第2話
いくつか提示されたプランの中から、俺が選んだのは『異世界観光プラン』だった。
他にも『冒険者体験プラン』や『貴族体験プラン』なんていうのもあって興味を惹かれたのだが、やはりせっかくの異世界ならば、観光だろうと思ったんだ。
――見たことのない景色を見てみたい。
まるで学生時代に戻ったような心地で帰宅し、早めに就寝する。
翌朝、早くに目覚めた俺は、デイバッグに着替えを詰め込んで、旅行代理店「異世界」を目指した。
キャリーバックにしなかったのは、庭井さんに注意されていたからだ。
現地では道が悪く、キャリーは邪魔になるのだという。
二泊三日のツアーの為、着替えもそれほど必要じゃない。
「異世界」に辿り着くと、店の前には庭井さんと、もうひとり女性が談笑していた。
フレアスカートに淡い桜色のブラウスを着た彼女も、俺と同じくお客なのか、足元にはやや大きめのバックが置かれていた。
やってきた俺に気づいたふたりは、俺に会釈。
「おはようございます。お待ちしておりました、三山様」
庭井さんはそう告げて、右手でもうひとりの女性を示す。
「こちらは上岡環様、三山様と同様、観光プランをご希望されているお客様です。
上岡様、こちらは三山樹様です」
「よ、よろしくお願いします」
肩口で切りそろえた栗色の髪をした彼女に、俺は会釈する。
紹介された彼女も同様に会釈。
「そして、改めまして。
わたしは本日から三日間、おふたりのガイドとして同行させて頂きます、庭井ありさです」
そうして庭井さんも会釈して、三人で笑う。
「――それではおふたりが揃った事ですし、ご案内いたしますね」
庭井さんに従って店内に入り、昨日座ったカウンターの横を通って、店の奥へ。
通された部屋は家具などなにも置かれていない、空っぽの部屋。
「こちらへどうぞ」
と、庭井さんは部屋に明かりをつけると、俺達を部屋の中央に招いた。
「世界間移動で酔う方もいらっしゃいますので、座った方が良いですね。
気持ち悪かったら、教えて下さいね」
そう言いながら、庭井さんはしゃがみ込んで、床に右手をついた。
俺と上岡さんはふたりで顔を見合わせながらも、庭井さんの言葉に従って床に座る。
「では、行きます!
――目覚めてもたらせ。リージョン・トランスポーター」
庭井さんがそう告げた途端。
床に複雑な魔芒陣が浮かび、それに応じるように、わずかに遅れて四方の壁や天井にも魔芒陣が浮かんだ。
虹色に輝くそれから燐光が吹き出し、俺達の周囲にも球形の複雑な図形が浮かび上がる。
風もないのに、庭井さんの長い髪が、ふわりと浮き上がる。
「――喚起!」
庭井さんの透き通った声が室内に響いた途端、周囲の風景が陽炎のように歪んで。
「……え?」
上岡さんが驚きの声をあげた。
俺も驚きで息を呑んだ。
気づけば、俺達は石造りの部屋に座っていて。
周囲を包んでいた球形図が、燐光にほどけて、周囲に描かれた魔芒陣に吸い込まれていく。
「到着です。ようこそ異世界へ。
ここはフォーティンという世界にある、リーシャ王国です」
ゆっくりと立ち上がり、そう告げる庭井さんに、俺も上岡さんも再度驚く。
「に、庭井さん!?」
「はい、庭井です」
そう言って微笑む彼女の髪色は、それまでの黒髪ではなく、綺麗な銀髪になっていた。
瞳の色も宝石みたいな金色だ。
「ああ、そうですね。
実はわたしは、こちらの生まれでして。
こちらでは本来の姿に戻ってしまうのです」
事もなさげにそう答え、彼女は俺達に会釈する。
「本来の名前はティアリスと申します。
庭井は日本政府に用意してもらった、仮の名前でして。
どうぞこちらでお過ごしになる間は、そちらの名前でお呼びください」
どうやら色々あるらしい。
俺と上岡さんは顔を見合わせて、それから庭井さん――ティアリスさんにうなずく。
魔法みたいな――いや、事実、魔法なんだろう――ものを見せられたばかりなんだ。
いまさら庭井さんの姿が変わったくらいで、驚いていられない。
きっとこれから、もっと驚く事を目の当たりにできるはずだ。
目の前のものをあるがままに受け入れよう。
俺の気持ちは、きっと上岡さんも一緒だったようだ。
「じゃあ、ティアリスって長いから、ティアさんって呼んでも良いですか?
あ、三山さんの事も、イツキさんって呼んでも?
あたしはタマキとか、あ、友達はタマちゃんって呼ぶから、それでも良いですよ?」
上岡さんの距離の詰め方がエグい。
「どうぞご自由に」
そう言って微笑むティアリスさんに、俺もまた上岡さんに倣う事にした。
せっかくの旅行仲間だものな。
多少、気安い方が過ごしやすいだろう。
「じゃあ、俺も。ティアさん、タマちゃん、改めてよろしく」
「こちらこそです! イツキさん、ティアさん!」
握手する俺達を、ティアさんが微笑みながら見つめる。
「それでは、移動しましょうか?」
「そういえば、ここって何処なんです?
あ、国名とかじゃなく、リーシャ王国の何処って意味で」
「王城の転移の間です」
あっさりと告げられた事実に、タマちゃんが飛び上がる。
「――お城っ!?」
「ええ、この後、おふたりには陛下に謁見して頂きます。
そうそう、ちなみに本日の宿はこの王城の客室となります」
「ええ!? 陛下って、王様の事だよね!?
――イツキさん、王様だって! 会ったことある?」
「……普通に日本人やってて、そんな経験あるわけないでしょ」
戸惑う俺達をよそに、ティアさんは部屋の扉を開ける。
「大丈夫ですよ。
陛下はお優しい方です。
日本の事情にも通じているので、礼儀などもお気になさる必要はありませんよ」
そう言って彼女は、招くように部屋の外を手で示す。
俺とタマちゃんは荷物を持って、ティアさんの後に続いた。
部屋の外は、やはり石造りの回廊になっていて、床に張られた大理石が、欧州のお城を彷彿させる。
回廊は、俺達が出てきた部屋側は壁になっていたのだけれど、反対側はテラス様の手摺りになっていて、どうやらここは二階にあるのだとわかった。
そうして視線を上げて、俺は再び息を呑む。
ティアさんがクスリと笑い、同じように空を見上げたタマちゃんが、驚きの声を上げた。
「うわぁ、太陽が……」
「ふたつある……」
俺達が良くしる太陽より、心持ち小さい太陽と、それに連なるように、小さな太陽が並んでいて。
「ふふ、皆様、ここに来て、ようやく異世界を実感なさるんですよ」
手摺りにかじりつく俺達の後ろに立って、ティアさんが説明を始める。
「大きい方を大陽テラシオ、小さい方を小陽ティモネと呼びます。
小陽は大陽の周囲を公転している衛星ではないかと、天文学者などは申しておりますね。
名前はサティリア教会が伝える神話から――」
手を掲げながら説明してくれるティアさんには悪いけど。
俺もタマちゃんも、ほとんど聞いてなかった。
「……あたし、ホントに異世界に来ちゃったんだぁ」
タマちゃんはスマホを取り出して、空に向けると連射。
俺もデイバッグからデジカメを取り出して、彼女に倣った。
「あ、おふたりとも。写真は結構ですが、インターネットやSNSへの投稿は控えてくださいね。
――日本政府から、黒服の怖い人達がやってきますから」
ずっと笑顔だったティアさんが、最後の一言だけ真剣な顔をしていたから。
俺とタマちゃんは、写真を撮る手を止めて、コクコクとうなずいて見せた。