〇 プロローグ 自殺したはずが、異世界でエルフに拾われました。 ―2
天国という物は、そこに訪れる者に、最初にこのような歓迎を与えるのだろうか。だとしたら、少しばかり派手というか、奇をてらいすぎているだろう。天国を運営している神様なる存在がいるのなら、一言文句でも言いたくなる。
「……で、どうしたらいいの……?」
もし仮に本当に天国なら、話に聞く天使のように、私にも自在に空を飛べるような特権が与えられているのかもしれない。そう思って、手をバタバタと馬鹿みたいに振ってみたが、私の腕はむなしく空を切るだけだった。
もしかして、目に映る風景が美しいだけで、ここは地獄なのかもしれない。この落下は、私に対する地獄からの最初の罰なのではないだろうか。ああ、一度そう考えると、そのほうがしっくり来てしまう。私は前述のとおり特定の宗教を信仰しているわけではないが、たしか多くの宗教は、その教えの中で自殺を大きな罪としていたはずだ。
だとすると、このまま大地に叩きつけられるまでが私に与えられた地獄での最初の罰だということだろう。投身自殺者に対する罰としては、実に相応しいといえる。
もしや、地面に叩きつけられた瞬間に、また再び上空へと移って、何度も何度も落下させられる無間地獄なのではないだろうか。そこまで考えて、私はゾッとした。
しかし、それほどの思考時間を経てもまだ私の身体は遥か上空にある。いや、それでも、落下していることは確かなようだ。はるか遠くに見えた夕日を反射して美しく輝いていた海が、もうほとんど見えなくなっている。
「……いったいどうなってるの……」
思わず泣きそうになる。父親に馬乗りになって殴られても、学校でバケツ一杯の水を頭からぶちまけられても泣かなかった私なのに。
覚悟を決めて死んだはずが、こんな訳の分からない状態で生き残ってしまっているのだから、泣きたくもなる。いや、ここが地獄なら、死んではいるのだろうが……。
もういっそ、舌でも嚙み切ってやろうかと私がぼんやりと思い始めた時、ふと、見渡した広い空の遠くの一点に、大きな鳥が飛んでいるのが見えた。
鷹だろうか、鷲だろうか。その二つの違いもあまりわかってはいないが、その鳥は何やら急いでいるのか、大きな翼をバサバサとせわしなく動かして、凄い速さで飛んでいた。
……あれ? なんだかそのシルエットが急激に大きくなっていっているような……。
……これ、もしかしてこちらに向かってきている?
「――――あなた何をしているの!?」
鳥が喋った。いや、そんなはずはないだろう。風音か羽音か、私にそう聞こえただけに違いない。
だが、喋ったか喋っていないかにかかわらず、その巨大な鳥が、私に向かって飛んできていることはどうやら間違いないみたいだ。バサバサという翼を羽ばたかせる音が急速に大きくなる。
それに気が付いたときには、私は馬鹿みたいに大きなその鳥の足に、がっちりと身体を掴まれていた。
「ぎゃああああああああああああああああああああああああああああああああ!」
自分で自分の声に驚くほど、大きな声が出た。でもしようがないではないか。大きいとは思っていたが、まさか人間をその足で軽々と掴めるほどの鳥がいるなんて思いもしないだろう。
これが地獄の鳥か。確か、ダンテの神曲では、地獄で自殺者を樹木にしてそれをついばむ怪鳥が登場するはずだ。まさに、私の今の状況にぴったりではないか。再三言うように私はキリスト教徒ではないけれど、何かの間違いでダンテの描いたかの有名な地獄篇に迷い込んでしまったのだろうか。
私は手足を振り回してそこから逃れようとするが、怪鳥の鉤爪は私の身体をしっかりとつかんで離さない。
「――――ちょっと、暴れないで。落ちちゃう!」
今度ははっきりと声が聞こえた。女性の声だ。絶望的な神罰を想像して暴れる私を、落ち着けようと優しく声をかけているように聞こえる。
だけど私にはそれが救いの言葉なのか、悪魔が騙そうとしているのか判断ができない。
「ちょっと! 落ち着いてってば!」
女性の声が急に近くなる。私がはっと顔をあげると、巨大鳥の上から、私を覗き込む顔があった。
「……えっ」
そこでようやく私は理解した。鳥が喋っているのではなく、鳥の上に乗った人間が、私に喋りかけてきたのだ。
その女性は、美しい金の長い髪の間から、見たこともないような綺麗な青い瞳で、暴れる私を見下ろしていた。