【書籍版発売記念】EX1 ひとりじめの日
私たちが新たな学校に通い始めて一週間ほどが経った。
隣町の高校は拍子抜けするほどに平和で、今のところ私の“力”を振るう必要すらない。
もっとも、新たな友人ができたわけでもないので、人間関係の変化が小さいというのも平和の一因なんだろう。
そりゃあ、恋人たちを引き連れて転校してきた私に近づきにくいのは当然に決まってる。
私としても四人以外に愛情を向ける余裕はないから、それでいいと思っている。
それはさておき、今日、私は久しぶりに光乃宮市に戻ってきている。
なぜか光乃宮学園の制服を着て。
目の前には、同じく制服姿の令愛。
「どぞどぞ、あがって!」
やたら機嫌のいい彼女は、そわそわした様子で私を仰木家に招き入れた。
すでに何度か、父親の礼司さんとは食事を共にしたことがある。
けど今日は家には誰もいない。
正真正銘、私と令愛の二人きりだ。
それが肝である。
「依里花、もしかして呆れてる?」
令愛は不安げにそう訪ねてきた。
私はゆっくりと首を横にふる。
「ごめん、あんまり自分の家に思い入れがないからピンとこなくて」
「あ、そういうことか」
「令愛はドキドキしてる?」
私がそう尋ねると、令愛は頬を赤らめてはにかんだ。
「うんっ、すっごく」
その表情が可愛かったので、もうそれだけで付き合った甲斐があったと思う。
こんな素敵な女の子が恋人だなんて、私は前世でどんな徳を積んできたんだろう。
靴を脱いで家にあがると、私はそっと令愛の体を抱き寄せる。
「あ……」
「じゃあこうするともっとドキドキするのかな」
我ながら歯の浮くようなセリフだと思う。
ここ最近の出来事は、私をこんなことが言えてしまう人間に変えてしまった。
だって仕方ないじゃん、四人相手だよ?
朝から夜まで愛してるって口が一個じゃ足りないぐらい言いまくってるんだから。
別に不満があるとかじゃなくて、それでみんなが喜んでくれるからさ。
ほら、今だってそうだ。
令愛は目をとろんとさせて、「ん……」と私に頬ずりするように体を寄せ、抱きついてくる。
ここは令愛にとって日常の一部だ。
いつも、当たり前のように家族と生活している空間で、恋人と抱き合う。
その非日常感が“ドキドキ”を生んでいる、ってことなんだろうか。
それなら少し理解できるかもしれない。
私も令愛を自分の部屋に呼び込んだら、背徳感で平常心を保てないだろうから――まあ、あんな狭くて汚い部屋に令愛を連れて行きたくないけど。
「んふふ……想像してたよりずっと幸せかも……」
「そんな想像してたの?」
令愛の頭を撫でながらそう尋ねる。
彼女は気持ちよさそうに目を細めると、体をこすりつけるように身じろぎした。
「ちょっとした夢、だったんだ。もしも依里花と無事に脱出できたら、普通の友達とか恋人がするようなこと、したいなって」
「普通じゃなかったもんね」
「うん……」
わずかに令愛の表情が曇る。
私はその変化から、ふいにあることを思い出す。
今となっては馬鹿らしい悩みではあるのだけれど、当時は本気で悩んでいたとある不安について。
「吊り橋効果って言葉、令愛は知ってる?」
「知ってるよ」
「私と令愛の出会いって普通じゃなかったでしょ、ひょっとすると好きになったのも吊り橋効果なんじゃないかって、不安に思ってた」
「依里花もそうだったの?」
やっぱりそうだ。
私にしがみつくように、令愛の抱きつく力が強くなる。
「そっか、依里花もあたしといっしょだったんだ」
「うん、だからわかるよ。“普通”をやりたいって気持ち」
「あ、でもね、今はもう不安じゃないんだ」
「それは私も一緒」
「だよね。だって……こんなに、っていうか、あんなに、というか……依里花は、とにかくあたしのこと愛してくれるし……」
顔を真っ赤にしながら、何かを思い出す令愛。
私の顔も熱くなってきた。
「だ、だからねっ、これは本当に、ただの“ちょっとした夢”でしかないの。言ってしまえばあたしのわがまま、で」
「大丈夫、私も楽しんでるよ」
「ほんと? 光乃宮の制服、着るの嫌じゃなかった?」
「不安がってたのそこなんだ。別に嫌じゃないよ、学園の中で起きた出来事は私にとって悪いことじゃなかったし、何より令愛と重ねた思い出でもあるんだから」
「依里花……」
令愛はとろけた表情を私に向けてくる。
我慢しきれず、私はその唇を奪った。
令愛は何も言わずに目を閉じてそれを受け入れる。
とくん、といつもより余計に心臓が高鳴っている気がした。
唇を離すと、令愛もいつもより恥じらっているように思える。
「玄関でキスなんて……すっごく、いけないことしてる感じがする」
「普段は外でも平気でしてるのにね」
「確かに。何でこんなに違うんだろ」
「他の場所だとまた違う気分になれるかもよ。どうする、次はリビングにでも行く?」
「り、リビングっ!?」
令愛の声が上ずっている。
どうやら刺激の強すぎる提案だったらしい。
「リビングはさすがに……」
「そんなにダメなの?」
「だ、だって! お父さんと一緒にご飯食べてるときとかも、依里花とのキスを思い出しちゃうよ! そんなの落ち着いて食べらんない!」
「そんなもんなんだ……」
「よしっ、部屋に行こうっ。というか最初からその予定だったし、自分の部屋で依里花と制服デートしたかったの!」
「じゃあそうしよっか」
私は令愛に手を引かれて、彼女の自室へと向かう。
それにしても――こうやって誰かの家に遊びにいく、というのはあまり私も経験していない。
しかも相手は友達ではなく恋人なのだ。
そう思うと、私も少し緊張してきた。
あれだけのことをしておいて何を今さら――とは思うけど、それとこれとは別の問題なのだ。
案内され令愛の部屋に入ると、ふわりと甘い香りがした。
「あたしの部屋……ど、どうかな」
女の子の部屋って……やっぱり基本的にこういう匂いがするものなんだろうな。
今のうちとかもそんな感じだし。
別に変態的な意味ではなく、ほら、私の部屋ってもっとみすぼらしくて、女の子らしさとは無縁だったからさ。
見た目だってそうだ。
色調が白とほんのりピンクで統一されてて……そもそも部屋の色を統一するっていう考えすらなかったから、つい興味深く観察してしまう。
「令愛っぽいっていうか――」
「待って! そもそも『どうかな』って聞くのがおかしかったかも。困るよね、急に部屋の感想なんて聞かれたって!」
「ふふっ、令愛ってばすっごい緊張してる」
「わ、わかる?」
「はっきり顔に出てるよ」
「ううぅ、冷静になって考えてみたら、リビングより自分の部屋の方がまずいかもと思って……」
「部屋に入るたびに私のこと思い出すんだもんね」
リビングよりよっぽど部屋で過ごす時間の方が長いのだ。
ここにいる間、ずっと私のことを考えてしまうとなると――
「……あれ、でもそれは今でもそうかも」
確かに、頭の中が私でいっぱいなのは今も変わらない。
授業中でもずっと私の方を見て先生に怒られてたりするし。
「なら問題ないじゃん」
「だけど、やっぱり実際に触れ合うのと想像とでは違うというか。一度そういうのを経験してしまうと、これまでと比べ物にならないぐらいはっきりイメージできてしまって――」
何やら言い訳をする令愛を、ぐいぐいと部屋の中に押し込む。
彼女の背後には、私を迎えるために整えられたシングルベッドがあった。
「そっか。ならそうなるように、令愛にしっかり刻んでおかないとね」
「ひゃっ!? ふあ……」
背中を支えながら、優しく令愛を押し倒す。
すっかり慣れたつもりだったけど、いつもと違う場所ということ、そしていやに初々しい令愛の反応もあって、私も緊張している。
けどリードしてるのはこっちだから、彼女の慌てようと比べればこんな緊張感など些細なものだ。
「待って待って、いきなりベッドは……!」
予定外の行動だったのか、焦った様子で首を振る令愛。
私は上目遣いで彼女に尋ねる。
「ダメ?」
少し幼い声色を聞かせると、令愛は胸元で右手をきゅっと握った。
きっときゅんとしているに違いない。
「そこで甘えるのは反則だよぉーっ!」
どうやら許可は出たようだ。
今度はいたずらっぽく微笑むと、手始めに口づけを交わす。
◇◇◇
ひとまずベッドから出た私たちは、乱れた制服を整えたると、クッションを二つ並べて座った。
テーブルの上には、令愛が用意してくれたジュースとお菓子が置いてある。
おそらく本来は、これを食べながら雑談でもするつもりだったのだろう。
「絶対に忘れられなくなっちゃった……」
若干膨れ顔で令愛は言った。
「まだちょっとじゃれただけなのに」
「当社比で“ちょっと”なだけで、一般的にはすごいことしたの!」
確かに感覚が麻痺している感じは否めない。
でもさっきは令愛も乗り気だったよね……。
「制服デートなんだし、普通の高校生っぽいこともしたいっていうか」
「今みたいな感じで?」
「そう、制服着てお話したかったんだよね」
言われてみれば、放課後に着替えもせずに友達の家に遊びに行く――なんて経験は高校生じゃないと出来ないとは思う。
それが普通なのかとか、憧れるようなものなのかとか、私とは縁遠い話すぎていまいちピンとこないってのが正直なとこだったりするけど。
けど令愛が望むのならそれを優先したい。
とか思ってると、彼女はぽっと頬を赤らめ、ぼそりと囁く。
「……でも、さっきのは嬉しかったから。ぜんぜん嫌とかじゃ、なかったからね?」
大変だ、私の彼女がかわいい。
「令愛」
「な、なに?」
「好き」
不意打ちで唇を奪う。
令愛は少し驚いてたけど、すぐに目を閉じて受け入れた。
顔を離すと、いちごみたいに真っ赤になった令愛の顔が目の前にあった。
「急に言われたら、心臓止まっちゃう……」
「令愛があんまりかわいいから我慢できなかったの」
「ううぅ、今ばっかりは依里花のかっこよさが恨めしい……!」
かっこいい、か。
どうも令愛からはそう見えてるみたいなんだよねぇ、不思議なことに。
だからなのか、令愛はちょっと強引に迫られた方が喜ぶ節がある。
今だって、こうしてキスをしながら軽く体を押してみると――
「もう依里花ぁ、くっついたら結局いっしょだよぉ」
少し不満げにそう言いながらも、抗おうとしない。
何なら顔は嬉しそうだ。
「仕方ないって、私たちはどうやったってこうなるんだから」
「そうだよねぇ……あたしと依里花は友達じゃなくて恋人だから」
「友達がよかった?」
「恋人がいい!」
即答する令愛。
けどその割には表情は曇りがちだ。
「でも――いや、やっぱいいや」
彼女が何を言いたかったのか、私にはわかる。
「中見さんのことだ」
「即バレた……」
「令愛ってばすぐ顔に出るんだもん」
「依里花が観察しすぎなだけ!」
「それはそうだよ。いつも令愛のことを見てる」
私がそんなこと言うと、令愛は「ずるい、もうずるいぃー!」と目を潤ませながら私の顔にキスの雨を降らせた。
好きという気持ちが許容量を超えるとこうなるらしい。
今までも何度もこの状態になったところを見たことがあるけど、かわいいんだこれが。
しばらく口づけを繰り返したあと、少し落ち着いた令愛は言った。
「月のことは、もう割り切ってる。でもふと思ったんだ、あたしって普通に友達を作ったことなかったんだなって」
あの学園で多くの人が傷を負って、多くの人が大切な何かを失った。
元から持っていなかった私は多くのものを得ることが出来たけど、大多数はそうじゃない。
令愛の心は時々その傷の存在を思い出して、沈んでしまうことがある。
「自分で言うのも何だけど、それなりに明るい方だと思うし、人付き合いも得意だと思ってたん……だけど。実際はあたしの周りの人間関係のうちの何割かは他人に作られたものだった」
特に彼女の場合、自己の根本的な部分を否定されたから。
私という支えがなければ崩れ落ちていたかもしれない――というのはきっとうぬぼれではない。
私は彼女の頭を撫で、優しく囁く。
「そういうのじゃない、普通の友達ってやつを体験してみたかったんだね」
「でも依里花とはそれを遥かに通り越して恋人になっちゃったから。両方いけるかなとも思ったけど……」
「無理だったわけだ」
「あのね、決してそれが不満なわけじゃなくて……想像以上、だったから」
結局のところ、その傷を埋める方法は一つしかない。
愛することだ。
実際、令愛の傷は最初に比べれば随分と小さくなっていて、今ではほぼ気にならないぐらいになった。
そう、単純な話なんだ。
悲しみに暮れる暇もないぐらい、私が令愛を愛し尽くせばいいだけで。
「こんな幸せな気分を味わったら、もう友達だとか何だとかぜんぶどうでもよくなっちゃったかな」
おそらく、“普通”を味わいたい気持ちと、普通じゃないけど愛し合いたい気持ちが天秤の両側に乗っていたに違いない。
理性は普通を求める。
決して愛を求めていないわけではなく、普通を得た上で愛を得れば、バランスよく摂取すれば健康になれるはずだと、理性がそう叫んでいるのだろう。
けどどちらが幸せかと言えば、異常だったとしても愛し合う方が圧倒的だ。
だから認めて、受け入れてしまえば、あとはなし崩し的に。
「今はとにかく、依里花とくっついていたい」
「令愛……」
目を見ただけで、スイッチが入ったことがわかった。
それでいいんだよ、令愛。
私が令愛を手放すことなんてないんだから。
私たちの関係は普通とはちょっと違うから不安になることもあるかもしれないけど、死ぬまで――いや、永遠に“こっち側”にいられるって保証があれば、普通にしがみつく必要だってないでしょ?
そして私にはそれを成すだけの力がある。
だから、全部委ねて、令愛。
何もかも私のものになって。
絡め取るように、私は彼女の耳元に口を寄せ、囁く。
「好きだよ」
甘い毒を流し込むように。
浸された令愛の脳は痺れて、震えて、愛に正気を失う。
「うん……あたしも好き。大好き」
「愛してる」
「あたしも……でも、そんな耳元で囁いたら……」
「どうなるの?」
令愛は私に抱きつく腕に力を込める。
「幸せすぎて、破裂、しちゃいそう……」
体の熱が。
汗に湿る肌が。
そして脈打つ心音が、言葉以上に“好き”を伝えてくる。
私も無性に令愛が愛おしくなって、両腕に力を入れた。
「わかる。すっごい心臓バクバクいってるもん」
「伝わってる?」
「うん、伝わってるよ。それだけ私のことが好きなんだよね」
「そう、そうだよ。大好き。誰よりも何よりも好きで、好きで、好きすぎて――」
令愛は少しだけ体を離すと、真正面から私を見つめた。
熱に浮かされた瞳で。
恋に溺れた眼で。
「今日だって本当は、依里花のことひとりじめしたかっただけ、なのかも」
自分が何を望んでいたのかも忘れるぐらい、私を愛して。
応えたいと思う。
全身全霊で、魂の奥底から、貴女の愛に。
まずは手始めについばむようなキスを一つ。
そして私はこう返す。
「なら思う存分にひとりじめされないとね」
令愛の見たがっていた“ちょっとした夢”とは違うかもしれないけど――
二人で見よう、夢より甘い夢を。
◆◆◆
依里花は、令愛の父が帰宅する前に帰っていった。
礼司は依里花が来たこと自体は知っていたが、そこで何が行われていたのかはもちろん知らない。
その日の夕食の時間、令愛は黙々と箸を進める。
すると礼司は娘の顔を見て言った。
「令愛、顔が赤いみたいだが大丈夫か?」
「へっ!? あ、うん、平気……えへへ」
様子がおかしいのは明らかなのだが、体調は悪くない――むしろ浮かれている様子だったので、礼司はそれ以上何も聞かなかった。
食後、台所で洗い物をしていた令愛だったが、やはり頬は赤い。
そんな彼女が何を考えているのかと言えば、当然依里花のことだ。
(家全体で依里花のことを意識するようになってしまった……)
二人で過ごした時間はあまりに濃密だったせいだろう。
部屋だろうが玄関だろうが関係なく、依里花の声が、依里花の感触が頭から離れない。
まるで脳内麻薬が常駐しているように、幸福感が垂れ流しになっている。
油断するとすぐに頬が緩んでしまう。
こうなるのが嫌だったからリビングに行かなかったというのに、これでは意味がない。
とはいえ――
(でも、幸せだからいいや)
本人は満足しているようなので、これでよかったのだろう。
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試し読みからイラストも見れますので、見ていただけると嬉しいです。





