第125話:灰燼と帰せグランソラス
その日、コネリーはいつも飲んでいるワインすら飲まず、苛立ちを隠そうともせずにいた。
「その報告は、本当なんだろうな?」
執務室で報告に来た騎士の言葉を聞いたコネリーは、背筋が凍るような声で返答をする。
「はい。先程探知魔法にそれらしい反応を捉えましたので、遠見の魔法で確認しましたので、間違いありません」
「放っていた暗部はどうした?」
「……八割以上から連絡が途絶えています」
机を叩く大きな音が響くが、騎士は直立不動のまま動かない。
コネリーの癇癪は今に始まった事ではなく、下手に反応しても反感を買うだけなのだ。
「どうして来ると分かっている奴を殺せないのだ!」
「……僅かな情報から察するに、単独ではないようです。最低でも一人は仲間がいるようです」
「何人放ったと思っている! ……まあ良い。一応予想していたことだ。準備は出来ているのだろうな?」
来ると分かっているなら、態々待つ必要もない。
五十人程ライラを暗殺するために放っていたが、その多くはサレンが与り知らぬうちに殺されていた。
どれだけ凄腕であろうと、ミリーやシラキリを相手にするのは自殺と同意義である。
人数で押されれば難しいが、暗殺者の様な少人数は、ミリー達からすれば格好の獲物なのだ。
コネリーは暗殺者で片が付けば良いと思っていたが、念には念を入れて、領の騎士や兵士たちを出来る限り招集している。
街の外で野営をしており、いつでも出撃が出来るように待機している。
その数は約一万人以上と、普通ならば侵略行為をしようと戦備を整えていると捉えられてもおかしくない。
だが最も近い他国である帝国の領地のホロウスティアは、何が起こるか把握しているので、これを静観している。
国内でも不審がられてもおかしくないが、そこは情報操作により漏れないようにされている。
それでも人の口には戸は立てられないが、短い期間ならば問題ない。
「ハッ! 常備軍の全団員を招集してあります。いつでも出撃可能です」
「そうか。ならば奴が来る方向に兵を展開しておけ。それと、あの馬鹿に私自ら声を掛けてやろう。来たら報告せよ」
「了解しました」
敬礼をしてから、騎士は執務室を出て行く。
その顔は無表情であり、この作戦について何も疑問を持っていない事が窺える。
誰も彼もが、ライラを殺す事に疑問を持っていない。
それがこの国の普通であり、思惑通りの結果である。
「何が山断ちだ。あんな呪われた剣で王族と縁を持てるならば、安いものだ。あの悪魔め……今度こそ殺してやる!」
コネリーは憎しみで顔を歪めて、怨嗟の声を上げる。
ライラを殺し、グランソラスを手に入れる。
そのためならば、どれだけの被害が出ても構わない。
だが、それでも何があっても良いように手を打っている。
何があろうと、コネリーの自信が揺るぐことは無い。
落ち着くために深呼吸をしたコネリ-は、メイドを呼んで紅茶を淹れさせる。
これから起こる事を考えてか、コネリーはほくそ笑みながらゆっくりと喉を潤す。
後は全てが終わるのを待てばいい。駄目ならば一度王都へと引き上げる手段を整えてある。
勝てる事を信じて疑わず、メイドを寝室へと連れ込む。
全ての策謀を、ライラの手によって潰されているとは知らずに。
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ライラと他愛もない会話をし、交代の時間となったので、ミリーさんと入れ替わりで眠る。
ルシデルシアタイマーがあるので、寝坊なんて事はしないし、起こされる前に目が覚める。
まあそれは良いのだが、ルシデルシアに起こされて目が覚めると、ミリーさんが正座をしていた。
ライラはそんなミリーさんを見下ろし、俺に気付くと、冷たい視線を向けてくる。
一体何があったのだろうか?
「おはようございます」
「ああ。おはようシスターサレン。昨日の夜は随分と楽しんでいたみたいだな」
……ミリーさんを見ると、スッと視線を逸らされる。
どうやらライラに昨日の夜に、酒を飲んでいたのが、バレてしまったようだな。
「鎌を掛けたら、直ぐに口を割ってくれた。まったく……下賤な犬に相応しい卑劣さだな」
「えへへー」
視線を向けられたミリーさんは、誤魔化す様に笑う。
随分怒っているみたいだし、これは良い訳せずに謝った方が良さそうだな。
「黙って飲んですみませんでした。昨日ライラが言っていた通り、どの様に変わったのか確認しようと思いまして」
「そうそう。飲みたいからって、飲んでいたんじゃないんだよ」
「……何本飲んだ? 正直に話してみよ」
ミリーさんと視線を合わせ、アイコンタクトをする。
これはあれだ、詰んだって奴だろう。
ライラにワイン瓶を二本空けた事を話すと溜息を吐かれた後に、コンコンと説教された。
怒っているというよりは呆れているのだろうが、二日続けて年下から怒られることになるとは……。
情けないというか、何というか……。
『……まあ、何だそんな日もあるだろう』
珍しくルシデルシアが慰めてくるが、ルシデルシアの事なので、昔ディアナに怒られていたのだろう。
俺以上に色々とやらかしていそうだし。
思いの外長く続いたライラの説教が終わった後、朝食を食べてから出発となる。
残りのワインは五本となるが、ライラの戦いが終わるまではお預けとなった。
一応追われていたり、捜索されている身となるので、当たり前と言えば当たり前の対応だろう。
酔いを醒ませるとは言え、敵陣で酒を飲んでいる俺とミリーさんがおかしいのだ。
基本的に移動は人目につかないように森の中を進むのだが、目的地であるグローアイアス家の領都の近くは開けた平野となっている。
森を出る直前にミリーさんとは別れ、俺とライラだけで平野を歩く。
距離で言えば、森を出て一日程度は隠れる場所が無いのだ。
もしも敵に攻められる時、接近に気付けるように、大昔に森を切り開いたとライラが教えてくれた。
逆に言えば、よくライラは逃げて来られたものだ。
森に入れば多少撒けるだろうが、走ったとしても森までは距離がある。
最後はああなってしまったが、普通の少女なら直ぐに捕まっていただろう。
一夜をライラと過ごした、次の日の朝。
二時間ほど歩くと、嫌なものが見えて来た。
「……何とも仰々しいものだな。そう思わんか。シスターサレン」
「話には聞いていましたが……本当に良いのですね?」
ライラは笑いながら、俺に視線を送って来る。
嫌なものとは、人によって作られた地平線だ。
話に聞いていた、数千から万の騎士達なのだろう。
たかが一人の少女に対して大げさだが、それだけ恐れられているのだろう。
「なに。この程度は最初から読めていた。奴は馬鹿だが、戦力を出し惜しむような愚かな事はせん」
出し惜しむというか、出し過ぎな気がするんだよな……。
戦国の合戦ならともかく、こちらは高が一人の少女だ。
しかも全員鎧を着てやる気満々だ。
『数を揃えた所で、我が神喰の前では無力だというのに。それどころか、力を与えるだけだと言うのに……』
(はいはい。わかったわかった)
嘆くルシデルシアは放っておくとして、やはり心配になってしまう。
「悪魔よ! 止まれ! 今直ぐにグローアイアス家の家宝を返すと言うのならば、速やかにその首を刎ねて眠らせてやろう。だが、もしも抗うと言うのならば、悪魔らしく惨たらしい最期を迎える事になるだろう!」
突如男の大きな声が響き、馬鹿な事を宣う。
不問ならともかく、どちらにせよ死ぬのならば、普通抗うだろうに。
ライラは馬鹿にするように鼻を鳴らし、グラウソラスを鞘から引き抜く。
反応的に、この声の男がコネリーのモノなのだろう。
「シスターサレン。此処までで十分だ。下がっていてくれ」
「はい。必ず生きて帰ってきてくださいね」
「ふっ、我が負ける筈も無かろう。見ておけ。これが、我の本気だ――灰燼と帰せグランソラス」
『ほう。やはりそこまで認められているか』
ライラの髪が輝き、風が巻き起こる。
掲げられたグランソラスには、何かが吸い込まれるように集まり、巨大化していく。
とりあえず少しずつ距離を取り、巻き込まれないように逃げる。
(あれはなんだ? 凄くヤバそうに見えるけど)
『神喰が力を発揮するための真言だ。あれならば、魂を啜られるなんて事もないな』
(それで?)
『前に話した通りだ。認められているならば、剣の能力を使う事が出来る。まあ、まだ上があるがな』
既に何を話していたかなんて忘れたが、とにかくライラはルシデルシアが認める位には凄いのだろう。
ライラの変化に気付いた騎士達が押し寄せてくるが、距離的に間に合わないだろうし、魔法だって銃みたいに直ぐに着弾するわけでもない。
ライラの後姿は髪が煌めいている事もあり、神々しい雰囲気がある。
だが、これから起こるのは生死を賭けた戦いだ。
俺では身が竦んで何も出来ないだろう。
だから……。
(一応だが、本当にどうしようもなくなったら頼むぞ)
『助けてやる程度の事はしてやる。我も、神喰の担い手がいなくなるのは、少し口惜しいからな』
離れるのを止めてライラの方を見ると、巨大な光の剣となったグランソラスを振り下ろすところだった。
なるほど。確かにあれならば、山断ちと呼ばれるのも納得だ。
ライラ「見せてやろう。これがグローアイアス家の象徴だ! ――山断ち」
ミリー「盛り上がってるなー」(暗殺者を殺しながら)