第153話:朝帰り
「……」
お日様が顔を出し始め、ひんやりとした風が吹く今日この頃。
酒場での演奏は大盛況で幕を閉じ、シラキリ達を含めた四人共食事代はタダとなった。
勿論俺が酒を飲みながら演奏している内にシラキリは帰ったが…………俺も一緒に帰れば良かったな。
盛り上がってしまったのもあるが、やはり人間煽てられると気分が良くなってしまう。
気付けば日を跨いでしまい、羊の雲もいつもより長い時間営業していた。
いっその事さっさと閉店時間という事で追い出してくれれば良かったのだが、気付いたら仄かに空が明るくなり始めていた。
熱気が凄まじく、更に全く客が減ることがなく、ミリーさんが何も言わないせいで、気付けば朝となってきた。
営業時間とは何なのかとマスターに投げ掛けたかったが、ニコニコと最後まで働いていた。
どうか労働基準法が、この世界で生まれることを祈るばかりだ。
奴隷がいる限り無理だろうけど。
「弁明はあるか?」
さて、ミリーさんと朝帰りをした俺だが、現在アーロンさんの家のリビングにてライラと対峙している。
それはもう怒っていますという雰囲気を出しており、腕を組んでいる。
心情で言えば、朝帰りを嫁に咎められる夫……って所だろう。
ついでに言えば、飲み仲間も連れて帰ってきているけど。
「まあまあ、落ち着いてよライラちゃん。これには深い訳が……」
「無いのであろう?」
「うん」
あっ、ライラの拳骨がミリーさんの頭に落ちた。
あまりにも躊躇いの無い拳骨だが、身長が縮んだりしていないだろうか?
「お、うぉ……星が舞ったよ」
「たわけが。で、収穫はあったのか?」
「後で教えるよ。流石に今は眠いから、ちょっと寝てくるよ」
そう言い残して、ミリーさんは俺を残したまま二階へと上がっていき、ライラが溜息を吐く。
本当にすみませんね。まさか朝になるなんて思わなかったんだ……。
タダなので、飲み食いした値段を気にしなくて良かったのも原因だが、次の日を気にしていなかったのも原因だろう。
仕事が無いって素晴らしいよね。
「まったく……あまりあの馬鹿を甘やかすでないぞ」
「いえ、甘やかしたと言うよりは、気付いたら朝になっていまして。諸事情で代金は必要なかったのですが……色々とありまして」
「報告はアーサーから受けている。あの場に不穏分子となる輩もいなかったから良いものの、教国に行ってからは気を付けるようにな」
やれやれとライラは眉間を揉んで、柔らかい笑みを浮かべる。
多分一番甘やかしているのはライラだと思うのだが、頭が上がらないので何も言わないでおこう。
ただ、昔後輩が言っていたバブみというのが少し分かった気がする。
後でライラには何かご褒美を上げるとしよう。
王国では色々とあったし、ライラにとっては王国に居るだけでストレスが溜まる筈だ。
下手に外に出ればどうなるか分からないので仕方ないが、甘やかしても罰は当たらないだろう。
「心配かけてすみません」
「ふん。寝ていないのだから、さっさと休んでくるが良い。国境を越えるまでは何も出来ぬのだからな」
謝るついでに頭を撫でてやると、視線は逸らしたものの、大人しく撫でられてくれた。
ライラも愛に飢えている、一人の少女なのだし、撫でられて悪い気分ではないのだろう。
……と言うよりも、この中でまともに親の愛を知っているのは俺だけだろう。
ミリーさんは所謂施設育ちだし、シラキリは孤児だ。
ライラは悪魔として扱われ、アーサーも元暗殺者なのだから、相応の環境に身を置いていたはずだろう。
折角俺とライラ以外が居ないわけだし、もう少し踏み込んでやるとしよう。
決して罪悪感から逃げるためではない。
撫でていた手を止めて、ライラを抱き寄せる。
「む……」
「いつもお疲れ様です。たまにはシラキリみたいに甘えても良いのですよ? ライラもまだ幼いのですから」
抱きしめた状態で髪をとかすように撫でて、一度顔を覗く。
苦虫を噛み潰したような表情だが、直ぐに呆れるような溜め息を吐いてから、自分から抱き付いてきた。
「まったく……あなたって人は……」
「ライラはもう自由なのですから、もう少し気を抜いても良いのですよ? 何なら、今から一緒に散歩にでも行きますか?」
「自ら騒ぎを起こしに行く馬鹿がどこに居る……」
シラキリと同じように頭を腹にグリグリと擦り付け、少しも離れたくないと言わんばかりに、力一杯抱きしめる。
それから数秒間何も言わずに固まり、ゆっくりと顔を離した。
真っ赤に染まった顔、俺と視線を合わせようとせずに二階へと上がっていき、姿を消してしまった。
……ふむ。良く分からないが、多分満足はしてくれただろうし、大丈夫だろう。
年齢を考えればライラは思春期でもおかしくないし、追わないでおくか。
さて、軽くシャワーを浴びたら俺も寝るとするかな。
少しだけ皺が出来た服を伸ばして、着替えを取りに部屋へ入る。
すると丁度起きたのか、シラキリがベッドの上でぽけーとしていた。
「おはようございます。良く寝られましたか?」
「おはようござい……ます。はい」
どう見ても寝ぼけているが、シラキリだし大丈夫だろう。
さっさと服だけ持って部屋を出ようとすると、急にシラキリが抱き着いてきた。
これ位は良く有る事なので、慌てる事もないのだが、何となく服の匂いを嗅いでいるように見える。
「……ライラの匂いがします」
「さっき頭を撫でていたので、そのせいかもしれませんね」
何気なく呟かれた言葉だが、何故か危機感を感じたので、頭を撫でながら適当に誤魔化しておく。
それと、ライラが擦り付けた匂いよりも、酒場で着いたアルコールの匂いの方が強いと思う。
……ふむ。意識してようやく気付いたが、今の俺は物凄く酒臭いな。
恐らくライラはアルコールのせいで顔が赤くなってしまったのだろう。
数分程頭を撫でているとようやく離れてくれたので、軽く言い包めてから着替えを持って風呂場へと向かう。
俺が育てているという訳ではないが、子育てとは大変だなぁ……。
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軽くシャワーを浴びてからベッドに入り、昼まで寝て起きた。
久々に不健康な事をしたが、馬車の旅の時はしっかりと寝ていたので、体調を崩す事もない。
まあやろうとすれば三徹くらい出来るので、この程度は問題ないのだがな。
さて、今日も後半分と言った所だが、今日の予定は何も無い。
昨日見たく観光兼情報収集に出掛けても良いが、何かしらの事件に巻き込まれる恐れがあるので、暇だからと出掛けるのは良くない。
ならば昨日も出掛けるなと思うかもしれないが、折角まともに観光出来る機会だったのだから、仕方ない。
初日を含めて今日で三日目となるが、最低でも後一日半はこの街に居なければならない。
将来の予習も兼ねて寝て過ごすのもありかもしれないが、流石にライラやシラキリに示しがつかないので、この選択を取る事はないだろう。
なので、今日はイノセンス教について纏めていこうと思う。
幸い今はルシデルシアも寝ている様なので、急に話しかけられて集中力を乱される危険はない。
暇つぶしの話し相手としてルシデルシアは申し分ないのだが、一度話し始めると中々止まらないのだ。
老人が昔は良かったと語る様な感じで、延々と話し続ける。
まあ年齢が年齢なので、話せる内容は幾らでもあるのだろう。
さて、イノセンス教とは俺が適当に作ったまだまだ新興の宗教の事だ。
元々の目的は、俺が不労所得で生活するために作ったものだ。
折角の異世界だから暴れ回るぜ! なんて大人な俺が思う筈も無く、目指すのならばやはりスローライフだ。
もしも性転換なんて起きずに、男の体だったならば冒険者とかで身を立てようと思ったかもしれないが…………本当に何で女になるのかなぁ……。
今となってはこの身体に慣れてしまったが、慣れ親しんでいた男の身体から女の身体になると言うのは、とても困惑するものであった。
着る服はまだ良いのだが、下着だったりトイレだったりは中々慣れなかった。
せめて最初からルシデルシアが話しかけていてくれれば、もっと簡単に世界に馴染むことが出来て、ミリーさんから変な疑いもされなかっただろう。
だが、もしもルシデルシアが最初からいた場合、シラキリはともかくライラを救うことは出来なかっただろう。
ライラを助けられたのは本当に偶然であり、もしもルシデルシアが居た場合、もっと色々と時間を掛けてから廃教会から出ていただろう。
そうなれば、瀕死だったライラは間違いなく命を落としていた。
そしてライラが居なければ、アーサーと会う事も無かっただろう。
そして場合によってはミリーさんとの仲が拗れて、ホロウスティアに居られなかった可能性すらある。
まあ人間関係はおいとくとして、イノセンス教は一種の博愛主義的な一面もあるが、排他的な側面も存在している。
ざっくり言えば、味方ならば歓迎するが、敵対するならば一切の容赦なく戦う。
こんな所だろう。
別に俺に従わない奴を追い出すという意味ではないが、犯罪者まで擁護する気は無いってだけだ。
まあぶっちゃけ俺達全員犯罪者みたいなものだが、異世界だしセーフだろう。
悪いのはライラを虐待していた親だし。
更に言えば、ホロウスティア内では認められているが、正直な話邪教とそう変わらない。
神と言うか、崇められるべき神が元魔王だし。
まあそんな魔王を崇拝? している邪教だが、俺の不労所得を得るのとは別の目的が出来た。
それは、聖女であるディアナを目覚めさせるために、信仰を集めることだ。
目的と言っても本当はかなり優先順位が低いものだったのだが、一つ問題が起きた。
ディアナが目覚めないと、俺の精神が不安定なままとなるのだ。
そもそも俺は生きていること自体が奇跡であるので、これくらいのデバフは仕方ないかもしれないのだが、この精神の不安定は結構辛いものがある。
一種の躁鬱みたいなものなのだが、精神をガリガリと削られる。
しかも抗ったら抗ったで、心臓を掴まれるような苦しみを味わう事になる。
何もしていなければ早々起こらないのだが、稀に急にくることがあるので困りものである。
そんなわけで、ディアナを目覚めさせるのはそれなりに重要となったのだ。
ライラ「まったく……これでは我が甘いみたいではないか」
ライラ「だが…………まあ悪くはない」
ライラ「やれやれ、人誑しな人だ。」