第121話:無能な領主といつものサレン
「見えてきたねー。あれがアイリスの街だよ……一応」
ミリーさんと一緒に一時間程歩くと、そこそこ立派な城壁が見えてきた。
ミリーさんがボソッと言った言葉が気になるが、先ずは中に入ってからだ。
街道に出た事で歩きやすくなったものの、人とすれ違う事は一度も無い。
理由は何となく分かるが……行けば正確に分かる事だろう。
「止まれ。何の用で街に来た?」
人気が無くがらんとしている門には屈強な兵士が二人立っており、威嚇するように声を張り上げる。
たかが女性に対して過激な気がするが、ライラの……悪魔を恐れているからなのだろう。
道中でミリーさんと打ち合わせをしており、門番が居た際の対応も考え済みである。
「私はイノセンス教でシスターをしている、サレンディアナと申します。こちらは護衛のミリーです。私は巡礼の旅をしていまして、王都に向かうために立ち寄らせて頂きました」
「そうか……本当にシスターなのか?」
久々に失敬な言葉を言われたが、この程度の質問は想定の範囲内だ。
「宜しければどなたか無償で治療させて頂きましょうか? それが一番の証明になるかと思います」
「……ならば、この腕の傷を治してみせよ。本当に治せるのならば、街へ入る事を許可しよう」
門番の人が小手を外すと腕には包帯が巻かれており、かなり痛々しい。
血が滲み、膿も少し出ている。清潔にしていられるなら問題ないだろうが、鎧を着ていれば悪化していく一方だろう。
これ程ならばさっさとポーションなり神官なりに、治して貰わないと悪化するぞ?
「これは……ポーションで治療をしなかったのですか?」
「情けない話だが、街にある物資は殆ど公爵様に接収されてしまってな。それで、治せるか?」
酷い話ではあるが、こんな世界では良く有る事なのだろう。
念のためミリーさんに視線を送ると、目で頷いてくれた。
「天におりまする我が神よ。どうか彼の者から痛みを取り除き、癒しを与え賜え」
腕を組んで、目を閉じてから適当な祈りを捧げる。
いつもより控え目の光が門番の腕から発せられ、見る見るうちに治っていく。
光が止んで目を開けると、もう一人居た門番がいつの間にか近寄って来ていた。
「……これは」
「お前……腕が……」
腕を怪我していた門番が包帯を取ると、そこには何の傷跡も無い綺麗な腕があった。
我ながら完璧な仕上がりだ。
こっそりミリーさんを見るとあちゃーっといった感じで、頭に手を当てている?
……何故?
「本当にシスター……失礼。神官の方なのですね。つかぬ事をお聞きしますが、ご高名な方なのでしょうか?」
「いえ、ただ巡礼をしている、一介のシスターでございます。それで、街へ入っても宜しいでしょうか?」
「勿論です! それともし可能であれば、私にしたような慈悲を、どうか民に与えて下さい」
先程まで俺を恐喝していた門番達は、揃って頭を下げる。
門から見える街並みは活気がなく、正に不景気と言った感じに見える。
……これは、ライラが来るからだけでは無さそうだな。
「頭を上げてください。残念ながら補給をしましたら、直ぐに旅に出る予定です」
「……はい」
「ですが、出来る限り努力させていただきます。イノセンス教は、悪人ではない限り全てを受け入れますので」
「――感謝します。少々治安が悪くなっていますので注意して下さい」
街の中へと入り、辺りを見ながら先ずは雑貨と食料が売っている店を探す。
皆どこか雰囲気が暗く、元気が無さそうである。
「サレンちゃんさー。怪我を治すのは良いけど、あれ程の怪我を綺麗に治せるシスターなんてどこにもいないからね?」
門が見えなくなる位まで歩くと、ミリーさんが小言を漏らす。
すみません。それは初耳です。
俺はミリーさんがゴーサインを出したから治したのだ。
「そうなのですか?」
「……ああ、うん。その反応を見ると、サレンちゃんが記憶喪失だったのを思い出したよ。それと、さっき門番と話していた事だけど、何か考えでもあるの?」
「あると言うよりは、軽く布教するついでに数名の怪我を治すか、少しお話でもしようかと。如何でしょうか?」
「うーん」
困ったように腕を組み、頭をふらふらとさせる。
布教についてはホロウスティアを出発する際に、ライラから打診されたものだ。
全く無名のイノセンス教がやって効果があるか分からないが、この様子では少しの希望を与える事で、それなりに信仰を得られるかもしれない。
今の所、ホロウスティアには沢山居た神官を見ていないので、既に町から退去しているのかもしれない。
門番なんて街にとっては貴重な存在なはずなのに、あの腕では満足に剣を振る事も出来なかっただろう。
神官が居れば、多少無理を言っても治しているはずだからな。
「それってもしかして、ライラちゃんが頼んでいたりする?」
「一応そうですね。一度街へ寄る際に布教をしてもらえないかと言われました」
「そう言う事ね。本当にあの歳で色々と考えるものだよ。良いけど、先に買い物を済ませてからだね。あれも買っておきたいでしょ?」
口元でくいっと手を動かし、酒を飲むジェスチャーをする。
酒を買うならば、このタイミングしかない。
もしも逃せば、王国から逃げてからではないと無理だろう。
「はい。少し位と頼んだのですが、ライラとシラキリに絶対駄目だと言われまして……」
「サレンちゃんは本当によく飲むからね。それなのに全く酔わないし、心配してるんじゃない?」
「気持ちは嬉しいのですが、私にも止むを得ない理由がありまして……」
「――えっ?」
少々ミリーさんに話すのを躊躇われる内容だが、少し改変すれば問題ないはずだ。
それに胸の内を話、信頼しているとアピールしておけば、疑惑を持たれなくなるかもしれない。
「記憶が無いせいか、稀にですが急に不安に襲われる事があるのです」
「なるほど……それって大丈夫なの?」
「あくまで感情的な問題なので、心と折り合いをつけることが出来れば問題ありません」
「それってライラちゃん達には?」
首を横に振り、否定を示す。
「心配させる訳にもいきませんからね。まあ私自身お酒を飲むのは趣味みたいなものなので、何とも言えないのですけどね」
「…………まあうん。あの量を飲んでればね」
昔と違い、この身体はいくらでも酒が飲める。
飲めるなら飲みたくなる。それが人と言うものだ。
後輩に酒なんて不味くて飲めないと言う奴が居たが、そいつは酒の代わりにエナジードリンクを、バカみたいに飲んでいた。
俺にとって酒はお前にとってのエナジードリンクだと伝えると、なるほどと頷いてくれた。
誰にだってストレスを発散するための何かがあり、俺はそれが酒だった。
「ミリーさんが私の事を調べてくれていたのは、私としてもありがたいことでした…………あっ」
「どうしたの?」
調べてで思い出してしまったが、体験入団の時にミリーさんが居なかったのは、騎士団内を監査していたのだろう。
そして騎士団内に裏切者が居るのを突き止めたが、泳がせた結果、森での悲劇が起きたのだろうな。
……いや、ミリーさんが下手を打つとは思えないし、赤翼と何か話して、後の事を任せていたのかもしれない。
それと、あの時持っていた酒瓶はもしかして……。
「もしかしてですが、赤翼の時に酒瓶を持っていたのって、ジェイルさんの所からだったりします?」
「そうだよ。なんならあの場に私も居たんだけど、気付いた?」
「……いえ。全く気付きませんでした」
黒翼騎士団って、俺が思っている以上にヤバい騎士団なのではないのだろうか?
公爵の上には王族しかいないわけだが、その公爵にお願いないし、命令できる立場に黒翼騎士団は居る事になる。
「あの時は色々と情報が集まった後だったのと、丁度良いタイミングだったからね。まあサレンちゃんが何者であれ、私は構わないさ」
軽い調子で言うが、俺があの時どれ程胃を痛めた事か……。
公爵から貰ったワインを全部飲んで悪いと思っていたが、この話でチャラということにしよう。
知りたくない事実を知らされた後も適当に話しながら歩き、商店街に着いた。
しかし活気は殆ど無く、店も閉まっているのが多い。
とりあえず店先で食料を売っている店があったので、値段を見てみるとミリーさんが難しい顔をする。
「どうしましたか?」
「異常な値段だと思ってね。ザっと通常の3倍って所かな」
「……原因は何でしょうか?」
「色々とあるだろうけど、一番は税収と政策だろうねー。トップの匙加減一つで変わるのが領主制の悪い所だよ」
ライラから聞いた話が正しければ、グローアイアス家は祖父の代までかなり裕福だったそうだ。
それがたった一代でこうも酷くなるとは……。
「前回来た時はどうだったのですか?」
「一緒だけど、更に悪くなっている感じもするね。大方ライラの事を知っている騎士が話を漏らしたのかもしれないね」
金銭面的な苦しみに、精神的な苦しみを追加しましたってか。
そう遠くない距離にホロウスティアがあるっていうのに、ここまで酷くなるものかねぇ?
「因みに、王国から帝国へ行くのは厳しく制限されていたよ」
……ですよね。
人が居なければ金が得られないのだし、みすみす逃すはずもない。
サレン「王国って有名なお酒と買ってあるのですか?」
ミリー「うん。王国と言うか、グローアイアス領の名産としてね」
サレン「……もしかしてワインですか?」
ミリー「ご名答! まあライラちゃんがいつも飲んでるから、分かっちゃうか」