〇 第2話 エルフと人間と異世界人(わたし) ―12
「あんた、騙されているのかもしれないよ」
確かに私も、私を救ってくれたのがルィイだったから、そして私に食べる物と大切な翻訳の指輪をくれたから彼女を信じているだけだ。私を最初に拾ったのが果物屋の主人で、その人がエルフはバケモノだから近寄るなと言っていたら、その通りにしたかもしれない。
先入観と言ってしまえばそれまでだけれど、深く付き合うことがなければ、他人の印象なんて先入観がすべてだ。
きっとアルスルさんも、あの優しくて礼儀正しいルィイとの関わりの中で、そういう考えに至ったわけではないはずだ。つまり、誰かから聞かされたエルフに対する悪評や思い込みを先入観として持たされていて、そういう考えに至っている。
人というものには、赤の他人が勝手にいろいろなレッテルを張っていく。そして、遠くから見ると、そのレッテルで覆われた中身は見えなくなってしまう。
元の世界で私を虐めていたカス女が、出会ったときから一貫して私を弱者側にしたてあげていたことと似ているのかもしれない。他の周りの同級生たちが、私のことを知りもせずに弱者であると納得していたことも同じだろう。
「エルフだからって、そんなことはありませんよ……」
二十一世紀に暮らす日本人の私は、倫理的に、他民族だからという理由でその人を排斥するべきではないということを知っている。だが、二十一世紀に暮らす日本人の私だからこそ、他民族だからという理由で人を排斥してしまう人間の心理も理解できてしまう。
ルィイとこの街を歩いているときに、すれ違う人たちの視線が妙に寒々しかったのもこれが原因なのだ。
「アルスルさんだって、ルィイ……、彼女にミカンを売ってくれたじゃないですか」
「そりゃ、断って呪いでもかけられたら、たまったもんじゃないからね。何もただで持っていかれているわけじゃないんだから。お代さえきちんともらえれば、ものを売るくらいのことはするさ」
ルィイがアルスルさんは優しい人だと言っていた意味もこれだ。きっとこの市場で、ルィイにものを売ってくれる人は、それほど多くはないのだろう。
「それよりも、俺は、あんたが心配なんだよ。あんた、あのエルフに付き合わされて、何されてるんだ? 俺が助けられるんだったら、助けたいんだよ」
ああ、なるほど。この人は、私がルィイにかどわかされていると思っているんだ。
「……いいえ。大丈夫です」
後から考えると、この時の私は、今までの私と何かが変わっていたのだと思う。異世界に来て、周りの環境が変わった。ルィイと出会って、近しい人との関係が変わった。そして何より、それらの変化によって、私自身の内面が少しずつ変わっていた。
だからなのだろう。アルスルさんの私を心配する言葉は、私の心の奥底に潜んでいた、何か硬くて焦げ臭い部分に、確かに火をつけた。
私は、アルスルさんの言葉を聞いて、無意識に、手に持った砂だらけのミカンを地面に投げ捨てていた。
「いいえ。大丈夫です。私は彼女に助けられて、それに感謝して、一緒にいたいと思って一緒にいるんです」
私は、異世界に来て初めて、はっきりと、強く自分の意見を口に出した。いや、こんなにも強く他人に言葉を発したのは、生まれて初めてだったかもしれない。
「だから、ほっといてください」
私は言い切って、アルスルさんの顔も見ずに走り出した。
ルィイにそこで待っていろと言われたのに。こんな何もわからない街で迷子になってしまったら、それこそ生きていけるかもわからないのに。でも、あのアルスルさんの心配と不信が入り混じったような表情に、私は我慢ができなかったのだ。
自分で自分のことが不思議だった。私は今までの人生で、何をされても、何を言われても我慢してきたはずなのに。文字通り死ぬまで我慢してきた私なのに。他人がルィイを悪く言うだけで我慢できなくなったのだ。