第178話:第二回聖都滞在会議後編
「さて、報告はこれくらいにして、これからについて話そうか」
一週間分の報告が終わり、これから先についての話し合いになる。
「情報としてはこれ以上集める必要はないと思うが、どうするのだ?」
「まあね。これ以上は危険が伴うし、私たちの事が知られるのは避けなければならない」
うんうんと頷くミリーさんの反応に、シラキリがジト目を送る。
これ以上先については、ライラ達は一旦蚊帳の外となる。
ミリーさんの復讐と、それに伴う神殺し。
これらについては、おいそれと教えるわけには行かない。
そして俺のやるべき事も、大体固まってきた。
問題点はいくつもあるが、行動しなければ問題に突き当たることすら出来ないのだ。
「軽く情報収集を継続しながら、ダンジョンで軽く運動する感じでどう?」
あるとは思っていたが、聖都にもダンジョンってあるんだな。
だが、あの行列を考えると、ダンジョンのために外へ行くのは大変ではないだろか?
「ダンジョンですが、何所にあるのですか?」
「あの神殿の裏に、二つあるよ。片方は国が管理して入れないけど、もう片方は冒険者なら入れるタイプだね。因みに、聖都の大まかな地形はこんな感じになるよ」
ミリーさんは取り出しだ紙に北側が膨れた楕円を描き、更に北側の半円を円にする。
「あの神殿の裏にはダンジョンを隔離するための城壁があって、上から見るとこんな感じになっていて、一種の治外法権になっているんだ」
「それって大丈夫なのですか?」
「教国じゃなくてギルドが管理しているってだけだから、全く問題ないね。そのギルドも教国に取り込まれている様なものだし」
治外法権って言葉を聞くと、妙に身構えてしまうのだが、単純に管轄が違うだけか。
……いや、その場合治外法権って言葉は合っていない様な?
まあ異世界の事だし、俺の世界の常識に当て嵌めるのは駄目か。
ホロウスティアのギルド事情を詳しくは知らないが、東支部は黒翼騎士団……ミリーさんに掌握されているのだろう。
支部長には会ったことないが、ギルドの規模を考えると、副支部長を取り込んでおけば情報としては事足りるのだろう。
なんなら不祥事のせいで、ホロウスティアの冒険者ギルドは大きく揺れたわけだし。
ダンジョンの管理で大きな権力を持ってはいるが、国からしたら上手く扱いたいと思うのは仕形のないことだろう。
「ダンジョンに行くのは良いが、シラキリは大丈夫なのか?」
「冒険者としては入れないけど、荷物持ちとして奴隷を使うことは出来るから、入ることは問題ないね。ただ、アーサー君の方も人手が必要だろうし、行くのは交代でだろうけどね」
そうなると、アーサーが何処に行くか事前に分かれば、俺も外を出歩くことが出来そうだな。
狙い目としてはシラキリとミリーさんの二人が、ダンジョンに行っている時だろう。
シラキリの耳の良さはかなりのものなので、運悪く近くを通った時に気付かれる可能性がある。
ライラも決して索敵能力が低いわけではないが、ミリーさんとシラキリに比べれば下となる。
「私は引き続き、宿屋でゆっくりとしていますね」
「そうだね。サレンちゃんにも息抜きをして欲しいところだけど、流石にねー……ねぇ?」
やれやれとミリーさんは首を振り、ライラ達に同意を求める。
俺が一番理解しているので、それ以上は言わないでくれ。
そして三人ともちゃんと俺を見ろ。
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「見慣れない街並み……ですか」
とある日の正午過ぎ、召喚された聖女であるアオイは、フードで顔を隠して街を歩いていた。
いつもは護衛と共に聖女らしい服を纏い、笑顔で手を振りながら街を歩くのだが、今日は息抜きという事で、こっそりと神殿を抜け出して街を歩いている。
アオイの事が知られれば騒ぎとなるが、フードで顔を隠すだけではなく、髪の色を変えているので、そう簡単にアオイだと知られる事は無い。
また全ての教国に言える事だが治安はとても良く、アオイがこうやって外出したことは一度や二度だけではない。
流石に聖都から出たり、ダンジョンのある区画には行くことが出来ないが、街中ならばかなり自由に行動することが出来る。
無論護衛に見つかれば怒られる程度では済まないが、堅苦しい生活はどうしてもストレスが溜まるものだ。
街中に居ても浮かない程度の服装に着替え、あてもなく歩く。
これまで何度も歩いているが、日本の風景と比べてしまい、何となく悲しくなるのも、いつもの流れだ。
アオイはふと喉が渇いてきたので、近くにコンビニか自動販売機がないか視線を迷わせるが、直ぐに異世界だということを思い出し、暗い気持ちが込み上がってくる。
当たり前だったものが何もなく、当たり前じゃない現実を改めて認識する。
仕方なくアオイは目に着いた、喫茶店兼酒場を営んでいる店に入る。
「いらっしゃいませ。相席になりますが、大丈夫ですか?」
「……大丈夫です」
まだ時間としては早いというのに、店内の席は埋まっている。酒を飲んでいるのは少ないようだが、漂っているアルコールの匂いにアオイは少し顔を顰める。
日本でならば社会人は働いている時間であるのだが、そんなのはお構いなしである。
こんな時間に酒を飲んでいる人達を見て、アオイは表情には出さないが、こんな大人にはなりたくないと侮蔑の視線をこっそりと向ける。
「此方にどうぞ。注文はどうしますか?」
「……サンドイッチと、グレープジュースを一つ」
ジュースだけを頼もうと思ったが、お昼をあまり食べていなかったことを思い出し、サンドイッチも一緒に頼む。
店員は返事をしてから下がり、アオイは相席となった人物に視線を向ける。
黒いパーカーにズボン。
服装こそ日本でも見られるものだが、着ているのは女性であり、髪は黒や茶色ではなくて真っ赤なのは異世界だからだろう。
なるべく顔見ないようにしていアオイだが、ふと気になってしまい、視線を向けると目が合い――固まってしまった。
まるで心を射抜くような鋭い目。
そしてその目に釣り合った風貌。
声を上げなかったのは、この世界に少しだけ慣れ始めていたからだろう。
同じ女性として美しいと思うと共に、どうしようもない恐怖が襲ってきた。
「どうかなさいましたか?」
「……いえ、相席になってしまってすみません」
「大丈夫ですよ。嫌でしたら断っていますから。それに、酒場での一期一会は楽しむものですから」
顔に似合わず敬語で気遣う様な話し方に、少しだけ日本に居た頃を思い出す。
宗教が根付いているだけあり、この国は気性が穏やかな人が多い。
しかしそれは見るからに作られたもの……いや、心からそうあろうとしているのであり、何となくアオイは嫌だった。
「それは……お酒ですか?」
「はい。旅の途中で寄ったのですが、この聖都では有名なお酒があるという事で、少し早いのですが味わっているのです」
「……それは」
「そこまで酔わない体質なので大丈夫ですよ。私はサレンと申しますが、あなたのお名前は?」
女性が一人でお酒を飲んでいる事に違和感を覚えながらも、顔は髪のせいかあまり赤くなっている様には見えず、言動もはっきりしている。
どうしても気圧されてしまうが、悪い人ではないのだろうと、アオイは思ってしまった。
「私はハ……アオイって言います」
普通に名乗りそうになってしまったが、何とか持ち直して、名前だけを告げる。
どうせこの世界では、本名を名乗っても意味は無いのだから。
丁度自己紹介をした所で、アオイが頼んでおいたジュースとサンドイッチが運ばれてきて、そのタイミングでサレンはお酒をお代わりする。
「アオイさんは聖都に住んでいるのですか?」
「はい。生まれた時から聖都で暮らしています」
変装時の偽のプロフィールを直ぐに思い浮かべ、何を聞かれても良い様に身構える。
相手が旅人であっても、聖女と知られれば騒ぎになるのは目に見えているので、念には念を入れているのだ。
だが、嘘を吐くという行為はアオイの精神に少なからず傷を与える行為である。
傷を癒すかのようにジュースを飲み、サンドイッチを食べる。
もう慣れてしまったが、やはり日本の食パンよりざらざらしていて触感が悪い。
食材の味は決して劣っていないのだが、どうしても思い出してしまうのだ。
「そうなんですね。海沿いの街の方では生魚を食べると聞いたのですが、本当でしょうか?」
「私は行った事がないのですが、知り合いの方は食べた事があると言っていましたね」
この世界の歴史を教えてもらい、過去に召喚した者や転移してきた者が居る事をアオイは知っており、その者たちの残した文化が教国に根付いていると学んだ。
下手に日本と似ている部分があるせいか、中々アオイは振り切れないのだ。
「そうなんですね。でしたら聖都の次は、海を目指してみるのも良さそうですね。海と言えば、沖縄の珊瑚礁は綺麗でしたね」
「沖縄の海ですか。私も一度……は……え?」
この世界では決して聞けるはずの無い単語に、思わずアオイは目が点になり、手にしていたサンドイッチを皿の上に落としてしまう。
そんなアオイを見たサレンは、自分の口元で人差し指を立てる。
これだけ人が多ければ、誰が話を聞いているか分からないので、あまり話さない方が良いのだ。
サレンはお代わりの酒を軽く半分程飲んで、鞄から取り出した紙切れに何かを書き始める。
「オススメなだけあり、この国のお酒は美味しいですね。聞いた話では過去に召喚された人が製法に関わっているとか」
「……」
「何でも魚に合うお酒らしく、今から一緒に味わうのが楽しみですね」
そんな話を聞きたいのではない。そう、思わず声に出したくなるのを我慢しながら、今度はしっかりとサレンの容姿を確認する。
サレンの見た目は、日本人からかけ離れている。
髪の色を黒にした程度では誤魔化せるものではなく、どうして沖縄の事を知っているのかを考える。
沖縄という単語だけならばともかく、海と珊瑚礁なんて知ろうとして知れる情報ではない。
元の世界に帰るための手掛かり……思わずアオイは手に力が入る。
サレンは書いていた紙を、中が見えないように折りたたみ、アオイへと差し出す。
「お話に付き合って頂き、ありがとうございました。これはほんのお礼です」
アオイは紙を受け取り、内容を読むために開く。
そこには見慣れた日本語が書かれており、サレンを見ようと顔を上げると、既にサレンの姿はなく、店から出ようとしていた。
直ぐにでも追いたいが、紙の一番上に書かれていた文字を読んで、何とか我慢する。
二日後、同じ時間に大広場の噴水の前で会いましょう。
悪魔の誘いか。それとも善良なる神の一手か。
どちらにせよ、アオイには縋る以外の選択肢はないのだった。
アオイ「(嘘……どうして)」
アオイ「(あれ? でも……)」
アオイ「(……相談は出来ないわね)」