第203話:神の顕現
サクナシャガナを殴り飛ばしたミリーは地上へと落ちていき、膝をつく。
「はぁ……まったく、嫌になっちゃうね……ここまで格が違うなんてさ」
息を整えて立ち上がり、起き上がってくるサクナシャガナを睨む。
渾身の力でミリーが殴ったというのに、僅かに頬が赤くなっただけであり、その服は汚れすらいない。
「やはり貴様と一緒に居たのか……僥倖だ。やはり間違いではなかったのだな」
「残念ながらこっちの味方だよ。勝てると思ってるの?」
「そのための用意もしている。本来はあの聖女を殺し、その身体を手土産にするつもりだったが……」
サクナシャガナはルシデルシアが放った山断ちを片腕で防ぎ、歪んだ笑みを浮かべる。
サクナシャガナが聖女の召喚を行った理由。
それはサレン達が予想していたものであり、召喚されるはずだった、ディアナを殺すためだった。
「ふむ、少しはやるようだな」
ミリーの隣でルシデルシアは止まり、自然体でサクナシャガナへと話し掛ける。
ルシデルシアの放った山断ちは、規模こそライラが放ったよりも小さいが、一点に集中し多分威力は数倍に上がっていた。
「あなた様を手に入れるために、私は待っていたのです、ですが……あなた様は……」
歪んだ笑みは歪んだ表情となり、ルシデルシアが撒き散らす魔力を相殺する。
「だからって、私達を生け贄にしていいと思っているわけ?」
「……人とは神の僕なのだ。この身体も……貴様の存在もな。本来ならばもう少し育ててから刈り取るつもりではあったが……」
サクナシャガナは睨みつけるようにルシデルシアに視線を送り、それから神喰を見る。
代えの依り代であり、いつでもその力を吸い取る事が出来るはずだったミリーの力を、今は操るどころか奪う事も出来ない。
過去に勇者がルシデルシアを倒すために使っていたのが、神喰だとサクナシャガナは知っているが、その能力の全てを知っている訳ではない。
神喰が放つ神気は下手な神よりも大きな物であり、神の武器として相応しい物なのだろうと考える。
だが……その武器はディアナにも関連のある物であり、存在自体がサクナシャガナは気に食わない。
作ったのがルシデルシアとは分かっているが、こうやって前にすると壊したくて堪らない。
「刈り取るって言いながら、私は生きているけどね。あの日から――今もなお……ね」
「ふん。依り代に生かされただけの分際で粋がるな。今はルシデルシア様と話しているのだ」
「余としては語る事はないのだがな……いや、一つあったな。――貴様、サレンを……サレンディアナ・バレンティアを殺す気だったのか?」
ミリーはルシデルシアから放たれた言葉を聞いて、違和感を覚えた。
サレンの事かと思いきや、その姓はミリーの知っているものではなかったのだ。
ミリーの知らない事だが、サレンの名前はルシデルシアとディアナの名前が使われている。
ルシデルシアの本名はルシデルシア・レイネシアスであり、ディアナの本名は今ルシデルシアが口に出したサレンディアナ・バレンティア。
そしてサレンが名乗っているのがサレンディアナ・フローレンシアである。
ディアナの名前はそのままサレンに使われており、フローレンシアについてはだが、実はルシデルシアが世界を旅する時に使っていた偽名の一つである。
更に言えばルシデルシアが作り出し、ディアナに渡した杖の名前でもあるのだが、それを知っている者は今の世には誰も居ない。
神が態々口にした名前。
聞き流すようなことはせず、ミリーは頭の隅へ留める事にした。
「ええ。あなた様を誑かし、挙句に殺した相手ですから。ですが……あなた様は一体どうなっているのですか? それに、何故あいつは召喚されず……」
サクナシャガナが行った召喚は完璧だった。相手が死んでいたとしても、転生していれば確実に引き寄せる様に術式を組み上げた。
何に現れたのは全く関係の無い人物であり、使い道があったからこそ殺さずに教皇へと下賜し、ミリーを呼びよせる餌とした。
ミリーの裏には天界のサクナシャガナが付いているが、ある時からコンタクトを取れなくなっていた。
そのせいでサレンやルシデルシアの事をサクナシャガナが知ることは出来ず、今の様に後手に回る結果となってしまった。
もしも気付けていれば、教皇に任せる様な事はせず、さっさとホロウスティアへと攻め入って、ミリーから神力を奪うついでにルシデルシアを捕まえていただろう。
「確かに貴様の召喚は確実なものだった。後数舜気付くのに遅れれば、間違いなくディアナは呼び寄せられていただろう」
「なら!」
ミリーを相手にしていた時はなんの感慨も抱いていなかったサクナシャガナは激高し、それだけで辺りの瓦礫が吹き飛び、ルシデルシアとミリーを襲う。
飛んできた瓦礫を防ごうとミリーはするが、その前にルシデルシアが神喰で軽く地面を叩くと、飛んできていた瓦礫が全て消滅してしまう。
「貴様ならば既に見えているだろう。余の魂とディアナの魂は混ざり合い、一つの器へと収まっている。ディアナだけを呼び寄せる魔法では、不十分となったのだ」
「……あの日、あの戦いはどうなったですか? あなた様が死んだと人は慶福し、神は安寧を手に入れたと武器を収めました」
「敵が居なくなれば、そうなるのは至極当然の事だろう。余はあの時負けを認め、死を受け入れた。――だが、ディアナは余の魂をその身を犠牲にして救い出し、長い年月を魂を癒すために過ごしてきた」
「何故……何故あなたはあれ程まで支配しておいて、あいつらに殺されるのを選んだのですか! 神を殺し、人を殺し……破壊すると豪語しておいて、何故!」
端からルシデルシアは世界を終わらせる気など無かったが、ルシデルシアが死ぬまでに起こった惨劇は誰がどう見てもルシデルシアの意思が本物だと思わせるに足るものだった。
何もかもを破壊し、自分以外の全てを敵に回し、されど陰る事の無いその強さ。
あまりにも強い光にサクナシャガナは恋焦がれ、そして絶望した。
神ならば転生して再びその生を得る事が出来るので、いつかルシデルシアが復活すると思っていたサクナシャガナだが、その様子は全くなく他の神は見つけ次第魂を滅しようと目論んでもいた。
その他の神の思惑を、サクナシャガナは悪用して他の神の転生を邪魔するのだが、その結果が今の王国である。
サクナシャガナの最終的な目的。それは、ディアナを殺し、ルシデルシアと共に再び世界を破壊する事にある。
そこに生産性は無く、そこに至るまでの過程もサクナシャガナとしては意識していない。
強いて言えば、ルシデルシアに並ぶ力を手に入れる事と、ルシデルシアを探すための肉体を手に入れる事だけはサクナシャガナは決めていた。
転生や昇華ではなく、神の力を保ったままエデンの塔も無い状態で地上に降りるのはかなり難しく、数百年の歳月が掛かった。
幸いそれまでの間にルシデルシアが復活したなんて噂が立つことはなく、更にサクナシャガナの行動を問題視する神も現れなかった。
狡猾だった。一言で言えばそれに尽きるのだろう。
結果的に神子は激減し、神の一部はサクナシャガナに取り込まれ、更に配下を持つほどの強い神になれた。
今の天界でサクナシャガナに対抗できる神はほんの一握りとなっているが、その誰もが大神と呼ばれる存在であり、おいそれと動く事も出来ない。
その時になれば、ルシデルシアの様な個の力ではないが、世界を破壊する力を手に入れてしまった。
「そうだな……」
ルシデルシアは僅かに目を閉じ、考えを整理する。
強すぎる力とは、孤独を生む物である。
その孤独を埋めてくれたのがディアナであり、ディアナが生きやすい世界を作るために、世界を滅ぼすという建前で邪魔となる存在を殺して回った。
ただのお節介であり結局意味の無い行為となってしまったが、長い年月ディアナの魂と寄り添い、サレン……異世界の井上潤の人生を見る事でルシデルシアの考えは変わっていった。
何事もなければ再びディアナと共に転生し、静かな余生を過ごしていただろう。
ルシデルシアとしても異世界を見て過ごすのは新鮮であり、魔法もなければ神すらも居ないのは奇妙とすら感じられた。
これまでのルシデルシアの一生に比べれば、ほんの一瞬の体験ではあったが、ルシデルシアとしては本当に面白いと感じられる日々だった。
当時潤とは共存状態ではあったものの、ルシデルシアは完全に潤を身内枠に入れていた。
転生の際には別れることになるが、転生後は潤の日々をディアナに、語ろうと考えていた……そう、なる筈だった。
「そもそも、余は滅ぼすつもりなど毛頭無かった。膿を排除し、一時の平穏を与え、安らかな眠りに着くつもりで起こした事だ」
「――あいつのためだけに……そういう事ですか?」
「ああ。人も神も……余にとっては雑草と同じだ。それで、貴様は聞いてどうするつもりだ? 余を殺そうと躍起になるのか、それともまだ余を手に入れようと手を上げるのか……」
「……考えなど、幾らでも変わるものです。何より、今の私はあなたを越えています。それに……」
天から一条の光がサクナシャガナを貫き、神力が凄まじい勢いで膨れ上がっていく。
それは天界に居るサクナシャガナ本体であり、確実にルシデルシアを手に入れるため取っておいた奥の手でもある。
四対だった翼は更に一対増えて十枚となり、姿が変わっていく……。
そして、ルシデルシアの放っていた黒風を完全に吹き飛ばしてしまった。
直ぐにルシデルシアは対抗するように神力を放ち、ミリーの身を守る。
世界がサクナシャガナの神力に侵食され、異空間へと変わっていく。
それは一種の結界の様な物であり、神としての力を十全に発揮できるように作り変えているのだ。
ライラやアーサーが居る辺りまで影響を及ぼす事はないが、サクナシャガナの放つ神力は聖都全体を覆い、サクナシャガナの直接の加護を受けている者ほど影響を受け、生命力や神力などが吸われていく。
「強がるだけの力はあると言うわけか……ミリー。貴様は下がれ。あれは既に、依り代を贄として捧げている。貴様の知る存在ではない。何より、辛かろう?」
「……」
そして聖女とはいえ、人の身で高濃度の神力は毒であり、サレンのキスによる保護ありでも既に危険水域に入り始めている。
変わり果てたサクナシャガナに、ミリーの友達の面影は完全に無くなっている。
純粋な怒りが込み上げるが、ルシデルシアの言う通りに、サクナシャガナの放つ神力はミリーの身体を押し潰すが如く、重くのし掛かってきている。
この手で決着を着けたい。その為だけに百年の時を耐えてきた。
しかし相手は千年もの時をミリーと同じく過ごしてきた神である。
もしも……もしもサレンとの約束が無ければ……。
サクナシャガナを睨み付けるミリーの瞳からは涙が流れ落ち、風に飛ばされる。
ミリーはとても聡い。
メリットデメリットを正確に見定めて、選ぶことが出来る。
この場はルシデルシアの言う通りに、下がるのが正解だ。
けれど……分かっていたとしても……。
その様子をルシデルシアは感情の籠らない目で見詰め、それから小さく笑みを浮かべる。
「それが貴様の選択か」
ルシデルシアは神喰に神力を込めて、能力の一つを行使する。
それは……。




