第148話:逃走からのお昼寝
ちょっとした提案をしただけなのだが、ミリーさんの思惑に巻角の店員が乗り、俺の胃を痛める事態となってしまった昼下がりのバー。
バーのマスターも情けからか協力を申し出てくれて、ピアノの用意をしてくれることになった。
良いの? あまり目立たない方が良いって言っていたはずなのだが、これは本当に良いのだろうか?
「この程度なら大丈夫さ。サレンちゃんだってお酒を飲みたいでしょう?」
そうミリーさんに言われてしまえれば、俺としては何も言えない。
金は有限だ。
節約できるのならば節約したい。だが、俺なんかの素人演奏で大丈夫なのかなんて心配が残っている。
「なーに。駄目でも私達に損は無いから、いつもの様にやってくれれば良いよ」
なんて軽く言われてしまった。
確かにミリーさんの賭けの内容では、負けたとしても俺達に痛手はない。
なんせ、支払うのも結局は巻角の店員の金だ。
何なら上手くいけば俺達はタダ飯とタダ酒にありつける。
因みにここまで会話はバーの中でこっそりとしている。
それ以外にも俺にはメリットがあり、布教活動は禁止されているが、名を売る事は禁止されていない。
俺の場合信徒として人は欲しいが、名が売れてくれればそれでも構わない。
少しでも良い感情が向けられれば、それはディアナの糧となるのだから。
そんなわけでマスターに支払いを済ませ、夜になったら店へ行くと伝えて外に出る。
バーが少し暗かったせいか、日差しが眩しい。
「いやー良いお店だったね。夜の心配もしなくて済んだし、少しお店を見ながら帰ろうっか」
「本当に大丈夫なのでしょうか?」
「大丈夫大丈夫。ライラちゃんもきっと怒らないさ」
最初に怒らないって言葉が出る辺り、怒られるのだろうな……。
今のミリーさんは黒翼としてではなく、個人的に楽しんでいるのだろう。
あるいは俺を囮にして、何か探ろうとしているのか……。
まあこうなってしまったら仕方ないし、腹を括るとしよう。
1
「この馬鹿者が……」
色々と歩いてから家に帰ってバーでの出来事を話したら、案の定ライラは怒った。
正確には呆れているのだが、ミリーさんの頭に拳骨を落としたので、怒っているのも確かだろう。
「まったく……我も聴きに行きたいが……今回は我慢するとしよう。あまり問題を起こすではないぞ?」
「ミリーさんが迷惑をかけてすみません……」
「いてて……。路銀は有るに越したことはないでしょ? それと、発端はサレンちゃんだからね?」
全責任をミリーさんへと押し付けるが、大人同士の醜い擦り付け合いに、ライラは溜め息を溢して呆れるだけだった。
発端とは言うが、賭けなんてすればあの巻角の店員が何かしらやらかすのは目に見えている。
正直今から羊の雲にいくのか怖い。
それに、ピアノを用意すると言っていたが、これも不安要素だ。
しっかりと調律されていれば良いが、一音の狂いで全て台無しになるのが音楽だ。
どんなピアノなのかも気になるし、隣国とはいえ、音楽性の不一致なんて落ちもある。
……こんな時は酒を飲むに限るが、流石にライラが居る目の前で、昼間から酒を飲む気概を俺は持っていない。
「帰りました」
「ただいま戻りました」
ミリーさんが怒られていると、シラキリとアーサーも帰ってきた。
アーサーは少し服装が乱れており、疲れている様に見える。
「やあアーサー君。門の広場では随分人気だったね」
「……なに?」
ライラが鋭い眼光をアーサーに向け、アーサーは両手を上げて降参の意を表す。
「遠くから尾行していたのですが、一般の女性達に少し絡まれまして……」
「なるほど、確かに貴様は女性受けする顔だからな。帽子でも被っておけ、この馬鹿者が」
あまりにもド正論のため、アーサーは頭を下げて謝る。
なんだろうな。大人達が揃って少女に頭を下げる様は、なんとも悲しいものである。
貴族と言えば一般常識に疎いのが相場だが、多分この中で一番普通の感性や常識を持っているのはライラだろう。
このままではまたライラの説教が始まってしまうので、時間まで寝て過ごすとしよう。
そうすれば遅くまで起きていられるだろうし。
「シラキリ。良ければ少しお昼寝しませんか?」
「はい」
若干しょげていたシラキリの耳がピンと伸び、ライラのジト目を見ない振りをして二階へと逃げていく。
時間で言えば二から三時間位だが、昼寝としては丁度良いだろう。
(時間になったら起こしてくれ)
『分かったが、演奏出来るようにしっかりと休め』
ミリーさんだけではなく、ルシデルシアまで乗り気とは……やれやれ。
身体を拭いてからシラキリと一緒に布団へ潜り、目を閉じる。
窓から射し込む日差しが心地よい。
「おやすみなさい。シラキリ」
「おやすみなさい。サレンさん」
2
『時間だ』
ルシデルシア目覚ましで目が覚め、起き上がる。
部屋は暗く、窓からは夕日の輝きが少しだけ覗いている。
起き上がる度に思うが、やはり若い身体は楽で良い。
「シラキリ。夕飯を食べに行きますよ」
「はーい……」
寝起きでボケーとしているシラキリを座らせて、寝癖をとかす。
獣人のせいなのか分からないが、シラキリの髪はかなり跳ねやすい。
あちこちから枝髪が飛び出て、耳の毛も静電気で跳ね放題だ。
そしてシラキリの後は自分である。
人として最低限の身だしなみを整えるのは当たり前であり、それは男だろうと女だろうと変わらない。
とは言ったものの、髪をとかして顔を洗い、化粧液を使う程度だが。
「やあやあ起きてるね。もうそろそろ羊狩りに行こうじゃないか」
準備が整ったタイミングでドアが叩かれるが、返事をする前にテンションの高いミリーさんが入ってくる。
俺が寝ている間に、また何かやらかしたのだろうか?
「はい。準備出来ましたので、いつでも出られます」
「私も大丈夫です」
シラキリも変装用の奴隷服に着替え、首輪を嵌めて準備万端である。
「んじゃあ行こうか」
「その前に、ライラの夕飯を作っても宜しいでしょうか? 一人で留守番をさせるのも、心苦しいのです」
「良いよ良いよ。別に時間を決めているわけではないからね」
流石にライラに何もしないで出掛けるのは、流石の俺でも良心が痛む。
シラキリもだが、ライラも親の愛を知らない。
何かあれば切り捨てる存在ではあるが、出来る限りの愛情を与えてやりたい。
どこまでいっても俺にとっては大事なのは俺の命だが、出来る限り他人を蔑ろにしたく無い。
何せ俺は、一人では何もできないのだ。
誰かを助け、助けられる。
そうやって生きていくのだ。
俺の作った聖書にも、似たようなことを書いてあるしな。
そんな訳で三分クッキングって程ではないが、手早く料理を作り、ライラに一言伝えておく。
「どうせ無理だろうが、なるべく騒ぎを起こさぬようにな」
そんなお小言をミリーさんがライラから貰い、昨日と同じメンバーで家を出る。
お小言の時、何となく俺にも視線が向いていた気がするが、俺は知らない。
ホロウスティア程明るくない街灯が灯った道を歩き、賑やかな声が聞こえ始める。
酒場が多く有る通りは昨日より賑わっているように見え、店に入れなかったのか、外で飲んでいる人もちらほらいる。
ホロウスティアでも良く見られた光景なので珍しくないが、羊の雲が遠目で確認できる距離になると、流石に目を疑う光景を、目にすることになった。
流石の俺も、こんな手に出るとは思わなかった。
……いや、巻角の店員ではなく、おそらくもう片方の巻角か、マスターが関わっているのだろう。
さて、羊の雲だが、現在壁の一部が取り払われ、ビアガーデン風になっている。
そして中にはこれまた立派なグランドピアノが鎮座しており、凄まじい存在感を放っている。
今の状況を一言で言い表すならば、どうしてこうなった? これに尽きる。
これは他にも悪乗りしている奴が居そうな気がするが、ふと足を止めた所、ミリーさんが俺の手を掴んだ。
「大丈夫サレンちゃん? 薄暗いから足元には注意するようにね」
ミリーさんは言葉と裏腹に、まったく心配している顔をしておらず、満面の笑みを浮かべている。
…………やはり俺が寝ている間にも暗躍していた感じがするな。
「大丈夫です。何でもありません」
「なら良かった」
これはまた一波乱ありそうな気がするが、大丈夫なのだろうか?
ライラ「(シスターサレンの演奏か……)」
ライラ「(ヴァイオリンは馬車で聞いていたが、ピアノはホロウスティアを出てから聴いていないな)」
ライラ「……まったく、羨ましい限りだ」