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第149話:先ずは軽く流すように

「待っていたわよ。直ぐに始めるの? それとも何か食べる?」


 店に到着するとズバッと巻角の店員が飛び出し、仁王立ちで迎えた。


 今回は昼間と同じく、俺とミリーさんがセットで、アーサーとシラキリは少し離れている。


 店が中々の様変わり具合をしているせいか繁盛しており、昨日よりも店員が増えている。


 また、昼間に会ったマスターも働いており、俺達に気付いて軽く会釈してくれた。


 俺の心は諦めたせいかかなり落ち着いており、寝る前の不安が嘘のように無くなっている。


「先に食事をしようかと思います。私はお任せで、シープビギニングをジョッキでお願いします」

「私はカリカリベーコンセットと、エールでよろしくー」


 ピアノの演奏は結構体力を使うので、演奏の前に飯を食っておきたい。


「分かったわ。あそこの席にお願いね。直ぐに持って行くわ」


 言われた席に座り、ピアノを見るついでに店内を見回す。


 壁の一部か無くなったおかげで風通しが良くなり、空気が籠っていない。


 客達もやはり驚いている人が大半であり、それとなくピアノを見ている。


 またピアノに近づこうとする客がいると、店員がそれとなく遠ざけている。


 それと今更だが、巻角の店員の名前はマリアンと言うらしい。


 マリアンがサプライズのために。ピアノを用意したと触れ回っているらしい。


 …………なるほど、マリアンの狙いが読めたな。


 仮に俺が勝てばマリアンの金は返ってこないが、売り上げ次第ではマリアンの給料が、増える可能性がある。


 俺が負けたら負けたで、マリアンは自分の金が返ってくるのでどちらに転んでも、マリアンは金が手に入るのだろう。


 そして負けるならば盛大に負けた方が良い。


 つまり、今回の賭けはどちらに転んでもミリーさんとマリアンに損はなく、強いて言えば俺だけ労働を強いられてマイナスとなる。


 俺が馬鹿ならばマリアンの行動は謎でしかないが、行動や言動の裏を読む程度の能力がなければ、営業職なんてやっていられない。


「お待ちどうさま。しっかり食べてね。演奏――期待してるわ」


 食事と飲み物を運んできたマリアンは、去り際にウィンクをして、笑顔で他のテーブルに向かった。


 ――いいだろう。


 ここまでやられて黙っていられる程、俺は大人ではない。


 やられたからにはやり返す。


 それが男って奴だ……身体は女だが。


「完全に面白がられてるねー。大丈夫?」

「はい。何はともあれ、言い出したのは私ですからね。それと、布教は禁止されていますが、名を名乗ることは禁止されていませんよね?」


 食べていた手を止めたミリーさんはきょとんとした後、意地悪な笑みを浮かべる。


「うん。そうだね。それがどうしたの?」

「何でもありません。それでは食事も終わったので、演奏してこようと思います。何かあればお願いしますね」


 やるからには全力で挑むとしよう。


 ミリーさんが望むのは最低1.3倍の売り上げだが、別に2倍でも3倍でも構わないのだろう?






1


 



 

 マリアン。彼女は羊の雲で働く店員である。


 一応店長でもあるが、実質的な金銭管理は他の人が請け負っており、ホールとキッチンの両方で働いている。


 そして昨日、給料で言えば丸々一ヶ月分を一瞬にして溶かした大馬鹿者である。


 一種のムードメーカー的な存在であるが、マリアンは賭け事が好きなくせに、とても弱いのだ。


 悪運は強いのだが運が無く、よく散々な目に遭っている。


 だが、今日の彼女は一味違った。


(勝っても負けても、お金が手に入る……ちょろいわね!)


 遊ぶ金欲しさに義父の所で働いていた所、ピンク髪のチビでムカつく見た目は少女であるミリーから、持ち掛けられた賭け。


 神官服を着た、どう見ても裏の人間にしか見えないサレンの、演奏で売り上げが増えるかどうか。


 話していた場所が義父の店だったせいで二人が帰った後散々怒られたが、準備は整い、客引きや常連の人達に声をかけて集めてある。


 店すらも改築し、義父の知り合いが持ってきたグランドピアノを設置して、あとは待つばかりだ。


 店を回しながらサレン達の様子を窺っていたマリアンだが、遂にサレンが立ちあがり、ピアノの方に向かう。


 既に店員には話が通してあるので、他の客とは違い、ピアノに触らないようにとサレンが注意されることは無い。


 そんなサレンの背中を見詰めるマリアンだが、妙な違和感を覚えた。


 相手が誰だろうと臆さないマリアンだが、サレンの背中が妙に大きく見え、思わず見つめてしまう。


 そんなサレンはゆっくりと歩いてピアノまでたどり着くと、全く緊張した素振りを見せずに座る。


 店内の賑わいは全く変わらない。


 だが何かが……何か異様な雰囲気をマリアンは感じ始めた。


 トーン。


 静かだが、高く長い音が店内に響く。


 音に釣られて客達の視線がピアノと、座っているサレンへと集中する。


 そして、ふと音止む。


「初めまして。私はイノセンス教のシスターをしているサレンディアナと申します。本日は諸事情により演奏させていただきます。拙い音色となりますが、どうかお酒と共にお楽しみください」


 顔にそぐわぬ丁重な言葉でサレンは客達に語り、一度だけマリアンに視線を向ける。

 

 その視線は背筋が凍るほど鋭く、思わず立ち止まって持っていたお盆を落としそうになった。


 あんな視線を向けられる女性が、ただのシスターなんて事は絶対ありえないし、そもそもピアノの様な高級品を弾けると言っている時点で平民なんて事はまずありえない。


 マリアンは今になって、自分の思い違いに気付いた。


 相手は間違いなく高位貴族の生まれか、それに準ずる生まれなのだろう。


 酒におかしいほど強いが、所作は確かに品があり、何故気付く事が出来なかったのかと自問自答したくなる。

 

 だとしてももうマリアンは引き返す事が出来ないし、そんな殊勝な事を考えられるほどマリアンは繊細ではない。


 品良く背筋を伸ばしたサレンは両手を鍵盤の上に添えて、一度深呼吸をする。


 色々とあらぬ方向に進んだ賭けだが、ここまでお膳立てされれば相応の対応をしなければならない。


 一番サレンが得意としている骸に捧げる誓いの賛歌だが、これを最初に弾くわけにはいかない。


 心を鷲掴みにする点としては良いが、これを聞いている間客の手が止まるのだ。


 終わった後は皆注文を再開するが、数十分の間注文が少なくなるのは今回避けたい。


 売り上げを上げたい今回の場合、最初に弾くのはあまりよろしくない。 


 そんな事もありサレンは悩んだ結果、ルシデルシアに相談して、新たな曲を現在進行形で教えてもらっている。


 その曲は一種の練習曲と呼ばれるものだが、ピアノの調子を見るのにも適しており、しっかりと盛り上がりのある良い曲だとルシデルシアが太鼓判を押す。


 練習曲と呼ばれるだけあり最初は簡単な譜面だが、徐々に譜面が黒く染まり始め、低音から高音まで幅広く網羅している。


 ジャズ曲の様な自由な曲調なのもあり、盛り上げると言う意味では向いている。


 先ずは浜辺に打ち付ける波の様な音から始まり、注目を惹き付ける。


 何も知らない客達はサレンのシスターと言う肩書を訝しげに思っていたが、曲を聴いている内にその事を忘れて純粋に曲を聴き始める。


(……悔しいけど、私がこれまで聴いた中でもかなり上手いわね……)


 曲が始まって十分もすると、マリアンはサレンの腕を認めるしかなかった。


 胸の内にするりと入り込み、内側から活力が湧いてくる。


 壁が開いているおかげで、演奏が聴こえたであろう通行人により客足が増え始める。


 そこから更に五分程経つと、大量の注文により、店内はてんやわんやと大忙しとなる。


 しかし客達の声は比較的小さく、演奏を邪魔しない程度のものだ。


 新しく客となった人達は一体誰が演奏しているのだろうかと気になり、周りの客に声を掛け、知りたければ一杯奢れと言い、輪を広げるようにしてさらに注文が増えていく。


 初めて聴く曲だなーと、ミリーは酒で口を塗らしながらつまみを口に運ぶ。


 一押しである、骸に捧げる誓いの賛歌の様な全てを塗り替える様な曲ではないが、少しずつ気分が高揚するのを感じ、それと共に違和感を感じ始める。


 そう、あまりにも音域が広く時間が経つにつれて激しくなっていくのだ。


 この世界の曲はダンスを基本としているため、落ち着いた曲が多く、音域もあまり広くない。


 これまでミリーが聴いてきたサレンの曲でも、これ程まで鍵盤全てを使うような曲を聴いたことがない。


 ふと周りを見ると、反応は大きく三つに分かれていた。


 単純に気を良くして酒を飲んでいるのがまず一つ。


 サレンの演奏が桁外れて素晴らしい物だと絶賛するのが二つ目。


 そして三つ目は、今のミリーの様に困惑している反応だ。


 常識に縛られないと言えば聞こえは良いが、現時点で常人では弾くのが困難な難易度と言って良い。


 なのに今もなお曲は暴走する馬車の様に加速し、山断ちの様に戦場を蹂躙する音を奏でる。


 その癖サレンの表情は変わらず、心なしか楽しんでいる様な気配を放っている。

 

(うーん。あれもだけど、これもおかしい曲だなー。好きと言えば好きだけど、やっぱりあっちの方をまた聴きたいなー)


 何故だか分からないが、ミリーは骸に捧げる誓いの賛歌をとても気に入っている。

 

 それは本能的な物であり、ミリーとしても説明が難しいものだ。


 聴く度に胸の内から何かが零れ、泥の様に淀んでいる殺意が僅かに軽減される。


 出来ればいつまでも聴いていたいのだが、骸に捧げる誓いの賛歌はサレンでもかなり消耗するのを、ミリーは理解している。


 そもそも譜面があったとしてもサレン以外が引けるとはミリーは思っていないので、あまり無理強いしてサレンが弾くのを躊躇うようになっても困る。


(でもまた聴きたいなー……ふむ。また嗾けるか)


 すっとマリアンに視線を向けると、マリアンは悔しそうにしながらも忙しく働いている。


 しかし心なしか巻角が輝いている様に見える。


 今のペースで進めば、今日の売り上げは相当なものになると予想される。


 つまり、サレンを含めた自分たちの料金がタダになるとほぼ確定している。


 賭けはマリアンの負けとなるが、売り上げによりマリアンには儲けが出る。


 マリアンにとってもサブプランだが、悪くない結果だろう。


 だが、ミリーの見立てではこの程度で満足するとは思えない。


 儲けられる可能性があるのならば、とことん賭けをすのがマリアンだと見抜いているのだ。


 ならば、後はどうサレンと絡ませて煽てるか……。


 最後のサビに入ったのか曲調が一気に変わり、音に負けない位、店内に熱気が込み上げる。

 

 思わずミリーはグイッと飲んでいたカクテル飲み干し、お代わりを注文する。


 誰かのためではなく、自分のため。


 ぺろりと唇を舐めたミリーは、一曲目が終わり拍手喝采に対して一礼をするサレンを見詰める。


 何度か、殺すか生かすか悩んだ相手だが、おそらく自分にとって唯一無二の存在となった相手。


 そして、自分の最後を見届けるであろう存在である。


 後悔がないわけではないし、やり残したこともある。


 だがそれ以上にミリーの心中は憎悪に支配されている。


 それでも、今ばかりはこの時間を楽しみたいのだ。


「たのしいねぇ、サレンちゃん」


 本人に聞かせる訳ではなく、自分に言い聞かせるように呟く。


 届いたカクテルに口を付けて、賑やかな店内で一人の時間を過ごした。

 

マリアン「私は間違っていた……が、金のために引けぬ!」

ミリー「卸しやすい子で助かるなー」

サレン「(良いピアノだなー)」

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(金の為に)引けぬ! (怖いから)媚びる! (賭け弱いけど)省みぬ! キミ帝王の素質あるかもよ!
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