第131話:思い出の一本と懺悔
公爵領から逃げる様にして森の中を歩き、暗くなってきたのでこれまでと同じく野営の準備をする。
適当に作った夕食を、焚火を囲んで食べ終わったところで、ふとライラが拡張鞄を漁りだした。
「シスターサレン。それと、ミリーさん。我からのプレゼントだ」
取り出したのは一本のワインだった。
ビンに巻かれている紙は古そうだが、一体何年寝かせてるのだろうか?
「ら……ライラちゃんそれって……まさか?」
「百聞は一見に如かずと言うだろう? 見るがよい」
あのミリーさんが震えながらライラへと近づき、ワインを受け取る。
「ローゼン・トワイライトの五十年モノ……」
「秘蔵の一本だ。貴様の事は嫌いだが、働きには感謝している。それをシスターサレンと飲むが良い」
「だ、だってこれ、出す場所に出せば数百万以上になるよ? それを……」
「いらぬと言うならば、シスターサレンだけに渡すだけだ」
「飲みます!」
なんかとんでもない話が聞こえ、珍しくミリーさんが敬礼なんてことをする。
ライラの中で勝手に俺は酒好きにされているみたいだが、別にそんな事は…………否定できないが、俺は高いものが飲みたいわけではない。
確かに気になりはするが、流石に値段を聞いてしまうと気が引けてしまう。
……うん? 待てよ。
おそらくワインを取りに行ったのは、おれが宝物庫で待っている時だろう。
あそこで待っていた、時間は三十分もない。
時間は別に良いのだが、年代物のワインがあるって事は、ワインセラーがあるはずだ。
公爵家ともなれば、かなりの量のワインが保存されている事だろう。
あの時ライラが俺を置いて探しに行ったのは…………そういう事だろう。
流石の俺とてあんな状況で酒を飲もうとは思わないが、ライラは念のためと思い、俺を置いて行ったのだろう。
拡張鞄の容量的にライラがワインセラーのワインを全て持って来られる筈も無いので、高い奴を選んで持って来たのだろう。
だが……どうせ持ってこられないのなら、その場で飲んで見たかったなーと思う俺がいる。
ライラに言えばまだ睨まれるので言わないが、何ともったいない……。
「これとは別に、持ち帰り用にも数本持ってきている故、シスターサレンと飲んでしまえ。あの時に飲んでいたモノと格の違いを知るが良い」
「それはもう、喜んで! ささ、サレンちゃん。早く飲もう!」
「はい」
喜びを隠そうともしないミリーさんだが、まあ、流石に二人だけで飲むと言うのも忍びないな。
あの日の会話もあってライラはこのワインを飲んでほしいのだろうが、最初の一杯位は皆で飲むのも良いだろう。
「良ければ最初の一杯は皆で乾杯しませんか? 折角ライラの憂いも無くなった事ですし、良いワインみたいですから」
「えー。勿体ないよー」
「……それも良いな。我が注ぐから、コップの用意を頼む」
嫌がるミリーさんを見たライラはワインを奪い取り、封を開ける。
俺は五つのコップを並べ、そこにワインが注がれていく。
匂いからしてあの日ミリーさんと一緒に飲んだワインと違い、期待が持てる。
出来ればワイングラスで飲みたいが、外でそこまで求めることは出来ない。
「我の我儘に付き合わせてすまなかったな。だが、これで馬鹿がちょっかいをかけてくる事もない。助かった。――ありがとう」
「色々とあったからねー。それじゃあ飲もうか。かんぱーい」
ライラの感謝の言葉をミリーさんは遮り、苦笑いをしながらも乾杯する。
そしてワインを飲み……。
誰もが一言も話さず、余韻に漬かる。
これ程のワインは、元の世界でも飲んだことがない。
ミリーさんがあれ程震えて喜んだのも頷ける。
ワインについての知識はあまりないが、この一本で百万以上は嘘ではないのだろう。
「どうだ。良いワインだろう? これが本物と言うものだ」
珍しくライラがしてやったりと笑みを浮かべ、ワイン瓶を手に取る。
「これはグローアイアス領で作れる限界のワインだ。これ以上寝かされれば、酸味とアルコールのバランスが悪くなる。新たな製法でも見つからない限り、王国でこれ以上はないだろう」
「前はこれを飲みたくて王国まで来たのに、五年モノより前のがなかったんだよねー。いやーこれだけでも一緒に来た甲斐があるよ」
酒の作り方や製法なんて一般的なモノしか知らないので、俺が手を出せることはない。
蒸留やカクテル。寝かせたワインやビールもあるので、本当に手が出せない。
だが将来の事を考えるに、ワイン造りに手を出すのはありかも知れないな。
何十年か何百年の寿命か分からないが、楽しみでもなければやっていられない。
色々と詳しそうなライラも居るし、後で考えをまとめておこう。
「……こんな美味しいの初めて飲みました」
「だろう? 幼い内から良いものを知っておけば、人生の役に立つと祖父様も言っていたからな。だからと言って、飲み過ぎてはいけないがな」
これまた珍しくライラはシラキリの頭を撫でて、一気にワインを飲み干す。
焚火から木の割れる音が響き、火の粉が舞う。
ふと静寂が覆い、森の囁きに耳を傾ける。
ライラ達三人は一杯で終わりにし、先に眠りへとつく。
俺とミリーさんが最初の見張りとなり、二人で残りのワインを空けていく。
「とりあえず一山越えたけど、次も大変そうだよねー」
「そうですね。教国については情報自体がありませんし、明確な指針も無いですからね」
『大丈夫だ。既に相手は分かっているからな。出てき次第、余が滅ぼそう』
(それってあの時俺に剣を放った奴か?)
『うむ。詳しくは後で話すとしよう。折角の酒が不味くなるからな』
ならば一旦ルシデルシアの事は放っておくとして、ミリーさんと話を続けるとするか。
「とりあえず勇者と聖女について調べるしかないかなー。召喚する事自体が侵略行為と同意義だしね」
「勇者と聖女ですか……ミリーさんはどの様に考えていますか?」
残り少ないワインを自分とミリーさんのコップに注ぎ、味わいながら飲む。
俺の……サレンの代わりとして召喚された訳だが、一体どうなっているやら……。
利用されている事に気付いて逃げ出してくれていれば良いが、もしもそのまま残り、洗脳でもされていれば、殺さなければならないかもしれない。
「召喚されたって情報以外は知らないけど、場合によっては殺さないといけないだろうね。平和な時期に暗躍しているわけだし、まともじゃない手で首輪をしている可能性が高いからね」
「そうですね。出来れば此方に引き込めれば良いのですが……」
「だねー。人手不足の黒翼に誘えれば嬉しいけど、ともかく調べてみない事には何も言えないねー」
最後の一滴までワインを飲み、一緒に溜息を吐く。
一本だけしかライラは渡してくれなかったので、今日の晩酌はこれで終わりとなる。
これだけ美味い物を飲んだ後に、不味いのを飲むのは気が引けるが、やはりこれだけでは物足りない。
とは言ってもまたライラにぷんすか怒られるのも嫌なので、ここは耐えるしかない。
「サレンちゃんってさ。ずっと宗教家を続けるつもり?」
「おそらくそうなると思います。世界の全てがイノセンス教を邪教と扱わない限りですけどね」
「そうかー」
身体を前後に揺らしながら、ミリーさんは空になったコップを見詰める。
いつものミリーさんらしくない雰囲気だが、一体どうしたのだろうか?
「多分気付いてるとは思うけど、私って神様とか宗教とか大っ嫌いなんだ」
「それは……はい。そうではないかと思っていました。それなのに私達に良くしてくれるので不思議でした」
「任務ってのもあるけど、個人的にサレンちゃんの事は好きになっちゃったからね。今時あれだけ他人に親身になれるなんて、難しい事だよ」
俺とこの世界の住人の価値観が違うのもあるが、俺の一番の目的はディアナを目覚めさせることだ。
本当は金を稼いでヒモ生活を送る事を優先したいのだが、俺の精神を安定させるにはなるべく早くディアナに目覚めてもらう必要がある。
その結果、人当たりの良い事ばかりしている。
俺の選んだ選択肢は、ミリーさんからしたら不可解な物が多かったのだろう。
「人が人を思いやる事で輪が広がり、輪が広がれば想いは伝播していく。全てが平等にとは私も思いませんが、出来る限り平和を願っているだけですよ」
「そこだけどさ、サレンちゃんってシスターの癖に結構現実的だよね。それと酒癖悪くない?」
酒癖と言われても、他人に迷惑はかけていない筈なので、俺が考えた聖典的には問題ない。
暴飲じゃないもん。
「ライラが親を憎み、その復讐を癒せなかった様に、限度がある事を我が神は知っています。それと、そんなに酔っていないので大丈夫です」
「いや、でもあの量はねぇ?」
雰囲気が戻ったミリーさんは、ジト目で俺を上から下まで見て首を振る。
アルコールとは言え、大体一夜で数リットルは飲んでいる。
普通に考えたらそんなに飲めないと思うのだが、この身体は問題なく飲めている。
しかも全く太らない。
「まあ、良いや。折角だし、少し私の昔話を聞いてよ。一つの懺悔って事で」
「私で良いのですか?」
「私もさ、少しは変わった方が良いかなーなんて思っているんだ。まっ、これの肴と言う事で」
ミリーさんは自分の鞄を漁りだし、一本のワインを取り出す。
それは先程飲んでいたワインと、同じ銘柄であった。
「これは二十年モノだよ。とりあえず先ずは一杯やろうか」
とりあえず互いに一口飲むが、流石に先程のに比べると味が落ちる。
おそらく書類を集めるついでに、くすねてきたのだろう……。
さて、懺悔という事だし、一応あの一言を言っておくか。
「迷える子羊よ、あなたの罪を告白しなさい」
さて、ミリーさんの昔話とは何なのだろうか?
シラキリ「(ワイン美味しかったな……でも……うーん)」
ライラ「シラキリ。断っておくが、普通はあんな量飲めぬからな」
シラキリ「……分かっているもん」