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069 外側

 



 何事もなく、平穏な一日が過ぎていく。


 島川(しまかわ)(りょう)は職場のオフィスでパソコンのモニタを見ながら、コーヒーを一口含んだ。


 基本的に仕事中は余計なことを考えないようにしているが、少し時間が空くとどうしても頭には息子のことがよぎる。




「大地は元気でやっとるんやろうか……」




 我ながら女々しいとは思うが、彼が親元を離れてしばらく経った今でも心配は尽きない。


 島川大地。


 現在は一人で光乃宮市で暮らしている、高校一年生だ。


 まだ高校生の彼がなぜ一人で親元を離れることになったのか――それは去年、亮の兄夫婦が死んだことが発端だった。


 死因は焼死。


 一軒家が火事で全焼し、それに巻き込まれた形だ。


 火元に怪しい部分はあったが、警察も消防署も事故として処理。


 生き残ったのは、兄夫婦の一人息子である島川優也だけだった。


 亮は優也を預かるつもりでいたのだが、なぜか優也自身がそれを拒んだ。


 現在は親の保険金でマンションを借り、故郷の光乃宮市で一人暮らしをしている。


 大地は、そんな優也のことを幼い頃から慕っていた。


 そして事件に不穏な部分もあったため、心配した大地は高校進学を期に、光乃宮での一人暮らしをしたいと言い始めた、というわけだ。


 もちろん亮は反対した。


 妻の久美子と一緒になって、「わざわざ光乃宮で暮らす必要はない」、「お前が一人で行って何ができるんだ」、と説得した。


 今になって思えば、それが良くなかったのかもしれない。


 十五歳の少年はそんな親の言葉に反発し、さらに決意を固くした。


 ああなるともう、手のつけようがない。


 何より――亮自身、優也を心配していた。


 亮があの街を出ることを拒むのなら、誰かが近くにいなければならない。


 かといって、息子夫婦の死によって体調を崩している両親を向かわせるのも難しい。


 大地に支えてもらうしかない。


 情けなさ半分、心配半分で乗り気ではなかったが、そう納得するしかなかったのである。


 だが飲み込みきれない部分もある。


 親として、せめて高校までは家から通ってほしかった。




「子供の成長は寂しいもんやなぁ」




 十五年前にローンを組んで買った一軒家は、二人で住むにはちょっと広すぎる――


 そんなことを考える。


 改めてコーヒーを口に含むと、口に広がる苦味が薬となって頭を冷静にする。


 今は仕事中だ、こんなことを考えている場合じゃない。


 そう思い直し、キーボードに手を置く亮。


 すると、部下がなにやら顔を青ざめさせながら、スマホ片手に歩み寄ってきた。




「島川課長」


「どないしたんや、顔色がえらいことになっとるぞ」


「課長の息子さん、光乃宮学園に通われてましたよね」


「せやけど、それがどないしたっちゅうんや」


「これ見てください」




 彼が見せた画面には、ニュースサイトが表示されていた。




『速報、光乃宮市で学校が消失。中にいた生徒や教員が多数行方不明』




 ――頭が真っ白になった。


 理解を拒む文章だ。


 焼失ならわかる、火事でも起きたのだろう。


 だが消失とは一体何事か。




「何やこれ。学校が消えたってどういうことや!」


「わかりません、まだ文章だけみたいで。調べたら写真とか出てくるかもしれませんけど」




 そのとき、亮のスマホが鳴った。


 着信だ。


 相手は妻の久美子――彼は非常時なのでその場で電話を取る。




「久美子か!? 大地が通う学校が消えたっちゅうのはほんまなんか!」


『あ、あなたっ! 今、ネットで見てたんだけど……ほ、本当に消えてるわ』


「消えたってどういうことなんや。俺にはさっぱり――」


『消えてるのよお! 跡形もなく、学校が更地になってるわ!』




 久美子の声は震えていた。


 亮の顔も、部下よりもずっと蒼白になり、心臓がバクバクと脈打って冷や汗が全身に噴き出していた。




「大地……大地っ……!」




 とにかく息子の安否が心配だ。


 彼は仕事を早退し、久美子と合流後、光乃宮市へ向かうことにした。




 ◆◆◆




 光乃宮学園前――異変が起きてから三十分ほど経った今、周辺には各メディアが集まりはじめていた。


 地元情報誌の記者である牛沢絹織(きおり)もその一人である。


 ショートヘアの活発そうな女性だ。


 彼女は首から下げたカメラを手に持ち、更地となった光乃宮学園を撮影しようとしているが、別の記者にわざとぶつかられ、押しのけられた。


 相手は絹織を睨みつけ吐き捨てる。




「弱小地方紙の田舎記者が出しゃばるなよ」




 悪意100%の言葉に胃がきゅっと締め付けられるが、弱気な自分を噛み殺して絹織は睨み返した。


 そして負けじとシャッターを切る。




「全国紙の記者がなんだってんだ。こっちは姪と親友の妹と母校が消えてるんだぞ!」




 愚痴りながらも、必死に現場を写真に納める絹織。


 親友の妹は井上緋芦。


 そして姪というのは、牛沢会衣のことだ。


 絹織には10歳上の姉がいるが、その娘こそが会衣だった。


 ちなみに、井上姉妹と会衣が知り合ったのも、絹織を経由してのことである。


 絹織と井上芦乃は高校からの親友であり、大木から銃撃され死亡した当時も関係は続いていた。




「しかも消えたのはあの(・・)光乃宮学園。絶対、あいつらが関わってるに決まってるんだから」




 六年前――芦乃の死から今日まで、絹織は戒世教の闇を暴くべく動いてきた。


 とはいえ、地元に根付いた地方新聞なんて、本来はそんなスキャンダラスなニュースを扱うものではない。


 記者として、というよりは芦乃の友人として、個人的に調べていると言った方が正しい。


 だが絹織は、この場にいるどの記者よりも戒世教に詳しい自信があった。


 だからこそ、うかつに動けないことも理解している。


 そんな彼女の視界の端に、見覚えのある顔が写る。


 やけに嬉しそうに(・・・・・)校舎跡地を見つめる夫婦だ。




「……郁成夢実の両親」




 絹織は二人のことを知っていた。


 夢実は数ヶ月前に失踪した光乃宮学園の生徒だが、最終的にはただの家出として処理され、事件性は無いと判断されたらしい。


 しかし、郁成夫妻に責めたてられる依里花の姿、そして当日に目撃された同じクラスの生徒――明らかに不自然な点がいくつもあった。


 そもそも家出だったとしても、だったら両親は娘を引き戻そうとするはずだ。


 しかし郁成夫妻にはその様子が無かった。


 加えて、この惨状(・・)を見てのあの表情。




「あいつらやっぱクロだよね」




 他の記者たちに紛れて、ひっそりと二人の写真を撮影する絹織。


 すると彼女の近くに、別の女性が近づいてきた。




「あっちは……倉金依里花の母親? 郁成夫妻はあれだけ倉金依里花を責めてたのに、親子同士で交流があるの?」




 依里花の母は、郁成夫妻に近づくと声をかける。


 絹織は記者の群れから抜け出し、気づかれないように三人に近づくと聞き耳を立てた。




「郁成さん、これって……」


「あら倉金さん、あなたも来たのね。そうよ、夢実がやったの!」




 夢実の母は嬉しそうに軽く飛び跳ねながら言った。


 一方、依里花の母の表情は暗い。




「真恋は? 真恋はどうなったの?」


「正しき信仰心を持っているなら真の世界へ到達しているわ」




 正直、その会話が成立しているのか絹織にはわからなかった。


 教義の中に、真の世界への到達や、曦儡宮という単語が登場することは知っている。


 だが、それが何を意味する言葉なのか――そこまではまだはっきり把握できていないのだ。




「倉金さん、どうしてそんな不安そうな顔をするの。ああ、もしかして生贄も真の世界に到達したんじゃないかって不安なのね。大丈夫よ、曦儡宮様はちゃんと区別してくださるわ」


「違うわ、依里花のことなんてどうでもいいの。ただ……」


「まだ物質的な肉体にこだわっているのね」




 夢実の母は、ぐいっと依里花の母に顔を近づけ、目を見開いて言った。


 依里花の母は少し引き気味だ。




「曦儡宮様は降臨なされたの。じきに光乃宮市――いえ、この世界全体が真の世界へと案内されるはずよ」


「私たちも?」


「もちろん。そのために徳を積んできたのでしょう?」


「ええ……その、つもりだけど」


「心配しないで。もし不安なことがあれば、私たちが支えるから。そうだ、聞いてよ倉金さん」


「な、なに?」


「少し前に本部から連絡があってね、私たち、幹部になれるそうなの!」


「どうして?」


「そんなの、夢実が生贄になってくれたからに決まってるじゃない」




 絹織には理解できない。


 娘というのは、郁成夢実のことだろう。


 しかし彼女は家出したままのはず。


 だが夢実の母は、何らかの確信を持って、彼女が生贄に捧げられたと断言していた。




「あの夫婦、郁成夢実の居場所を知ってる? でも倉金依里花に『娘が行方不明になったのはお前のせいだ』とか言ってなかったっけ。何もかも知ってた上で、あんなこと言ってたっていうの?」




 表情を険しくする絹織。


 戒世教との関係を抜きにしても、人間として許せない所業だった。


 夢実の父もずっと黙っているが、妻たちの会話を聞いて咎めるどころか、ずっとニコニコと笑っている。




「きっとあの子は、私たちを高みに導くために生まれてきた、曦儡宮様からの贈り物だったのね」


「それはよかったわ」


「でも真の世界に行けば、幹部なんて関係なくなるのだけどね。でもせっかくこんな立場になれたんだもの、定められた“時”が来るまでは、少しでも信者を増やせるようにがんばらないとっ」


「あはは……」




 苦笑いを浮かべる依里花の母は、心ここにあらず、と言った様子である。


 おそらく頭の中は真恋のことでいっぱいなのだろう。


 両親よりも明らかに優秀な、あらゆる面で天才と言っていい才能を持った真恋。


 本当に愛する人の遺伝子を受け継いで生まれてきた娘。


 母は、彼女を手放すつもりなどなかったのだ。


 つまり、郁成夫妻ほど戒世教を妄信しているわけではないということ。


 だがそれも娘への愛というよりは、独善的な親の欲望によるもの。


 話を聞いている絹織は、一言一句からにじみ出るどす黒い“汚さ”に、嫌悪感を隠しきれない。


 すると、そんな彼女の肩にぽんと誰かが手を置いた。




「ひゃっ!?」




 慌てて振り返ると、そこにはボサボサ頭の男が立っていた。


 スーツを着ているが、ネクタイは付けておらず、上着のボタンも止めていない上に、シワも目立つため妙にだらしなく見える。


 加えて、顎に薄っすらと生えた髭が、さらにだらしなさに拍車をかけていた。




「何だ、連城(れんじょう)さんか……」


「あんまジロジロ見るもんじゃねえぞ」


「プライバシーを守るためですか?」


連中(・・)に目をつけられたくねえだろ」




 連城と呼ばれた男は、郁成夫妻の方を見たかと思うと、急に目を逸らす。


 なんとなく気になって絹織が夫妻の方を振り返る。


 すると、彼女たちは異様な目つきで、まばたき一つせずに絹織を凝視していた。


 ゾワッと鳥肌が立つ。


 そして彼女も慌てて目をそらした。




「でも会衣が……私の姪が巻き込まれてるっていうのに……」


「とにかくここを離れるぞ」


「わ、わかりました……」




 早足で歩く連城に、絹織は小走りでついていった。




 ◆◆◆




 絹織は、連城の車の助手席に乗り込む。


 車内は微妙にコーヒー臭い。


 運転席に座った連城は、絹織に未開封のコーヒーを差し出した。




「これ飲むか?」


「ブラックは飲めないんで」


「ガキじゃねえか」


「30過ぎてるのにそんなこと言われても反応に困ります」


「……そうか、もうそんな歳か」




 連城は自らコーヒーを開くと、口に運んだ。




「最初に会った時はまだ20代だったよな」


「芦乃が死んでしばらく経ってたんで、27でしたね」


「意外と行ってんな」


「刑事からセクハラされたって記事書きましょうか?」


「勘弁してくれ」


「はぁ……まあしませんけど。戒世教のことで頼れるのなんて、連城さんぐらいしかいないんですし」




 連城聖義(まさよし)


 光乃宮署に所属する刑事であり、井上芦乃の元上司だ。


 彼も絹織同様、六年前に光乃宮ファンタジーランドで発生した井上芦乃銃殺事件をきっかけに、戒世教を追うようになった。


 そんな絹織と連城が出会ったのは五年前。


 戒世教の集会が行われると知り、絹織が内部に潜入しようとしたのを連城が止めたのをきっかけに、交流を持つようになったのだ。


 連城は、大学時代の友人だという津森拓郎とも協力関係にあり、いつしか三人は互いに情報共有を行うようになった。


 しかし光乃宮市における戒世教の存在は、あまりに奥深くまで根付いてしまっている。


 その全てを白日のもとに晒せるような、致命的な情報というのはそうそう見つかるものではなかった。


 だが、中でも連城は、最もそれに“近い”情報を持っていた、と言えるだろう。


 刑事としての立場を利用して、戒世教に殺されたが、警察によって隠蔽され、事故死扱いされた人間の情報を得ることができたのだ。


 もっとも、連城が情報を得た時点で事件はすでに隠蔽処理が完了している。


 暴こうとしても証拠が残っていない――と言った問題点があり、“戒世教に殺された人間がいる”という事実を把握する以上の意味は無かった。


 それでも“暴いている気分”を得るのにはちょうどいい情報ではあったが。




「そんな頼ってくれるお嬢さんに有益な情報だ」


「会衣と緋芦が実は学校をサボってどこかで遊んでた、とかですか」


「緋芦は芦乃の妹だったか……そういや高校生ぐらいの年頃だな。だがすまんが、会衣って子のことを俺は知らない」


「話ぐらいは聞いたことあるはずですよ、津森さんから」


「あいつから?」


「緋芦といつも一緒にいる女子高生」


「ああ……情報交換のときにひっついてきたっていう友人か。だが顔すら知らん」


「そうですか、じゃあ有益な情報っていうのは――」


「写真だな」


「いつものあれですか。でも待ってください、その前に確かめたいことがあるんですが」


「この有様が戒世教の仕業かってことか? わからん、としか答えられんな」


「それ以外にありえませんよね。あの郁成夫妻の反応を見ても明らかです」


「まあ、な。敷地の外をぐるっと回ってきたが、信者らしき人間がわらわらいやがった。連中の認識では、何らかの儀式が成功したってことなんだろう」


「そこに、数ヶ月前に行方不明になった郁成夢実が関係している」


「かもしれんが――把握したところで、俺たちにはどうにもできない」


「諦めるんですか?」


「そういうんじゃない、あの学校の跡地を見てみろ。あんな馬鹿げたことができるのは、もうオカルトの範疇なんだよ。俺の銃には銀の弾丸なんて入っちゃいないぞ」


「それは……確かにそうですけど」




 仮にこれが戒世教が意図的に行ったことだとするのなら、人間が三人集まったところで意味はない。


 相手は学校を丸ごと消し飛ばせるほどの力を持っているのだ。




「学校消したりできるんなら、もう世界征服でもしたらいいのに」


「まったくだな。しかも、その方法がオカルトだった場合、真相を暴いてみんなにオープン――みたいな真似も難しいわけだ」


「どうしましょうかね」


「とりあえずこれでも見て気分転換するか?」




 連城がすっと写真を取り出す。


 そこには、森に倒れる女性の死体が撮影されていた。


 頭部には銃で撃たれたと思しき傷跡がある。




「いつも思うんですけど、これ警察のどこから持ってきてるんです?」


「署長クラスしかアクセスできないフォルダがあるんだよ」


「わざわざ殺した人間の写真を保管する署長ですか、いい趣味してますね。というか連城さん、ハッキングして覗いてるってことですか?」


「そんな大したもんじゃねえって。セキュリティなんてもんはな、物理的に突破しちまえばどうにかなるもんだ」


「顔の割に意外と機械強いですよね」


「さっきの仕返しか?」


「ええそうです」


「はっ、これでも家族から頼られることは多いんだよ。妻は機械に弱いからな」




 死体の写真を前にする会話じゃない、と絹織は思った。


 しかしそうなるぐらい、二人はこの手の写真に慣れていた。


 戒世教は毎週のように誰かを殺す。


 戒世教に都合の悪い人間は、時に市外の人間であっても消され、こうして写真に収められた。


 どうやら彼らは専門のヒットマンを雇う――あるいは育てているらしく、手口は巧妙かつ狡猾。


 加えて、警察と戒世教は協力関係にあるため、これらの死者が“殺人事件”として扱われる可能性はほぼゼロと言える。


 ならば連城が内部告発すればいい。


 ならば絹織が新聞に載せればいい。


 そう思うかもしれないが――それをやった次の週、彼らは事故(・・)で死ぬだろう。




「戒世教の存在を大々的に告発する手段とか、あればいいんですけどね」


「お嬢ちゃんあれやってんだろ」


「あれ? ああ、SNSですか。確かにうちの会社のアカウント任されてますけど、フォロワー三桁ですよ?」


「もっと頑張れよ」


「これでも頑張ってる方です! でも記事より私の個人的な昼食を載せた方が伸びたのは凹みましたけどね」


「ファンついてるじゃねえか」


「嬉しくないです」


「でも今回はチャンスなんじゃねえの。戒世教が、こんな堂々と表立ってやらかした(・・・・・)のは初めてだ」


「言われてみればそうですね。曦儡宮が降臨したとか言ってましたし、もしかして彼らの悲願的な何かが果たされたのかもしれません」


「神様か……んなもんがいるなら」


「お願い事でもします?」


「そうだな……妻と娘を」


「ご家族に何かあるんですか」


「あー、妻と娘と、もっと仲良くなりてえなあ」




 連城は虚空を見上げながら、しみじみとそうつぶやいた。


 絹織は思わず噴き出す。




「ぷっ。顔に似合わないほのぼの発言やめてもらえますぅ?」


「誰がヤクザ顔だよ」


「そこまで言ってないんですけど。ふふっ」


「そういうお嬢ちゃんはどうなんだよ。もう32だろ、結婚の話とかねえのか?」


「結婚……」




 そう問いかけれた絹織の表情が、途端に曇る。


 その曇りっぷりは半端ではなく、突如として車内の空気が凍りついたように感じるほどだった。


 連城は小さく「やっちまった」とつぶやいた。




「すまん、余計なこと言ったな俺」


「いや、いいですよ。ちょうど他の人にもそういうこと言われたんで」


「やっぱ最悪のタイミングじゃねえか」


「申し訳ないと思うなら」


「何がほしい」


「今回の事件で警察しか知らない情報をください」


「……強かだねえ」


「そうでもしないと立ち直れそうにありません」


「残念だけど、無いんだよなあそれが。本当にこれっぽっちも手がかりが掴めてねえ」


「何か爆弾を使った、なんて噂もネットでは囁かれてるみたいですけど」


「ありえないだろう、学校の校舎と人間だけを綺麗に消す爆弾なんて存在するわけがない」


「そうですね……正直、“何が起きたのか”すら誰も把握できてないんでしょう」


「まさに神のみぞ知るってやつだ」


「これが好機だって言うんなら、思い切って戒世教の信者に詰めてみるのもアリかもしれませんよ」


「強引な真似はやめとけ、殺されるぞ」


「じゃあ別の方向性で攻めます。さっき見せてもらった写真の女性、身元ぐらいはわかってるんですか?」


「名前だけはな」


「教えてください」




 そう言われ、連城は被害者の名前を答える。


 絹織は手帳にそれをメモした。




「だがいつもと同じだ、被害者を辿っていったところで殺害した犯人との繋がりなんて見えやしない」


「今回は違います。タイミングからして、学園消失に関わってるかもしれないじゃないですか」


「可能性を否定はしないが」




 戒世教が人を殺すのはいつものこと(・・・・・・)だ。


 この事件との関係性があるというのは、絹織の願望にすぎない。


 だが、とっくに光乃宮市には大勢の記者が詰めかけている。


 他と同じような取材の方向性では、似たような情報しか得られないだろう。


 そんな状況で馬脚をあらわすほど、戒世教はうかつじゃない。




「じゃあ私、そろそろ行きます」


「名前だけでよかったのか?」


「大まかな年齢や背格好はわかってるんです。行方不明者と照らし合わせればおおよその予測はつきます」




 それこそ連城が一番やりやすい立場なのだが、この写真を印刷して絹織に渡している時点で、かなり危ない橋を渡っている。


 要するに、彼もここから先の捜査を絹織に委ねている、と言えるだろう。


 危険だと言いながら、なぜか情報を渡すことをやめない。


 正直、絹織は連城の行動に疑問を抱いてもいた。


 だが、彼が井上芦乃の死を悔しがり、戒世教への強い憎しみを持っていたことは知っている。


 だから信用できるのだ。




「それじゃあまた――」




 絹織が車から出ようとしたとき、連城は「待て」と顔色を変えて彼女を呼び止めた。


 彼の視線の先には、自身のスマホが置かれていた。


 スリープ画面にニュースの見出しが表示されている。




「何かあったんですか」


「ファンタジーランドもやられた」


「え?」


「光乃宮ファンタジーランドも消えたんだよ!」




 怒鳴る連城。


 絹織は目を見開き、自らのスマホを取り出しニュースを開いた。




「そんな……じゃあ津森さんは!」


「今から連絡する」




 協力者の一人である津森拓郎は、光乃宮ファンタジーランドの園長だ。


 もちろん平日である今日も、園で働いていただろう。


 通話を試みた連城は、電波が届かない旨を伝えるアナウンスに舌打ちをした。




「クソっ、繋がらねえ」


「すぐに現場に直行しましょう」


「ああ――ってお嬢さんは自分の車で行け!」


「こういうときぐらいいいじゃないですか」


「記者と一緒に行動したら上からどやされるんだよ!」


「もう手遅れですけど。わかりました、ではあっちで会いましょう」


「ああ、余裕があればな」




 絹織が車から降りると、すぐさま連城は出発した。


 彼女も少し離れた場所に置いた車に戻り、光乃宮ファンタジーランドを目指す。


 途中、学校周辺に集まっていた記者たちと鉢合わせたが、彼らもかなり混乱している様子だった。




「あんな巨大な施設が消えるってどうなってるんだか……こんなの自然現象でありえるわけがない」




 ハンドルを握りながら、ギリ……と歯を鳴らす絹織。


 ラジオのニュースからは、遊園地消失のニュースを読み上げるアナウンサーの声が聞こえてくる。




「観覧車が見えない。本当に消えてるんだ」




 本来、この道路まで来れば、遠くにファンタジーランドの観覧車が見えているはずだった。


 しかしそれがいつまで経っても見えてこない。


 見慣れた景色なのに、猛烈な違和感がある。




「裏でコソコソと調べてる間に、会衣と緋芦、津森さんまで巻き込まれた。もう殺されるとか言ってる場合じゃない、何もしなくたって巻き込まれるんだから!」




 絹織は苛立ちながら、アクセルを気持ち強めに踏み込んだ。




 ◆◆◆




 その日、光乃宮市は大きな混乱に見舞われた。


 学園と遊園地が消失し、数百人が一斉に行方不明になったという事実はもちろんのこと、それらが大規模な地盤沈下によって起きたもの、あるいは某国の新型兵器だ――などという根も葉もない噂まで飛び交い、それらを信じる人々が一斉に逃げ出したのだ。


 いや、信じずとも巨大な施設が忽然と消えたとなれば恐ろしくなるのは当たり前のことだ。


 店は臨時休業し、公共交通機関の麻痺まで発生。


 加えて、全国の各メディアが殺到し、ニュースなどで取り上げられた結果、市外、あるいは県外からの野次馬まで来るようになった。


 人の出入りが激しくなったため、各地で小さな事故や喧嘩などが頻発。


 道路も車でごった返し、光乃宮署の警官たちはその対応に追われたため、結局、絹織と連城が再度合流することはなかった。




 一方で、この緊急事態に対する市長の対応が注目されたが、反応は鈍い。


 事件発生後数時間が経過し、県知事や大臣などが会見に応じる中、市長は部屋に閉じこもったまま姿を見せようとはしなかった。


 当然、役所にはメディアが殺到し、職員はその対応に追われる。


 この非常時に市長は一体何をしているのか――外から記者の怒号すら聞こえる中、当の本人は市長室で頭を抱えていた。




「まだ出ていかないのですか」




 眼鏡をかけた細身の男が問いかける。


 それでも市長は動こうとはしなかった。




「大司教猊下から命じられた通りだ。君も秘書なら時間を稼ぐ方法を考えたまえ」


「もう限界です、じきに記者たちが強引に入ってきますよ」


「その方が助かる、警察が私を守ってくれるだろう」


「それを待っているのですか」


「は……何も方法が思いつかないだけだよ。あれだけの大事件を起こしておいて、市長である私に時間を稼げだと? いくら大司教とはいえ無茶が過ぎる」


「でしたら逆らってもよいのではないですか、非常事態なのです。このまま続ければ、あなたは市長の座を退くことになりますよ」


「簡単に言ってくれるな! 君とてわかっているだろう、この街で大司教猊下――瀬田口(ひろし)に逆らった人間がどうなるのかぐらいは」




 秘書の男は表情を変えずに答える。




「殺されますね」


「現に先日も死体のすり替えに気づいた看護師が殺されたという。警察だって彼らの味方をしている上に、警察内部にヒットマンを飼っているとも聞いた」


「市長もそれに助けられてきました」


「そうだ! だからこそ――逆らえん。何をしてでも、私は猊下に命じられたことをやり遂げねばならん」


「でしたら、市民の最低限の不満は解消すべきかと」


「どうしたらいい?」


「日屋見グループの社長に連絡を取りましょう、系列の会社に地盤の調査を依頼するべきです。我々は今回の現象が地盤沈下などではないことを知っている、それを市民に見える形で伝えるべきかと」


「日屋見剛誠(ごうせい)か……そうだな、気休めぐらいにはなるだろう。彼の知恵を借りるしかあるまい」




 そう言って、市長は電話に手を伸ばす。


 汗ばむ手。


 瀬田口博よりはマシな相手ではあるが、できれば剛誠にも頭を下げたくはない。


 どうせ後から市の施策に関わることを要求されて、それで癒着だの何だのと叩かれるのは市長自身なのだから。


 そもそも、彼が市長になれたこと自体、戒世教のおかげなのだから、それらは全て事実でしかないのだが――




「もしもし。ええ、私です。社長も元気で何より……ああ、娘さんが真の世界に到達したと。それはおめでとうございます」




 受話器を握る手に汗をにじませながら、市長は上機嫌な剛誠との交渉を開始した。




 ◆◆◆




 絹織が自分のマンションにたどり着いのたのは、日付が変わってからのことだった。


 顔に疲労をにじませながら、がちゃんと扉が閉まると同時に口を開く。




「……ただいま」




 別に誰かに対して言ったつもりはなかった。


 どうせ同居人は寝ているだろう、と思っていたのだ。


 しかし意外なことに、すぐさま足音が聞こえてくる。




「おかえり。思ったよりは早かったわね」




 黒髪のミドルボブの女性――すでに寝る直前なのか、ラフなルームウェアを身にまとっている。


 彼女は青柄(あおがら)千尋(ちひろ)


 絹織の高校時代からの親友で、大学時代から今日までずっとルームシェアで同居している仲だった。


 井上芦乃とも仲が良かった。


 よく三人で行動をともにしていたものだ。


 しかし――




「まあね」




 絹織は冷たくそう返事をすると、目も合わせずに千尋の横を通り過ぎていく。


 千尋はわずかに悲しげな表情を浮かべたが、すぐさまそれを消して、いつも通りのクールな顔で絹織を追う。




「さすがに驚いたわ、学園とファンタジーランドが消えるなんて。緋芦ちゃんと会衣ちゃんが巻き込まれたって聞いて……心配ね。絹織のお姉さんは大丈夫なの?」


「大丈夫なわけない」


「……それもそうね」




 絹織はカバンを置いて、ソファに深く腰掛ける。


 すると千尋はキッチンに向かい、問いかけた。




「お茶いる?」


「いらない、ほっといて」


「ちょっと冷たいんじゃない」


「もう寝たら。明日も早いんだよね」




 徹底して目を合わせようとしない絹織。


 すると千尋はわずかな笑みを浮かべながら、茶化すように言った。




「まだ先週のこと引きずってるんだ。ちょっと合コンに行って朝帰りしただけじゃない、いい加減に大人になったら?」


「……」


「なんとか言ったらどうなの」


「いい部屋、見つかった?」




 絹織はテーブルの上に置かれた賃貸雑誌に目を向け、冷たく言い放つ。




「市内ではなかなかね――でもそんなに私に出ていってほしかった? 一人じゃこの部屋は広すぎるでしょう」


「先に出ていくって言ったのは千尋じゃん」


「そうだけど……」


「彼氏、できたんでしょ。おめでとう」


「……」


「何で黙ってんの? 自慢してきたのそっちじゃん」


「はぁ……子供じゃないんだからさ。私たちもう32だよ? 結婚のこと考えるの遅すぎるぐらい」


「そう」


「絹織だってそういうの考える年頃でしょ?」


「私にそんなつもりないから」


「仕事が恋人、みたいな?」




 千尋がそう言うと、絹織は明らかに怒りを込めた眼差しで彼女を睨みつける。


 そんな感情を向けられたのは初めてだった――と、千尋はわずかに狼狽する。


 すると絹織は立ち上がり、彼女に迫った。




「そんなに私のことが嫌いになった?」


「別にそんなんじゃないけど」


「だったら何のつもりなの? 私を傷つけ続けて楽しい?」


「き、傷ついてたんだ。知らなかったわ、私。でも私に彼氏ができたってだけで傷つく必要ある?」


「全部知ってて言ってるんじゃないッ!」


「何のことだか。というか、痛いのよ」


「何が?」


「6年前に死んだ親友のこと引きずり続けて、女二人で傷を舐めあってるの。30も過ぎた大人が、何やってるのか――」




 絹織は顔を真っ赤にして、怒りに任せて腕を振り払った。


 千尋は殴られると思ったのか、目をつぶって身をすくませた。


 しかし痛みはいつまでも来ない。


 代わりに、何かがパリンと割れる音がした。




「あ……」




 地面に落ちたガラスの破片を見て、千尋は絶句する。


 それは、つがいのふくろうの置物だった。


 一方、絹織はそれに目を向けることもなく、無言で千尋に背を向け離れていく。


 ソファに置いたカバンを持ち、向かうのは自室だ。




「ねえ絹織っ、これ――」


「何?」


「いや、あの……何年か前に、二人で旅行行ったとき、買ったやつ……」


「もういらないと思って」


「え?」


「何で千尋が驚いてるの。出ていくなら、千尋の邪魔になるだけでしょ」




 そう言い残し、絹織はバタンとドアを閉める。


 残された千尋はうつむき、肩を落とした。




「32にもなって……何やってるんだろうね。芦乃もあの世で笑ってるわ……ははっ……」




 彼女は自嘲気味に肩を震わせ笑う。


 そしてしゃがみ込むと、無言で割れた破片を一箇所に集めはじめた。




 ◆◆◆




 部屋に入った絹織は、閉じたドアに背中を預け、ずるずると床に座り込む。




「……千尋のバカ。クズ。女の敵。股ゆる女。死んじゃえ!」




 そして目に涙を浮かべながら、千尋への恨みつらみを吐き出すと、鞄を投げ飛ばす。


 その後、しばらく放心したように壁を見つめていた。


 絹織と千尋がルームシェアをはじめて、もう10年以上が経つ。


 大学時代は芦乃も一緒に暮らしてたりはしたけど、今になって思えば、彼女は気を遣って(・・・・・)いた気がする。


 要するに、できるだけ二人の邪魔をしないように、と。


 それぐらい高校の頃から彼女たちは親しかったのだ。親しすぎるぐらいに。


 だから当たり前に絹織は千尋が自分を好いていると思っていたし、向こうも同じことを考えていただろう。


 そんな確信があったから、逆に進む必要性を感じなかった。


 いつまでも“ルームシェア”のままだし、いつまでも二人は“親友”のまま。


 いずれ。


 そのうち。


 そう思っているうちに26歳――そろそろ区切りをつけないとな、と思っていたときに、芦乃が死んだ。


 彼女の死は、あまりに深すぎる悲しみを二人に与えた。


 彼女たちは決して芦乃のせいにするつもりは無いが――その関係性が歩みを鈍らせたのには、間違いなく彼女の死が関係している。


 そして、あっという間に時は過ぎ、あれから6年。


 進まないまま止まった関係は、いつの間にか歪んで、真っ直ぐ進む方法を見失ってしまった。




「嫌だな……なんでこんなことになっちゃったんだろ」




 加えて、会衣もいなくなり、津森も消え、そして戒世教は変わらずそこにあり続けている。




「私……雑魚じゃん。本当に死んじゃえばいいの、私なのかな……ねえ、芦乃……」




 絹織は膝を抱え、顔を伏せる。


 疲れで体がだるい。


 油断すると、すぐに意識を手放してしまいそうだ。


 夕食も食べてない。


 シャワーを浴びて、化粧も落とさないと。


 そう思っているのに、心も体も疲弊しきった絹織は、もう動くことができずに――そのまま眠りについた。




 ◆◆◆




 翌朝、絹織はアラームの音で飛び起きる。


 変な体勢で寝てしまったので、腰は痛いしろくに疲れは取れていない。


 幸い、遅刻するような時間ではないので朝食とシャワーぐらいは済ませられそうだったが、化粧を落としていないので肌のコンディションは最悪だった。




「何で最悪に最悪が重なるかなぁ!」




 半ばキレ気味に、身支度を進める絹織。


 看護師である千尋は、すでに仕事に向かった後だった。


 全ての準備を終えて、絹織が靴を履いて出勤しようとしてたところで――ふと気づく。


 玄関の棚に、妙なオブジェが置かれていることに。


 それは昨日絹織が割った、ふくろうの置物。


 その破片をボンドで下手くそに繋ぎ合わせたものだった。


 正直、下手すぎてもはやふくろうだと認識することすら難しい。




『ふくろうって縁起がいいから、結婚式とかでも使われるんだよね』


『なら私と絹織用に買う?』


『え……?』


『ふふ、いいでしょ。気分だけでも、ね』




 ふいに、これを買った旅行のときの会話を思い出す。


 あのときは、今みたいに冷めた関係になるとは思っていなかった。


 修復された置物に手を当て、絹織は唇を噛む。




「何のために……何のつもりでこんなこと……出ていきたいなら、半端なことしなければいいのにッ!」




 そしてそれをつかむと、思いっきり腕を振り上げる。


 しかし――床に叩きつけることができない。


 代わりに、一筋の涙が頬を伝った。




「なんなんだよぉ、もう……最悪。朝からメイクが崩れたらどうすんの……!」




 絹織は置物を元の場所に戻し、涙を手で拭うと、八つ当たりするように強めに扉を開いて部屋を出ていった。




 ◆◆◆




 それから一週間弱、事態は膠着することになる。


 行方不明者はもちろん、消えた建物の手がかりはゼロ。


 専門家たちがどれだけ分析しても、原因はわからないまま。


 一方で、市長は外部からの介入を頑なに拒み続け、全国区のニュースで毎日のように彼は批判を受けた。


 当然、市民たちも黙っているはずはなく、デモ隊が市役所を囲みシュプレヒコールをあげることもあった。


 それでもなお、市長はあくまで市だけで問題の解決を図ろうとし、それに関われるのは日屋見グループ――もとい戒世教の息がかかった企業のみ。


 メディアでは、なおも戒世教の名前が出てくることはほぼ無いが、ネットではちらほらとその存在に気づく人間も出てきた。


 それは、連城が絹織に見せる写真にも影響を及ぼす。




「この男性の死体、若いけど光乃宮ではあんまり見かけない服装してますね」


「正解だ。都市伝説を扱う配信者らしくてな、戒世教について調べるために市に入り込んだところ――」


「殺されたんですか? でも今までと違って、光乃宮市在住の人間じゃないし、それなりに知名度もある。そんな人間を殺したりしたら、余計に騒ぎが大きくなるだけなんじゃ」


「そうだな」




 今までとは異なる杜撰な犯行。


 元々、都市伝説というジャンルを扱う配信者だったこともあり、彼の死はそう多くないネットメディアで取り扱われ、様々な陰謀論が飛び交った。


 その中には、戒世教の雇った殺し屋の仕業――という正解そのものな意見もあった。


 絹織は思った。


 戒世教のやり口が杜撰になっている気がする、と。


 そして郁成夫妻が言っていたことが起きていない。


 彼女たちが言うには、じきに世界全体が真の世界とやらに呑み込まれて、消えるはずだった。


 しかし一週間ほど経った今も、状況に何も変化は起きないのだ。




「戒世教は焦ってるのかも」


「思った以上に何も起きないから、か」


「となると、探るには今がチャンスってことになりませんか」


「この前の写真の女は何かわかったのか?」


「あれは……被害者は、光乃宮病院の看護師らしくて」


「そこまでは調べてるのか」


「病院に取材に行く必要があるので、今は保留中です」


「友達が働いてると言っていなかったか」




 友達というのは、千尋のことだ。


 いつもなら彼女から話を聞いているところだろうが、今はばかりはそうもいかない。




「それはそうなんですけどね。ちょっと事情があって、別の方面を調べてます」


「別の方面ってのは誰のことだ?」


「島川夫妻です」


「島川?」


「息子の島川大地と、甥の島川優也が学園消失に巻き込まれたらしいんです。今は市内のホテルに滞在してます」




 絹織は、すでに島川夫妻とコンタクトを取っていた。


 光乃宮市には多くの記者が滞在しており、事件に巻き込まれた生徒の親たちは、誰も彼も取材にうんざりしていた。


 一方で、島川夫妻は関西からはるばるやってきたからか、あまり記者に存在を把握されていなかったようで、快く絹織の取材に応えてくれた。




「なるほど、消失した生徒の親か――だが、あまりに人数が多すぎる。その大半はただ巻き込まれただけだと思うるぞ。あの学園の生徒たちが、戒世教の信者だったなんて話は聞いたことがないからな」


「全員が信者でなくとも、その中に数人信者が混ざってることは確定しています。筆頭は日屋見グループのご令嬢、日屋見麗花です」


「戒世教関連の施設を作ってるのが、必ず日屋見グループの建設会社って話だったか」


「プラス、あそこで教師をやってる瀬田口丁って男も気になります」


「瀬田口か……」


「そう、瀬田口です」


「集会なんかで何度か名前だけは聞いたことがあったな」


「大司教と呼ばれ信者に敬われているようですし、おそらくは大物です。瀬田口丁が本人なのか、それともその親族なのかはわかりませんが――」


「そいつが教師をやってる時点で、学校ぐるみで戒世教とつながっている可能性がある、と?」


「そう考えると、辻褄が合うことが多いんです」




 絹織はメモを開き、そこに記された内容を連城に語る。




「さっき話した島川夫妻の甥っ子、島川優也は火事で両親を亡くしています。去年のことです。それに関して、彼は島川夫妻に気になることを言っていたそうで」


「どんな内容だ」


「“巻き込みたくない”と」




 連城の表情が険しくなる。


 それは、事故による火事では出てくるはずのない言葉だ。




「火事は事故で処理されましたが、戒世教による意図的な放火である可能性があります。実際、島川優也の中学時代の知り合いに話を聞いたところ、彼は学校でひどいいじめを受けていたそうで。火事の現場の近くで、そのいじめに参加した生徒を見かけたという証言も取れました。ここを掘り下げていけば、ようやく私たちが望んだ“戒世教が直接殺人に関わった”という致命的な証拠が得られるかもしれません」


「いじめがエスカレートした結果の放火じゃないのか?」


「だとしたら、隠蔽される理由が無いんです。学園、あるいは教師が戒世教の人間なら、いじめていた生徒たちにやらせた(・・・・)とも考えられませんか」




 隠蔽された――それが何よりの、戒世教が関連している証拠になっている。


 絹織の使命感に燃える瞳を見て、連城はため息をついた。




「よく調べてるな、俺の警告も無視して」


「幸い、今のところ死んでませんよ。脅迫文は届きましたけど」




 そう言って、絹織は鞄の中から封筒を取り出す。


 中に入っているのは、彼女の殺害をほのめかす手紙だった。


 それを見た連城の顔色が変わる。




「お嬢さん、悪いことは言わない。今すぐ調査をやめて光乃宮を出るんだ」


「お断りします」


「死ぬぞ」


「わかってます」


「冗談なんかじゃないことはわかってるはずだ」


「もちろんです」


「……お嬢さんおかしいぞ。まさか、何か自棄にでもなる出来事でもあったのか?」


「かもしれません。でも、命を賭けるにはちょうどいいタイミングです」




 絹織は笑みを浮かべる。


 そこに宿る危うさがわからない連城ではない。


 だが一方で――こうなった人間は、他者の忠告を聞かないことも知っている。


 いや、そもそも保身を考える人間なら、最初から芦乃の復讐のために戒世教を調べよう、なんてことは考えない。




「何を言っても……聞きそうにないな」


「それで止まるようなら、とっくに連城さんに見せられた写真で日和ってます」


「そうだったな……普通の人間は、あんな死体を見せられたらビビって身を引く」


「最初に写真を見せたときの連城さん、私を試してたんでしょう」


「……どうだったか、今となっては思い出せないな」




 遠い記憶に思いを馳せるように、フロントガラスから外の景色を見つめる連城。


 そこは公園の駐車場。


 遠くで遊ぶ親子を見て、彼は妻と娘にでも思いを馳せているのか。


 それにしては妙に物憂げだな、と絹織は感じた。




「ともかく、島川夫妻に話を聞きながら、島川優也の身辺を洗ってみようと思います」


「まあ、頑張れよ。本業をおろそかにしない程度にな」


「いつもだったらふらふらしてると編集長に怒られるんですけど、今は学園に注目が集まってますから。実は意外と自由に動けてたりします」


「そりゃ何よりだ」




 最後に挨拶を交わし、車を降りる絹織。


 扉が閉じ、一人になった連城は、自らの車に乗って去っていく彼女を見送ると、口元に弱々しい笑みを浮かべた。




「眩しいねえ……生きてる人間は眩しいよ。死んでる俺と違って。ははっ」




 ◆◆◆




 光乃宮学園に動きがあったのは、絹織と連城が情報交換した翌日のことだった。


 学園、及びファンタジーランド消失からちょうど一週間。


 突如として校舎跡地の空中に、大きな穴があいた。


 絹織がそれを知ったのは職場にて、彼女が任されている公式SNSの更新をしているときのこと。


 ニュースなどよりも早く、地元の人間がその異変を撮影して投稿していたのである。


 慌てて窓から学園の方を見てみると、確かにそこには大きな穴があいていた。




「一体、何が起きてるの……」




 他の社員たちも気づき、全員が窓に釘付けになる。


 そんな中、絹織は一足先にオフィスを飛び出した。




「現場に向かいます!」




 後ろからなにやら引き止める声が聞こえたが、聞こえなかったフリをして、ビルを飛び出し自分の車に乗る。


 絹織が現場に到着した頃には、学園はすでに大勢の人間が囲んでいた。


 とはいえ、敷地内には入れないようフェンスが立てられており、穴は敷地の中央上空に空いているので、数十メートルの距離がある。


 少し離れた場所から人々が固唾を飲んで“穴”を見つめていると――さらなる異変が起きた。


 校舎の一部と思しき瓦礫が、一つ、また一つと落下してきたのである。




「学園が戻ってきたの? でもあれじゃあ……」




 鉄筋コンクリートの建物が、バラバラに砕けている。


 そこにいた人間が無事で済むわけがなかった。


 それを証明するように、次々と落ちてくる瓦礫には、血が付着している。


 無数のシャッター音が繰り返される中、そこに様子を見に来た保護者の悲鳴が混ざり始めた。


 絹織も、どちらかというとそちら側の人間だ。


 もう、カメラを握る気にもなれなかった。


 やがて血に汚れた瓦礫だけでなく、肉の塊らしきものも、ぼとり、ぼとりと落ち始めると、泣き崩れる者まで現れた。


 肉塊には制服の一部が付着しており、それが遠目でも見えてしまったからだ。




「会衣……緋芦……っ!」




 悲嘆。恐怖。絶望。興奮。


 人の様々な感情が入り交じるその空間に、死体から漂う腐臭が混ざり合い、絹織は強い吐き気を覚えた。


 腐臭が強いのは仕方ない、ただの腐乱死体ではなくゾンビの亡骸なのだから。


 彼女は慌てて学園に背を向け、その場を離れる。


 そして人の少ない場所まで移動すると、その場に立ち尽くし、呼吸を整えた。




「はぁ……はぁ……な、なんてこと……なんであんなことが……っ」




 消えた人々は無事では済まない。


 そう頭で認識はしていても、いざ死体が出てくるまで実感は沸かないものだ。


 つまり今、その“実感”が腹の奥底から湧き上がってきたわけだ。


 写真で見るのとは違う。


 “腐臭”という、あまりに生々しいリアリティを伴って。


 悲鳴、シャッター音、怒声、べちゃべちゃと肉が叩きつける音。


 離れても、ここまで聞こえてくる。


 この時点で、落下してくる肉塊はもはや人の形をしていなかった。




「あんなのが、神様……のやること……? そんなの、そんなの許されるわけがっ……!」




 頭の中がぐちゃぐちゃだ。


 怒りなのか、恐怖なのか、それすらもわからない。


 この言葉は強がり? それとも憤怒?


 ヒートアップする心とは裏腹に、体は寒い。


 顔は青ざめ、冷や汗がびっしりと背中に浮き出す。


 もはや、まともに取材などできる状況ではなかった。


 結局、絹織はしばらく体を休めたあと、会社に戻った。




 ◆◆◆




 絹織はその日一日体調が戻ることはなく、他の社員に心配されながら定時で自宅に戻ってきた。


 彼女自身、まだ自分が本調子ではないことを理解していたので、帰るなりすぐさま部屋着に着替え、ソファに体を沈める。


 当然、千尋はまだ帰ってきていない。


 あれだけ大量の死体が出てきたのだ、今日帰れるかどうかもわからないだろう。


 テレビを付けると、当然のように光乃宮学園で起きた出来事が報道されていた。


 さすがにあのグロテスクな景色をそのまま流すわけにはいかず、放送される動画は死体が落ちてくる直前までのものだったけれど――それを見ただけであの光景がフラッシュバックし、絹織は気分が悪くなる。




『現在、現場からは多くの遺体が運び出されています。関係者の話によりますと、すでに百名を超える犠牲者が確認されているそうです。また光乃宮学園に現れた瓦礫ですが、そのほとんどが校舎一階部分に相当するものだと判明しました。今回の一件を受け、光乃宮市の市長は会見を開き、国からの要請を受けて自衛隊の受け入れを決定。自衛隊はすでに到着し、瓦礫の撤去、遺体の回収作業に参加しています』


『遺体の身元は確認されているのでしょうか?』


『はい、衣服などから学生と確認された方はいるようなのですが、腐敗と損傷が激しくまだ身元確認までは至っていないとのことです。また、時間が経過し白骨化した遺体や、日本人ではないと思われる遺体も大量に発見されています』




 結局、市長は今回の一件を受けて、自衛隊を受け入れざるをえなかった。


 発見された死体は数百に及ぶ。


 それだけの数を処理し、なおかつ瓦礫まで片付ける能力は、光乃宮の警察と消防には無かったのである。




「日本人じゃないとか、白骨化してるとか……わけわかんない。だいたい、一週間しか経ってないのに腐敗するもんなの……?」




 ソファに横たわり、吐き気と戦いながらも、ニュースから目を離せない絹織。


 大量に発見された死体――そこに会衣や緋芦も含まれているんだろうか。


 姉夫婦は大丈夫だろうか。


 戒世教の連中はこの結果を見て笑ってるんだろうか。


 色んなことを考えてしまう。


 だが今は、自分の体調を整えるので精一杯だ。


 それ以外のために行動するための体力が無い。




「ああ……情けない。連城さんにあんだけ啖呵切っておいて……」




 命をかけるとか、死んでも平気とか。


 確定してない会衣と緋芦の死を考えただけで、こんなに寒気がするのに。


 言うは易し、というやつだ。


 実際に自分の死に直面することになったら、今なんて目じゃないぐらいヘタれて、命乞いをするに違いない。




「でも、仕方ないじゃん、想像を越えてるんだからさ。まさか、本当にあんだけの人数を殺すなんて……」




 元から常軌を逸しているけど、今回は度を越えてイカれてる。


 一記者の手に追える相手ではないと、反論する気も起きないぐらい、徹底的に叩きつけられてしまった。


 自分の無力さを知りぐったりしていると、ニュースを伝えるアナウンサーが慌ただしげに『速報です』と告げた。




『光乃宮学園の瓦礫から生存者が一名発見されました。すでに現場から地元の病院に搬送され、治療を受けているとのことです』




 絹織は思わず「嘘……」とつぶやき体を起こす。


 あんな絶望的な状況で、生き残りなんているものなのか。


 ひょっとすると、会衣か緋芦かもしれない。


 そして地元の病院に運ばれたってことは――おそらくは千尋が勤務するあの病院だろう。


 絹織の視線がスマホに向けられる。


 連絡を取る?


 いや無理だ、今は忙しいだろうし、何より今の自分が千尋に何かを尋ねるなんて、そんなこと――


 絹織は大きくため息をつき、うなだれた。




「自分のことも満足にできないくせに、こんな私がでしゃばるべきじゃない……」




 どうせじきに生存者の身元はわかる。


 待てばいい。


 絹織が頑張らなかったところで、世界の何かが鈍るわけじゃない。


 ここまで派手に死者を出したのだ、戒世教だっていつまでもアンダーグラウンドに潜った秘密組織じゃいられないんだから。


 そう、絹織がいなかったところで。


 世界も。


 千尋も。


 何も、変わらないのかもしれない。




「やだな……無限にネガティブなことばっか考えてる。もういいや、寝よ」




 こういうときは、寝る以外に回復する方法は無い。


 ふたたびソファに横になり目を閉じる絹織。


 すると、まるでそれを見ていたかのようなタイミングでスマホが鳴った。


 再び体を起こし、思わずスマホを睨みつける。




「……千尋から?」




 想像だにしない相手からの着信だった。


 そう、普通の着信。


 アプリ経由の通話でもなく、電話を使っての。


 緊急性を感じた絹織は、躊躇う自分を噛み砕いて通話ボタンを押す。




「もしもし」


『あ、出てくれた。絹織、まだ職場にいるの?』


「いや、家だけど」


『声、元気ないね。大丈夫?』


「千尋は気にしなくていい。それより何、そっち忙しいんじゃないの」


『ああ……うん』




 元気ないのはお前の方だ、と言いたくなるぐらい千尋は意気消沈していた。


 絹織は苛立ち、歯の奥をギリッと噛みしめる。


 最初に突き放したのは千尋だというのに、なぜそんな女々しい感情を見せつけてくるのか。




『忙しいから、今しかないと思って』


「何が?」


『運び込まれてきたの、生存者が。名前わかったんだけど……絹織、知りたくないかなと思って』


「そりゃあ知りたいけど――千尋からは聞けない」


『……それって』


「何でそんなことするの。ポイント稼ぎのつもり?」


『ちがっ、そんなつもりじゃ!』


「だったらやめてよ、迷惑だから」


『っ……』


「あと、千尋と私が同居してること、知ってる人もいるんだからさ。私が誰よりも先に生存者の名前を知ってたら、真っ先に怪しまれるでしょ。そんなの記事に使えないって」


『あ……そっか』


「……」


『……』




 気まずい沈黙が流れる。


 なんだっていうんだ、本当に。


 絹織は内心で強く憤っていた。




『あの……』


「後ろで忙しそうな声が聞こえる。もう戻らないといけないんじゃないの?」


『そう、なんだけど』


「……何か言いたいことでもあるの」


『今度……ゆっくりできる時間があったら』


「うん」


『話したい。二人の、その、今後について』




 今さら何を――と言いたくなった。


 でもそんな返しをしたことで、ただ亀裂が広がるだけだとわかっていたから、絹織はぐっと抑える。


 そして千尋の言葉を噛み締めて、理解する。


 たぶんそれは、久しぶりに彼女が“冷静に”発した言葉だったのだと。


 結局のところ、千尋の意図がわからないから、絹織の感情はかき乱されてたのだ。


 いや、仮に彼氏との馴れ初めとかを丁寧に聞かされて、さらに落ち込むだけの可能性もあるが――もし決別するのなら、それもまた、必要なことだろうから。




「はぁ……わかった、話そう。ちゃんと真正面から」


『ありがとう』


「そのとき、私もしっかり千尋のこと怒るから」


『ふふ、それは怖いな。あと、使えないとは言ってたけど……一応、知りたくない?』


「生存者の名前? そりゃあ知りたいけど」


『なら言うね』




 最初に通話に出たときよりは明るい声で、千尋は告げる。




『島川大地』




 絹織が知っている名前を。




「島川……」


『これが絹織の何かに役立つなら嬉しい。あ、ごめん、もう戻らないと。また後でね』


「ああ、うん、じゃあまた」




 ぷつりと電話が切れる。


 絹織はスマホをテーブルの上に置くと、再びソファに横たわって目を細めた。




「島川夫妻の息子が……生きてる」




 会衣や緋芦じゃなかった。


 でも二人の死体が見つかったわけじゃない。


 それに、島川優也について調べようと思っていたタイミングでの、この知らせ。


 絹織は運命めいたものを感じずにはいられなかった。




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― 新着の感想 ―
[良い点] 島川くん生きてた… [気になる点] 侵食には巻き込まれたものの、元の世界とのタイムラグはあまりない? 島川くんパーティからは離脱して自衛の力もないから地味にヤバい
[一言] 1抜け大地くん生存か 依里佳たちの帰還にはもう一週間後くらいですかね そして将来に揺れる社会人百合カップルの元に舞い戻る昔の女芦乃! 気になる情報が多すぎる
[一言] 真なる世界(元の世界)って二階の連中はなるところでしたね。それが一番やばいと思うけど。
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