070 ブラック
千尋の連絡から数十分後、絹織は家を出て光乃宮市内のホテルに向かっていた。
まだ体調は回復していないが、じっとしていられなくなったのだ。
かといって、千尋から得た情報を記事に載せることなどできるはずもなく、絹織がやったことは、まずその事実を親御さんに伝えること。
島川夫妻のいるホテルに到着すると、エレベーターで彼らの泊まる部屋の階層まで移動する。
そしてフロアに着くと同時に扉が開き――絹織は、慌てた様子の島川夫妻と鉢合わせた。
「島川さんっ!?」
驚く絹織。
当然、島川夫妻も驚く。
夫の亮は絹織に問いかけた。
「あんたは確か、記者の牛沢さんやったな。どうしてここに?」
「生存者が見つかったというニュースが流れたんですが、うちには連絡がなかったので――もしかして、と思って」
絹織の親戚が今回の事件に巻き込まれたことは、亮も知っている。
もし身元が判明したのなら、真っ先に親族に連絡がいくはずだ。
それが来なかった――ということは。
亮は申し訳無さそうに表情を曇らせる。
「そうか……確かにうちに連絡が来とる。見つかったのは、大地らしいんや」
「おめでとうございます、よかったですね」
笑顔を見せる絹織。
だが彼女の顔色が悪いことは、亮から見ても明らかなはずだ。
「せやけどあんたの姪っ子は……」
「まだ死体が見つかったわけじゃありません、見つかるまでは生きてると思うことにしてます。それより急いでるんですよね、移動しながら話しませんか」
促され、エレベーターに乗り込む島川夫妻。
「タクシーは呼んでありますか?」
「今から呼ぼうと思っとったところや」
「だったら私の車に乗っていきます?」
「ええんか」
「記者の車で差支えがなければ」
「そんなもんあるわけあらへんやろ。ありがとな、助かるわ」
これで病院に向かう口実はできた。
とはいえ、中で話が聞ける状況とも思えないが。
エレベーターは1階に到着。
三人は駐車場へ向かう。
「大地さんの容態はどうなんです?」
「それが……」
亮の妻の表情が変わる。
彼女はハンカチを口に当て、肩を震わせた。
「あまり良くないんですね」
「せやな、意識不明の重体って聞いとる」
車に乗り込む。
絹織は運転席に、島川夫妻は二人で後部座席に座った。
不安そうな妻は亮に寄りかかる。
生きていると知ったからと言って、安心できる状況では無いらしい。
「その……手足が何本か無くなっとるっちゅう話でな。生きとるだけでも奇跡的らしいんや」
「今の医学は進歩してますから、命は助かるはずです」
「そうなってくれればええやんけど。どんな形でも、生きとるだけで十分なんやから。ああ、それと」
「他にも何か?」
「うわ言みたいに、兄貴って言っとったらしい」
「優也くん、ですか。彼はまだ……」
「見つかっとらんな。でも、ひょっとすると、飛ばされたどっかで大地を助けてくれたのかもしれへん」
学園で何が起きたのかわからない、それはロマンチストの想像に過ぎない。
しかし、そんな綺麗な物語でも想像してないと、精神が壊れてしまいそうだ。
それは絹織も同じだった。
そんな話をしているうちに、病院の付近に到着する。
島川夫妻は、通常の入り口ではなく裏口から入るように言われたらしい。
だが――
「なんちゅう数の人間や……」
「メディアが殺到してますね、これじゃあ入るのは難しい」
島川夫妻がやってきた――その時点で、島川大地、あるいは島川優也が生存者だと広まってしまうはずだ。
「病院に連絡取れますか? 現状を話して相談したほうがいいと思います」
「そ、そうやな、そうさせてもらうわ」
亮は病院に電話をかける。
どうやら病院側も周囲の状況は把握しているようで、不用意にメディアの前に姿を出さなかったことを感謝された。
そして話し合いは進み、物資の搬入を行うトラックに紛れて、中に入れてもらえることになった。
絹織は少し離れ場所にある駐車場に車を停め、トラックとの合流場所へ向かう。
そしてまんまと島川夫妻と一緒に荷台に乗り込むと、病院の中へと向かうのだった。
◆◆◆
トラックの荷台から降りた絹織と島川夫妻を、看護師が迎える。
幸いにも千尋ではなかったが、当然、絹織には疑いの目が向けられた。
「あなたは誰なんです?」
鋭い目つきを向けてくる看護師の女性。
慌てて亮がフォローした。
「この人は俺の知り合いでな、同じように親戚が事件に巻き込まれた繋がりで知り合ったんや。今も車で病院の近くまで送ってもらってな」
「そうですか……ですがご案内できるのはご家族だけです。どうかお引取りください」
「わかってます、大地くんに会おうとは思ってません。ただ、病院の中で待つことぐらいできませんか?」
「……今は忙しいので、邪魔をしないのなら」
それでいい、と絹織はうなずく。
そして島川夫妻だけが集中治療室へと案内されていった。
病院の中で一人取り残された絹織は、周囲の様子を観察する。
「思ったより……落ち着いてるかも」
忙しいのは事実ではあるけど、死体でごった返している、ということはない。
死体の大半は腐敗していたため、その場で死亡が確定し、警察の方で身元確認が行われているのだろう。
それは同時に、それだけ多くの、明らかな死者が出ているということでもある。
「ほんと、狂った事件だよね……」
ここに来て、体調の悪さがぶり返してきた。
めまいを覚えた絹織は、自販機でジュースを買って近くのベンチに腰掛ける。
温かいはちみつジュースをちまちまと飲んでいると、廊下の向こうで千尋を見つけた。
あちらはまだ気づいていない。
絹織はじっと、千尋のことを観察した。
「なんで……あんなにかっこいいんだろ」
それでいて、家ではだらしなくて、かわいいところもある。
好きだった。
ずっと、高校の頃から、かれこれ10年以上も。
千尋も絹織のことを好きでいてくれた。
当たり前のことだった。
当たり前すぎて、それでいいと思ってた。
「とっとと告白しとけば、なんか変わったのかな」
そんな独り言をつぶやくと、急に千尋が絹織のほうを向いた。
目が合う。
千尋は一瞬、驚き、戸惑うような顔を見せたが――すぐに笑顔に変わり、軽く手を振ってどこかに去っていった。
もっとも、その笑みはひどくぎこちなかったが。
絹織は、突然のことに手を振り返すことすらできなかった。
「はぁ……やだなあ、ほんともう」
本当は嬉しいはずなのに。
いや、嬉しく思う自分は確かにいて、だからこそ何も反応できない自分が嫌で。
でも同時に、まだ和解できていないのに、呑気に笑いかけてくる千尋への怒りもあったりして。
素直に好きだけを表に出せたら、どれだけ楽なことか。
そもそも、絹織にとっては千尋への愛情以外は必要ないのだから、こんな喧嘩なんてする意味が――そう思った途端に、千尋が朝帰りしてきた日を思い出す。
「う、っぷ……」
想像した。
彼女が誰かに抱かれているところを。
途端に強烈な吐き気がこみ上げてきて、口元に手を当てる。
なんとか深呼吸して抑え込んだけれど、体調が悪いことも相まって、ひどい寒気を感じる。
「大丈夫ですか?」
通りがかった看護師が、絹織に声をかけた。
慌てて彼女は顔をあげ弁明する。
「あ、あはは……大丈夫、です」
「顔色がすごく悪いみたいですよ」
「これは……事件が起きてからずっとなので」
「ああ、関係者の方なんですね」
「まあ」
ここにいる理由はまた別なのだが、嘘はついていない。
絹織がそう答えると、看護師は自販機のほうに向かった。
休憩中なのだろうか。
なら、今は話を聞くチャンスかもしれない。
「看護師さん、聞きたいことがあるんですけど」
「なんでしょう?」
島川大地のことは――間違いなく聞いても答えてもらえないだろう。
「戸水さんっていう看護師のこと、ご存知です?」
それは連城から見せられた写真の女性。
少し前に戒世教によって殺害された、ここで働く看護師の名前だった。
戸水という名前を聞いた女性は、驚いた表情を浮かべる。
「彼女のこと知ってるんですか?」
「友人経由で聞いたんです。何でも、自死なさったとか」
「ええ……」
彼女は絹織の隣に座った。
どうやら、腰を据えて話してくれるようだ。
そしてその反応を見るに、同僚も戸水の死には疑問を抱いているらしい。
「でも信じられません、とても自ら命を断つような人間だとは思えないんです」
「どんな女性だったんですか?」
「明るい子でしたよ。将来の目標もはっきりしてましたし、死ぬ前日も一緒に飲みにいったんです」
「前日に? そのとき、何か悩みを抱えている様子は」
「ありませんでした。それどころかいい男が見つかったって、一緒に飲んでた男性と二人で帰ったぐらいで。あの子、年上好きだから同年代の相手にはあまり付いていかないんですけどね」
「つまり合コン……?」
「ええそうですよ」
看護師で、合コン――絹織には思うところがあった。
千尋が朝帰りした日と、戸水が死んだ日は近かったはずだ。
そこに千尋が参加していたのか聞きたい。
だが、今は自分の欲求より、事件について聞き出すことを優先した。
「それって、どういう男の人だったか、とか聞けます?」
「うーん……構いませんけど、あなたはそれを調べて、どうするんですか」
「そうですね、素性を明かさないのはアンフェアでした。実は私、こういう者でして」
観念して、絹織は看護師に名刺を渡す。
看護師はその会社名を読み上げ、訝しむような目をして言った。
「新聞記者?」
「地元の小さいとこですけど」
「記者がどうやって中に入ったんです。誰も入れないはずですが」
「島川さんと知り合いだったんです。ちょうど二人と話しているときに、病院から息子さんが生きてたって連絡がきて」
「では、あなたがご夫妻を連れてきたんですか? 道理で入れたわけです。それに考えてみれば、取材目的なら戸水のことじゃなくて、島川さんのことを質問するはずですもんね」
「一応、戸水さんのことも取材ではあるんですけどね」
「今回の事件と何か関係が?」
「ある……かもしれません」
絹織が答えると、彼女は急に不安そうな顔になった。
「戸水さんの死に、何か心当たりがあるんですか」
「その……まあ、どうせ後でわかることだからいいか。実は、うちの病院にクレームが届いてまして」
「クレーム?」
「今日、学校の瓦礫の中から見つかった白骨死体の中で、すでに身元がわかった人がいたみたいで。その人、すでに火葬を済ませてたっていうんですよ」
「火葬したのに……骨が、学校から出る……?」
「つまり、火葬する前のどこかで死体を入れ替えたんじゃないかって。ご遺族の方から死亡を確認したうちの病院に電話が来てて。おそらく火葬場や葬儀場にも行ってると思うんですが」
「何のためにそんなこと――」
そこで絹織は思い出す。
郁成夫妻が言っていた、“生贄”という言葉を。
光乃宮学園が戒世教の施設であり、神を呼び出すために使われたのだとしたら。
「嘘でしょ。そんな規模であいつら……」
「誰がやったかご存知なんです?」
「……疑わしい団体は。でもごめんなさい、巻き込むわけにはいきません。ひょっとすると戸水さんも、そのせいで殺されたのかもしれないので」
「殺された!?」
「あまり大きな声で言わないでっ。聞かれたら……ほんとにまずいんで」
「じゃ、じゃあ、やっぱり……戸水はあの噂について広めたから……」
「噂?」
「うちの病院の地下に誰も立ち入れない部屋があって、売買のために死体を解体してるなんて話があって。元は他愛もない怪談話に過ぎないんですけど……少し前に、戸水が院長先生が消えるのを見たっていうんです」
「消えたっていうのは……」
「行き止まりで、どこにも行けないはずの部屋に入ったのに、姿が見えなくなってたって。だから、やっぱり秘密の部屋はあって、そこで死体の処理をしてるのかも……みたいな」
戸水という看護師は秘密の部屋の入り口を知ってしまい、その噂を広めたので殺された。
あるいは、噂を追っているうちにより核心的な何かを見てしまったのか。
どちらにせよ、それが戒世教に消された原因で間違いなさそうだ。
「もし彼女が殺されたんなら、今のまま自殺扱いされるのはあまりに可愛そうです。ご両親も、あんなに苦しんでたのに」
「私も同じ思いです。ですから――」
「ええ、合コンに参加していた男性ですね」
「あと良ければ、他の参加者の情報も」
「構いませんよ、名前と仕事先ぐらいはわかります」
こうして、絹織は戸水と一緒に帰ったという男性の素性を聞いた。
そのメモを取ったあと……意を決して、看護師に問いかける。
「それと、これは別件なんですけど」
「まだ何か」
「その合コンって、青柄千尋は参加してました?」
「青柄さん? ふふっ、いえ、参加してませんでしたよ」
「どうして笑ったんです?」
「だって、青柄さんが参加するわけないじゃないですか」
「断言できるだけの理由があるんですね」
「彼女、十年以上同棲してる恋人がいるって、いつものろけてるんですから」
「えっ……」
「クールで美人だから男性人気も高いのに、付け入る隙なんて無いぐらい恋人さんと仲が良くって。まだ結婚してないのが不思議なぐらいです。だから合コンなんて誘ったって、すぐ断られてしまいますよ」
絹織は、思わず顔が熱くなった。
十年以上同棲している恋人――そんなの自分しかいない。
でも、千尋の方から告白してくれなかったくせに、まさか周囲には恋人として話してたなんて。
恥ずかしい。
それ以上に、嬉しい。
嬉しいけど――だからこそ、悲しくて。
「あ、あの牛沢さん? どうして泣いて……」
「いえ……何でも、何でも、ないですっ。そうですか、千尋は、合コンになんて行ってないん、ですね」
「ええ、行ってないはずです。ああ、でも最近はなんだか元気が無くって、ミスも増えてて心配されてます」
「そうですか……ありがとう、ございました」
「こちらこそ。戸水の件、よろしくお願いします」
互いに頭を下げ、絹織はその場を去った。
とはいえ、メディアまみれの外に出るわけにもいかず、離れた場所にある別の休憩所に向かって移動しているだけだ。
歩きながら何度も涙を拭ったが、拭っても拭っても雫は落ちてくる。
すれ違った医者や看護師は怪訝そうにこちらを見てきたが、それが恥ずかしくて自然と早足になる。
「何で……だったら何で……千尋……っ」
頭の中は千尋のことでいっぱいで、気づけば周囲の景色も見えなくなっていた。
そんな調子で歩いているものだから、人とぶつかってしまう。
「あいたっ!」
「きゃあっ!?」
聞き覚えのある声だった。
尻もちをついて、顔をあげると、そこには驚いた様子の千尋がいた。
「絹織!? 危ないじゃない、ちゃんと前を見て歩かないと」
「う……うぅっ、うううぅぅ……っ!」
言いたいことは山ほどあった。
でも、今は仕事中だし、そもそも言葉がまとまりそうにないし、まとまったとしても、ボロボロに泣いてうまく声にできそうにない。
「うああぁっ、あう、うぐううぅ……っ」
「き、絹織、急に泣いたりしてどうしたのよ」
当然、周囲の視線は二人に集中する。
千尋は困惑しながらも、絹織の頭に手を置いた。
「よ、よしよし。痛かったの?」
「痛かった……っ、く……すごく、今もぉ、いたひい……」
「そう……悪かったわね」
「そうだらよ、わるいよぉ……なに、考えてるか、わかんっ、ひっく、ない。千尋が……っ」
「ごめんね……ごめん」
恥を噛み殺し、千尋はぎゅっと絹織を抱き寄せる。
病院の廊下で、色んな人の注目を浴びながら、絹織も強く抱き返した。
「家に戻ったら、ゆっくり話そ」
「うん、うんっ」
「でも、今は……」
「わがってる……仕事中、なんでしょ……」
体を話した絹織は、目を真っ赤にしながらずびーっと鼻をすする。
千尋は未だに戸惑いながらも、できるだけ優しい表情を絹織に向けるよう心がけていた。
「合コン行ったとか、朝帰りしたとか、嘘ばっかりついて。飲みに行ったフリして、一人でホテルにでも泊まってたんでしょ」
「へ? あ、バレちゃったんだ……」
「ちゃんと話してね」
「ええ、そうね。ぜんぶ話すわ。その……ひょっとすると、今日は」
「帰れないかもしれないんでしょ。私もたぶん忙しいから、落ち着いたらでいいよ」
「ありがとう」
千尋は、絹織に手を差し伸べる。
彼女はその手をしっかりと握り、立ち上がった。
そして目を見ながら告げる。
「あとね」
「ん?」
「好きだよ」
千尋が固まった。
絹織の顔も耳まで真っ赤になっている。
「言っとかないと、逃げられるかもしれないと思って」
「逃げないわよ!」
「千尋は?」
そうねだられ、千尋はキョロキョロと周囲の目を気にする。
幸い、今は看護師や医者の姿は見えない。
誰も彼もが忙しくて、二人に注目している暇などないのだ。
だから、千尋ははっきりと答えた。
「私も……好きよ」
「知ってた。だって十年以上同棲してる恋人なんだもんね」
「な――あなたどこまでっ」
「ふふ、記者を舐めないでよ。じゃ、また後でねーっ」
手を振り去っていく絹織。
千尋は追いかけて色々と聞き出したかったが、さすがにこれ以上は仕事を離れるわけにもいかなかった。
◆◆◆
世界は変化していく。
停滞した時間が進んでいく。
まるで戒世教がかけた呪いが解けていくようだった。
ただし、多くの犠牲を伴って。
絹織はしばらく休んだあと、島川夫妻と話をして病院を出た。
二人はしばらく病院に泊まるとのことだった。
どうせ今の有様では外に出るのも難しい、それ以外に選択肢が無いとも言えよう。
そうして絹織が向かう先は、光乃宮市にあるとあるビル。
ここに、合コンの参加者が務める会社が入っているという。
ちなみに、資本や取引先に日屋見グループが関係していないことは確認済みだ。
会社そのものは戒世教と関係が薄いと考えられる。
しかし、ここで働いている男は戸水と行動を共にした人間ではない。
先にそちらの会社を調べたのだが、そのような会社は光乃宮どころか、日本国内に存在しなかった。
つまり、嘘をついていたのだ。
その時点で戸水を連れ出し、殺害するつもりだったのだと考えられる。
だからその男を連れてきた、同じ合コンの参加者に話を聞こうというわけだ。
退勤時間まではあと二時間ほど。
待つしかない――そう思っていた絹織だが、幸運にも標的が目の前を通りがかった。
どうやら外回りの営業から帰ってきたらしい。
絹織は急いで車を降りて、男性の腕を掴んだ。
「こんにちは、古瀬さん」
「ど、どなたですか?」
「私、こういうものでして」
彼女が名刺を見せると、古瀬と呼ばれた男は首を傾げる。
「新聞記者が僕に何の用でしょう」
「先日、あなたが参加した飲み会に山田という男がいたはずです」
「っ……」
「今、どうして目をそらしたんですか?」
「な、なんのことやら」
「話を聞かせてください、時間は取らせませんので」
言いながら、まるで警察みたいなことをしているな、と絹織は思った。
やり方も強引だし、危ない橋を渡っているのは間違いない。
だが踏み出した以上、もはや退けない。
「わかりました……でも人がいない場所に」
「ええ、移動しましょう」
二人はビルの影になっている場所に移った。
人どおりもほとんど無く、ここなら盗み聞きされる危険性も薄いはずだ。
「それで、山田という男性についてご存知のことはありますか」
「それって、あの戸水って看護師が死んだ話に関係してます?」
「そのこと知ってるんですね」
「友達とヤバいって話をしてたんで」
「何がヤバいんです」
「だって、合コンした翌日に見つかってるんですよ? しかも誰だか知らない男に連れてかれて」
「誰だか知らない?」
「山田って男です。その、実は……急にSNSに向こうから連絡があって」
「知らない相手から?」
「山田自体は知ってます、僕の中学時代の同級生だったんで。だから、てっきり同一人物だと思って合コンをセットしたんですけど……」
古瀬曰く、看護師の知り合いがいたため、セッティング自体は彼がやったのだという。
そして山田は最初から戸水を狙っていたとかで、絶対に彼女を合コンに呼んでくれと頼み込んできたんだとか。
その必死さに感銘を受け、古瀬は戸水とは面識が無かったにも関わらず、人脈を駆使して彼女を呼んだ。
「合コンのあと、戸水って子が自殺したって聞いて。それでSNSで山田に確かめようとしたんです。でも連絡を取ってきたアカウントは消えてて、それで当時の友達のツテを使って、別の連絡先を手に入れて……」
「連絡は取れたんです?」
「取れました。その本物の山田が言うには、それは自分のアカウントじゃない、って。教えてもらった通りに調べたら、確かに山田のSNSアカウントは別にあったんです。じゃあ、あれは……僕たちと合コンをしたあの男は……誰なのかな、って」
まるで怪談話だ、と絹織は思った。
聞いているだけで寒気がする。
「その山田さん、偽物だって見てわからなかったんですか?」
「見た目は山田そのものだったんですよ! 確かに、言動はちょっと違ったっていうか、年上っぽい感じしましたけど。少しコーヒーの匂いもして――それが戸水って子に刺さっちゃったっていうか」
「実は本人である可能性はゼロなんでしょうか」
「でも確かに本人にはアリバイがあって、その日、別の友達と飲んでたっていうんです。しかもその画像、僕たちが合コンしてる時間にSNSにアップされてて。さらに本人に聞いたら、そいつコーヒー飲まないって言うんですよ!?」
「つまり顔は同じ偽物が、戸水さんを殺すためにあなたたちに接近してきたと?」
「僕には何もわかりません。あれが変装だったとか言われても、ぜんぜんわかんなかったし。あと、ほんと嘘とかついてないんで! 馬鹿げた話と思うかもしれないけどっ」
「わかってますよ。今、光乃宮で起こってること――あれ以上に馬鹿らしい事件なんて無いんですから」
古瀬は、ずっとそれを誰かに話したかったのか、吐き出せて少し安堵したようすだった。
また、これ以上は本当に何も知らないようで、ひとまず連絡先を交換して話を終えた。
絹織は一人、そこに残って考える。
「戒世教のやつら、誰かになりすます手段まで持ってるなんて。なんで光乃宮なんて場所に留まってるんだか」
きっと神様を降臨させるためなんだろう。
でも、もっと広い世界に目を向ければ、より大きな組織になる道もあったろうに。
狭い場所に引きこもるからこそ、淀みは深く、濃くなっていく。
「でもこっから先は追いかけるのが難しいな、誰が変装したかもわからない。でも連城さんが写真を持ってたってことは、警察と何らかの関連性があるのは間違いない」
いつも連城から写真を見るたびに思っていた。
あそこに写っている死体は、どれも新鮮だと。
つまりは死後、すぐに撮影されたものなのだ。
そこから考えるに、殺害そのものに警察が関わっている可能性が高い。
だからこそ自殺として隠蔽するのも簡単なのだろう。
◆◆◆
その後、絹織は会社での仕事も終えて夜10時ごろ家に戻った。
「ただいま」と言っても千尋の返事はない。
あの様子だと、今日は泊まりコースだろう。
だから――というわけではないが、絹織はソファにぼふんっと顔面から飛び込む。
「一人だとほんと広いよね、この部屋」
数年前に二人で越してきたけれど、一人だった家賃の面でもお高い。
もし千尋が本気で引っ越すつもりなら、絹織も出ていくことになるだろう。
「今日は手応えもあったし、仲直りできると思いたいけど。好きって……言ったし。言われちゃったし」
これだけ長い付き合いなのに、はっきり気持ちを伝えたのははじめてだった。
いざこうして言ってみると、なぜ今まで口にしなかったのか、不思議なぐらいあっさりとしたものだった。
もっとも、あれで告白になるとは思っていない。
仮契約みたいなもので、やはり今度話すときに、きちんと想いを伝える必要があるだろう。
長文で。
「千尋の気持ちもわかったら、だいぶ楽になったな……」
ぎゅっとクッションを抱きしめ、絹織は頬を緩める。
やっぱり好きだ。
離れたくない。
心からそう思った。
要するに、千尋は何らかの理由があって、絹織と離れるべきだと判断した。
しかしその計画を遂行しているうちに、傷ついた絹織を見て耐えきれなくなり、中断せざるを得なかった。
そんなところだろう。
「そういえば千尋の様子がおかしくなる前……実家に帰ってたっけ」
一泊だけだが、そんな日があった。
そこで、親に何か言われたんだろうか。
たとえば、
『あんたまさか、千尋ちゃんのことが好きなの?』
なんて、ドン引きされながら。
絹織の場合、『うん、そうだよ』とあっさり答えたわけだが。
反対されたとしても、千尋を好きなことをやめるつもりはなかった。
わかりきっているからだ。
一生、彼女以上に好きになる相手なんていないと。
「それが原因だとしたら、よわよわだなぁ。千尋ってそういうとこあるけど」
クールで知的だと思われがちな千尋だが、絹織よりずっと精神的に弱い部分がある。
看護師の仕事をする中でも、同僚と衝突して病んでいた時期もあったし、絹織がいなかったらもっと不自由な人生を送っていたかもしれない。
逆もまた然り、なのだが。
絹織が千尋のことを考えながらにやにやしていると、ふいにスマホの通知音が鳴った。
メッセージが届いている。
送信主の部分には、戸水と記されていた。
「……勘弁してよ」
猛烈に嫌な予感がした。
開きたくない。
だが、開くしかない。
届いていたのは画像とメッセージ。
画像は――今日、病院で話した看護師の死体だった。
手術室らしき部屋で、頭のてっぺんから足の先まで無数のメスにめった刺しにされ絶命している。
そしてメッセージには、
『お前のせいだ』
と記されていた。
吐き気がこみ上げる。
今日で一体何度目だろう、体調の振り幅が大きすぎて、それだけで体を壊しそうだ。
だが、それで終わりではなかった。
続けて古瀬からメッセージが届く。
続けて嫌な予感がした。
このタイミングで届いたものが、まともなメッセージなはずがない。
そして案の定、そこには頭を撃ち抜かれた古瀬と、
『もうやめろ』
という脅しが記されている。
直前に、“生きた”彼らと接していたからこその生々しさ。
感じた気分の悪さは、今まで見てきた写真とは比べ物にならなかった。
ついに我慢しきれなくなり、絹織はトイレに駆け込み嘔吐する。
幸い、夕食前だったのでほとんど胃酸ぐらいしか吐けなかったが、吐き出したところで死体を見た記憶が消えるわけではない。
腹から胸のあたりがぐちゅぐちゅする、ただ呼吸をするだけで気持ちが悪い。
「っ……はあぁ……クソっ……人の命を軽く見て、こんな、ふざけたことを……!」
殺意は――確実に、絹織に近づいていた。
だが同時に疑問を抱く。
なぜあの看護師だったのか。
なぜ古瀬だったのか。
戸水の事件について話しただけの人間と、真相を追いかける絹織。
どちらが危険かで言えば、後者の方が遥かに上であるはずだ。
加えて、あまりに直線的で、早すぎる犯行。
古瀬に至っては、つい数時間前に話を聞いたばかり。
だというのに、すでに彼と絹織が接触したことを知られている。
話す時、人がいない場所に移動した。
見張りはいなかった。
そもそも、車で移動した時点で自分を追ってくるような相手はいなかったはずだ。
自分の部屋や車に盗聴器などの類が付けられていないかは、連城にレクチャーを受けて定期的に検査をしている。
最近は脅迫状が届いたので、そのチェックを済ませたばかりだ。
ならばなぜ知っている。
オカルト的能力で?
いや、そこまで便利な力があるのなら、わざわざ銃を使って殺す必要なんて無いはずだ。
呪殺でもすればいい。
でも、こうしてわざわざ写真を残して、絹織に送りつけてくる――
「これは、本当に警告なの?」
だとしたら、優しすぎる。
しかも絹織にだけ。
それが、余計に気味悪く感じられた。
◆◆◆
次の日から、絹織は社外での取材を控えるようになった。
脅しに屈したつもりはない。
でも、自分が動いて他人が死ぬのに耐えられなかったのだ。
学園では瓦礫の撤去が続き、被害者の身元もかなりわかってきた。
判明したうちの大半は生徒、もしくは教師で、遊園地の客たちは含まれていない。
もっとも、その生徒も多く見積もっても全体の3分の1程度しかいないようで、残る2階と3階も遅れて落下してくるのではないか、との予想が立てられていた。
また、死体が異様に腐敗していたり、異様な姿に変形していることも伝えられはじめた。
いよいよニュース番組ですら、科学的な考察が意味を成さない事件だと気づき、オカルトチックな内容を報じ始める。
さらに相変わらず身元不明の異国人の遺体、埋葬されたはずの光乃宮市民の白骨死体なども次々と発見され、事態は混迷を極めていった。
光乃宮学園関連のニュースは全国的な話題となったが、当然のように最も混乱しているのは光乃宮市自身だ。
特に話題になっているのは、白骨死体の発見である。
市外の機関による調査の結果、あれらの骨は学園消失の前から校舎に埋められていたと判明した。
しかも、病院で看護師が語っていたように、すでに火葬され墓や納骨堂に収められいてるはずの骨が、校舎に埋められていたのだ。
死体の入れ替えなど、警察や病院のみならず、自治体も協力しなければ実行できるはずがない。
これは大きな疑惑となり、市長は激しい追求を受けた。
だがそれよりも激しかったのは、発見された白骨死体の遺族を中心として結成されたデモ隊の方だ。
学園消失に巻き込まれた生徒の遺族や、市への怒りを持つ市民、さらには他県から来た人々もそこに加わり、かなりの大人数となって市役所、警察署、そして病院を取り囲む。
当然、看護師である千尋もそれに巻き込まれた。
メディアに取り込まれていた時もなかなか外に出ることができなかったのに、今度はデモ隊の登場である。
絹織と約束をした。
だから早く帰りたいのに――結局、あの日から3日も泊まりっきりだ。
病院としても看護師を帰したい気持ちはあるようだが、当の院長や懇意にしていた医者がどこかに雲隠れしてしまったので、人手不足でそうもいかない。
しかしようやく、それも落ち着くときが来た。
入院患者の他への転院が決まり、仕事量が減ったのである。
ようやく千尋は仕事から解放された。
一刻も早く絹織に会いたい。
そう思いながら、軽い足取りで病院から出る。
すると待ち受けていたように、背後から男の怒号が響いた。
「俺の息子を返せえぇぇぇええええッ!」
後にわかったことだが、犯行に及んだのは光乃宮学院の事件で息子を失った父親だったという。
腐敗し、変形した息子の死体を見てからというものの、精神状態が不安定になり、異様な興奮状態のままデモに参加していた。
そしてその興奮のまま、千尋に手にした棒で殴りかかったのである。
◆◆◆
『ごめん、怪我して入院することになった』
千尋から送られてきたメッセージを見た瞬間、絹織は家を飛び出していた。
車を飛ばしてすぐさま病院に向かう。
裏口付近を通ったとき、そこに警察が集まっているのを見た。
千尋が襲われた場所だろうか。
デモ隊はなにやら警察に向かって罵声を浴びせていたが、絹織にはどうでもいいことだった。
車を降りると、入り口付近に座り込むデモ隊をかき分け、怒鳴りつけられても無視しながら、扉を塞ぐ警察官にすがりつく。
「恋人が襲われたんですっ! 入れてください、会わせてください!」
最初は事情が伝わらずに門前払いされたが、襲われた青柄千尋の関係者だとわかると、ようやく中に入れてもらえた。
看護師に案内され、病室に飛び込む。
「千尋っ!」
「絹織……来てくれたんだ」
病衣を纏い、頭に包帯を巻いた千尋が弱々しく手を上げた。
絹織は彼女が横たわるベッドに駆け寄ると、その手を両手で握りしめる。
「ちゃんと言いなよぉ。怪我したって聞いたあとに襲われたこと知ったから、ほんと血の気が引いたんだから……!」
そう、絹織は病院に来る道中、流れていたラジオでデモ隊に看護師が襲われたことを知った。
タイミングからして、それが千尋であろうことは想像に難くなかった。
「心配かけたくないなと思って」
「かけてよぉ! 心配、かけていいんだって!」
「そうだったね……なんで遠慮したんだろう、私」
「もう、遠慮とか無しね。全部、ちゃんと言うって決めたんだから」
「うん、言う。ありがとう絹織、来てくれて。襲われたときは怖かったけど、顔見るだけで元気になった」
二人は涙ぐんだ目で見つめ合う。
そこに医者がやってきた。
「青柄さんですが、角材で殴られたことで頭に傷があるようです。また、衝撃で軽い脳震盪を起こしたようですね。どちらも休めば回復するでしょう」
「そうなんですね、重くなくてよかった」
「ですが……デモ隊の方々は青柄さんに怒っているようでして」
「どうして千尋に!」
「ただでさえ警察の信用が無くなっていますから、それに守られた人間が憎いのでしょう」
人の生き死にに関わることだ。
千尋を襲われたことへの怒りは強いが、確かに警察はやってはいけないことをした。
古瀬たちを殺したことも、当然そこに含まれる。
「だからって、千尋を傷つけていいわけじゃ……」
「本当は他の病院に移ってもらうのがいいのですが、今はそれも難しい。ほとぼりが冷めるまでは入院したほうがいいかと」
「ふふ、まるで政治家みたいね」
「笑ってる場合じゃないよ」
なにせ、絹織はこの病院で殺人が行われたことを知っている。
医者が立ち去ったあと、彼女は千尋に問いかけた。
「どうにかして、他の病院に行く方法ないかな」
「そんなにここが怖いの?」
「……」
絹織は何も言えなかった。
もし、自分のせいで千尋が死ぬようなことがあったら。
そのとき、絹織は自分が死ぬよりも辛い思いをするだろう。
「全部言うって言ってたくせに、さっそく隠し事してるわ」
「ごめん。でも、千尋を守るためには……」
「私と同じこと考えてる」
「え?」
「でも私の場合、そんなに綺麗なことじゃなかった。結局、絹織を傷つけただけで」
「千尋……」
最近、彼女の様子がおかしかった理由――その一部を話しているんだろう。
絹織を守ろうとしたから。
言い訳のように聞こえないでもないが、彼女は素直にそれを信じた。
だって千尋が、自分のことを傷つけるはずがないから。
「ある意味で、私は絹織のことを信じきれてなかったのかもしれない。だから、今回は絹織を信じることにする」
「全部終わったら、必ず話すから」
「待ってるわ」
そう言うと、千尋は絹織の手に指を絡めた。
心地よい体温が伝わってくる。
こうして触れ合っているだけで、絹織は何もかもが満たされるような気がしていた。
きっと千尋もそうだ。
だから二人は、そこから先に進もうとしなかったのだろう。
これ以上の幸せなんて無いと思うから。
でも今は違う。
見てみたい。
多少のリスクを負ってでも、今以上を、これ以上を。
「もっとここにいたいんだけどな」
「居たらいいじゃない」
「こんな状況だから、長時間の面会はできないんだってさ。でも明日、また会いに来るから」
「寂しいわね……」
「スマホは使えるんでしょ」
「“病室での通話はお控えください”って、今までさんざん患者さんに言ってきた立場よ?」
「なら仕方ないよ、今は文字で我慢我慢っ。私だって寂しいんだから、あの部屋は一人じゃ広すぎるよ」
別れを惜しみながら、二人は手を離した。
外からは相変わらずシュプレヒコールが聞こえる。
今度は正面突破などできるはずもなく、絹織は看護師に案内され、裏口からひっそりと外に出た。
◆◆◆
駐車場に戻り、自分の車に乗り込もうとする絹織。
そんな彼女の肩に、誰かが手を置いた。
びくっと震えながら振り向くと、男がそこに立っている。
「よっ」
「何だ、連城さんですか。驚かせないでくださいよ」
黒いスーツを来た連城聖義がそこに立っていた。
「驚かせるつもりは無かったんだがな」
「背後から話しかけられなくても驚きます。何でここにいるんですか」
「警察をなめるなよ。お嬢さんの友達が襲われたって聞いてな、ここにいるんじゃないかと思って来てみたんだ」
「私に会いに?」
「最近、連絡取ってなかったろ。おじさん寂しかったなあ」
「なんですかそれ、気持ち悪い」
「いくらジョークでも傷つくぞ俺」
「娘さんにやったら嫌われますよ。私は……最近あんまり動いてなかったんで、伝えることがなかっただけですよ」
ここ三日ほどは、戒世教を追うこともなかった。
連城と頻繁に連絡を取っていたのは、津森が間に挟まっていたというのも大きい。
「じゃあ久々に情報交換と行きますか」
「また新鮮な写真を仕入れてきたんですね」
「まあな。俺の車はこっちだ」
絹織は、先導する連城の背中を追う。
別に何か疑わしいことがあるわけじゃない。
でもどうしてだろう、彼の背を見ていると、今まで感じたことのない不安が胸に渦巻く。
車に乗り込む直前――絹織はその不安の正体に気づく。
冷たい夜風に乗って、かすかにコーヒーの香りがした。
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