第110話:ブラックジョークも程々に
俺はもう帰る事も、戻る事も出来ない。
それを改めて思い知らされると、心にくるものがある。
勿論ちゃんと折り合いを付けているし、仮に帰れるとしても俺はこの世界に残る気でいる。
俺の命はルシデルシアとディアナが居なければ、とっくに潰えていたものだ。
更にこの世界に来て今の身体にならなければ、身体と魂が乖離して死んでいた。
一応とはいえ助けられているので、恩を返すのは人として当然だろう。
それに、シラキリやライラも居るからな。
あの頃の生活を懐かしむ気持ちはあるが、それだけの感情だ。
「あー、何だかごめんね」
「気にしないで下さい。思い出せるかも分からない記憶よりも、こうして話している今の方が、価値があるはずですから。レイネシアナ様も、そうお考えの筈です」
「シスターサレン……」
ミリーさんは苦笑いを浮かべ、ライラは目を伏せる。
妙に湿っぽくなってしまったな……全く、俺とした事がくだらない感傷を抱いてしまった。
「仮に記憶を思い出したとしても、此処から離れる気はありませんので、これからも私と仲良くしていただけると幸いです」
「それは勿論さ! まあサレンちゃんが何もしなければって頭に付くけどね!」
ミリーさんがブラックジョークを放ち、先程よりも強くライラが鞘で頭を叩く。
流石のミリーさんも椅子から転げ落ち、頭を抱えながら痛みに悶える。
「この馬鹿は捨て置くとして、我は何があろうとシスターサレンから離れる事は無い。命の恩人なのもあるが、我が剣を捧げるに相応しい人だと思っている」
相変わらずライラは物々しいが、俺を心配している事がよく伝わる。
王国への復讐も、結局は俺と居たいから行おうとしている側面がある。
復讐をしたいのは本当だろうが、ライラ程の強さがあれば何処にでも行ける筈だからな。
とりあえずずっと不機嫌そうにしているライラの頭を撫でて、軽く機嫌を取っておく。
「ありがとうございます。ライラ」
「む……むぅ……」
「私の事は無視かい?」
若干涙目だが、ミリーさんのは自業自得なので仕方ない。
「王国への出発はいつくらいの予定ですか?」
「一週間後を予定している。その前に、こいつに偵察をしてもらう予定だがな。本当はアーサーとシラキリにしてもらう予定だったが、来るならば使わせてもらう」
「偵察は構わないけど、兵を召集しているなら奥までは探れないかもよ?」
「どこで待ち構えているかさえ分かれば良い。強襲されるのだけは避けたいからな」
「それなら明日にでも行ってくるよ。少し日程が厳しいけど、何とかするさ」
曲がりなりにも公爵家なのだから、相当数の騎士やら兵士がいるはずだ。
負ける事の心配はしていないが、ライラが侵されていた毒などを使われれば、誰かしら倒れる可能性がある。
俺が近くに居れば大丈夫だが…………ああ、ポーションを用意しておけばいいか。
前回以上に強力な付与をしておけば、多分大丈夫なはずだ。
ポーションを入れるのが瓶であるので割れる心配はあるが、あくまでも保険だからな。
しかし一週間後か……。
スフィーリアへの引き継ぎと、マイケルとオーレンのパーティーに助っ人を頼もう。
それから念のため、アドニスさんにもお願いしておくか。
後はベルダさんに聖書のお願いしておいて、またドーガンさんの所で棒でも買うか。
「私の方も準備をしておきますね」
「シラキリとアーサーには、既に日程を話してある。目標は……」
「シラキリちゃんの入試に間に合わせるように帰ってくる……かな?」
「その通りだ。出来ればシラキリは連れていきたくないが、あれはシスターサレンが行くとなれば、嫌でも付いて来るからな」
学園の入試は確か、今から二ヶ月から三ヶ月程度先だったかな?
王国だけならまだしも、教国を経由するとなるとギリギリとなるだろう。
教国まで、どれくらい掛かるか知らないけど。
「おや? 帰ってきてたのですね」
「アーサーか。こいつも行く事になった。それと、お前の素性も知っている」
「どうも。黒翼騎士団のミリーです」
帰ってきたアーサー、ミリーの自己紹介を聞いて固まる。
それからひきつった笑みを浮かべる。
「そそそうですか。これからもよろしくお願いじます」
面白いくらいアーサーは動揺し、言葉も噛んでしまっている。
ミリーさんに怯えるという事は、やはり執事ではないのだろう。
今思い出せば、どう見ても暗殺者の格好だったしな。
裏の人間にとって、黒翼とは恐るべき存在なのだろう。
それにしても、よくよく考えると凄い状態だよな……。
ライラは一応公爵令嬢であり、神の生まれ変わりでもある。
更にルシデルシアが作った剣を持っている。
ミリーさんは自由裁量権を与えられているような、通常とは違う騎士だ。
帝国なんて呼ばれている国では異例と言っても良いだろう。
つまり、とても偉い……いや、特殊な存在だ。
更にアーサーも元暗殺者であり、ライラが雇用……仲間にしたって事は、相当優秀なのだろう。
現に俺とシラキリは随分お世話になっている。
そんな俺も元となっているのはただの一般人だが、魂は魔王と聖女と融合している。
俺個人の力はそうでもないが、ルシデルシアならば世界を破壊する事も出来るだろう。
ただの一般人はシラキリだけとなるが、ただの一般人は訓練を初めて一ヶ月足らずでB級の魔物を倒せたりしない。
出身は普通かもしれないが、その才能は類い稀なるものである。
俺が言うのも何だが、やはりまともな人間が誰も居ない。
「帰りました」
ミリーさんが硬くなったアーサーを弄っていると、シラキリが帰って来た。
「お帰りなさい。来週から王国に行くので、用事を入れないようにしておいてください」
「はい。話は聞いているので大丈夫です。ミリーさんも来るのですか?」
「はい。それと予定通り教国にも寄りますので、準備は怠らないように」
「分かりました」
シラキリが帰って来たついでに外を見ると、日が沈み始めている。
結構な時間話していたようだな。
ミリーさんも居る事だし、食べに行くとするか。
「良い時間になりましたし、食べに行きましょう。ミリーさんも如何ですか?」
「良いよ良いよ。明日から王国に行かないとだからね。英気を養うには、お酒が一番さ」
おかしいな。一言も酒を飲むと言っていないのに、酒を飲むことになっているぞ。
…………まあ、飲むんだけどさ。
毎度ながらライラの視線が突き刺さるが、これまで一度として吐いた事も、深酔いした事もない。
自分が定めた通り暴飲暴食ではなく、節度ある飲食だ。
確かに他人から見れば飲み過ぎかもしれないが、決して……決して暴飲ではない。
口に出せばライラとシラキリ辺りから、反感を買いそうなので何も言わないけど、それだけは理解してほしい。
「あ、そうだ。折角だから、いつもの酒場で良い? ちょっとお願いがあるんだ」
「お願いですか?」
「前に弾いた、骸に捧げるなんちゃらって曲を、また聴きたいんだ。駄目かい?」
『ほう。中々お目が高いな。練習の成果を見せる時ではないか?』
ミリーさんからのお願いとは珍しいが、あの曲か……。
あの日ルシデルシアから渡された……送り込まれた楽譜を見ながら演奏した。
しかし、かなりの長丁場なのと一発通しだったので、合格点を貰えたものの、ルシデルシアからかなりの駄目出しをされた。
それから、夜早めに寝た時はルシデルシアの所に呼び出されて、散々練習をさせられたのだ。
確かにとても良い曲であり、心に響くものがある。
だからと数十……数百回も訓練をさせられれば、何の感慨もなくなる。
ただミス無く弾くだけならば最初の数回で何とかなったが、そこに感情を乗せろと言われ、相当苦戦した。
ルシデルシア曰く、魔法も音楽も感情が乗ってこそ面白い物になるのだとか。
気分よく笑うルシデルシアとは対照的に、俺は若干気落ちする。
まあミリーさんたっての願いだから構わないが、もしもルシデルシアが納得しなかった場合、また地獄のピアノ練習をさせられる事になるだろう。
今回は、俺も気を引き締めなければならない。
ルシデルシアは面白がっているだけだが、俺は睡眠時間が削られて辛いのだ。
だから……。
「構いませんよ。折角なので、私も気を引き締めて演奏しようと思います。しばしのお別れとなりますからね」
「私としては簡単な部類の仕事だけどね。見てくるだけなんて、ちょろいちょろい」
俺の記憶では、偵察って結構危険な任務だと思ったんだがな……。
やはりミリーさんも、ライラ側の人間なのだろう。
「シスターサレンの演奏か……久々だが、楽しみだな」
「私も聴きたいです!」
ライラとシラキリも続き、アーサーも楽しみだと言わんばかりに頷く。
『ふふふ。今宵も良い宴となりそうだ』
(それはようございましたね)
仕方ないが、見せてやるとしよう。
この俺の練習成果をな!
ミリー「サレンちゃんってピアノ以外に演奏できるのはあるの?」
サレン「分かりません。楽器の実物を見れば、モノによっては弾けるかもしれません」
ライラ「我は音楽に時間を割く余裕はなかったが、シスターサレンとデュオと言うのも面白そうだ」
シラキリ「私も……頑張る」ボソ