〇 第2話 エルフと人間と異世界人(わたし) ―4
「ここ最近では、五十年くらい前に現れた異世界人が、人間の王に招聘されて、そこでいろいろな異世界の技術を人間たちに教えたという話を聞いたことがあるわ。さっき言った人間の百年王国の王都のことね」
つまり、王都にあるという水洗式のトイレは我々の世界からもたらされた技術ということか。やはりどんな超絶最強チートスキルよりも、日本のトイレは優れている。いや、その異世界人が日本人であるかは知らないけれど。
あ、というか今の話って、私にもこの世界で役に立つ可能性があるってことなのか。
……と、そこまで考えて、私はより本質的なことに思い至った。
「そうか。ルィイは私から、そういう話を聞きたいんだ。だからこんな私を助けてくれたってことなのね……」
日本製トイレや品種改良の仕組みを全て知っているわけではないが、それでもこの発展途上な世界では、私の知識というのは私が思っている以上に価値があるのかもしれない。
そして、ルィイは私のその知識にこそ、価値を見出しているのだ。
「そうね。あなたの世界の話は、とっても興味深いわ」
丘を降りる道の途中で私は立ち止まった。先行して歩いていたルィイはすぐに気が付いて、小走りで引き返してくる。
「どうしたの? 歩き疲れちゃった?」
「……ううん。なんでもない」
私は首を振って、もう一度歩き出した。
なぜ私はショックを受けているのだろう。なぜ彼女が私を助けた理由が利己的であったことが、私を苦しめるのだろう。
私はかつて、誰にも助けを得られなかった。それは私を助ける価値がなかったから。私自身に価値がなかったから。でも、この世界に来て、私はルィイに救われた。
『人が人を助ける理由に論理的な思考は存在しねーだろ』とは、私の初恋のキャラクターである工藤新一の名台詞である。
このあまりにもイケメンすぎるセリフが間違いだなんて、私にはとても言えない。最初に空から落ちている私を拾ったときのルィイは、確かに見返りなど考えずに私を助けたはずだから。
でも、そのあとはどうだろう。彼女が泣きじゃくる私にその柔らかい胸を貸してくれたのは、私に価値があったからというだけのことなのかもしれない。私が持っているであろう異世界の知識が、あるいは私自身の異世界人としての価値が、彼女にそうさせたというだけのことなのかもしれない。
なにもおかしなことはない。ましてや、そのことに対して私が憤るのはお門違いもいいところだ。彼女が私を絶望の淵から救ってくれたことには違いないのだから。
それでも私は、損得を超えたところでルィイに救ってほしかった。今はそう思ってしまっている。
この感情はどこから出てくるのだろう。なぜ、そんな欲張りなことを思ってしまうのだろう。
「そろそろ裾野の町につくよ」
もやもやとした思いを抱えながら、三十分ほど歩いただろうか。身の危険を感じるほど急だった坂道はいつの間にか平坦になり、やがては丘のふもとの町がずいぶんと近くに見えてきた。
ルィイにとっては丘を下る道も慣れたものだろうけれど、運動嫌いで自室に引きこもりがちだった私にとってはかなりきつかった。町の入口に着くころには、私は息も絶え絶えになっていた。
「ようこそ、この素晴らしい町へ。なんて、私もよそ者だから、そんなこと言う資格はないんだけどね」
私がその町を見て最初に思ったのは、思ったよりも文明的だなという、あまりにも失礼な感想だった。
大通りにはレンガ造りの家が等間隔に並んでいる。家々の窓にはガラスがはまっていて、その奥にカーテンも見える。まったく読めない文字で書かれているが、看板を掲げている店のような建物もある。
ルィイの丸太小屋しか見ていなかった私には、通りに並んでいるその建築物たちはかなり衝撃的だった。少しだけこの世界で文明的に生きることができるという希望を見出したかもしれない。