第147話:白銀の狼と羊
店の名前は、白銀の狼。
面白い名前と言うよりは、昨日の夜が羊だったので狼を選んだのだ。
酒屋と言うよりはまるでバーみたいな風貌だが、店内はどうだろうか?
「いらっしゃいませ。二名様でしょうか?」
「そうだよー……って、このお店やってるの?」
店内はまだ昼間だというのに薄暗く、客は誰一人としていない。
居るのは、カウンターでグラスを磨いている店員一人だ。
思っていた通り、中はバーみたいだな。
「やっておりますよ。どうぞお座りください」
マスターと言う言葉が似合いそうな老人の声に従い、カウンターに腰掛ける。
とても落ち着いた雰囲気を纏っており、酒の方には期待できそうだが、今の目的は飯だ。
「此方食事のメニューと、ドリンクのメニューになります」
出されたメニューは思いの外充実しており、絵が描かれているので分かりやすい。
ドリンクと言う名の酒のメニューは、見た目通りカクテルが豊富であるが、しっかりとワインやウイスキーなどもある。
「ほうほう。中々良さそうだね。私はこの狼の胃袋セットとミードね。一番良い奴をお願い」
「私はお任せランチにします。お酒は度数が高めで、鋭いカクテルをおオススメで」
「畏まりました。オーダー、狼セットとお任せ一つ」
店員……いや、ここはマスターと呼ばせてもらおう。
マスターが裏手に注文を伝えると、女性の快活な声が帰って来た。
食事のメニューがあるのが不思議だったが、ちゃんと作る人が居るようだな、
「飲み物を、先にお出ししましょうか?」
「よろしくー」
「お願いします」
先ずはミリーさんのミードが用意された後、俺のカクテルが作られる。
俺が昔通っていたなんちゃってバーのマスターと違い、動作の一つ一つが洗練されており、見た目通りの年期を感じさせる。
シェイカーを振る回数は少なく、ただ混ぜるためだけに振っていないと分かる。
振りすぎると口当たりが柔らかくなり、まろやかになってしまう。
俺が頼んだのとは違うものになってしまうのだ。
「お待たせしました。ピンクムーンになります。食前のため、ハーブを加えてあります」
「ありがとうございます」
将来はこんなイケオジみたいに、バーのマスターとか夢を見たこともあったが、これが中々難しい。
素人でもやれないことはないが、上を目指すと際限がない。
この道一本に絞るならともかく、多趣味な俺には無理だった。
そんな過去の事はさておき、飲むとするか。
「特に何もないけど、かんぱーい」
「はい」
何故か意味もなくミリーさんと乾杯してから、ピンクムーンを飲む。
レッドドライ程ではないが、口の中に辛さが広がり、その後にハーブの爽やかな匂いが突き抜ける。
……流石としか言えない、美味しいカクテルだ。
「お二人は、どうしてこのお店にいらしたのですか?」
カクテルの出来映えに内心唸っていると、マスターが話しかけてきた。
こういう時の返答はミリーさんに任せるのが決まっている。
「ご飯を食べられて、お酒が飲めそうな所を探していてね。昨日の夜は羊の雲って所で食べたから、此処を選んだんだ」
「そうですか。羊の雲と言いますと、シープビギニングは飲みましたかな?」
「そっちのサレンちゃんは飲んだよ」
「はい。お肉にとても良く合う、美味しいお酒でした」
マスターは微かに微笑んでから、俺の飲んだカクテルグラスを下げ、一枚の絵を指差す。
そこには何処かで見た、賭けに負けた巻角の女性や、俺達を賑やかに見送ってくれた巻角の女性と、羊の雲の店が描かれていた。
他にも厨房に居たと思われる人も描かれているので、恐らく店を開店する時に記念に描いた絵とかなのだろう。
しかし、何でこんな絵がこの店にあるのだろうか?
「へー。羊の雲の絵が、何でこんなところに?」
「あのお店で勤めている獣人の姉妹なのですが、私が育ての親でして。私のお店の名前が狼なので、羊を選んだと言っていたのですが、中々面白いでしょう?」
そこで何故捕食される側の名前を選んだのか謎だが、どうやらあの角は関係なかったみたいだな。
こういった裏エピソードがあると、確かに笑える話だ。
雲と言うのも、白銀からとったのだろう。
雪も雲も同白だからな。
「確かに見ていて面白い二人でしたね。中々ユーモアがありました」
「あはは。確かにそうだね」
ミリーさんの甘言に惑わされてシープビギニングを俺へ奢る事になり、飲み比べで俺に賭けなかったせいで金を失った哀れな女性。
因みに姉か妹かは分からないが、片割れの懐は俺に賭けていたみたいで、ホクホクとなっている。
あの絶望で膝を付いている姿は、そうそう忘れることは出来ないだろう。
「気に入っていただけたようですね。そう言えば確か……」
「お待たせしましたー…………げっ、あなた達は!」
「その様な顔をするのは止めなさい」
マスターが思案げに顎に手を当てたところで、料理が運ばれてきた。
そして料理を運んできたのは、昨日の夜馬鹿な真似をして散財した方の女性だった。
見るからに嫌そうな顔をしたせいか、マスターに窘められる。
昨日の夜も働いて、今も働いているとは、頑張っているな。
「こんな所で奇遇だね。お手伝いでもしているの?」
「……今月ピンチになったから、働かせてもらってるの」
……昨日どんだけ賭けていたんだよ……。
まあ店員の事はともかく、先ずは飯だ飯。
「本日のお任せセットは、ラムチョップのステーキと旬の野菜のスープになります」
「ありがとうございます」
昨日の夜に引き続きラム肉だが、まあ良いだろう。
ミリーさんが頼んだ狼の胃袋セットは、ソーセージとハムが大量に挟まったハンバーガーだ。
中々ボリューミーである。
食事に合うカクテルをマスターに頼み、ミリーさんと一緒に昼食を食べる。
「此方を作ったのはあの女性なのですか?」
「はい。あれで料理の腕は中々の物でして」
「あれとは何よ」
巻角の店員は帰らずに、カウンターの席に座ってふてぶてしくしている。
働かなくて良いのかと思うが、今居るのは俺とミリーさんだけなので大丈夫なのだろう。
このバーで飯が食べられるのは、この女性が居る時だけなのだろうな。
不定期でやっているから、客が居ないのだろう。
穴場と言う奴だな。
騒がしい酒場も好きだが、こんな感じに落ち着いたバーも嫌いではない。
誰にも邪魔されず、物思いに深けながら飲む酒と言うのも、中々乙なものだ。
「お待たせしました。シープビギニングを使用したホワイトアンサーになります」
ラム肉と言えば赤ワインのイメージが俺の中にはあるのだが、このシープビギニングはおそらく赤ワインよりも合っている。
臭いを消すのではなく、調和して良いところだけを残すような酒。
そしてこのカクテルはシープビギニングの甘い口当たりを鋭くしているので、スープとの相性も悪くない。
悔しいところだが、この巻角の店員の料理の腕は素晴らしい。
マスターの腕もあるが、どちらか片方の腕が劣っていれば、この味は引き出せない。
「バーで出される料理だから少し心配していたけど、普通に美味しかったよ」
「はい。素晴らしい味でした」
「チップをくれても良いのよ?」
何やら雑音が聞こえるが、チップを払ってやっても良いくらいの満足感は確かにある。
よくある話だが、頑固なドワーフの作った剣が業物であるように、作品と作った人の人間性が一致することは無い。
相手が屑だとしても、料理に罪は無いのだ。
まあ、チップをやっても良い気分だが、何となく気に入らないので、あげないけどな。
「あまりはしたない言葉を使うんじゃありませんよ。良い歳なのですから」
「歳の事は言わないでよ。それに、十八歳なんてまだまだ若いわよ」
マスターの言葉に対して、巻角の店員は手を振ってうんざりするように吐き捨てる。
元の世界で十八歳は若いが、この世界では良い歳と呼べるくらいだろう。
……いや、種族によって年齢なんて変わるし、下手に藪を突くのは止めておこう。
食べ終えたという事で、ミリーさんはミードのお代わりを頼み、俺も三杯目のカクテルを頼む。
「お姉さんそんな服を着てるって事は神官よね? そんなにお酒を飲んでも良いの?」
「私が信仰している神は、暴飲暴食をしなければ許してくれますので問題ありません」
「……昨日のあれすら暴飲じゃないって言うの?」
完全に店員の話す言葉ではないが、俺を相手に臆すること無く話せるとは中々胆力がある。
そしてレッドドライを駆けつけ三杯する俺にとっては、あの程度ほろ酔いにもならない。
三杯目のカクテルをマスターから受け取り、軽く一口飲む。
場や人に適した物を的確に作るとは、流石マスターだ。
「サレンちゃんは、レッドドライを普通にジョッキで飲んでケロッとするくらいの酒豪だから、あの賭けは良い収入だったよ」
ミリーさんが分かりやすく煽り、巻角の定員はガックリと項垂れる。
最初から自分が嵌められていたと、本人からネタバラシされて落ち込んだのだろう。
巻き上げた金は、俺のとミリーさんの昼食代となっている。
ここでお礼でも言えば、多分怒り出すだろう。
「あんたたちのせいで私は休む間もなく働いているっていうのに……」
「理由は聞きませんでしたが、また賭け事をしたのですか……あれほど賭けは止めなさいと言ったでしょう」
巻角の店員がどうして金がないのか知ったマスターは、窘めながらじっと巻角の店員を見つめる。
バツが悪そうに眼を逸らし、口笛を吹いて誤魔化す姿が滑稽で仕方ない。
まるでライラに怒られている俺みたいで。
ミリーさんには直ぐに手を上げるライラだが、俺には一切手を上げない。
今のマスターみたいに、じっと見つめて反省を促してくるのだ。
あれは中々胃にくる。
少しだけ助け舟を出してやるとするか。
実質的に奢って貰っている様なものだし。
「チップと言うわけではないですが、良ければ羊の雲で演奏をしましょうか?」
「演奏? 神官様なんかの演奏なんてたかが知れてるんじゃないの? それよりも酒を飲んでもらった方が有意義よ」
俺も急にそんな事を言われれば、同じような事を答えるだろう。
坊主やシスターがお礼に一曲演奏しますと言っても、そんなのは断って当たり前だ。
「ッチッチッチ。それは甘い考えだね。ならまた私と賭けをしないかい? サレンちゃんの演奏で、売り上げが上がるかどうか……のね?」
笑いながら俺の提案を断った、巻角の店員が笑うのを止め、頬をピクピクと震わせる。
マスターは溜息を零して俺の飲み終わったカクテルグラスを下げる。
ついでに甘口のカクテルをお願いしておく。
「賭け……ね。何を賭けるのかしら?」
「売り上げが1.3倍以上になったら、三日間の飲み食いを無料に。もしもならんかったら、この前の負け分を返すなんてどう?」
「乗ったわ」
即答である。
いや、提案した俺が言うのも何だが、大丈夫だろうか?
実績があるとは言え、流石にそんなに売り上げを増やすなんて無理なような気がする。
「全く……お嬢さん。演奏とは何の楽器を使うのですか?」
「一番はピアノですね。その次にヴァイオリンを」
「そうですか。娘の我儘に付き合わせてしまっているみたいなので、私の伝手でピアノを手配しておきましょう。どれ程の腕かは知りませんが、存分に弾いてください」
どうしてこんな良い人の下で、こんなのが育つのやら……良いところはもう一人の方に全て持っていかれてしまったんだろうな……。
アーサー「流石にあのお店には入れませんので、外で軽食を食べるとしましょう」
シラキリ「パンを買ってきますね」
アーサー「よろしくお願いします」