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常闇の王の調べ  作者: 山神まつり
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第十六話

半年以上空いてしまいすみません。

生まれてこの方、激情することなどなかったし、人様に暴力を振るうなんて知能の低い下等な者たちが行う行為だと認識していた。


拳を人の頬に当てるなど、そんな暴虐を働くことなど自分には一切無縁のことだと、むしろ達観しきっていた。


だが、その時の一ノ瀬調に自制という観念が微塵にも存在していなかった。


一切表情を変えない九十九の頬に当たる寸前に、首の後ろにちくっとした感覚があったかと思うと、そのまま調は急に体を支えるすべての力を失い、がくんと上半身がテーブルの上に叩きつけられた。


「―――調っ!」


自分の名前を呼ぶ依月の声には焦りが滲んでいたが、当の本人はどこか力を失って、人を傷つけなくなったことに安堵していた。


だが、「大丈夫」という言葉一つ口から生み出せず、どうやら体全体が痺れているようだった。


「すみません、主任。少々手荒な処理をしてしまいました」


「いや、風祭くんの判断は間違っていないよ。全く、冷静そうに見えて一ノ瀬調くんは血気盛んだと見える。やはり、自制が働かないという部分では律人とそう変わりはないってことかな。何も繋がりはないというのに」


どうやら、先程の風祭という女性に後ろから体を痺れさせるようなものを打ち込まれたようだった。口だけではなく、指先などにも力が入らない。


「大丈夫ですよ、体そのものに害はないですから。かなり微量なしびれ薬ですので、大体しびれが落ち着いてくるのが30分というところですかね。たまに、この施設にあることないこと吹聴しにくる人たちがいるんですよ。その人たちも、九十九主任の話を一通り聞くと、今のように激高して掴みかかろうとするので、少々手荒ではありますがこちらも防御策として対処させていただきました」


「と、いうことだよ。悪く思わないでくれ」


「じゃあ、もうこれ以上あんたと話せることはないってことだ」


依月の言葉に九十九は片眉を上げながら心外とばかりにため息をついた。


「そちらがきちんと話し合う姿勢を持たなかったからだろう。でも、守秘義務はなかったととはいえ、私も一ノ瀬家の内情をべらべらと話しすぎてしまった。全く知らなかったことをいきなり心の準備が整っていない時に話されたらそれは、心が乱れてしまうのは仕方のないことなのかもしれない。申し訳なかったね」


九十九が深々と頭を下げたのが目の端に入ってきた。


先程まで流暢にぐだぐだとのたまっておきながら―――と怒りに震えながらも、口元に力が入らず言葉が発せないことに気付き、調は目が届く範囲で九十九の後頭部を睨みつけることしか出来なかった。


「さて、私の机の上に突っ伏しているままではいくら若者といえども辛い体勢だろう。依月くん、そこに小さいが私のソファーがあるからそこに彼を座らせてあげてくれないか?」


九十九の言葉の跡、すぐにふっと体が浮く感覚があった。横目で見ると、依月がこくっと小さく頷き、調の腕を自分の首へ回しているのが見える。風祭とかいう女の気配に気づけなかった落ち度に今更ながら急激な敗北感が這い上がってくる。


だけど、風祭という女の言葉が真実であるならば、調のように激高して殴ろうとする事例が過去に何度かあったというわけだ。そんな危険な状況を理解していながらも、この〈光の苑〉という遺伝子研究所という胡散臭い施設を継続させる理由は何なのか、改めて気になり始めていた。




15分が過ぎると、指先のしびれが落ち着いてきた。口も少しは開くようになっている。


目の前の九十九は風祭が淹れてくれたらしいお茶を優雅に飲んでいる。


調が無言でずっと睨みつけていることに気が付くと、大いに不快そうに眉をひそめてはあぁと大きくため息をついた。


「おいおい、折角風祭くんが淹れてくれたカモミールティーが不味くなるじゃないか。カモミールティーはリラックス効果があるんだよ。君たちは気が高ぶっているようだし、風祭くんに淹れてもらって君たちも飲んだらどうかな?」


「―――結構です。それより、さっきの一ノ瀬家の話は、本当の話なんですよね?」


依月のさらに核心へと踏み込もうとする質問に、隣に座る調ははっと体を強張らせた。


依月の質問に、どこか妖艶な指使いで顎に指を絡ませる九十九はにたりと不気味な笑みを浮かべた。


「研究者の私が、出鱈目を口にするわけないだろう。それより、私は君が調くんの素性をすでに知っていたことの方が気になるね。この〈光の苑〉の場所を知っていたことも気にかかる。君は……篠塚と接触していたね?」


篠塚、という名前に依月はあからさまに表情を硬くしていた。


「彼がここを罷免されてからは色々な研究機関で技術を伝えようとしていたみたいだが、やはり倫理観に引っかかって尻込みをしている奴らばかりで彼は有益とされなかったみたいだね。まぁ、当然だろう。彼は海外へ向かい、そこで有益とされた機関に拾われたようだね。遺伝子研究の論文もあげていたようだし、それに依月くんは気づいたのかな?昔、この〈光の苑〉で遺伝子と遺伝子を掛け合わせて化け物を生み出した当の本人と英語のやり取りをし、この施設と調くんの出自を知ることとなった。そうだね?」


依月の表情は顔面蒼白で、唇はぶるぶると震えている。否定をしないということは、九十九の言っていることは大体合っているのだろう。


「でも、篠塚はペトフィリアでね、あ、〈小児性愛〉のようなことだがそれを知っていて敢えて近づいたのかな?自分を売って、情報を貰ったのかな?」


「―――そんなことは、あんたに関係ねぇだろ!!」


依月の激高に、九十九は一切表情を変えなかった。


「失敬、そんなことまで言う必要はないね。さぁ、そろそろ調くんも動けるようになったんじゃないかい?日が完全に沈む前にここを下りた方がいい」


依月はすくっと立ち上がると調の方を見ずに部屋を出て行ってしまった。


調は名前を呼ぼうとしたが声が出ず、そのまま九十九を見ずに部屋を出ようとした。


「一ノ瀬調くん、また話をしたければおいで」


後方からそんな九十九の声が聞こえたが、一切目を合わさずに依月を追った。




「今度はきちんとアポを取ってから来てくださいね。足元に気を付けて」


表情を一切変えず、風祭は門の前でそう言った。調はいちを礼儀として軽く一礼したが、依月は俯いたままだった。


「依月、帰ろう」


調が声を掛けると、依月は何も言わずふらっと先に歩いて行ってしまった。


日が陰り、行きとは違う薄気味悪さがあたりを占めていた。


がーがーとこれから悪いことが起きそうな予兆を感じさせるように、カラスが声を上げながら頭上を旋回している。


前を歩く依月は調と同じローファーだというのにすたすたと歩みを進めている。調はまだしびれが若干残っているため、慎重に歩かないと足元に力が入らなくなりそうだった。


小高い山をやっと下りると、辺りはすっかり日が沈み真っ暗になっていた。


「依月、ごめん、俺が歩くのが遅くなったからだ。急いで帰ろう」


そう声を掛けると、依月はぴたっと歩みを止めた。そして、肩を小さく震えさせた。


「依月……?」


「調、俺のこと、軽蔑したよな?事前に調のこと調べて知っていたのに言わなくて、隠して、今日盛大に傷ついたよな。それに、それを知った経緯だって、同じ男として幼なじみとして気持ち悪いと思うに決まってるよな―――!」


「さっきの、篠塚って奴の話か?」


「そうだよ、何でそんな冷静なんだよ。気持ち悪いだろ?俺は、美月の無念を家族の悲しみを晴らしたくて、調が知りたくもないことを自分自身を売って手に入れたんだよ。それぐらい、さっきの話で分かってるだろ?」


美月の無念―――やはり、依月は小さい頃からずっとずっと悩んで苦しんでいたんだ。だけど、普段から飄々としていた所為で、調は依月の心の苦しみをきちんと考えてあげられてなかった。


「だけど、調、お願いだ。このことは、家族には、菜月には話さないでくれ!頼む!調にとっては、俺が許せない存在になっているかもしれないけど、俺はまだいつもの、小さい頃から知っている宇野依月でいたいんだ。ずっと、それでいたいんだ。おまえだけ、おまえだけ、真の俺の姿を知ってくれればそれでいいんだ。俺のわがままだって分かってるけれど―――」


「大丈夫だ、依月が傷つくようなこと他の人には言わない。俺だけが、本当の宇野依月を分かっている」


依月はだらだらと涙を流し続けていた。そんな弱さを前面に出す幼馴染を調は今まで見たことがなかった。


「俺たちは、今まで通りだ。今日、ここに来て聞いたことも知ったことも、忘れたふりをしていればいいんだ」


「調は、それでいいのか……?」


調はふいっと頭上のぼんやりとした朧月夜を一瞬見上げると、そのまま口元に笑みを乗せながら依月を見つけた。


「依月は、今日のことはすべて忘れろ。美月や依月たち家族の無念は俺が一人で晴らす。そして、律人のことも―――」


調が次の言葉を紡ぐ前に、二人の間をざあっと強い風がかき消すように強く吹いた。



雲行きが怪しいですが、もっと怪しくなっていきます。

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