第152話:採点結果
(何点だ?)
いつも通り無我夢中で演奏をし、ルシデルシアに点数を聞く。
人間は目標があった方が頑張れるので、骸に捧げる誓いの賛歌を演奏する度に、点数を聞いているのだ。
『全体を通して言えば中々だが、ペダルの切り替えや転調の際にズレがあるな。今回は仕方ないとは言え、感情も乗りきれておらん。ピアノの性能のおかげで問題はないが、85点と言ったところだな』
……悪くはないが、ピアノの性能が高いせいで乗り切れなかったのはあるな。
演奏している俺が、演奏に呑まれてしまっていた。
決して悪いことではないのだが、今回は裏目に出てしまっていたと、俺自身が感じている。
練習曲で慣らしをしたとは言え、中々上手くいかないものだ。
さて、最後の締めをしないとな。
何故か静かな酒場でゆっくりと立ち上がり、一礼する。
「ご静聴ありがとうございました。ホロウスティアに来られた際は、イノセンス教をよろしくお願いします」
問題ない程度の宣伝をしながら頭を上げると、耳が痛くなるほどの喝采が巻き起こる。
ルシデルシア的には85点だが、ピアノを加味すれば90点を超える出来映えだ。
我ながら頑張った。
だから酒が飲みたい。
「すげー! すげーよ本当に!」
「やべぇ……劇団の演奏と比べ物にならねぇよ……」
「これ程まで心を射ぬかれたのは初めてよ!」
拍手と一緒に様々な声を掛けられるが、軽く礼だけしてテーブルに戻る。
椅子に座ると、直ぐにマリアンが酒を持って現れた。
「負けたわ。こんなにレベルが高いだなんて、分かるわけ無いじゃない」
「これがサレンちゃんの実力さ。それじゃあ賭けの事は宜しくね」
「……ええ。何とかするわ。良かったらまた演奏してね。あの演奏の後じゃあ、誰も弾きたがらないだろうからさ」
酒の注がれたグラスを置いて、さっさとマリアンは他のテーブルへと向かって行く。
見た感じウイスキー系かな?
ここで度数の高いのを選択するとは…………中々分かっているな。
まあ、演奏の後なので水が欲しい気持ちの方が大きいのだが、好意を無駄にするわけにもいかない。
そんなわけでグラスの半分くらいを、下品にならない様に気を付けて一気に飲む。
しっかりと冷えているので、火照った身体が一気に冷えていく。
そして直ぐに熱くなる。
労働の後の一杯は、何度やっても良いものだ。
「お疲れ様。聞いていたと思うけど、賭けは私の勝ちだよ」
「力になれたようで良かったです」
他の客たちの反応からして大丈夫だろうとは思っていたが、力になれたようで良かった。
とは言え、完璧とはいかない演奏だったし、嫌だけど後で練習するとしよう。
夢の中で。
「それにしてもこれまでで一番良い演奏だったんじゃない?」
「私の腕が、ピアノに追いついていなかったですね。もっと上手く弾けたと思います」
「またまたー…………えっ、マジで?」
「はい。総評としては八割位かと思います」
驚くと言うよりは呆れるようにミリーさんは溜息を吐いてから、ピアノの方を見る。
何を考えているか分からないが、これで少し位未練が増えてくれれば良いが……。
小さな積み重ねで、ミリーさんの中に俺の存在を刻んでいく。
正直手応えを感じないが、間に合うだろうか?
「なあシスターさん。今日はまた演奏してくれるのかい?」
「もっと色々な曲を聴かせてくれ!」
「一杯奢るからさぁ!」
演奏の疲れを癒しながら酒を飲んでいると、あちこちから声が上がる。
これも聞きなれたものなので、軽く受け流す。
明言しない方が、効果があるのだ。
だが、とある発言が出た時、ふと視界の端でマリアンの目が光った様に見えた。
まあ考えるまでもなく、一杯奢ると言う発言だろう。
俺達の支払いは賭けによってタダになったが、他人が奢る分にはまた別となる。
俺達が注文するのではなく、奢りという名目ならば他の客に俺達の分の請求を回す事が出来る。
つまり、店が儲かるってわけだ。
相手が悪者ならば身ぐるみをはぐ位奪い取っても良いが、マリアンは別にそうではない。
なので奢らせておけば良いのだ。
どうせピアノがあるのは今日だけだろうし、明日以降は全額店側が奢らなければならないのだからな。
態々客席を回りながら扇動しているのは目に余るが、大目に見てやるとしよう。
「此方皆様からの一杯となります。幾らでもお持ちしますので、お願いしますね!」
周りに声が聞こえるように大きな声を出しながら、マリアンが酒のお代わりを持ってくる。
思わず苦笑いしてしまいそうになるが、一言礼を言ってから受け取る。
まったく、現金な奴だ。
「やれやれだねー」
「元気なのは良い事ですよ。マリアンさんが声を掛けた事により、輪が広がっていますから」
イノセンス教の教義には、みんな仲良くと言うのがある。
今の状況はイノセンス教にとっては喜ばれる状況と言えるだろう。
誰もが笑いながら酒飲み交わし、あーだこーだと話し合っている。
半分以上は俺の話題だが、それはつまり信仰がディアナに集まると言う事だ。
どれ位信仰が集まっているのかは俺には分からないが、集まっているのは確かだろう。
そのために名乗ったわけだし。
これから先は、いつも通り軽くで良いだろう。
折角ならばピアノとヴァイオリンでデュオとかやってみたかったが、生憎ヴァイオリンは拡張鞄の中である。
「次は何を弾くの?」
「適当に軽く弾こうと思います。何かリクエストはありますか?」
「うーん……じゃあ例の町で、ヴァイオリンで弾いた曲をお願いしようかな」
…………さらっと古傷を抉られたが、まあ良いだろう。
とある魔法少女が主役の映画のエンディングテーマなのだが、ピアノでもヴァイオリンでもどちらでもいけるからな。
だが、ピアノとヴァイオリンの両方を弾くようになって思ったのだが、一つの音だけでは物足りなく感じる事がある。
骸に捧げる誓いの賛歌はピアノ単体で完結されているので例外だが、俺の持ち曲は基本的にピアノ用にアレンジされた曲だ。
その内ライラかシラキリに、仕込んでみるのもありかも知れないな。
或いはどちらかに、ヴァイオリン以外の何かを弾いて貰い、トリオなんてのもありかもしれない。
ふむ。何か気分が上がってきたな。
「分かりました。最初はそれから弾かせていただきますね」
「あの時みたいにならないようにねー」
ミリーさんが何か言っているようだが、無視をして席を立つ。
すると口笛や囃し立てる声が上がり、店内が騒がしくなる。
既に店に来てから一時間以上経っており、正に大繁盛と言った感じだ。
ここからは普通の曲を数曲メドレーで演奏するが、果たしてどうなるだろうか?
1
開店以来一番の賑わいを見せる羊の曇。
ピアノの音が響き渡り、小さくサレンの声が音に乗って広がる。
そんな店内に一人の男が居た。
その男はアーロンの子飼いであり、それとなくサレンを見張るように命令されていた。
アーロンからはそれなりの報酬を貰っているので、二つ返事で引き受けたのだが、その時に厳命されたことがある。
「絶対に不自然な視線を送るな。そして、見張るだけで情報を集めようなんて絶対にするんじゃねぇぞ」
いつもならば弱みを探れとか、好きな酒や好物を探れなど、かなり細かい命令されるのだが、今回は見張るだけ。
正確に言えば成り行きを見守るだけだ。
しかも尾行などもするなと言われている。
男にもそれなりの矜持があるが、命令は絶対だ。
プロとは、任されたことを完璧にこなしてこそプロなのだから。
たが、男がサレンを見つけ、少しだけ確認するような仕草をした瞬間に、三つの視線が男を射ぬいた。
視線を向けられただけと言えばそれだけだが、狙って視線を向けられるのはおかしいのだ。
店内は満席であり、外の方も道端で呑んだくれている奴らがいる中で、自分だけを見てきたのだ。
その三つの視線とは、シラキリとアーサー。そしてミリーだ。
サレンは何も気付いておらず、気にせずに料理を食べていた。
(アーロンの旦那が気を付けろって言ったが、これはおかしいだろう!)
三つの内、一つだけ重い殺意が籠っていたが、残りの二つはとても軽いものだった。
軽いと言っても、何か行動を起こしたらどうなるかわかるよね? と、そんな想いが込められていた。
行動を起こす前から視線すら送れ無くなり、そんな状況で行われたサレンの演奏。
サレンの服装が質素な事もあり、自らシスターと名乗っていたので期待していなかったが……あまりの演奏に、思わず持っていたフォークを落としてしまった。
最初はただの驚きだった。
まさかこれ程のが出来るなんて予想できなかったから。
最初の曲が終わり、他の客達と一緒に拍手を送る。
男は仕事柄娯楽方面にも明るいのだが、これ程の演奏を聴くには国一番の劇団や、宮廷音楽家に頼むしかないだろうと分析する。
色々と怖い目にあったが、この演奏が聴けたのならば悪くない。
アーロンにどう報告するか考えながら酒を飲んでいると、急に店員が忙しなく動き始め、何やら悪どい笑みを浮かべているのが目についた。
その店員は看板娘ではあるのだが、賭博場に行ってはスカンピンで出てくることで有名な女性だった。
無論限度をしっかりと守っているので、遊ぶ金を全部使う程度で、金を借りたなんて話しは一度も聞いたことはない。
名前はマリアンだったかなと、男は記憶を探って思いだす。
しばらくするとサレンが立ちあがり、再びピアノの前に座る。
「それでは本日二曲目となります。少々長めの曲となりますので、お食事と一緒にお楽しみください」
次はどんな演奏をしてくれるのだろうかと、恐怖を振り払うようにして酒を飲む。
そんな男の手が――止まった。
なんて事はない。先程まで以上の演奏のせいで、完全に思考が固まってしまったのだ。
それはこの男だけではない。
店内はあっという間に静まり返り、外も波が引くように静かになっていく。
ピアノの音だけが、世界が動いていることを証明するように鳴り響き、時が止まっていないことを主張する。
男が感じたのは、言い表すのが難しい感情だった。
悲しいわけではない。怖いわけでもない。だが、決して嬉しいわけでも、楽しいわけでもない。
餓死寸前の時に与えられたパン。命からがら魔物から逃げられた瞬間。
初めてまともな金を稼いだ時。新しい武器を買った時。
一言で表す事は出来ないが、強いて言うのはならば、生きる喜びを感じる演奏…………そんな感じだ。
沸き上がる感情を抑える事も出来ず、初めて悲しみや憎しみ以外で涙を流す。
そしていつの間にか演奏が終わり、店内は完全なお祭り騒ぎとなる。
そんな中やっと冷静になった男は、サレンの異常さに戦慄した。
最初の曲は素晴らしいの一言で片付けられたが、二曲目はそんな言葉で片付けてはいけないものだった。
曲も然ることながら、これ程までに心を揺さぶられる演奏を出来るのはサレンだけだろう。
何なら、誘惑系の魔法を使ったのではないかと、考えられるほどだ。
だが、魔力を感じることはなかったし、これだけ大人数に魔法をかけるなんて出来る筈がない。
(帰りたい……が、まだ演奏を聴きたいと思っている自分がいるな……)
温くなったエールを一気に流し込み、これ以上考えても意味がないと、酒に逃げる事を男は決める。
アーロンの依頼も大事だが、それ以上に今この時間を楽しみたい。
その思いに、抗うことが出来なかったのだ。
とある男「(あいつら普通じゃなぇ……)」
ミリー「(うーむ。多分アーロン君だな。手出し無用のサインを送っとこ)」
アーサー+シラキリ「(殺さなくて良いんだ(ですね))」