに体を動かす彼女によって、ウォードの葉っぱは細かく千切られて黒の水と混ざっていくのでした。


 その様子をヤナは「へぇー」と興味深そうな顔で見ていました。

 色のついた糸や布で刺繍することには慣れていたヤナでしたが、染物の仕事は初めて見たからです。

 村の富農が仕入れていた糸や布が知らない誰かの手で作られていたことが、少し不思議で面白いと思いました。


「さてさて、はてさて。どっこいしょ」


 ユルコーがざぶんざぶんと体を揺するたび、小さなしずくが飛び散ります。

 飛び散ったしずくは、やがて銀色のきらめきとなり、水面(みなも)全体を覆い尽くしていきました。

 そしてしずくの触れたところから水は黒色から緑色に変わっていくのでした。


「さあお嬢ちゃん、染めたいものを入れておくれ」


「はい! よっこいしょ、っと」


 ヤナは両手で抱えたシーツを桶の中にゆっくりと滑り込ませます。

 ほつれたり汚れたりしていたリネンのシーツは水の中に吸い込まれ、どんどんと緑色に染まっていきました。


「さてさて、はてさて。どっこいしょ」


 大人サイズのシーツはやがて桶の中にすっぽりと入り込み、その上にユルコーが乗る形になりました。

 上から重さをかけて揉み込むことで、緑の水をシーツの中により染み込ませているのです。


 そしてそれからしばらく経って。


「さて、お嬢ちゃん。染めたあとは干すからねえ。これも手伝ってもらえるかい?」


「はーい」


 ヤナは桶の中からざぶっとシーツを取り出します。そして頭の高さほどのところから横へ伸びた黒い棒にシーツを持ち上げてかけていきました。


「嬢ちゃん、染め物の様子をよく見ておいで」


 ヤナはユルコーの言葉に倣ってシーツ全体が見える位置に立ちました。


 するとどうでしょう。

 シーツを染め上げていた緑色がみるみるうちに鮮やかな空色へと変わっていきました。

 それはまさに晴れた夏の空そのものの色でした。


「わあ……!」


「不思議じゃろう? まるでおうさまの魔法みたいじゃて」


 思わず感嘆の声をあげるヤナに、ユルコーが優しく声をかけました。それはまるでおばあちゃんが孫娘に声をかけるようでもありました。


「さあさ、たくさん染めなけりゃいけないんじゃろ? 続きをやろうかね」


「はーい!」


 そうして二人は染め物を続けます。

 黒のお城の一室は、ずいぶんと遅くまで賑やかなのでした。


-◇-


 それからしばらく経ったあと、ヤナの姿は客間の一つにありました。

 そこは中庭に面しており、花壇や噴水へも気軽に足を運べる場所にあります。黒いお城での暮らしが始まってから、ヤナの部屋としてあてがわれたのが、このお部屋でした。


 部屋の端っこには青く染め上げられたシーツが山のように積まれていました。

 ユルコーのところで染色したシーツを、ヤロスラーヴたち劇団のぬいぐるみに運んでもらったのです。


「よし、頑張ろっと」


 ヤナはシーツの一つを取って机の上に広げました。

 たくさんのシーツを四角に裁断し、縫ってつなぎ合わせて大きな幕を作ろう、というのがヤナの考えでした。


 ヤナはヴウークに研ぎ直してもらったハサミを手に取り、慣れた手つきで滑らせてシーツを裁ち切ります。

 こうして作業を繰り返し、ヤナは両手を広げた幅よりも大きな布を作っていくのでした。


「うーん……!」


 いくつものシーツを裁ち切ったあと、ヤナは大きく伸びをします。

 すると壁にかかったランタンが目に入りました。ヤロスラーヴが置いて行ってくれた、黒い炎のランタンです。

 明々と照らしてくれるおかげで細かいところも見やすく、作業が捗りました。


「さて、そろそろ縫い合わせていこうかな」


 ヤナは布を二枚手に取り、端どうしが同じ幅で重なり合うようにベッドの上に置いて重ねました。

 布の横幅が机よりも長すぎるので、ベッドを作業台にするしかないのでした。


 布がずれないよう、ヤナは丁寧に仮留めを進めていきます。

 まずベッドの奥側に足を運び、一番奥にまち針を打ちました。次にベッドの手前側に回って、一番手前にもまち針を打ち込みます。

 そして布を少しずつ手前側に引き寄せながら、何本ものまち針を打っていきました。


「ふうっ」


 最後のまち針を打ち終わり、重ね合わせた布がふぁさっ、とベッドから滑り落ちたところでヤナは小さく息を吐きました。

 ここから本当に縫い作業が始まるので、ちょっと気合を入れたのでした。


 ヤナは床に落ちた布をそうっと拾い上げ、ベッドの上に広げ直します。

 そして縫い合わせる場所が正面にくるように椅子を運んで座りました。

 まずは一番手前に針を通します。そしてゆっくりと針をすすめていくのでした。


 ちくちく。ちくちく。


 ヤナにとって針仕事は慣れたものでした。ですから、縫い目を真っ直ぐにしようと気をつけてはいても、色々なことが頭の中を巡っていきました。


 たとえば、それは黒のお城での生活の豊かさ。

 あるいは、それはぬいぐるみたちと過ごす日々の楽しさ。

 さらには、それはおうさまがくれた優しさであったりするのでした。


 ちくちく。ちくちく。


 ヤナは一人で針仕事を進めます。

 こんなに長い間一人でいるのは、黒いお城に来てから初めてのことでした。ほとんどの時間を、ヤナはぬいぐるみやおうさまと共に過ごしていたのですから。


 そうして一人になって時折考えるのは村に残してきた弟のことです。

 スヴォボダを抱きしめたあとで、ふと思い出した弟のこと。

 お母さんが天に召されたときにぎゅっと抱きしめた弟が、今どうなっているのか少しだけ気になっていました。


「元気で過ごしているといいのだけれど」


 思わずヤナはひとりごちました。

 けれどもそこに深刻な様子はまったくありません。

 明日の天気はどうかしら。そんな程度の雰囲気です。


 本当なら。本当ならそんなふうには済まないはずなのです。


 追い詰められた村の窮状も、小さく握り返してきた弟の小さな指も。何もかもを目にし、何もかもに触れて、ヤナは竜の贄となる決断をしたのですから。


 ええ、けれどだからこそ。


 捨てられたもののみが入れる黒のお城において、未だヤナの中に思い出されることはありませんでした。


 どれだけこの黒のお城での暮らしが幸せで大事なものになったとしても、『やらなければならないこと』だけはまだ、黒のお城の扉をくぐってはいないのでした。

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