〇 第2話 エルフと人間と異世界人(わたし) ―9
そんなに長い間生きていたら、きっと嫌なこともたくさんあっただろうに、どうして死にたくならないのだろう。私は十六年で死にたくなったのに。
この世界には他人にパンを買いに行かせる女も、娘の腹を殴ってくる父親も、それを見て笑って目をそらす母親もいないのか。
「そういえば、人間って私たちと比べて短命で、かつ成長が早いんだったね。知識としてはあるけれど、本当にユリコみたいな人が十六歳だとは思わなかった」
ルィイは改めて何かを確認するように、私の顔をじろじろと見た。その視線が嫌で、私は顔をそらす。
人にじろじろ見られるのは嫌いだ。ルィイにもそれが伝わったのか、彼女はごめんごめんと言いながら笑った。
「……さっきの果物屋のアルスルさんも、ルィイから見たら若者だよ。そういう話はしないの?」
「ここの人たちとそんな個人的な話はしないわ。アルスルさんは優しい人だけど」
わざわざ付け足された優しい人という情報に、何か裏の感情のようなものを感じなくはなかったけれど、私はあえてそれを言及するようなことはしなかった。
ルィイは少しだけ考え込むような表情をしてから、恥じ入るような小声で私に聞いた。
「じゃあ、アルスルさんって、何歳くらいなの……?」
「え、うーん……。三十から四十くらいだと思うよ」
私が先ほど考えたアルスル氏のおおよその年齢をルィイに伝えると、ルィイは目を丸くして驚いた。
「うわー。それって本当? 二桁の年齢であんなにたくさんの果物を取り扱うお店をやってるんだ。私が四十のときなんて、エルフの里でリスを追いかけて一日を過ごしていたわ」
リスを追いかけて一日を過ごすというのが、エルフ族の幼い子供の定番の遊びなのか。現代日本でいうならば、鬼ごっこといったところだろうか。
私はリスを追いかけて遊んでいる四十歳のルィイを想像してみたが、その姿をうまくイメージできなかった。
「人間って本当に凄いわ」
どう考えても三百年生きているほうが凄いだろ。というのは、私が人間だからそう思うのだろうか。いや、私個人の生死観で言わせてもらえるならば、十六歳以上生きている人間は、みな総じて凄いということになる。だとしたら、やっぱり三百歳は凄すぎる。
私の中で、ルィイへの尊敬の念が限界突破しそうだ。
「逆に三百歳って、人間で言うとどれくらいなの?」
「二百八十三歳だってば」
そんなに長寿なのに、たった十七年を気にするのかよ。そうツッコミたくなったけれど、女性の年齢のことなので、私は口を噤んだ。十七年というと、私の年齢を超えているのだから、確かにそう思うと失礼かもしれない。
「わたしもわからないわ。逆に人間って何歳まで生きるの?」
「私の世界では、だいたい八十歳くらいだったけど……」
中世風の世界観であるこの世界では、平均寿命はもう少し短いのかもしれない。いや、たしか昔の平均寿命が短いのは、小さい子供の死亡率が高かったからだと聞いたことがあるような、ないような……。
「というか、一年って三百六十五日だよね? そこが一致しているっていうのも、よく考えたらかなり不思議なんだけれど」
「人間の暦では、一年の日数は年によって変わるはず。……だけど、だいたいそれくらいだったと思う。私たちエルフの暦は少し複雑で、そもそも一年で区切ったりしてないわ。エルフが名乗る年齢は、生まれてから出会った一年で一番日の長い日を数えているのよ」
「夏至の数え年ってことね……」
一年というものが地球の公転周期から生まれている概念だということは、曲がりなりにも高等教育を受けていた私にはわかるけれど、それが一致しているということはつまり、やっぱりここは地球ということなのだろうか。
私は空を見上げた。一年が三百六十五日であることが不思議なら、一日が二十四時間であることもまた不思議である。案外、この世界を宇宙から眺めてみたら、アジアとかアメリカ大陸とかヨーロッパとか、世界地図で見慣れた地形が広がっているのかもしれない。