第165話:天秤の行方
「タリア。あの方達をどう思いますか?」
サレン達と和気藹々とした食事を終えたマヤとタリアは部屋へと戻り、食後のティータイムを楽しんでいた。
「正直計りかねるかと。ですが、向こう側の人間ではないのは確かかと思います」
ゆっくりと温かい紅茶を飲んだタリアは、微笑みながら今日の事を振り返る。
出会いは突然と呼べるものだった。
手練れの盗賊……いや、暗殺者集団に襲われていた時、颯爽と現れた。
後五分……いや、後三分遅ければ、今頃地面の染みになっていたかもしれない。
「そうですね。あの時……私は覚悟していました」
「マヤ様……」
颯爽と二つの影がマヤ達の前に現れ、次々と暗殺者の首を落としていった光景。
もしもただの少女と老婆だったら、今頃震えて布団に包まっていたかもしれない。
だがマヤは聖女であり、タリアも司教だ。
相応の覚悟を持って生きている。
とは言っても戦いを見られたのは、窓から見えたほんの僅かな間だけだ。
流石に外に出ていたら、殺されていただろう。
「ライラとシラキリ……でしたね。あの時に助けてくれたのは」
「はい。どちらも、下手な騎士以上の能力を持っていると思います。特にライラの方はおそらく……」
「王国の忌子……私と似たような方ですね」
「マヤ様……」
「ライラとは友達になりたいですね。年齢も近いようですから」
マヤはクッキーを齧り、落ち込んでいるタリアとは対照的に、柔らかい笑みを浮かべる。
十人以上いた暗殺者はシラキリとライラが大半を殺し、攻勢へ出られるようになったコングとロイも協力して殺した。
戦いが終わって直ぐにコングとロイはシラキリ達を警戒したが、マヤが一声かけて警戒を解き、直ぐに一台の馬車が現れた。
従者をしていたのは優男で、商人をしているアーサーと名乗った。
襲われているという事で、付き添いで乗っている二人が助けに向かった。
そんな事を話し、マヤは助けて貰ったお礼をアーサーに言った。
しかしアーサーはお礼を受け取らず、お礼を受け取るのは自分ではなく、荷台に乗っている人だと言った。
お礼を言いたいので紹介して欲しいとアーサーに頼むと、荷台から女性の声が聞こえた。
「そう言えば、少しだけ噂で聞いていましたが、見た目とは違いとても柔らかい雰囲気の方でしたね」
「イノセンス教ですね。突如ホロウスティアに現れ、東地区で多大なる支持を受けている宗教とは聞いていましたが……」
燃える様な赤い髪に、見た者を震え上がらせるような冷たい目。
しかし服装は神官服の中でもおそらく一番質素と呼べる位質素な物であり、見た目とは裏腹に言葉には優しさがこもっていた。
「とても怖い一団かと思いましたが、思った以上に面白い方でしたね。ですが……」
当初は少しだけ怯えてしまったマヤだが、直ぐにサレンが優しい人だと気付いた。
だからこそ、今も罪悪感を持ってしまっている。
出会いは突然で偶然だとマヤは思っている。そして命の恩人でもあり、気兼ねなく話せる友人になれるかもしれない人たちだ。
それなのに、マヤは巻き込んでしまっている。
「仕方ありません……。私達には逃げられる場所もなく、相手は主宗教です。呼び出されたのならば、赴かなければなりません。たとえ様々な場所から暗殺者を向けられることになったとしても」
「神すらも治す薬……仕方ないとは分かっていても、ままならないものですね」
コノハミヤ教。薬と調合を司り、とりわけ薬の分野では上位に入る宗教である。
宗教としての大きさはそこまでではないが、争いを好まない穏やかな宗教であり、教義もかなり緩いために人気は高い。
また調合をする関係で研究者気質の者が多く、少し癖はあるが真面目な神官が多い。
傲慢な者は殆ど居らず、これまでは問題なくやってこれた。
しかしその均衡は、一人の聖女の誕生により崩れる事となる。
何が悪かったと問われれば、時期が悪かったのだろう。
サクナシャガナの暗躍に、教皇の代替わり。
ライラと公爵の確執に、異世界からの召喚。
「無事にたどり着いたとしても、私は二度と帰ることは出来ないのでしょう」
「……」
「ですが……」
僅かに震える手で紅茶を飲み、緊張を解すために深呼吸をする。
呼ばれてしまった時点で、マヤには選択肢などなかった。
逃げれば宗教を、産まれ育った場所を壊され、行けば自分がもう帰ってくることが出来ない。
全ては神薬――エリクサーを作ってしまったばっかりに……。
いっそのこと、死んでしまえばなんて考えたことは一度や二度ではすまない。
死への旅路。そう呼べる旅に一束の花が加わった。
希望と呼べるかは分からないし、今も騙しているような状況だ。
「あの方達が、イリヤナス様が導いて下さった希望だと、思わずにはいられないのです」
「……腕が立つと言っても、一国を相手に出来るなんて有り得ません。道中については何も言いませんが、サレンさん達を思うのでしたら、着く前に別れを告げることです」
自分が死ぬと分かっていて付いてきたタリアは、出来うる限りマヤの願いを叶えたいと思っている。
だからと言って人を巻きみたいとは思っておらず、ライラがいるから道中一緒に居ることは許しても、最後まで一緒に居ることを許すことは出来ない。
タリアは歳を取っているだけあり、王国に伝わる伝承も知っている。
――悪魔の子と呼ばれる髪の事を。
その戦い振りから、A級程度の魔物ならば倒せるだろうと予想も出来る。
シラキリの戦いはどう見ても、襲ってきた本職よりも高い技量を持っていて恐ろしい面もあるが、悪い子ではないのは先程の食事の時の会話で分かった。
アーサーは商人と名乗ってはいるが、ライラと一緒に居る時点で普通では無いと直ぐに分かる。
そしてアーサーの護衛と名乗った、ミリーについてだけはあまり分からないが、他が普通では無いのだから普通では無いという結論に至った。
本人は雇われの護衛と言ったが、それにしてはあまりにもおかしい……いや、見た情報だけではあまりにも普通過ぎたのだ。
だからこそ、普通では無い判断と、あの中では二番目に注意するべき人物だとタリアは判断している。
「……分かっています。サレンさん達の迷惑になりたいとは思っていません。全ては私が作ってしまったエリクサーのせいなのですから」
「神の御心は人には分からず、人の思いは神には分からず……ですね」
マヤは頷いてから、服の隠しポケットから液体の入った小瓶を取り出す。
薄く発光している液体は、ただそこにあるだけだ。
ただそこにあるだけで、人の欲を掻き乱し、神すらも手を伸ばす。
イリヤナス神が作りたもうたエリクサー。
人ならば万病を癒し、神すらも息を吹き返す。
マヤが作ったのはまだ下位互換だが、それも
「あの時はただ喜びましたが、人の欲とはやはり恐ろしいものですね」
「神託だったのですから仕方ありません。それに、助かった命もあるのですから。ねえ、お義母さん」
「ただ拾っただけですよ。赤子なんて放っておいたら死んでしまいますからね」
エリクサーをマヤが作れたのは、神託によるものだが、それはタリアが不治の病に倒れ、マヤが祈ったからだ。
奇跡的にタリアは助かり、マヤは奇跡の聖女として知れ渡ったが、その結果が今だ。
「ふふ。そうですね。出来れば、タリアが老衰するまで一緒に居たかったのに…………いえ、まだ諦めるには早いですね」
マヤは出来ればサレン達を巻き込みたくない。
既に巻き込んでいるとも言えるが、まだ後戻りは出来る、
もしかしたら。或いは。そんな幻想を抱いてしまうのはまだマヤが少女と呼べる年齢だからなのかもしれない。
イノセンス教のシスターである、サレンディアナ。
自分と同じシスターを騙っている存在。
加護の関係上、マヤの眼は様々な物を見る事に長けている。
秤が無くても数ミリグラム単位で計れ、物の良し悪しも看破することが出来る。
そしてその目は物以外も見る事が出来る。
ミリーだけは見る事が叶わなかったが、シラキリにライラ。アーサーは類い稀なる魔力と魂を保持しており、マヤが護衛の件をお願いした一端でもある。
この眼についてはタリアにすらマヤは知らせておらず、サレンの異常性についても話していない。
もしもこの眼の事が世間に知られれば、エリクサーと同程度の騒ぎになりかねないと、幼いながら理解しているからだ。
マヤから見たサレンの魔力……魂は、マヤが知る中で一番大きく輝いているものだった。
これまで会って来た聖女と比べるのも烏滸がましい程であり、マヤは目を焼かれるかと思った。
タリアには誤魔化してはいるが、サレンならばやってくれるだろうと、マヤには確信めいた思いがある。
だが、頼んだからと言って受けてくれる聖人など、居るわけが無い。
交渉なんて事はマヤにとって不得意……本人は不得意と思っているが、それをタリアにお願いすることは出来ない。
失敗すればマヤとタリアは、二度と日の光を見る事は出来ないだろう。
「願わくば、イリヤナス様の天秤が傾きますように」
小さな声で、マヤは祈りを捧げる。
死へ傾いてしまった天秤が、生へと傾いてくれるように。
その姿を、タリアは慈しむ様な目で見ていた。
そんな祈りを捧げるマヤだが、少しだけ勘違いしている事があった。
サレンの魂は、確かに大きく輝かしいものではあったが、それは正面だけ見た場合の判断だ。
その裏に潜むルシデルシアの漆黒の輝きを見ないで済んだのは、不幸中の幸いとしか言いようがない。
もしも見ていれば、マヤは絶望に打ちひしがれ、その場でサレンを敵と判断していただろう。
ルシデルシアの魂は神の領域に至っており、しかし神とは程遠い色となっている。
そしてマヤが作り出したエリクサーだが、サレンもモドキとは言え作りだすことが出来るのだ。
それもありあまる神力を、ポーションに込めるという形で。
マヤの交渉の切り札であるエリクサーだが、切り札にはなりえないのだ。
無論ルシデルシアはサレンがエリクサーモドキを作れることを知っているし、マヤがエリクサーを隠し持っていることに気付いている。
マヤの生死を賭けた交渉は、サレンによる一手により絶望から始まることになるとは、この時のマヤは知るよしもなかった。
マヤ「それにしても、不思議なパーティーですね」
タリア「そうですね。護衛や乗り合わせと言っていますが、おそらく建前なのでしょう」
マヤ「中心は誰ですかね?」
タリア「そればかりは何とも。ですが、仲は良さそうですね」
マヤ「確かにそう見えましたね」