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077 家族会議Ⅳ:十五年分の死と一年分の生

 



 診察を終えた夢実の母が、病室で眠っている。


 夢実とその父は、ベッドのすぐ横に置かれたパイプ椅子に腰掛け、無言で母の顔をじっと見ていた。


 そのとき、にわかに廊下が騒がしくなる。


 近くにいた看護師も「殺人? 院内で? 二件も!?」と悲鳴じみた声をあげ、どこかに走り去っていった。


 そして声が遠ざかっていき、やがて病室周辺は静寂に包まれる。


 夢実は、おそらく依里花に何かが起きたのだろう――そう考えながら、意を決して顔を上げ、父に向かって告げた。




「知ってたくせに」




 あの一撃は正当(・・)だったと夢実は主張する。


 だが母を殴ったことを咎めるように、厳しい顔を崩さない父。


 彼はその表情のまま反論する。




「まずは謝るべきじゃないのか」


「お父さんが私に?」


「ふざけるんじゃない」




 まるで親の仇でも見るように、父は娘を睨んだ。


 凄めば夢実が怯えるとでも思ったのだろうか。


 現在進行系で“優しい父”の仮面を剥ぐ彼に向け、彼女は怖じけずに前に踏み出した。




「ふざけてるのは、お父さんだよ」


「夢実、お前は自分が何のために生まれてきたのかわかっていないのか?」


「それを決めるのはお父さんじゃない」


「命を作った者には責任がある。そしてその責任の大きさに応じた権利がある」


「だから娘を殺してもいいっていうの?」




 父は『何を馬鹿なことを』とでも言わんばかりに嘲笑する。




「曦儡宮様の生贄は死と同等じゃない。それよりもずっと光栄なことだよ」


「私がどれだけ苦しんだか知ってる?」


「贄となるための通過儀礼だと思えば快楽だろう」




 思わず夢実の頬が引きつった。


 光乃宮学園での出来事を境に、まるで両親が別人に入れ替わってしまったかのような感覚だ。


 なにせ、彼女はここに来るまで、まだ直接両親の愚行を見たわけではなかった。


 夢実が失踪したあと、依里花に『お前のせいだ』と責任をなすりつけた――そう、依里花経由で聞いただけである。


 その他にも、彼らが戒世教の信者である情報はいくつも手に入れたものの、直に相対したのは今日がはじめて。


 現実を突きつけられる。


 学園で経験した苦痛により、大抵のことには耐えられるようになったつもりだが、それでも動揺は隠せない。




「私のこと、道具かなにかだと思ってるんじゃないの」


「そんなことはないよ。私たちが夢実を産むとき、どれだけ頑張ったか知ってるかい? 実は夢実がお母さんのお腹にいるとき、曦儡宮様の欠片を投与しているんだ。将来、優秀な子供に育ちますように、って。それは本来、一部の幹部でなければ手に入れられない、とても貴重なものなんだ。お金も出した、時間もかけた、危険も犯した。そうしてやって手に入れた欠片を、私たちはまだ生まれてきていない夢実に使ったんだよ?」


「わからない」


「何がだい?」


「それのどこに感謝する要素があるのか」




 父はふいに立ち上がると、両手で夢実の肩を掴んだ。




「夢実ぃ……」




 失望したように、悲しげに名前を呼ぶ父。


 その感情の変遷が、夢実には理解できない。




「ああ、そうだ、仕方ないことだ。夢実に曦儡宮様の欠片が埋め込まれていることを、戒世教に知られるわけにはいかなかった。だから私たちは、夢実に戒世教のことを教えずに育てることを決断したんだ。曦儡宮様の存在を知らずに生きていくなんて、とても不幸で……辛いことだとは思うけど。ああ、そうか、確かに夢実の言う通りだよ。苦しかったねえ、辛かったねえ、神に抱きしめられていない孤独――こんなにも凍えるような苦痛を、私たちは子供に与えてしまった……!」




 父は嘆きながら、夢実を抱きしめようとした。


 だが突き飛ばされ、拒絶される。


 彼は「おっと……」とよろめいたあと、不思議そうにこてんと首をかしげた。




「なぜ拒むんだい。私は夢実のことを理解したはずじゃないか」


「私を殺そうとしたことについて、反省とか、謝罪の気持ちは無いの、って聞いてるの」


「すまなかった。きちんと曦儡宮様の素晴らしさを説いていれば、つらい思いをすることも――」


「そんなのが聞きたいんじゃないっ!」




 思わず夢実は声を荒らげる。


 よくここまで我慢したな、と彼女は自分でも思った。


 だが、なぜ我慢したのかと言えば――怒鳴ったところで、意味がないような気がしていたからだ。


 暖簾に腕押しとはまさにこのことか、全ての言葉が、父に届いていない――そんな感覚があった。




「私は辛かった、苦しかった。戒世教なんて関係ない、私が、私自身がそう思ったことについて、親として――ううん、“加害者”として何か言うことは無いのって言ってるの!」


「加害者? 私たちが?」


「そう! 私を大木たちに拉致させた!」


「生贄になるためだ」


「体を生きたままバラバラに切り裂いて、何ヶ月も拷問を受けさせた!」


「仕方のないことだよ」


「挙句の果てには、その責任を依里花ちゃんに押し付けてッ!」


「彼女も幸せだったろう。曦儡宮様の生贄になるのにふさわしい魂になれたんだ」


「ふざけるなぁぁああッ!」




 テーブルに置かれていた荷物を投げつける。


 意味がない。


 こんなことをしても、彼らには、何の意味も。


 そうわかっていながらも、暴力を彼らに向けなければ、夢実の胸に生じたこのモヤモヤを消すことはできなかったから。


 いや――やったところで、何も変わらない。


 娘にこれだけ怒鳴られても、父は平然としている。


 ただ、その結果があるだけだ。




「はぁ……はぁ……」


「心が乱れているんだ。常に曦儡宮様と共にあれば問題はないのに」




 すると、横になっていた母が「う、うぅん」と呻く。


 そして目を開け、父に声をかけた。




「あなた……?」


「すまないお母さん、うるさくて起こしてしまったかな。でもよかったよ、無事に目を覚まして」


「……夢実、まさか」




 母は夢実の姿を見るなり、鋭い目つきで睨みつける。




「お父さんにまで暴力を振るったのね、この恩知らずッ!」


「まあまあ、落ち着こう」


「これが落ち着けるわけないじゃない。ただでさえ曦儡宮様の寵愛を捨てて現世に戻ってきたのよ!? 許されることじゃないわ!」


「違うよお母さん。私は気づいたんだ」


「何に!?」


「曦儡宮様の欠片を埋め込んだことを隠すため、夢実と戒世教を離して育ててきた。でもその結果、夢実は曦儡宮様の素晴らしさを知ること無く育ってしまった」


「……私たちが、そう育てたっていうこと?」


「夢実は被害者なんだよ。曦儡宮様の存在を知らない、哀れな被害者」


「ああ……なんてかわいそうなの。たしかに、曦儡宮様のいない世界は苦痛に満ち溢れているわ。それなのに、私――」


「謝ろう」


「ごめんなさい夢実、いきなり殴ってしまって」


「そしてこれからは、親子三人で分かち合おうじゃないか。信仰に満ちた毎日を!」




 二人の会話を聞いた夢実は――自然と、涙を流していた。




「ほらごらん、夢実も感動して泣いているよ」


「そうねあなた、やっぱり私たちの子供だから、理解してくれたのよ」




 夢実は両親が好きだった。


 両親も夢実のことを愛してくれていると思っていた。


 けれど、その気持ちは最初から一度も噛み合ったことはなくて。


 きっと、日常の中で何気なく交わした会話も、夢実が見ていた光景と、彼らが見ていた光景では別物だったんだろう。


 なぜ依里花が、ここに来る前に自分のことを“家族”だと言ってくれたのか。


 その言葉の頼もしさが今はよくわかる。


 狂信者と戦った彼女だからこそ、夢実の両親が同類だと気づいていたのだ。


 依里花と出会うまでの15年。


 その月日を、出会ってからの1年足らずで埋めるのは難しい。


 だけど、今胸にある暖かさと、未来への希望があれば――心は折れない。




「私、わかっちゃった」




 だから、向き合える。




「お父さんとお母さんは、私を愛していたんじゃない」




 一人なら怖くて暴けない、親の形をした化物のその腸を。


 君から渡されたその刃で、開いて、暴こう。




「私の中にいる曦儡宮を愛していたんでしょう?」




 互いの愛情が噛み合わないその原因。


 それは単純明快に――矢印が、違う方向を向いていたというだけの話。


 母は怒るだろうか。


 父は嘆くだろうか。


 そんな予想をしていたけれど、二人は顔を見合わせて、よりによって笑顔を浮かべてこう言った。




『ああ、そうだったんだ』




 夢実は――頭が真っ白になった。


 今まで気づいていなかった?


 いや、考えることもしなかったのだろう。




「言われてみればそうだね」


「ええ、そうだわ。私もあなたも、夢実の体に興味はないもの」


「夢実の成果は曦儡宮様のおかげ」


「夢実が健康なのも曦儡宮様のおかげだわ」


「そう考えると確かに、私たちは――」


「あなたのこと、一度も愛していないと言えるかもしれないわね」




 二人の瞳は、キラキラと輝いている。


 気づけてよかった。


 ありがとう。


 そういう、“他人”に向ける感情を夢実に向けて。


 彼らも認識したのだ。


 夢実が、自分の家族ではないということを。


 彼女は無言でゆっくりと立ち上がると、自分が座っていたパイプ椅子を持ち上げた。




「……ほんと、終わってる」




 泣きはらして赤くなった瞳で、身を寄せ合う両親を睨みつけ。


 歯を食いしばって、力いっぱい叩きつけようとした。


 この角度なら両親の頭に当たる。


 今の全力なら、その頭を潰して殺すことぐらいできるだろう。


 そのつもりだった。


 それでいいと思った。


 だが――振り下ろす直前、誰かが彼女を羽交い締めにする。




「やめてよ、離してッ!」


「カナシイ」


「え……?」




 振り返る夢実。


 その目に写ったものは、赤い肉の塊で出来た人間の頭のようなもの――看護師に寄生した、ブラッドシープだった。




「い、いやぁぁぁああっ!」




 思わず悲鳴をあげる。


 するとさらに別のブラッドシープが部屋に入ってきて、彼女の体に掴みかかった。




「こ、このっ! 離してよぉっ! き、気持ち悪いっ、どうしてこんなものが、病院の中にぃっ!」


「信仰を広めるのにね」




 父がポケットから小瓶を取り出す。


 中には、ブラッドシープの元となるミミズのような赤い触手が入っていた。




「薬を使うより有効なんだ。どうだい、看護師さんたち。幸せそうだろう?」


「なんでっ、お父さんがそんなもの!」


「夢実のおかげだよ」


「そう、あなたが生贄になったおかげで、私たちも幹部になることができたのよ」


「だからそのおすそ分けを、夢実にもしてあげよう」




 父は立ち上がり、ブラッドシープを瓶から取り出すと、指先でつまみながら夢実に近づく。




「やめて……」


「これで夢実も曦儡宮様の素晴らしさを理解できる。それはつまり、苦痛からの解放――幸せになれるってことだよ」


「やめてよぉおっ! 私を殺すつもり!?」


「父の愛だよ。確かに今までは曦儡宮様の方しか見えていなかった。だから今、私は初めて、夢実を娘だと思いながら動いてる」


「あなたは……本当に……最初から……っ!」




 彼女は諦めたようにうつむき、唇を噛む。


 父はそれを“受け入れた”と判断し、耳にブラッドシープを近づけ――




「救いようのない愚か者が、我に近づくでない」




 夢実の髪色や目の色、そして喋り口調が変わる。


 そして突如として生じた風は、ブラッドシープを持っていた父の腕を細切れにした。




「う、うわあぁぁっ! 腕がっ、腕がぁぁあっ!」




 “消失”した腕の断面から血を撒き散らしながらうろたえる父。


 同時に風の魔法は、ネムシアにまとわり付いていた看護師たちも吹き飛ばす。


 そしてついでに飛ばした刃で、彼女は寄生体を破壊した。




「あなたぁぁあっ!」




 ベッドから這いずるように降り、父に寄り添う夢実の母。




「夫婦の情は普通にあるのが余計に気持ち悪いのう。そのくせして娘には愛情を向けようとしない……ふん、信仰など無関係であるぞ。あやつらは自らの快楽のため、ただただ利己的に娘を犠牲にしただけに過ぎん」




 その言葉は、自分の中にいる夢実を慰める意味もあった。


 彼女に責任など一切無い。


 悲しみも、寂しさも、全ての責任はこの二人の大人にある。




「どうする、この場で殺すか? それとも自らの過ちを認めるまで追い詰めることを望むか?」


「あなたは誰なの……? まさか、夢実に取り付いた悪魔!?」


「そうだ、そうに違いない。あいつが曦儡宮様を拒ませているんだ!」


「そうか……ならば殺してもよいのだな。死体さえ残さなければ」


「祓わないと。そのために授かったんだ――曦儡宮様の、新たな力を!」




 父が残ったほうの腕でポケットから取り出したのは、緑色の肉片だった。


 手のひらの上でびちびちと動くそいつは、ブラッドシープのように肉体に寄生する様子も無い。




「させるものか、我が魔法で消し飛ぶが――」




 そのとき、ネムシアは腹のあたりに鈍い痛みを感じた。


 そして鉄の匂いが、急速に喉の奥からこみ上げてくる。




「ごふっ、ぐ……」




 口から溢れ出してくる、大量の血。


 手のひらを汚すその赤を見て、ネムシアは直感的に理解した。




(内臓を破壊された……? 見えんかったし、何よりこやつら娘の肉体に躊躇なく――ッ!)




 どういった理屈かはわからない。


 だが、どうやら夢実の父の持つあの肉片は、直に彼女の体内に攻撃を仕掛けたようだ。


 かなり致命的な臓器を失ったのか、途端に体が重くなり、思考が鈍る。




「あなた、このままじゃ夢実も一緒に!」


「助からないならその時はその時だ。今度は確実に仕留めるッ!」


「させるものか、ウィンドスフィアッ!」




 風の球体が夢実の両親に迫る。


 巻き込まれた者は細切れにされて、原型も残さない殺意に溢れた魔法だ。


 無論、普通の世界に生きている人間が防げるものではない。




「な、なんだこれは。呪いか、悪魔の呪いなのか!?」


「あなた止めてっ! 曦儡宮様の力で!」


「おぉおおおっ! 私たちをお守りくださぁぁああいっ!」




 父親が叫ぶ――すると彼らの目の前まで迫った魔法は、跡形もなく消えた。




「消えた、わ」


「は、ははは……はははっ! さすがです曦儡宮様! やはりあなた様は正しい! あなた様のために世界は存在しているッ!」


「どうなっておる。あれは一体……ぐっ」




 腹部を抑え、苦しむネムシア。


 彼女はそこに手を当てながら、ヒーリングで傷を癒やす。


 その間に、今度は彼女を狙って、夢実の父は力を使おうとしていた。




「今度は外さないぞ。頭と心臓だ。確実に殺してみせるっ!」




 力に溺れ、完全に気分がハイになっている。


 元からそうではあったが、彼らに娘を想う気持ちなど、もはや微塵も残っていなかった。


 緑の肉を手で強く握りしめ、ネムシアに向ける。




「食ら――」




 そして力が発動する直前、




「アウェイクン」




 ザシュッ、と彼の腕が切り落とされた。


 その斬撃は、いかなる防壁を使っても防御不能。


 肉片を握っていようが関係ないのだ。


 もっと言えば、距離すらも関係ない。


 病院はいくつかの棟に分かれており、両親の件で警察から取り調べを受けていた依里花は、窓の向こうにある建物にいた。


 そこから曦儡宮に似た嫌な気配を感じ取り、“探し当てた”のである。


 隣にはいつの間にか合流していたらしい、ギィの姿もあった。


 アウェイクンにより夢実の父の腕を落とした依里花。


 さらに彼女は窓を開けると、そこから飛び立ち――空中でソードダンサーを用いた高速移動を発動。


 一瞬にして接近し、窓を割り部屋に飛び込む。


 そしてネムシアをかばうように、両者の間に立ちはだかった。




「は……はひっ……なんなんだ。何なんだお前はぁぁああッ!」




 そう叫んでしまうのも仕方がない。


 曦儡宮の力を見ただけで興奮する人種なのだ、それ以上の力を、生贄だったはずの人間が持っていたら――自らが信じてきた“世界観”が崩壊してしまう。


 加えて、依里花は夢実のように話が通じる相手ではない。


 15年分の情を持つ娘とは違う。


 純度100%の恨みを、郁成夫妻に抱いているのだから。




「死ね」




 ナイフが届く距離ではない。


 だが、その刃が振り下ろされたとき自分たちは死ぬのだと、素人でも理解できた。


 だから母はとっさに、床に落ちた肉片に手を伸ばした。


 その行動、その表情を見た瞬間に依里花は理解する。


 こいつらは反撃ではなく――“逃げる”つもりだ。


 ゆえに攻撃手段を切り替える。


 必ず殺すだけの威力は必要ない。




(重要なのは当てること――その方向で行くよ、ギィ)




 一瞬のアイコンタクト。


 直後、スローイングダガーが夢実の父を狙い投擲される。


 さらにゼロコンマ秒の間を空けて、郁成夫妻の体が床に沈んだ。


 先に肉片を持つ母が、次に両腕を失った父が、どちらも下に消えていく。


 依里花が投げたダガーはわずかに父親の肩を掠め、そして二人はどこかへ姿を消した。




「まあ、最低限の目的は果たせたか」




 彼女はため息を付いて後ろを向くと、腹を抑えるネムシアのその手に自らの手を重ねた。




「ネムシア、大丈夫? かなり苦しそうだけど」


「傷自体はもう治っておる、問題ない。だが助かったぞ、礼を言う」


「こちらこそ、夢実ちゃんのこと守ってくれてありがと。でも無理しないでね、ネムシアのことも心配なんだから」




 依里花はネムシアの頬に手を当て、その身を案じた。




「ふふ、正妻の前で堂々と浮気か?」


「人聞き悪い。てか夢実ちゃんは大丈夫なの? 両親、あんなことになってるけど」


「お主のおかげで想像よりは浅めの傷で済んでおる。しかし傷ついておることに変わりは無いからな、依里花の言葉が必要であろう。変わるぞ」




 目を閉じるネムシア。


 すると髪の色が変わり、人格が夢実に切り替わる。


 彼女は依里花の姿を見るなり、涙を浮かべてその胸に飛び込んだ。




「依里花ちゃん……私……」


「言ったでしょ、私も家族だって。好きなだけ寄りかかっていいよ」


「うん……うん……っ」




 夢実は抱きつく力を強める。


 依里花はそんな彼女の背中を撫で、自分の存在で喪失を埋めようとした。




「思ったよりずっと……私、愛されてなかった」


「忘れよう。好きな人のことだけ考えてればいい」


「ん、そうする。依里花ちゃんのことだけ考える。じゃないと……ああ、思ったより、きついなぁ……」




 結局のところ、それは拷問とは別種の痛みだ。


 片方に慣れたからといって、もう片方にも耐性が付くわけじゃない。


 依里花のように、幼少期から希望を持つ余地も無いほどに叩きのめされてきたわけでもなく――夢実が見せつけられた落差は、あまりに残酷だった。




「私がしっかりしてれば、逃げられずに、済んだかもしれないのに……」


「そこは夢実ちゃんが考えることじゃないよ」


「でも……私がちゃんとしてれば、被害者も、増えずに済んで……」




 夢実の視線の先には、床に倒れ込む看護師の姿があった。


 依里花は彼女たちに手をかざし、穴だらけになった脳を修復する。




「生きてるから問題ない。すぐに何事も無かったように起きるから。それに、ちゃんと二人の後は尾けてる」


「そうなの?」


「ギシシ、アタシとエリカのコンビネーションは完璧!」




 どこからともなくギィの声がする。


 夢実が天井を見上げると、そこに体の大半を黒いスライムに変えた彼女の姿があった。




「ひゃっ!?」


「扉から入ってきたんでしょ? 普通の姿でよかったんじゃないの」


「こっちの方が走るよりハヤイ」


「え、えっと、今ここに来たんだよね? じゃあコンビネーションって言うのは?」


「向こうの棟から飛んでくるとき、ギィは自分の小さい分身を作って私にくっつけてたの」


「イッショに行きたかったけど、さすがに本体だと重くて邪魔だと思った」


「で、ナイフを投げるときに分身に乗ってもらって」


「アタシ、ヒッシにしがみついた!」


「そして今は夢実ちゃんのお父さんにくっついてるってわけ」




 ギィは床に降りてくると、「ふふん」と自慢げに胸を張った。


 依里花は労うようにその頭を撫でる。




「ならお父さんがどこにいるかわかるってこと? でもさっき、床に沈んでいったよね……それにネムシアの魔法だって消してたし」


「たぶん空間を切り取って、別の空間に繋げる力じゃないかな」


「つまりワープ! ちなみに今は、病院から外に出てフタリで走ってる」


「さっき私たちのお腹に攻撃したのも、そういうことだったんだ。でもあれは何? 曦儡宮は滅びたはずなのに、新しい力なんて」


「何かしらの力を借りてるんだろうけど……ひとまず、後でみんなと合流して話し合おう。夢実ちゃんの父親の向かった先が戒世教の拠点なら、その力やブラッドシープの正体がわかるかもしれないし」




 依里花は、夢実とギィを引き連れて元いた棟へと戻る。


 警察による取り調べはまだ途中だ、いきなりいなくなったとなれば怪しまれてしまうかもしれないからだ。


 麗花も、母親が射殺された件で警察と話をしていたし、他の家族も積もる話があるだろう。


 全員が集まって話ができるようになったのは、それらが落ち着いた二時間ほど後のことだった。




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― 新着の感想 ―
[一言] 今んとこまともの教団関係者社長夫妻だけやな
[一言] 郁成夫妻と比べたら倉金夫妻は(ほぼあの夫婦喧嘩のおかげで、しかも凄く悪い意味でだけど)まだ人間味がある方だったんですね…
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