第217話:教国の国境について
「あっ」
ライラとデートモドキをした次の日。
陽気な日差しに照らされて街道を進んでいると、急にミリーさんが声をあげた。
「どうかしましたか?」
「いや、サレンちゃんのせいで忘れちゃってたけど、さっきの街で馬車を買うの忘れてたなーって」
…………あっ。
そう言えば馬車を買うって話だったのに、完全に忘れていたな。
馬車を運転しているアーサーの方を見ると、振り返って苦笑いを浮かべる。
どうやらあのアーサーすら忘れていたらしい。
まあ確かに狭いには狭いが、この人数で乗っても一応スペース的な余裕はある。
なんならマヤは調合をしていたり、シラキリは武器の手入れだったりをしたりもしている。
なので、このままでも大丈夫と言えば大丈夫なのだ。
「我はそこまで窮屈ではないから、構わんがな」
「私も調合の事を考えるとこのままの方が……」
距離的にも戻れない事もないが、結果的にこのまま進むことになった。
早ければ後一週間で帰れるのだし、態々遠回りするのも微妙だろう。
「それと、一緒に思い出したんだけどさ……」
ミリーさんからさっきのおちゃらけた雰囲気が四散し、まじな雰囲気を纏う。
「どうかしましたか?」
「国境にさ、マーズディアス教国の信徒とかが戦争のために集まってたわけだけど、大丈夫かな?」
…………そう言えば戦争一歩手前の状況だったんだ。
サクナシャガナの信徒達は加護を失い、奇跡をもう使う事が出来ないが、かなりの人数の兵士も用意している。
もしもサクナシャガナが死んだことで戦争を取り止め、引き返している場合、数日以内に鉢合わせする可能性があるだろう。
いやー、完全に忘れていた。
確かにサクナシャガナと戦う前の会議で話していたはずだが、サクナシャガナとの戦いで起きた出来事や、やっとホロウスティアに帰れると安堵したのもあり、完全に失念していた。
「また山を越えるとかの方法は使えないのですか?」
「流石に戦争の準備をしている国が、正規方法以外の入出国を取り締まらないわけが無いからねー。あれからどうなっているかも分からないし、困ったねー」
何故かミリーさんは、まったく困っている様な雰囲気を出していないが、結構重大な事ではないだろうか?
いや、奇跡の使えない信徒と一般の兵士程度ならば、ライラだけでもどうにかなるだろうが、アオイやユウトなんて驚いて固まっている。
「あの、大丈夫なんですか?」
「あれと戦った後ならどうってことはないんだけどねー。マヤちゃんもどうにかなるとか思ってない?」
「そ、それは……」
あれを経験した後となると、危機感が少々馬鹿になるのは仕方のない事だ。
幽閉されると分かっていて聖都に向かい、しかも暗殺者にも狙われ、挙句に神の戦いに巻き込まれたとなれば、多少精神性は変わってしまうだろう。
「武力的には問題ないけど、これ以上荒れるのは流石にね。今はどうなっているかも分からないし、後で偵察をしないとだね」
「あの、私が説得とかしてみましょうか? 情報が伝わっていないのなら、まだ聖女の肩書きも使えるんじゃないかと……」
勇気を振り絞るようにアオイが手を上げるが、ミリーさんは首を横に振って否定する。
「下手にアオイちゃんが顔を出すと、士気を高めるか暴走させるだけだから止めておいた方がいいね。加護が無くなって混乱している人達が、まともな思考を出来るはずもないだろうし」
「そう……ですか」
こればかりは、ミリーさんの言う通りだろう。
追い詰められた人間が何をしでかすかは、歴史が証明している。
アオイに不条理を押し退けられる程の力があるならばともかく、一般人であるアオイが行けば殺される可能性もある。
力の無い聖女なんて、悪魔みたいなものだからな。
しかし最終手段があるとはいえ、困ったものだ。
「後で私が偵察に行ってくるけど、ライラちゃんは大丈夫?」
「問題ない。グローリアは使用できないが、こっちは使えるからな」
ライラのグローリアは使えない事もないそうだが、全体的にガタが来てしまっているため、直すまでは使用することが出来ない。
本当は使えない事もないが、これ以上酷使すれば完全に壊れてしまうので、今は完全合体状態で安置されている。
直すならばともかく、一から作るとなればドーガンさんでも難しいとミリーさんが判断したので、ホロウスティアに着くまでこのままだろう。
その代わりグランソラスの方はサクナシャガナを倒した事により、大幅に強化されている。
ほとんどの神力はディアナの方に流れたが、ルシデルシアが使ったせいのなのか、絶好調状態らしい。
元々王国の一件でライラは正式にグランソラスが使えるようになり、魔力を実質無限に使えるようになったが、今はそれに加えて魔力の回転速度が上がり、身体に馴染みやすくなっているらしい。
グランソラス側からしたら、千年ぶりに親に会えてテンション爆上げって感じなのだろう。
やんわりとライラには、グランソラスが絶好調の理由を教えたが、多分納得できていないだろう。
これも、どれもかれも何もかも全部ルシデルシアが悪い。
「調子が良いみたいだけどいざと言う時は宜しくね」
「適当に壁をぶち抜けば良いのだろう? その程度容易い」
……確かに正面から抜けなくても、警備の薄い壁を壊してそのまま逃げれば、追ってなんかも追ってこないか。
そんな余裕も無いだろうし、下手に帝国領に入る事も出来ないだろうからな。
問題としては帝国側の国境にも被害が出てしまう可能性がある事だろうか?
位置次第だろうが、教国はともかく帝国側からの追っ手が来る可能性がある。
ミリーさんが居るから大丈夫だとは思うが、過信は駄目だ。
「まあね。一番は集まっている連中が聖都に引き返していれば良いんだけど、命令がない限りはそれは無いだろうし、最悪は暴走して既に帝国に攻め入っている事だけど、加護がない以上一日もあれば壊滅しているだろうね」
「それ程帝国との戦力差があるのですか?」
「加護があるならばともかく、無いならそうなると思うよ。帝国を名乗っているんだから、それ位はね」
流石に騎士団についての明言を避けてはいるが、おそらく何が起きても良い様に、準備はしてあるのだろう。
帝国の翼の騎士団については知っているが、強さについてはあまり知らない。
ミリーさんを騎士団の物差しにするのは流石に間違いだし、それ以外となると赤翼騎士団の方々だが、訓練を少し見た程度で理解できるほど、俺は戦いを知ってはいない。
でもミリーさんが言う通り、帝国と名乗っている以上、その強さは本物の筈だ。
でなければ、反乱とか起きているだろうからな。
神もそうだが、人の恨みとは何百年と続くものだ。
親から子へ。そしてまたその子へ……。
だからこそ戦争では血を絶やすなんて方法を取るわけだが、帝国が平和って事はそれだけ力があり、誰も逆らえないという事だ。
「聞いた話ですが、帝国はかれこれ五十年ほど戦争や内乱が無いとか……」
「タリアさんの言う通りだね。何回か防衛戦はあったらしいけど、戦争までは発展したのは一度も無いね。だからってわけじゃないけど、壁を壊して帝国に入る際は、注意が必要かな」
「あの……帝国から依頼を受けているのなら、それを言えば丈夫なのでは?」
調合の手を止めたマヤが疑問を漏らすが、それは難しいだろう。
だってミリーさんの嘘なのだから。
確か身分を証明する証明書を持っていたはずだが、それが伝わる相手が国境に居るかは未知数だ。
何とかなるだろうと安心感が消える事は無いが、どの手段を選ぶかだけは慎重になっておいた方が良さそうだ。
「依頼内容が内容だから、話したところで聞いてもらえないさ。何なら不用意に話して話が上に行けば、私の首が斬られちゃうよ」
「それは……確かにそうですね。私達に話して良かったのですか?」
「帝国側に知られなければ問題無いからね。誰も話す気なんてないでしょう?」
仮にこの中の誰かがミリーさんの依頼について話を漏らせば、首を斬られるのはミリーさんではなく、漏らした側になる。
なんなら斬るのはミリーさんかもしれない。
一種の防衛だろう。
アオイやユウトは勿論、マヤ達もミリーさんの言葉に頷いて答えた。




